ヒロ・ホンシュクの楽曲解説 #21 ジェリ・アレン<RTG>

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しばらく著名なジャズミュージシャンが他界していないと気を許していたら、とんでもない超大物、ジェリ・アレン(Geri Allen)が癌であっけなく逝ってしまった。これにはかなりのショックだった。親しかったわけではないが、筆者が教鞭をとっていたニューイングランド音楽院(以下NEC)で彼女も教えていたので、何回か話したことはある、が、とても厳しい人だという印象だ。会話をしていても何か鉄の壁でも前に置かれているようで、笑顔を見せてくれた覚えはない。筆者のことを嫌うほど筆者のことを知っていたとも思えない。蛇足だが、不思議なことに彼女の教育者としてのキャリアはNECの後のミシガン大学から記載されている場合がほとんどだ。

Geri Allen
Geri Allen at the Village Vanguard in 2011.
John Rogers for WBGO and NPR/JohnRogersNYC.com

少し話はそれるが、当時のアメリカでジャズ教育の名門はバークリーとNEC(こちらはアメリカで一番古い音楽大学というだけではなく、アメリカで最初にジャズ教育を始めた大学。バークリーが大学として認定されたのはNECのジャズ科設立の2年後)、この二つの大学はわずか徒歩5分ほどの距離だが、その教育方針は天と地ほど離れていた。バークリーはゲイリー・バートンの努力でカリキュラムが高度に画一され、すべての生徒が平等に質の高い教育を受けられるが、カリキュラムが画一されているだけにあまり自由がない。反対にNECは世界で活躍する現役のアーティストを教授陣に迎えているが、学校側はある程度各教授に自由を与えているので、教授からいろいろなものを盗む準備のない生徒は簡単に挫折する。ミロスラフ・ヴィトウスがNECのジャズ科長になった時、あまりの厳しさに多くの学生が腱鞘炎になったという伝説もある。筆者はジョージ・ラッセルに作曲とアンサンブルを、デイヴ・ホランドに演奏を師事したが、ラッセルは彼の要求する演奏ができない生徒を簡単に追い出す習慣があった。バークリーではありえないことだ。ホランドからは自分の開発した複雑なリズム構造をみっちり教え込まれたが、ついて行けずに挫折した生徒も多くいた。

こういう大学だから、ジェリは適任だった。とても厳しい先生だと生徒がこぼしていたのを思い出す。確かジャズのレッスンなのに全員ブラームスのエチュードを最初にみっちりやらされたり、宿題はセシル・テイラーやマッコイ・タイナーなどのトランスクリプション(!)、しかも暗譜、などなど色々とその厳しさの噂を思い出す。そのジェリの厳しい人間性を想い起こす時、当時の、80年代の女性ジャズ・ミュージシャンという社会的位置付けに思いを馳せる。

女性ジャズ・ミュージシャン

少し話はそれるが、アメリカは実に差別問題が特殊だと思う。他国に比べ、実に人種の数が多い。インディアンへの迫害から始まり、奴隷制度。その汚点を払拭するように、知識人階級の間ではとても過敏な話題だ。少しでも女性蔑視的な発言をすれば簡単に裁判になる。ある意味極端だ。アメリカでは Hate Crime という差別意識を持った犯罪は重罪扱いになる。刑も重い。しかしここに来て大きく変化が生じた。筆者は公共の場で自分の政治的意見を公表することを好まないので、これは筆者の意見ではなく、筆者が受ける印象としてご理解頂きたい。アメリカは無理やりトランプ大統領を選んだ。国を治める能力があるとは思えないのに、それでも国民が選んだその理由は、普段自分たち白人が言えない人種や性差別的意見を言っても良い社会にしてくれるという希望を持ったからだ、という意見が強い。実際これだけ違法行為を積み重ねていても健在なトランプ政権、先日はとうとう性転換者を軍から追い出す声明まで発表してしまった。そして、それを支持する白人国民。自分たち労働者階級の健康保険を取り上げようとしているトランプを盲目的に支持し続ける国民のあり様は、新興宗教のようにも感じられる。つまり、差別をなくそうと努力するが、その抑圧が事態を捻じ曲げているように感じられる。自分たちと違うカルチャーの人たちを受け入れられない人間の習性はどうにもならないのだろうか。

