Chapter42 川嶋哲郎

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撮影:2015年11月20日
阿佐谷クラヴィーアにて
photo & text by 望月由美


ジャズ・ミュージシャンは日々演奏の場で昨日演奏した曲を今日も演奏する。同じ曲でも昨日の演奏と今日とでは全く違うところがジャズとクラシックの大きく異なるポイントである。そして明日もまた次なる極みを求めて演奏の場に向かう。
川島哲郎もそうした我が道を歩み続けるアーティストの一人である。
川嶋哲郎カルテットの最新作『LAMENTATION』(B.J.L、2013)で演奏されている表題曲<LAMENTATION>は15年前に録音した『EMOTION』(EWE、2000)で初めてとりあげた曲で、この曲のファースト・レコーディングでの力のみなぎった演奏にも新作でのメロディーを大らかに唄い上げる演奏にも川嶋哲郎のシルエットが音の背後に浮かび上がり、一生をかけて自らの道を追い求めるジャズ演奏家の典型をみる。

川嶋は<一度きりの人生、自分にどのくらいの才能や力量があるのかを大好きな音楽で本気で試してみたい>とつねづね語っている。

これまでに川島哲郎がつくりあげてきた作品をふりかえるとソロ、デュオ、トリオそしてカルテットがそれぞれ整然と系列化されていて川嶋が如何にジャズにのめり込んできたか、常に真正面から向き合って気負わず、飾らず、前向きに我が道を歩んできたその熱意と強い意志が浮かび上がってくる。

<そもそも、色んな事を勉強して、研究してその結果聴く人に喜んで頂ければいいな、と思って人生を送っているので自分はこういうタイプだからこういう作品しか創らないとか、そういう生き方はあまり魅力的じゃないんです>
川嶋の作品群にはオリジナルからスタンダード、フリー、ときには山田耕筰の童謡までがしごく当然のように並んでいる。
<とにかく一つ一つ消化して、例えばスタンダードならスタンダードを50分一気に休みなしで吹いて、いま自分はこういうものをこれだけやっているということを確認させてもらって、分かったことはもうやらない>

ジャイアント・ステップスならぬ川嶋ステップスはこうして次なる高みを求めてまい進する。
<そうしてようやく次のフリーで全部ぶちこわして...そうしてやっていると全部なくなっちゃってもういちど一からやらなければいけない>
構築と破壊を繰り返していって、その足跡が作品に残っているのだという。

川嶋哲郎の作品にはライヴ盤が多い、その時々に演奏していて今現在、自分自身はその最前線にいるわけで、その最先端にいる自分が納得したいという結果がライヴ盤であるという。
<こだわりがないというか、ライヴ録音というのはかなり嘘がつけないというか...上手くなりたいと思うのであればライヴ盤はいいと思います。完成度はともかくとして、自分自身が自分を少し成長したかなって実感したい欲もかなりあって、それを音楽で確認しているという訳で、その一部が作品になっているということなんです>

川嶋哲郎は1966年8月富山県富山市の出身で、高校までを富山で過ごしている。
6歳からピアノを始める。3人兄弟の長男で、弟もピアノをやりたいと言いだしピアノを買ってもらったのだという。
バイエルからソナチネまでを習ったというが教わったピアノの先生が指示通りに弾かないとすぐ怒るような人だったこともあって長続きしなかった。

中学に入って12歳からトランペットに転向する。
音楽は凄く好きだったのでもっと自由に出来る楽器がいいなと思ったのとピアノにも飽きたところもあって吹奏楽部に入りトランペットを志望する。
<部ではトランペットは人気が高くて、入ったときはチューバやトロンボーンしか空いている楽器がないからダメって言われて、じゃあ楽器は自分で買うって言ってお年玉で自分でトランペットを買ったんです、自分なりに頑張ったんですけど、高い音が出なかったりで...>

高校に入ってサックスを手にする。
<高校でもトランペットをやりたかったんですけど先輩からおまえ下手だからだめって言われて、それでこんどは木管をやってみようと思ってサックスにしたんです>

