ヒロ・ホンシュクの楽曲解説 #34 Aretha Franklin <Respect>

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今月8月18日にアレサ・フランクリン(正しい発音はアリーサ・フランクリン)が他界した。フランクリンは2010年からガンと戦っており、近年は病気を理由に公演のキャンセルも多かったので、来る時が来たという感であった。

筆者は日本語と英語の歌をあまり聴かない。歌詞を聞いてしまうと、その曲のイメージが限定されてしまうのを嫌うからだ。同じ理由で筆者の作曲する曲のタイトルはほとんど意味をなさない。曲は聴き手に毎日違う印象を与えて欲しいと願う。実は最近自分の中でこの考えが少しずつ変わって来ており、歌と歌詞の持つパワーを再認識している筆者だが、その話はここでは控える。長い間歌ものに親しまなかったので、アレサのアルバムは一つも持っていなかった。なのに今回いかに多くのアレサのヒット曲を自分が知っているかに驚いた。<I Never Loved A Man (The Way I Love You)>、<Respect>、<Do Right Woman, Do Right Man>、<(You Make Me Feel Like) A Natural Woman>、<I Say A Little Prayer>、<Rock Steady>、映画『ブルース・ブラザーズ』でむちゃくちゃかっこよかった<Think>、筆者が子供の頃よく聞いたサイモンとガーファンクルの<Bridge Over Troubled Water>等々、テレビやラジオで何度も耳にした曲が実に多い。

ところで歌ものをどう楽曲解説するのかあまり良い知恵がない。上記の中で<I Never Loved A Man (The Way I Love You)>はある程度適している。なぜならこの曲はかなり斬新で、アレサもマイルスのように新しいスタイルを示したと言えるからだ。ただ、マイルスのような影響力がこの曲にあったと筆者には思えない。アレサのヒット曲で、アメリカで誰もが認めるベストソングは<Respect>だ。この曲にはかなり深い歴史的な位置付けがある。今回は趣向を変えてそういう楽曲解説を試みることにする。実はアレサ・フランクリンはアメリカの公民権運動に深く影響を及ぼしているのだ。

アレサ・フランクリン

アレサは、神が自分に与えた歌手としての才能を最大限生かしているのだと語る。筆者が歌ものに馴染まないもう一つの理由に、自分は音程に対し異常に敏感だということもある。ほとんどの歌手から音程をコントロールしている努力が聞こえて来てしまう。これはマイルスの高めのイントネーション(ピッチの意)のミュート演奏のように個性とか味とかの話をしているのではなく、技術的な問題の話だ。マイケル・ブレッカーが常に自分の持つ70%の力で演奏しろというのを思い出す。アレサの歌を聴いていると実に自由自在になんの苦労もなく歌う。持って生まれたものとしか思えない。アレサが子供の時彼女の父親が、お前はいつか大統領の前で歌うことになるだろうと予言したが、まさにその通り、オバマ大統領の就任式で感動的な<My Country, ‘Tis of Thee(別名America)>を歌った。2015年のケネディ・センター式典では<ナチュラル・ウーマン>を歌い始めた途端オバマ大統領が熱い涙を溢れさせた映像がまだ新鮮だ。

アレサ・フランクリンがどういう環境で育ったかを理解する必要がある。彼女の父親、C.L. フランクリンは牧師であったが、ただ者ではなかった。C.L. は歌うような口調で説教をし、会衆を魅了した。当時名を馳せたシンガー、ボビー・”ブルー”・ブランドは、「教会には音楽が好きで行っていたが、説教の時間は大嫌いだった。ところがC.L. は説教を音楽でやってくれるから最高だった。」と語る。C.L. はそのカリスマ性を持って各地のラジオ出演などに呼ばれ全国的な名声を得、金銭的にも成功していた。だから当然キング牧師とも親しかった。その父親の聖歌隊の一員としてアレサは育ったのだ。ただこの父親には聖職者にあるまじき欠点があった。公然とそこらじゅうの女性と浮気をするのである。物静かでピアニストであった母親とはアレサが10歳の時に死別しており、アレサは12歳で初出産、続いて14歳でもう一人産んでいる。父親の元でゴスペルシンガーとして活躍し、14歳でデビューアルバムを発表したアレサだが、マネージャーを兼ねていた父親の元を離れ、ゴスペルではなくポップ・シンガーになることを決意したのが18歳の時。デトロイトからニューヨークに移住しコロンビア・レコードと契約する。意外にも父親はアレサがゴスペルを後にしてポップに移行することに反対せず、コロンビア・レコードとの架け橋を務めたとも言われている。アレサが1982年にロサンゼルスを引き払って故郷デトロイトに引っ越したのは、銃で撃たれて寝たきりになった父親の面倒を看るためだったそうだ。

