ある音楽プロデューサーの軌跡 #42 『ジャック・ディジョネット+デイヴ・ホランド/タイム&スペース』

閲覧回数 3,799 回

text: Kenny Inaka 稲岡邦彌
photo: Takashi Ishi 石井 隆

70年代はジャズ・シーンが活発に動いていたが、国内メーカーの自主制作も活発だった。NYに制作に出かける一方、来日ミュージシャンの録音にも積極的だった。われわれトリオレコードもオーディオ御三家(トリオ、山水、パイオニア)の一角を担う株式会社トリオ(後のケンウッド、現JVCケンウッド)のソフト部門として自主制作に乗り出すことになった。菅野沖彦さんが主宰するオーディオラボに委託して北村英治や本田竹曠(竹広)のアルバムを制作・発売していたが本格的な自社の録音制作はほとんど経験がなかった。僕とて商社勤務の経験から海外渉外担当として入社、制作担当を兼務するようになって間もなかった。A&Rとしての第1作が1973年5月22日、新宿厚生年金ホールにおけるセシル・テイラー・ユニットのライヴ録音というから大胆極まりない(この録音については「軌跡」の#30で触れている←リンク)。もっともこの録音では演奏者との直接的な交渉ごとはなかった。6月から7月にかけての『インスピレーション&パワー14〜フリジャズ大祭1』も14日間に亘るライヴ収録で、演奏者との関わりは収録後のミックスや編集作業にとどまった。この2つの難物の間に敢行(まさに“敢行”というにふさわしい)されたのがジャック・ディジョネット(ds) とデイヴ・ホランド(b) による『タイム&スペース』だった。

スタン・ゲッツ・カルテットのリズム隊として来日が発表されたリッチー・バイラーク(p) を含むトリオに対する前評判が高く、各社で録音の争奪戦となった。実際、コンサートを聴いた誰もがハイチェアに腰をかけて吹き流すゲッツに失望を隠しきれず、みずみずしいトリオの演奏に耳を奪われた。この時バイラークは26歳(1947年5月生まれ)になったばかり、ホランドも26歳(1946年10月生まれ)、ディジョネットが31歳(1942年8月生まれ)という若さだった。僕はディジョネットより1歳年少。バイラークはマンハッタン音楽院を卒業まもなくまだ記録に残る際立った活躍はしていなかったが、ホランドはマイルス・デイヴィス・バンドやチック・コリアらとのサークルを経験、ディジョネットは彼らより5最年長だけありすでにチャールス・ロイド・カルテットやビル・エヴァンス・トリオ、マイルス・バンドで充分な経験を積み自身のバンドで大きく羽たこうとする矢先だった。結局、リッチー・バイラーク・トリオでの録音は実現せず(この時、バイラークはすでにECMとの間で翌年のトリオ・アルバム『EON』の録音が決まっていたことを後で知った。僕は、2年後にEONトリオによる『メソースラ』の東京で録音)。バイラーク抜きのホランドとディジョネットの録音に挑戦することになった。本格的なディレクターとしての初仕事である。しかし、僕の本音はまだマイルスの体温が残っているだろう彼らに身近に接し、彼らを通して最高のジャズ・スピリットを浴びることにあった。そのことが自分が今後ジャズの世界で生きていく上でどれほど大切なことであるかよくわかっているつもりであった。トリオには見習うべき先輩がいなかったので菅野さんに倣って録音会場にイイノホールを押さえ、マルチレコーダーのレンタルを発注した。客席の最上階の通路に録音機材をセット、ステージ上のマイクと長いケーブルで接続した。エンジニアは録音課長の荒井邦夫のアドヴァイス(ミックスを担当)の下、パイオニアから移籍してきた永尾茂久が担当。500席のホールだったのでやり取りはインカムを使わずになんとか肉声で通した。スタジオを使えばずっと効率よく進められたはずだが、その時は菅野さんの例からアコースティックの録音はホールで、と決め込んでいた。ECMとカタログ契約を結んだわれわれの下には第1回発売の1作としてディジョネットがキース・ジャレットとデュオで録音したアルバム『ルータ&ダイチャ』が届いていた。ディジョネットに質すと、マイルス・バンドのオフの日にふたりでスタジオに駆け込み、半日で仕上げたものだという。おそらく、ディジョネットの頭の中にはホランドと同じようなノリで1枚仕上げるつもりでいたのだろう。しかし、ホール録音ということでいささか勝手が違ったようだった。とくにオーバーダビングのセッションではヘッドフォンへの返しに手間取るというホール録音のマイナス面が出てしまった。