こういう背景のアメリカに筆者が移住した80年代後半当時、女性ジャズ・ミュージシャンは色々な意味でまだ特殊な存在だった。後述する。筆者の個人的経験から言うと、90年代半ばでこの特殊性が不思議と消えて行き、現在のアメリカでは聴衆も演奏仲間も性別なぞすっかり考えないで演奏できる世の中になったと思う。これは、アメリカでは1920年まで女性に選挙権がなかったなんてことを、今では誰も覚えてないのに似ているかもしれない。たまに、容姿のいい女性を好んで雇うクラブがこのボストンにも存在するが、裁判沙汰にならないようじょうずに隠してやっている。この問題は音楽とは関係ないのでここで触れるのは避ける。話を本題に戻そう。

ジェリの演奏の移り変わりに耳を傾けると、筆者はこのアメリカの女性ジャズ・ミュージシャンの80年代から90年代にかけての移り変わりに関係がある気がする。ひょっとしたらジェリ本人がこの移り変わりに貢献したのではないか、とさえ思えてしまう。ジェリは2016年ニューオリンズで開かれたSync Upの公開インタビューで、この国で女性であることはジャズに限らず大変なことだ。自分は差別に遭ったらその場を立ち去る、と語っていた。また、自分がテリー・リン・キャリントンとエスペランサ・スポルディングと女性だけのトリオをやっているのは、若い女性ジャズ・ミュージシャンの卵に希望を持たせたい気持ちもある、と語っていた。

筆者が経験した80年代後半当時の多くのアメリカの女性ジャズ・ミュージシャン(名前を連ねることは控えるが、ただし筆者にとって龝吉敏子はこのカテゴリーを超越している)は、現在のような男性ミュージシャンと区別がつかないような演奏はしていなかった。そして『女性ならではの良さを』というような、自分から逆差別をしているような傾向があった。学生の中ではこの壁はさらに顕著だった。ジャム・セッションがある。知らない学生たちが楽器を持ち合って集まる。男子学生は殆ど決まって、まず自分の凄さを見せつける努力をする。筆者はこの姿勢はジャズに必要な要素だと信じる。ジャズのコンボで繰り広げられる会話は討論であって仲良しの茶飲み話ではない。だからスリル満点な音楽が生成され、聴衆はエキサイトする。これに対し当時の女子学生は、男なんかに負けるもんか、と、討論ではなく最初っから喧嘩をする姿勢になって、聞き辛い音質や、自分の許容範囲を超えるフレーズを無理押しする生徒が多かった。ある生徒などは、男に負けないためにと言ってリアルブックを全曲丸暗記する努力をしていた。また、あるピアノの女学生は、みんなの長いインプロの伴奏をする身にもなってみろ、という発言をして皆を困惑させた。ジャズのコンピング(伴奏)は退屈な奉仕活動ではない。グルーヴで参加する楽しい行為だし、つまらないソロはコンピングでいくらでも面白くすることができるし、またはソロをやめさせてしまうことだってできるのだ。最初から男性と戦うことしか考えていない者、またはコンピングを奉仕行為と勘違いしてる奏者と演奏するのはとても難儀だったことを鮮明に覚えている。もちろん女性を蔑視した文化を作った男社会が諸悪の根源だが、女性の権利を主張することも場合によっては女性から発生する逆差別なのだと思う。逆差別と言えば、黒人に差別を受け苦しんだビル・エヴァンスを思い出す。現在ではウイントン・マルサリスの黒人至上主義がジャズ・ミュージシャン仲間で問題になることが多い。蛇足だが、我が師、故ジョージ・ラッセルはウイントンからのリンカーンセンター出演依頼を断っている。隣で聴いていて腰が抜けるほど失礼な断り方をしていた。ウイントンの極端な黒人至上主義は黒人からも敬遠されるほどだ。