1967年

I Never Loved a Man the Way I Love You
I Never Loved a Man the Way I Love You

世界的なアレサの商業的成功を果たせなかったコロンビア・レコードとの6年に及ぶ契約を切ってアトランティック・レコードにこの年移籍したアレサは、ここから次々と成功を収めることになる。アレサ25歳、10代で2度の出産と、19歳で暴力的な夫兼マネージャーと結婚した経緯(1969年に離婚)などからアレサは同世代より成長した人間だった、と作家Buzzy Jackson(バジー・ジャクソン)は『A Bad Woman Feeling Good: Blues and the Women Who Sing Them』で書いている。アレサのもっとも重要なヒット曲、<Respect>はこのアトランティック移籍第一弾、<I Never Loved a Man the Way I Love You>の1曲目として1967年3月にリリースされ、次に重要なヒット曲<A Natural Woman>は同年9月にリリースされた。まず<Respect>は50年代に流行ったオーティス・レディングの名曲で、歌詞の内容は自分が家に帰ったら奥さんに丁重に扱って欲しいという内容だが、女性であるアレサが歌ったことにより公民権運動の象徴になった。次に<A Natural Woman>、キャロル・キングがアレサのために書き下ろした曲で、歌詞の内容は、あなたに出会って初めて自分の価値に自覚を持ったという内容で、これは女性の公民権運動の象徴となった。そして、この年に新法案である、人種と性別に対する雇用差別を禁止する法律が通り、台頭して来たBetty Friedan(ベッティー・フリーダン)主宰の『National Organization for Woman(Now)』のテーマソングとしてこの2曲が使われたそうだ。まずここでアレサは公民権運動に一役買うことになる。この後アレサは一生公民権運動に積極的に参加するようになる。興味深いのは、あまり知られていなかったが、彼女は世界各国の原住民公民権運動にも力を入れていたと伝えられる。

1968年

この年はアメリカの歴史で近年もっとも暗い影を起こした年だ。アレサの<Respect>のヒットで公民権問題に火が付いたのだ。

日付 写真クレジット 概要
1月1日 映画プラトゥーン プラトゥーン映画ポスター ベトナム戦争に於けるアメリカの敗北色が強まる戦闘があったが(軍人として召集されていたオリバー・ストーン監督により1986年に『Platoon』という題名で忠実に映画化される)、政府は事実をひた隠しにする。
1月30日 Tet Offensive Map Wikipedia.org アメリカ大使館などを集中攻撃するテト攻勢が勃発し、アメリカのベトナム戦争に於ける敗北が世界中に報道される。
2月8日 Orangeburg Massacre The Times and Democrat 南カルフォルニア州立大学で黒人差別に対する抗議学生200人に対し警察が発砲(オレンジバーグ虐殺事件)し、3名死亡、7名負傷
2月 I Am A Man Washington Post メンフィスで人権を主張する黒人の清掃局員が「I am a Man」というプラカードを胸から下げストライキ。清掃局が機能停止した影響が語り継がれる
4月4日 キング牧師葬儀 キング牧師葬儀 History.com ストライキ中のメンフィス清掃局員をサポートするために訪れたキング牧師が暗殺され、これに対し1ヶ月におよび全国110の街々で暴動発生
キング牧師暗殺に対する暴動 Ranker.com キング牧師暗殺に対する全国規模の暴動、死者39人、内黒人34人       ||       被害が多かったのはシカゴ、ボルティモア、ワシントンD.C.        ||       シカゴ市長Richard J. Daley(リチャード・J・デイリー)は警官に発砲を命令
4月23日 Columbia University Columbia University ニューヨーク、コロンビア大学で大学側の人種差別と、軍のベトナム戦争への大学の関与に抗議する学生が2ヶ月に渡り大学を占領し、これに対し警察は暴力行為で対応
6月5日 ロバート・ケネディ暗殺 Washington Post ベトナム戦争終結を公約したロバート・ケネディが暗殺され、11月ニクソン大統領就任と共に、終わるはずであったベトナム戦争がこの後7年続く
10月16日 1968オリンピック・プロテスト AP通信 メキシコ・オリンピックのスプリント200mで金と銅を獲得したアメリカ黒人選手、トミー・スミスとジョン・カルロスが表彰式で黒手袋の拳を掲げアメリカの黒人差別に抗議

この年頻繁になったアメリカの学生によるデモは世界中に影響を及ぼた。

  • 3月、ポーランドで警察の暴力に対する学生デモに一般市民参加
  • 5月、フランスで起こった政府に対する全国的なストライキは米コロンビア大学占領に触発されたと言われる
  • 10月2日、メキシコで人種差別に抗議するためにナショナル・オートマス大学に立て籠もった学生に軍がヘリコプターから数百人射殺
  • この年は日本でもベトナム戦争のために駐屯する米軍を排除すべく学生運動がもっとも暴動を起こした年でもある
  • この他ドイツ、スペイン、英国、イタリアなどで大規模な学生デモが多く記録されている