ホランドは、アコースティックとエレクトリック・ベースを持ち替え、パーカッションにヴォイスも使う、ディジョネットはアコースティックとエレクトリック・ピアノ、オルガン、メロディカを弾き分け、さらにマリンバ、ドラムス、パーカッションを叩き分ける。これをふたりが当意即妙に曲によって使い分けるのでエンジニアはマイクのセッティングに大わらわの体。しかし、さすがのホランドとディジョネット、曲想はこんこんと湧いてくるようで、ほとんどワン・テイクで録り上げていく。僕は彼らが次々に演奏を繰り広げていくステージ上で彼らの生音を聴いていたのだが、この生音が凄い。ホランドに秘訣を尋ねると、左手の親指がポイントだという。フィンガーボートを滑らせながらポジションで瞬間的に強い力で押さえる。ドラムスはキックとスナップ。ディジョネットはピアニストとしての経験がドラミングに大きく寄与しているという。彼らの生音を間近で聴き続けたことで彼らの生音が耳に残り、それが僕の中でベースやドラムス、ピアノのスタンダードとなってしまい、その後のレコーディングで同レヴェルの音を求めてジレンマに陥ってしまう。ミックスは翌日トリオのホームスタジオで荒井邦夫がエンジニアとなって行いアルバムの体裁が整った。アルバム・カバーには後日ジャックから送られてきた幼い息子のドローイングを使うことになった。共同プロデューサーは原田和男、アシスタント・エンジニアに斉藤忠志、ライナーフォトはカメラに凝っていた営業部の石井隆、デザインは渡部吉雄が担当し、トリオレコードが初めて全社一丸となって制作したアルバムが完成した。ミュージシャンには不便をかけたがスタジオ録音にはないホール録音独特の空気感がなんとも言えない。

このレコーディングを通じてふたりとはすっかり気心が通じ、その後何かと仕事の場を共有することになる。ホランドには富樫雅彦の音楽生活30周年記念コンサートに駆けつけてもらい(『ブラブラ』)、ディジョネットとはピアニストとしての録音(『ジャッキーボード』)、内藤忠行のビデオのためのサントラ録音(『ゼブラ』)、そして、1993年自主レーベル「トランスハート」を立ち上げた時には、NYで宿願のホランドとディジョネットを含むリッチー・バイラーク・トリオのレコーディング『トラスト』を果たすことになる。1973年、スタン・ゲッツ・カルテットのリズム隊として来日してからちょうど20年後のことであった。

Share Button
稲岡邦彌

稲岡邦彌

稲岡邦弥 Kenny Inaoka 兵庫県伊丹市生まれ。1967年早大政経卒。音楽プロデューサー。著書に『改訂増補版 ECMの真実』編著に『ECM catalog』(以上、河出書房新社)『及川公生のサウンド・レシピ』(ユニコム)共著に『ジャズCDの名盤』(文春新書)。Jazz Tokyo編集長。 https://www.facebook.com/kenny.inaoka?fref=ts

3 thoughts on “ある音楽プロデューサーの軌跡 #42 『ジャック・ディジョネット+デイヴ・ホランド/タイム&スペース』

  • 2018年2月5日 at 11:11 PM
    Permalink

    稲岡さんの大切な体験ですね。録音は、生きている人の息吹が感じられて新鮮でした。
    ライナー・ノートではない制作者の裏話が読めて幸せでした。

    Reply
  • 2018年2月8日 at 7:35 AM
    Permalink

    この記事を読んで早速アルバム入手しました。感動的に素晴らしいアルバムですね。実にすごいの一言。この多重録音を一体どうやってホール録音したのか、興味だらけです。

    Reply
  • 稲岡編集長
    2018年2月8日 at 10:09 PM
    Permalink

    怖いもの知らず。若気の至りです。
    すべてはまだマイルスの体温の残るデイヴ・ホランドとジャック・ディジョネットという二人の天才ミュージシャンの成せる技です。

    Reply

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

↓ ロボットでないかお知らせください。 * Time limit is exhausted. Please reload CAPTCHA.