サックスを始めると同時にジャズを聴き始める。
<最初にロリンズを聴いて大好きになって、貞夫さんとか当時流行っていた人達も聴いて、コルトレーンなんかも聴いて、ですから高校の時にはジャズが大好きになっていましたね>
最初に買ったアルバムはソニー・ロリンズの『イージー・リヴィング』(Milestone)とコルトレーンの『ジャイアント・ステップス』(Atlantic) 、そしてジャック・モンテローズの3枚、全てテナーのアルバム。
<ロリンズがいちばん最初に好きになって…いまでも勿論好きですよ>
そして、
<コルトレーンは好きとか嫌いとかじゃあないんです、神ですから>
<好きとか嫌いとか言ってはいけない、もう、神ですから>
コルトレーンを神と言いきる川嶋の口調はひと言ひと言かみしめるように丁寧であった。
最新作『LAMENTATION』のDISK2後半の長いソロの途中で一瞬<Mr.PC>のフレーズが飛び出したりするのもこの頃熱中して聴いていたときの心の鼓動がふっと現れたのかもしれない。

物理が好きたったので岡山理科大学に進み物理を専攻する。
<勉強は嫌いでしたがなんとか4年で卒業できました、とにかく物理と言うものは好きでしたね>
大学ではビッグバンドのサークルに入るが空いている楽器がバリトンしかなく親にテナー・サックスを買ってもらう。
大学時代は足しげくライヴ・ハウスに通い、生の演奏を聴いて、そこでジャズを勉強させてもらったという。
<そのライヴ・ハウスは大変厳しいところでね、毎晩通っていても吹かせてくれなかったですね>
学生時代はテナーの練習をしたり音を聴いたりと音楽に明け暮れた生活を送っていた。

大学を卒業し富山に戻って生産機械関係の会社に入社するが名古屋の営業所に配属をされ、名古屋で5年間のサラリーマン生活を送ることになる。
会社に入って2~3年は楽器から遠ざかっていたが、また練習したいという思いが強くなり、名古屋大の友人たちとのジャム・セッションなどに参加するようになる。そしてそこで知り合った大坂昌彦(ds)から、会社辞めて一緒にツアーに行こうよ、と声をかけられる。
<これは、こういうことを言ってくれる人がいるんだったらいいか、と思って会社を辞めることを決断しました>
はたから見ればかなり覚悟のいる決断のように思える。
<とにかく練習するだけって言う時間を人生の中でつくりたかったし、自分がどれくらいの者かを知りたくて会社を辞めたんです>

1997年、27歳のときに会社を辞め東京に移り、大坂昌彦(ds)・原朋直(tp)のクインテットに参加してミュージシャンとしてのスタートを切る。
1999年、プロ・デビュー2年にしてファースト・アルバム『ETERNAL AFECTION』(KING,1999)を発表する、ケニー・バロン(p)との共演盤であった。
また、当時在籍していた故・日野元彦(ds)( 1946年1月3日 – 1999年5月13)のグループ「CLUB TOKO」でイーストワークスから『DOUBLE CHANT/MOTOHIKO HINO QINTET』(ewe,1998)などをレコーディングする。
川嶋に日野元彦(ds)の想い出を語ってもらった。
<トコさんは音楽そのものですから、たぐいまれな...音楽そのものの人です、一般的には音楽の恩恵を受けて音楽を使っていくのが音楽家ですけど、トコさんは音楽のために生きていて、それが結果として音楽の恩恵を受けているんです>

川嶋は大坂昌彦(ds)、日野元彦(ds)そして現在は森山威男(ds)と日本を代表するトップ・ドラマーに好かれてしばしば共演を重ねている。
<相思相愛でないとドラムとサックスと言うのはいい音楽にならないんですよ、ドラマーはフロントがきちっとして演らないと叩けないですし、僕もドラムがしっかりしてないと吹けない、ドラムは僕の演ったことを100倍にして返してくれるポジションなんですね>
2014年1月の新宿ピットイン「NEW YEAR SPECIAL 森山威男4DAYS」初日の森山・板橋クインテット『ストレイト・エッジ』(PIT INN MUSIC INC)では森山威男の地底を揺るがすような鼓動と絡み合い、共鳴してジャズを吹き抜く喜びを表現する川嶋の姿が刻まれている。

そして、日野元彦(ds)亡き後、川嶋はその遺志をついで日野の弟子、力武誠(ds)を加えて「CLUB TOKO」を継続し『DO IT!』(ewe,1999)などを残している。そして川嶋はイーストワークスのプロデュースで自己のカルテット、川嶋(ts、ss)、石井彰(p)、安カ川大樹(b)、力武誠(ds)で『MY SOUL』(ewe,2000)、『EMOTION』(ewe,2001)をリリースする。
ワンホーン・カルテットの基盤はこの頃に築かれ、その後『AIKA-哀歌』(M&I,2008)、『DAYS OF BIRD』(M&I,2010)と続き、現メンバー川嶋(reeds)、田窪寛之(p)、安田幸次(b)、長谷川学(ds)になって『祈り』(Forecast Music,2012)、『LAMENTATION』(Boundee,2014)を発表している。
ロリンズのサキコロしかり、コルトレーンのジャイアント・ステップスしかりワンホーン・カルテットがジャズを牽引してきている時はジャズに勢いがあった、川嶋哲郎カルテットも日本ジャズの推進役として期待される。