ジェリ・アレンの演奏の変化

Steve Coleman And Five Elements – World Expansion

筆者が最初にジェリに出会ったのは、80年代の終わりに観たスティーヴ・コールマンのM-Baseのライヴだった。スティーヴ・コールマンはまず4/4拍子の曲から始め、5/4、6/4と1曲ずつビートを増やし、11/4まで行ったところから10/4、9/4と1曲ずつビートを減らし、4/4拍子まで戻り、全15曲、すべてバック・ビートの効いたファンク。全員ステージで踊りまくり。そのあまりのかっこよさに、速攻で買ったのがスティーヴ・コールマン&ファイヴ・エレメンツの『World Expansion』。このアルバムの4曲目、<Dream State>は思いっきりジェリのピアノ・フィーチャーで、ぶっ飛びました。なんとも説明できないくらいすごかった。

ライヴで観たコールマンのバンドは全員が超絶技巧で、しかも踊りまくりでかっこいいから、誰か一人が印象的だったという記憶ではない。ところがこのアルバムではジェリがとりわけ印象に残った。最初のトラックからシンセで超絶技巧とその抜群のグルーヴ感を堪能させてくれて、4曲目でこのピアノソロと続くタイム感抜群のコンピング(伴奏)だ。英語の表現でJaw Dropping、つまり顎が外れるほどびっくりしたという言い方があるが、まさにその通りであった。

Live At The Village Vanguard
Live At The Village Vanguard

しかし、正直言って、この後筆者のジェリに対する興味が薄れたことをここに告白する。別にジェリに冷たくされたからではない(と思う)。ジェリのファンの方々に機嫌を悪くされると困るのだが、実は80年代の終わりから90年にかけてジェリがジャズ・ピアニストとして名を挙げた、チャーリー・ヘイデンとポール・モチアンとのトリオで筆者は困惑してしまったのである。ヘイデンとモチアンはむちゃくちゃグルーヴするコンビだ。ヘイデンはガンガンとオン・トップ・オブ・ザ・ビートでドライブし、モチアンはライドもハイハットもビハインドで気持良い幅のあるグルーヴを作り出す。なのにジェリはコールマンのファイヴ・エレメンツで楽しませてくれたグルーヴ感を披露してくれない。そればかりか筆者には、彼女のフレーズから迷いが聴こえて来てしまうのであった。まるで何をしたいのか模索しているように。断っておくが、すべてがそうであったわけではない。もちろん筆者が充分に楽しんだお気に入りのトラックはある。ヴィレッジ・ヴァンガードでのライブ録音の中の<Fiasco>などは驚異的にすごい。インプロのアイデア満載、グルーヴ感抜群、そして確固たるタイム感。どれをとっても今まで聞いたこともないようなピアノ演奏を披露してくれている。ただ、このアルバムではこれ以外の曲を覚えていない。今回この記事を書くに当たって調べていて知ったのだが、このトリオは、1986年にヘイデン/モチアン名義でアルバム・デビューしている。ここでのジェリの演奏はヴァンガードでのライブより躊躇が聞こえないものの、ジェリ特有のドライブするグルーヴ感ではない。ここでふと疑問に思ったのは、もしや当時のジェリはサポーティング・ミュージシャンとしての席の方が居心地が良かったのではないか。自分がメインとして前に出るのは、ひょっとしたら女性であることのプレッシャーを感じていたのではないだろうか。

もともとジェリはオーネット・コールマンやセシル・テイラーなどの前衛系の音楽をするピアニストだということは周知だ。だからこそのあの素晴らしい演奏を『World Expansion』の4曲目で堪能させてくれた。だがそれと同じ年に録音したこのピアノトリオでの躊躇感は何だろう。スティーブ・コールマンのM-Base団体は若い、共同体的なグループで、ジェリにとって居心地が良い環境だったのではないかと想像する。彼女はインタビューでもこの共同体の重要性を語っている。アート・アンサンブル・オブ・シカゴもM-Baseも、集団としてミュージシャンがお互いをサポートする共同体であり、それがどんなに不安定な若いミュージシャンの助けになることなのかを熱弁していた。

