ジャズ・ア・ラ・モード #15. イタリアの伊達男、チャック・マンジョーネ

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15. イタリアの伊達男、チャック・マンジョーネ
15.Chuck Mangione in perfect clean fashion

Text by Yoko Takemuura 竹村洋子
Photos: Pinterestより引用、Beth Py-Lieberman: smithonian.com より引用

現在も活躍中のチャック・マンジョーネの完璧なファッションについて、私の古い友人から聞いた話を交えて紹介して行く。

チャック・マンジョーネ(Charles Frank Mangione、1940年11月29日 〜 )ジャズ&フュージョン、トランペット&フリューゲルホーン・プレイヤー、コンポーザー。
兄の“ ギャップ ”マンジョーネはピアニスト。叔父はイタリア系アメリカ人研究の権威で作家。比較的裕福で音楽好きな両親の下に生まれ、8歳からピアノのレッスンを始める。
音楽好きの父親はマンジョーネをよくコンサートや地元のクラブに連れて行っていたようだ。
両親は、自宅のリビングルームに50年代に活躍したディジー・ガレスピー、アート・ブレイキー、カイ・ウィンディングス、ジミー・コブ、ジュニア・マンス、キャノンボール・アダレイなど錚々たるジャズ・ミュージシャン達を毎週のように招き、演奏会を催していた。ある時は一度に35人招いた。母親はミュージシャン達に手料理を振舞っていた。
マンジョーネは10歳頃からトランペットを学び始めるが、自宅に来ていたミュージシャン達の一人、ディジー・ガレスピーに一番影響を受けたようだ。15歳の時に、ディジーがマンジョーネにプレゼントした、朝顔が45度上に向いたトランペットの演奏をディジーが聴いて感激した、という話もある。
1958年から1963年までイーストマン音楽学校で学ぶ。1965年にアート・ブレイキー率いるジャズ・メッセンジャースに参加。
1960年代には兄達と一緒にハードバップ・ジャズバンドを結成し、活動していた。
1968年から1972年にはイーストマン音楽学校のイーストマン・ジャズ・アンサンブルのディレクターも務める。

1960年代後半にトランペットからフリューゲルホーンに楽器を持ちかえ、ラテン・テイストのあるフュージョン色の強い演奏に音楽性も転向した。1976年<Chase the Clouds Away>はモントリオール・オリンピックのテーマソングとなり、1977年に発表した<Feels So Good>は世界的に大ブレイクする。同じ年、グラミー賞をベスト・インストゥルメント・コンポジションの部門で獲得。1978年にはアルバム『サンチェスの子供達 : Children Of Sanchez』で2度目のグラミー賞を受賞。1980年<Give It All You Got:栄光を目指して>はレイク・プラシド冬季オリンピックのテーマ曲に採用される。以後、フュージョンの分野で自己のスタイルを確立し、数々のヒット曲を生み出した。

1975年〜82年 、ハーブ・アルパートとジェリー・モスが設立したA&M に所属していた頃だ。

1977年に発表された<Feels So Good>に、私は特別な思い入れがある。当時、初めて就職した会社で、毎日、就業時間の終わりにこの曲が社内にかかっていた。夕方、仕事がほぼ終わりかけた頃かかるこの曲は、とても気分を良くしてくれたのを今でも思い出す。

因みに、アルバム『Feels So Good』はマンジョーネのレコーディング・エンジニアのミック・グゾウスキーが飼っていたジェフリーという兎に捧げたアルバムらしい。この兎はトイレのしつけもよく、コーンフレークとバナナを朝食に食べていた。また、グゾウスキーが作業中、居眠りをしている時にアラームクロックとしても働いていたようだ。

マンジョーネは1978年に一度来日しているが、この時の興行は成功とはいかなかったようだ。
1980年、マンジョーネの曲が既にオリンピックのテーマ曲になったり、ヒット曲も飛ばし始めていたことから、再度、日本にプロモートしようという運びになった。この時のプロモーターが神原音楽事務所。全国ツアーを行うにあたり、宣伝費もかなりかかるためにスポンサー探しが必須だった。現在では、コンサートにはスポンサーがつくのが当たり前になっているが、当時、スポーツ・イベントにはスポンサーはついていたが、音楽業界、特に単独のコンサートではほとんどついていなかった。