川嶋のもうひとつの側面は「東京名曲堂」での活動である。
東京名曲堂は川嶋(reeds)、岡安芳明(g)、上村信(b)によるトリオでサックス、ギター、ベースと言う楽器編成がユニークで、また耳なじみのスタンダードばかりを演奏する点でもユニークである。
かつては初代のジミー・ジュフリー・スリーがこの編成で大きな注目を集めたが短期間で活動を終えているのに対し東京名曲堂は1999年以来長きにわたって活動をつづけ、これまでに6作品をリリースしている。
また一時期、金子雄太(org)、大坂昌彦(ds)とのオルガン・トリオでも活動している。

昨2015年はウェイン・ショーター(sax)とハービー・ハンコック(p)とのデュオが大きな話題になったが、テナーのデュオ作は意外と少ない。記憶に残っているのはスタン・ゲッツ(ts)とケニー・バロン(p)の『ピープル・タイム』(EMARCY,1991)、そしてジョン・コルトレーン(ts)とラシッド・アリ(ds)の『INTERSTELLAR SPACE』(Impulse!,1967)位しか頭に浮かんでこないが川嶋はギターの鬼怒無月、アコーディオンの佐藤好明、箏の竹澤悦子、タブラの吉見征樹などさまざまなジャンルの奏者と精力的にデュオを行い即興の領域を広げてきた。現在もライヴ・シーンで田窪寛之(p)、大徳俊幸(p)等とデュオを行っている。

また、川嶋哲郎は天元シリーズと銘打ったソロ・アルバムを4作世に出している。
辞書を引くと天元とはあらゆる万物の生育の元と記されている。川嶋にとってのソロは自身の起源を意味するのであろうか、アルバムのタイトルも『裂古破今』(ポリスター,2005)、『天衣無縫』(ポリスター,2004)『改天換地』(ポリスター,2004)、『鏡花水月』(ポリスター,2004)と川嶋哲学というか、音そのものを漢字に当てはめているようである。

川嶋はときたま将棋のTV中継を観戦する位でとくに深い趣味はないというが、ジャズ以外で積極的にアプローチしているもののひとつが文章を書くことで、現在ジャズ・ライフ誌に隔月で「川島哲郎の気ままにジャズ・エチュード」を書いているほか自分のブログでの「TETSU NOTE」等を書いているが、これが川嶋の演奏同様に直球勝負、ずばり物事の核心をつく語り口で演奏家・川嶋哲郎の心の内が直截的に伝わってきてとても面白い。書くうちにだんだん自分を表現できるようになり面白くなってきたというが演奏同様に自己表現には意欲的である。近々以前ジャズ・ライフ誌に書いていた「わがままサックス哲学」が一冊にまとめられて出版されるという。

川嶋は31歳の時に大病を患い、今でも若干の後遺症が残っていることもあり本人は健康を最も大切な課題としている。
練習で出す音も本番で演奏する音も自分の出す音は全てが自分の音楽であり、自分の望むべき音も健康でなければ出せないという信念を持っていて、単なる健康管理というような域をこえて音と健康が同化しているようだ。

この2月には淡中さんのプロデュースで現在の自己のカルテットでのレコーディングが決まっており、その構想も既にしっかりと準備できているという。
全ての時間を自分の音楽に集中していたい、という川嶋の想いが次作でどう炸裂するのだろうか。

最後に川嶋にとってジャズってなにかを伺った。
<勿論、自分自身なんですけど...日常みたいなものですね、あって当然、朝起きたらジャズを聴くし練習するのもジャズだし、帰ってきて聴くのもジャズですし...日常ですね>

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望月由美

望月由美 Yumi Mochizuki FM番組の企画・構成・DJと並行し1988年までスイングジャーナル誌、ジャズ・ワールド誌などにレギュラー執筆。 フォトグラファー、音楽プロデューサー。自己のレーベル「Yumi's Alley」主宰。『渋谷 毅/エッセンシャル・エリントン』でSJ誌のジャズ・ディスク大賞<日本ジャズ賞>受賞。

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