Some Aspect Of Water
Some Aspect Of Water

この後筆者が最近になってジェリに再会したアルバムは、1996年のコペンハーゲンでのライヴ・アルバム、『Some Aspect Of Water』だ。まずジャケットで例の氷のような冷たい顔ではなく笑顔を見せている。そして演奏を聞いてまず驚いたのは、躊躇さなど一つも見せず、何か吹っ切れたようにガンガンドライヴしている。音楽的にも彼女が何をやりたいのかはっきり聞こえる。彼女は確実に彼女にしかできないクリエイティヴィティを発揮し始めている。何が彼女を変えたのか筆者にはわからないが、NECで教え始めたことが強く影響していたのではないかと勝手に想像して見た。男社会だった当時のジャズ・シーン、プレッシャーを感じることなく教鞭に立ち、ジャズ・ミュージシャンとして尊敬される立場を自覚したことがプレッシャーから脱出する助けになったのではないだろうか。はたまた90年代中期に筆者が知らない大きな何かが動いて、女性ジャズ・ミュージシャンのプレッシャーが一挙に取り除かれたのだろうか。このことを長年不思議に思っているが、未だに答えを教えてくれる人が出てこない。

『Twenty One』

今回取り上げたこのアルバム、実は筆者はその存在は知っていたものの、手にするのは初めてであった。このアルバムは見るからに、筆者の苦手とする企画ものだ。企画ものというのはプロデューサーが勝手にバンド・メンバーを集めるという迷惑なもので、よくフェスティバルなどでオールスターとかいうタイトルで見かける、タイム感が合わないのに有名というだけで捏造されたバンドで、いい結果に及んだものに巡り合った記憶がない。このアルバムのレーベルはBlue Noteだが、企画は東芝EMIということで偏見を持っていた。1994年の録音だ。この数年前、筆者はトニー・ウイリアムス・バンドのライヴをボストンのレガッタバーで観た。メンバーはビル・ピアース(ts)、ウォレス・ルーニー(tp)、マルグリュー・ミラー(p)、チャーネット・モフェット(b)と豪華で、筆者はミラーの背中に触れるような位置、つまりドラムが見えない位置に座ったにも関わらず、終演時にはドラム以外何も覚えていないほど強烈なトニーのライヴだった。なんと言ってもあのばかでかいバスドラと、細かく刻まれるハイハットと、ガンガンなりっぱなしのライドで、うるさいはずなのにうるさいのではなくグルーヴの快感、それ以外何も、誰のソロも耳に入って来なかった。そんなトニー・ウイリアムスが入ったジェリのピアノ・トリオだからどうも興味がわかなかった。しかしこのアルバムのベースはロン・カーターだ。あのマイルスの第二黄金期のグルーヴが聴けるだけでも価値があるかと思いアマゾンで注文すると、なんとスペシャル・オーダーということで、配達までに随分と時間がかかった。ようやっとCDを受け取って真っ先に目に飛び込んだのは、エグゼクティブ・プロデューサーは日本人ではあるものの、現場のプロデューサーは、なんとあのテオ・マセロだ。期待が上がる。1トラック目から聴き始め、ぶっ飛びまくった。カーターとウイリアムスのグルーヴはマイルス時代よりさらに進化しているのに加え、ジェリは抜群のタイムの位置でグルーヴしまくりだ。完璧にネガティヴな期待を裏切られて狂喜した。このアルバムはジェリの正統派ジャズ奏者としてのショー・ケースとしても楽しめる。以前得意技として披露していた前衛的な演奏は抑えられ、12曲中半分の6曲はオリジナルで、ジェリの作曲の素晴らしさを思う存分楽しめる。ハーモニーがと言うよりは曲の構成のアイデアが斬新でかなり楽しめる。残り6曲はスタンダードだが、こちらも構成のアイデアで楽しめる。5曲目の<A Beautiful Friendship>のヘッド(テーマ)部分ではなんとブラジル・リズムのAfoxéが飛び出すが、なんの違和感なく見事におさまっている。また、アルバムを通してジェリの色々なスタイルの消化の仕方に感嘆した。例えば4曲目のモンクは、モンクのスタイルをマスターしているがモンクの真似ではない。同様に8曲目の<Lullaby of the Leaves>からはバド・パウエルが聞こえる。