キング牧師とロバート・ケネディの暗殺から大きく歪んでしまったアメリカの、この学生たちの世代をアメリカは「Could-had-been Generation」と呼ぶ。つまり、時代が良い方向に向かう電車に乗れなかった世代、というような意味だろう。実は筆者は現在のアメリカの状態を危惧している。トランプ大統領の白人至上主義は明らかにアメリカの人種差別の歴史を逆行させている。選挙で民衆に選ばれたというのではなく、金持ちがもっと儲かるために金持ちによって選ばれたという印象のトランプ大統領は、その影響で更に苦しくなっている白人の中底層階級の不満を有色人種に向けようと扇動している。ニクソンはウォーターゲート事件で失脚したが、トランプ大統領はこれだけ多くのスキャンダルが次から次へと暴露されてもビクともしないでもう2年近く好き勝手なことをしている。

話を元に戻すが、メンフィスでの清掃局員ストライキは、アレサの<Respect>に触発されて黒人が団結して立ち上がったからだと言われている。そして、ここで大変興味深いのは、4月にコロンビア大学の学生たちが校舎をを占領して共同生活を始めた時、当時当然だったクスリや葉っぱを禁止することが全員一致で決まり、また黒人差別する者は追い出され、何よりここで初めて、食事の準備は女学生がやるということを当たり前としないで、全員で平等にやるという共同生活が成立したことが後々に伝わっている。もちろん学生が聴いていた音楽は<Respect>と<A Natural Woman>だったそうだ。

<Respect>

楽曲解説なので少しは理論的なことにも触れておこう、と言ってもかなりストレートフォーワードな構成だ。V7 → IV7 を奇数回である3回繰り返し、I 7 → IV7 という主調シーケンスを2度繰り返す。ソウルなどで昔からよく使われる手法で、5度和音から4度和音に続き1度に解決する動きを、解決せずに焦らす手法で、また奇数回のループなので解決した時に不意を突かれたような効果がある。譜面にすると以下の通り。

Song Form
曲構成

さて、興味深いのがインターリュード(間奏)だ。アレサのバージョンはオーティス・レディングのオリジナルと若干異なる、オリジナルでは♭VII7と♭Vi7を繰り返すというロック進行だが、アレサはなんと予想のつかないところに飛ぶ。F#ーとB7なのだ。

間奏
間奏

この曲はC7が主調なので、B7をC7の半音下のアプローチと定義して、それに対してII-V関係にあるF#ーを配置し、曲のカラーを暗くし、ヴァースに戻った時に明るく持ち上げる効果を狙っていると分析できるが、特にF#ーに7thを入れていないのに、アルトサックスにブルースフレーズでソロを取らせているのが斬新だ。しかも8小節フレーズのうち6小節だけ下げに使用し、最後の2小節でC7ではなくG7から元の調に戻していることから、うっかり聴き流していたリスナーは転調したかと勘違いするかもしれない。実にお洒落な細工だと思った。ちなみにサックスソロは驚いたことにコードトーンしか使用していないことに注目頂きたい。つまりコードトーンだけで、吹き方だけでしっかりとブルースのコブシが効いており、前後関係からF#7と期待するところを敢えてF#ーにしているのだ。また、ソロラインからもブルースなら使用したくなるだろうF#ーの7thであるEが使用されていないのだ。ロック色を出すために7thを抜いてもしっかりとブルースのサウンドはさせるというこの手法に感嘆した。アレサはピアノも相当弾け、もし筆者の記憶が正しければ、アトランティック・レコードはアレサにピアノをもっと弾かせたく、この曲はアレサのピアノが条件だったとどこかで読んだ覚えがある。だとするとこれはアレサ本人のアレンジの才能なのかもしれない。

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ヒロ ホンシュク

本宿宏明 Hiroaki Honshuku 東京生まれ、鎌倉育ち。米ボストン在住。日大芸術学部フルート科を卒業。在学中、作曲法も修学。1987年1月ジャズを学ぶためバークリー音大入学、同年9月ニューイングランド音楽学院大学院ジャズ作曲科入学、1991年両校をsumma cum laude等3つの最優秀賞を獲得し同時に卒業。ニューイングランド音楽学院では作曲家ジョージ・ラッセルのアシスタントを務め、後に彼の「リヴィング・タイム・オーケストラ」の正式メンバーに招聘される。昨年9月、ブラジリアン・ジャズ・バンド「ハシャ・フォーラ」を率い、新作CD『ハシャ・ス・マイルス』(インパートメント)発売記念ツアーを敢行、東京JAZZ他に出演。 [ホームページ:RachaFora.com] [ ヒロ・ホンシュク Facebook] [ ヒロ・ホンシュク Twitter] [ ヒロ・ホンシュク Instagram] [ ハシャ・フォーラ Facebook]

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