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Jazz à la Mode 竹村洋子No. 250

ジャズ・ア・ラ・モード #19.チェット・ベイカーのセーター・ルック

19. チェット・ベイカーのセーター・ルック
Chet Baker in sweaters : text by YokoTakemura 竹村洋子
photos: 『Jazz West Coast by William Claxston 』1992より引用、 Pintrest より引用

2018年の2月号#238に、『#7. チェット・ベイカーのミニマリズム』として彼のT-シャツスタイルについて取り上げた。
その時に、彼のセーターについて少し触れたが、ちょうど1年後、また<My Funny Valentne>の季節である。このコラムの#24でクシンシー・ジョーンズのセーター・ルックについてとりあげた。今回は、チェット・ベイカーのセーター・ルックについて見てみよう。

チェット・ベイカー(Chesney Henry Baker Jr.、1929年12月23日 – 1988年5月13日)は、ウエストコースト・ジャズの代表的ジャズ・トランペット奏者であり、ヴォーカリストでもある。
オクラホマ州イェール生まれ。エル・カミノ・カレッジ音楽専攻。トランペットの実力をチャーリー・パーカーにも認められ、1952年から1953年にかけて彼のバンドでも活動した。1950年代半ばにおいてはマイルス・デイヴィスをも凌ぐ人気を誇っていたが、1950年代後半から1960年代にかけてドラッグ絡みのトラブルを頻繁に起こす。何度か逮捕され、服役もしている。1970年にはドラッグが原因の喧嘩で前歯を折られ、演奏活動の休業を余儀なくされた。この間には生活保護を受け、ガソリンスタンドで働いていたという。 1973年にはディジー・ガレスピーの尽力により復活を果たし、1975年頃より活動拠点を主にヨーロッパに移した。
1988年5月13日、オランダアムステルダムのホテルの窓から転落死した。

私の中ではチェット・ベイカーは、絶対的に『白いT-シャツ』なのだが、友人に「チェット・べイカー・シングス(1954年)のアルバム・ジャケットの半袖サマーセーターに尽きるだろう!」に言われた。それはウィリアム・クラクストンの撮ったサマーセーターを着た姿だった、と1年前のチェット・ベイカーのコラムに書いた。なるほど、チェット・ベイカーは生涯に亘って、かなりのセーターを着ている。それもどれも一見してハイクオリティのものと思える。

『セーター』は編み物による衣類のトップスにあたる物である。現在は『ニット』という呼び方が一般化している。元々は11世紀にノルマン人が地中海シチリアに進出した時、イギリス海峡にあるジャージー島、ガーンジー島に手編みのセーターを伝えた。イギリスではこの2つの島がセーターの起源の地になっており、寒い海に漁に出かける漁師の作業着に着用されている。伸縮性、保温性、防寒性が優れていることから、冬に着られる丈夫な衣類として存在し、フィッシャーマン・セーターとも呼ばれている。アラン諸島発祥のアランセーター、カナダ発祥のカウチンセーター、シェットランド諸島の羊毛から作られたシェットランドセーター、北欧モチーフを編み込んだノルディックセーターなどが代表的なものだ。菱形の格子柄(アーガイル)が特徴的な英国の伝統的なセーターは、現在でも多くの人達に支持され続けている。

19世紀後半、セーターはアイビー・リーグのフットボール選手がユニフォームとして着用したことから、スポーツウエアとして着られるようになった。
特に1950年代後半から’60年代のファッションのカジュアル化に伴い、またアイビー・リーグ・ルックの流行もあり、男女を問わず拡まっていった。
サマーセーターが広まり始めたのも、この頃である。それまで、冬用として着られるていたが、綿や麻といった夏用の素材の物が作られたこと。また、機械編みによって大量生産できるようになって来たこと、化合繊素材の台頭などの理由からである。サマーセーターは通気性、吸湿性、肌さわりの良さなどのバランスから綿、麻などの天然繊維だけでなくポリエステルなどの化合繊素材との混紡で作られることが多い。

若い頃のチェット・ベイカーのセーター姿を見てみよう。デビュー当時はシンプルなデザインのサマーセーター姿が多い。やはり、極め付けはウィリアム・クラクストンの通った写真のセーターだろう。編み地に立体感のある格子柄編み、リブ編み(畝編み)のクルーネックのシンプルなセーター姿が当時のチェット・ベイカーにはよく似合う。彼のT-シャツ姿に次いで、彼の音楽性もセーター姿によく表れている。アルバム『Chet Baker Sings』(1956年)の姿を再度よく見て欲しい。

そして、ヘロインで生活に破綻をきたし、復活した晩年のチェット・ベイカー。
すっかり老け込んで、顔には皺も多く、肺活量も落ち、しわがれ声で、全盛期とは別人である。しかし、1988年、彼が亡くなる2週間前に録音されたドイツのハノーヴァーで録音された『Last Great Concert』の演奏を聴くと、オーケストラをバックに、深く、甘く、音にはフリューゲルホーンを吹いているような丸みがあり素晴らしい。
彼が晩年に好んで着ていたのは、アランセーターや重厚な手編みの本格的なセーターだ。セーターの重厚感にチェット・ベイカーは負けず、存在感があり、オーラがある。
ジャズミュージシャンの写真を数々見てきたが、『本物のセーター』が似合う人は、私が知る限り、晩年のチェット・ベイカーただ一人である。

<So What>1964

Stan Getz and Chet Baker <Just Friends> 1983

竹村洋子

竹村 洋子 Yoko Takemura 桑沢デザイン専修学校卒業後、ファッション・マーケティングの仕事に携わる。1996年より、NY、シカゴ、デトロイト、カンザス・シティを中心にアメリカのローカル・ジャズミュージシャン達と交流を深め、現在に至る。主として ミュージシャン間のコーディネーション、プロモーションを行う。Kansas City Jazz Ambassador 会員。KAWADE夢ムック『チャーリー・パーカー~モダン・ジャズの創造主』(2014)に寄稿。Kansas City Jazz Ambassador 誌『JAM』に2016年から不定期に寄稿。

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