このアルバムではジェリの演奏から躊躇など一つも聞こえてこない。タイム感的には、もうすごいの一言だ。トニー・ウイリアムスは例によって例のごとくオン・トップ・オブ・ザ・ビートとビハインド・ザ・ビートの広いタイムの幅を巧みにスイッチしながらガンガン行き、ロン・カーターは例によって例のごとく超人的なオン・トップ・オブ・ザ・ビートでトニーのうんと前をドライブしまくる。そこにジェリがなんと誰よりもビハインド・ザ・ビートの位置にすっぽりハマってグルーヴする。こんなピアノトリオは聴いたことがないと思った。これはこの3人を合わせたテオ・マセロのお手柄なのか、それともジェリ自身の希望だったのか。この10年後には我が師デイヴ・ホランドとジャック・ディジョネットとの録音の『The Life Of The Song』もあるが、筆者にとってはこの『Twenty One』の方を遥かに好む。『The Life Of The Song』はジェリもプロデューサーに名を連ねており、1年前のベティー・カーターのライヴ・アルバム、『Feed The Fire』で出会ったホランドとディジョネットとの再会らしいが、筆者にとっては『Twenty One』の方が断然愛聴盤だ。同じ元マイルス・リズムセクションでも、ホランドとディジョネットのコンビはストレートビートの達人で、実際『Feed The Fire』も『The Life Of The Song』もそういう選曲が多く、スイングの曲はディジョネットのライドとジェリのタイム位置が、筆者にとってはどうも落ち着かなくていけない。ディジョネットも当然ジェリのタイムを理解しているのでライドをオン・トップ・オブ・ザ・ビートにしようとしているのが聴こえて来るが、ディジョネットは元々そういう奏者ではないので微妙に心地よくないのである。ここまで書いていて、ふと自分はジェリのことを何も知らない、と気がついた。

ジェリ・アレンというアーティスト

The Printmaker
The Printmaker

気になり始めたので彼女の歴史を辿ってみた。まず驚いたのは、今までジェリに関するどの記事を見ても彼女のキャリアはM-Baseからと書いてあったにも関わらず、その2年前に2枚もリーダー・アルバムがリリースされていた。まずはデビューアルバムだ。1984年録音の『The Printmaker』、初めて聴いたが、実に素晴らしい。躊躇などは一つも聴こえてこないばかりか、クリエイティヴィティの奥の深さに感銘を受けた。前述したが、これはM-Baseに参加する2年前、オリヴァー・レイクのグループに参加した年だそうだ。このデビュー作を今初めて聴いて、上記した80年代の女性ジャズ・ミュージシャンが受けたプレッシャーという解説を撤回しなければならないかも知れないと考える反面、2016年のジェリのインタビューを思い出した。

彼女はデトロイト出身で、2016年のインタビューや他のインタビューでも繰り返し語るのが、NYCに出て来た時にいかにデトロイトの先輩たちに助けられたかということであり、若いミュージシャンの卵にそういう先輩を持たなくてはいけないと強調している。そしてこれはあまり知られていないことだが、ジェリのNYCデビューはなんとあのシュープリームスに専属ピアニストとして雇われたことだ。彼女は、きらびやかな衣装や派手な化粧をしてステージに立てたことに幸福を感じたと回顧する。つまり彼女は女性ジャズ・ミュージシャンとして華々しいスタートを切っているわけだ。

そんな背景で作られたデビュー・アルバムだが、一つだけ気になったことを書き留めておこう。3曲目<Running As Fast As You Can…tgth>ではジェリの独特の魅力的なキータッチ音ではなく、無理にステートメントを提示するような音色になっていて少し残念だと思った。ただしグルーヴ感は抜群なので大した問題ではない。このデビュー・アルバムに対し翌年録音された2作目、『Home Grown』はなんとソロ・ピアノだ。まず、すぐに気がついたのは、1曲目、<Mama’s Babies>の音色が1作目の3曲目と全く違い、ジェリ独特の魅力的なキータッチで前衛的アプローチを披露している。あたかもソロ・ピアノだからまるでプレッシャーがないので、と言っているようにも聴こえるが、筆者の思い込みであろうか。

続く3作目はジェリが一躍有名になった『Open On All Sides – In The Middle』で、これはM-Baseのアルバムだ。これが筆者が買ったジェリの最初のアルバムだった。ここで興味深いのが、4作目『Twylight』でM-Baseからピアノ・トリオに戻っているが、すでにジェリの躊躇感が始まっていると筆者には感じられた。躊躇感のことはさておき、今回初めてジェリというアーティストを追ってみて、彼女が同じメンバーで演奏を続けなかった謎が解けたような気がした。彼女は最初からものすごいクリエイティヴィティを秘めており、その出し方を模索していたように見える。彼女のインタビューからも、それぞれのアルバムは彼女にとっては演奏というよりはプロジェクトであるようだ。