1980年というと、時代的には女性の社会進出が始まった頃、健康志向などからダイエット、ローカロリーなる言葉が流行し、おしゃれで軽く飲めるビールなどが発売され始めた。軽い、薄い、明るい、綺麗といったイメージが支持され、ビールからも『キリンライトビール』が発売された。
(アメリカのビール「バドワイザー」が日本で発売されたのが1978年。1982年から始まった『ニューポート・ジャズ・フェスティバル in 斑尾』はバドワイザーがスポンサーとなっている。)
その『キリンライトビール』の爽やかさが、マンジョーネの<Feels So Good>という曲に通じるものがあったり、コンサートが夏という事もあり、キリンビール社にスポンサーになってもらった。この時のマンジョーネのコンサートツアーは日本で初めての音楽業界におけるスポンサード・コンサート(いわゆる冠コンサート)となった。
この時の裏話は1980年発行の雑誌『宣伝会議』に当時のキリンの担当者が書いている。

本題のチャック・マンジョーネのファッションについて。
ここからが友人に聞いた1980 年来日時の話なのだが、マンジョーネのお洒落についてのこだわりは、時代は違うがデューク・エリントン# 4. スタイリッシュなバンドリーダー達 参照)にも負けずとも劣らないようだ。ミュージシャンは楽器やPA機器をハードケースに入れて移動する。当時、ロード・レディというブランドのケースが堅牢さと品質の高さから多くのPA 関係者やミュージシャンに愛用されていた。
マンジョーネはそのケースのいくつかを自分の衣装ケース用に誂え、ステージコスチュームを入れて移動していた。驚くべきことに、そのケースの一つにはビッシリと20本以上の同じジーンズパンツが掛けられていた。当時、流行したのは腰回りがピチピチのベルボトムパンツ。しかもその全部に完璧にアイロンがビシーっとかけられていた。また、他のケースにはトップスが同じように掛けられ、それを見た神原音楽事務所でプロモーションを担当していた友人とツアー・スタッフ達は驚嘆した、と言っていた。
マンジョーネは自分の衣装に皺一つない状態で運び、移動していたようだ。なんと神経質な人なのだろう。もしかしたら自分でアイロンをかけたかもしれない。自分でかけなくても隅から隅までチェックしていただろう。

この人はデビュー当時から現在まで、カジュアルウエアを綺麗に着こなす人だ。決して着崩さない、クリーンな装いをする人である。

1970年代に流行したベルボトムのパンツには、小さめのトップスとのバランスが良い。マンジョーネも当時は小さめのトップスをよく着ている。夏はT -シャツにパンツ、春、秋冬はセーターを始めカジュアルなトップスにパンツ、というスタイルが多い。時にシャツ&ジャケットにパンツ、というスタイルでも決してカジュアルダウンしていない。真っ白のスーツもお気に入りのようだ。
歳を重ねてから、タイトフィットの服ではなく、ジャケットで体型をカバーするようなスタイルが多いが、それでもそのジャケットはほとんどがきれいにプレスされており、きちんとしたファッションを貫いている。

顎髭やトレードマークになっている帽子のせいで、一見アクが強いように見えるが、上品で端正な顔立ちの人である。イタリア系のイケメンで育ちの良いお坊ちゃんなのだ。イタリアのちょい悪オヤジ、伊達男といったところだろうか?

トレードマークになっている帽子のコレクションも相当あるようだが、茶色のフェルトの帽子と、<Feels So Good> <Bellavia> <Land of Make Believe>などのスコア、写真等と一緒にマンジョーネ自身がスミソニアン博物館に彼の象徴的な品物の一つとして寄贈した。そのうち彼のフリューゲルホーンもコレクションに加わるだろう、とスミソニアン関係者は言っている。

<Feels So Good>の美しいメロディーとフリューゲルホーンの音色は、チャック・マンジョーネの完璧さ、爽やかさ、クリーンさそのものを見事に反映した演奏である。

<Feels So Good>

竹村洋子

竹村洋子

竹村 洋子 Yoko Takemura 桑沢デザイン専修学校卒業後、ファッション・マーケティングの仕事に携わる。1996年より、NY、シカゴ、デトロイト、カンザス・シティを中心にアメリカのローカル・ジャズミュージシャン達と交流を深め、現在に至る。主として ミュージシャン間のコーディネーション、プロモーションを行う。Kansas City Jazz Ambassador 会員。KAWADE夢ムック『チャーリー・パーカー~モダン・ジャズの創造主』(2014)に寄稿。Kansas City Jazz Ambassador 誌『JAM』に寄稿。(2016)

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