色々なジェリのレコード評を追ってみて気がついたのは、彼女のファンは彼女のとてもユニークなビハインド・ザ・ビートのグルーヴ感を楽しむより、1996年の『Some Aspect Of Water』あたりから提示するチェンバー曲などを高く評価するようだ。悲しいかな今回取り上げる『Twenty One』などのアルバムを平凡なジャズアルバムと評価しているようだ。また、デビュー当時の前衛的な演奏を「チャンス・テイカー」と呼び、あたかも安定していない奏者のように記述する評を2、3目にした。これもアメリカの女性ジャズ・ミュージシャンに対する差別感から生まれる偏見なのか、という感を拭い切れない筆者だ。本人はピアノ・トリオのフォーマットが一番好きと言い、晩年のライヴの模様を動画(リンク)で観ても、長いソロをあの驚異的な、レイドバックではない、ビハインド・ザ・ビートのポケットにすっぽりハマった位置でグルーヴしまくる彼女の演奏の素晴らしさは正当に評価されないのであろうか。

ジェリ・アレンのジャズ史における重要性

ここで筆者が勝手に考えるジェリ・アレンの歴史的重要性を並べてみたい。

  • レイドバックではない、ビハインド・ザ・ビートすれすれのポケットでグルーヴするユニークなタイム感
  • 奇をてらったのではなく、自然に溢れ出すユニークなクリエイティヴィティ
  • 音楽の構成力に恐ろしく長ける
  • マイルスのような常に前進する変わり方とは違い、確固とした自分のクリエイティヴィティの追求としての同一線上での変わり方で、だから過去の曲を新曲と混ぜても違和感なく演奏し聴衆を楽しませる
  • 誇り高い厳しい性格だがよくある黒人至上主義では決してない
  • 教育者として多大な貢献
Ralph Armstrong & Ralph Penland
Ralph Armstrong & Ralph Penland

筆者には、これらのジェリの功績が90年代中期以前の女性ジャズ・ミュージシャンの推進に多大な影響力を及ぼしたと感じられてしようがない。反面筆者にとってそのジェリの他に例を見ないユニークなグルーヴ感が充分発揮されたリズム・セクションとの録音が少ないことと、時代からかストレート・ビートの選曲が多いということはいいとしても、そのストレートビートが生かされたリズム・セクションとの録音も少ないような気がする。筆者は前述したYouTubeでしか見られないリズム・セクション、ベースはRalph Armstrong(ラルフ・アームストロング)、ドラムはRalph Penland(ラルフ・ペンランド)とのトリオがお気に入りだが、このトリオでの録音はない。

それに関してもう一つ興味深いのは、ピアノソロ・アルバムが多いと言うことだ。今回取り上げた<RTG>のエンディング・トラックもピアノソロだ。そしてどのピアノソロも一人でガンガンとグルーヴする。まるで水を得た魚のように、だ。彼女は自分のタイム感の特殊性をどう考えていたのだろうか。実は多くのアメリカ人ミュージシャンはタイム感などあまり考えていない。皆自然にやっていることだから頭で考えるような事柄ではないようだ。このことに関しては後日改めて解説する機会を作りたいと思う。

<RTG>

楽曲解説のコーナーなのに今回はジェリ追悼の意味も込めて長く書いてしまい、肝心の楽曲解説をする時間がなくなってしまったことをお詫びする。このオープニング・トラック、<RTG>は当然Ron、Tony、Geriの頭文字を取ったものと筆者は想像する。このアルバム、どの曲を取っても楽曲解説のやりがいがある中からこの曲を選んだのは、ジェリの構成力の凄さを解説できるだけでなく、タイム感も特筆すべきだからだ。

まずヘッド(テーマ)部分だが、ベースがあまり聞こえないがキックドラムがよく聞こえることに注意して頂きたい。そしてインプロ・セクションに入った途端ベースがよく聞こえるようになる。ドラムは今度はキックドラムよりライドとハイハットがよく聞こえるようになる。なぜか?まさにこれがジャズのグルーヴの醍醐味だからだ。

ヘッド部分でベースがよく聞こえないのは、ベースのタイムの位置がジェリの左手とぴったり同期しているからだ。そしてキックドラムがよく聞こえるのは、トニーのキックドラムが恐ろしくオン・トップ・オブ・ザ・ビートの位置にいてドライブしているからだ。ところがインプロ・セクションに入った途端ロンのベースは恐ろしくオン・トップ・オブ・ザ・ビートの位置に飛び出し、ドライヴし始める。トニーはロンのすぐ後ろで、これまたオン・トップ・オブ・ザ・ビートの位置でライドとハイハットで捲し立てるが、決してロンの位置までは前にいかない。ライドとハイハットに対しトニーはタムやキックドラムをオン・ザ・ビート付近まで手前に引っ張りグルーヴの幅を出し、ジェリはさらにその後ろのポケットでグルーヴする。

このジェリのインプロのグルーヴ感がともかくすごい。ビハインド・ザ・ビートにいるのにものすごいドライヴ感なのはいくつか理由がある。前述したが、ビハインド・ザ・ビートにいるのにレイドバックではない。ポケットのタイムの幅は広く、その幅を充分活用して前に行ったり後ろに行ったり疾走する。テクニック的には音の粒を切り離してマルカート操法をしてタイムをビハインドに引っ張ったりしている。ともかくすごい。もう一度言うが、彼女は決してオン・トップ・オブ・ザ・ビート、つまりビートの堺は超えていない。こんなグルーヴ感、一体他の誰に出せるのであろうか。もし誰かが、こんなタイム感、男性ジャズ・ミュージシャンには無理だと言われれば筆者は反論しないかもしれない。

この曲の構成はまず採譜した譜面を見て頂く。

RTG ヘッド
RTG ヘッド(採譜:ヒロ・ホンシュク)

コードはすべてハイブリッド・コードで、9thがベース音になっている。注目すべきはそのフォームである。4小節フレーズを4回繰り返した後、踏み台のように2小節ブリッジの前に入る。そしてそのブリッジはなんと10小節だ。まるでブリッジ前の2小節の踏み台を引き継いで今度は2小節延長したように、だ。

インプロ・セクションはこの変則フォームではなく、単純に[ A ] [ A ] [ B ] [ A ] フォームだが、与えられたコード進行がなかなか興味深い。

[ A ]
D/E E/F# B♭/C A7(♭9) E-7 E-7 E-7 E-7

 

[ B ]
E♭/F F/G D♭/E♭ D♭/E♭ E♭/F F/G D♭/E♭ D♭/E♭

このインプロ・セクションの正確なコード進行は筆者の採譜したものと多少違うかもしれないが、何せジェリはかなり自由にコードをアウトしており、またロン・カーターも例の素晴らしいベース・ラインであちらこちら飛びまくるので、収録されている3コーラスの平均値を採譜したとお考え頂きたい。最後に前出したラルフ・アームストロングとラルフ・ペンランドとのトリオが演奏している、この『Twenty One』3曲目に収録されている<Drummer’s Song>をご覧いただきたい。

 

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ヒロ ホンシュク

本宿宏明 Hiroaki Honshuku 東京生まれ、鎌倉育ち。米ボストン在住。日大芸術学部フルート科を卒業。在学中、作曲法も修学。1987年1月ジャズを学ぶためバークリー音大入学、同年9月ニューイングランド音楽学院大学院ジャズ作曲科入学、1991年両校をsumma cum laude等3つの最優秀賞を獲得し同時に卒業。ニューイングランド音楽学院では作曲家ジョージ・ラッセルのアシスタントを務め、後に彼の「リヴィング・タイム・オーケストラ」の正式メンバーに招聘される。昨年9月、ブラジリアン・ジャズ・バンド「ハシャ・フォーラ」を率い、新作CD『ハシャ・ス・マイルス』(インパートメント)発売記念ツアーを敢行、東京JAZZ他に出演。 [ホームページ:RachaFora.com] [ ヒロ・ホンシュク Facebook] [ ヒロ・ホンシュク Twitter] [ ヒロ・ホンシュク Instagram] [ ハシャ・フォーラ Facebook]

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