#99 追悼 “Dr.Jazz” 内田修 「神の園へ」

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「ドクター・ジャズ」こと内田修さんが肺炎のため「神の園」へ。享年87。
初めて岡崎の内田病院を訪れたのは、1970年。ぼくが主宰していた「ジャズ」誌のインタヴューであったが、ノリにノって、泊まることに。聞けば、第一線で活躍中のミュージシャン、秋吉敏子、渡辺貞夫、菊地雅章。日野皓正らほとんどが泊まっていくという。その人脈の広さには舌を巻く。
院内には私設スタジオがあり、そのたびに繰り広げられたセッションのテープは整理しきれないほどである。しばしば、東京でも収録し、陽の目を見た代表アルバムが「幻の銀巴里セッション」(TBM)。その主軸は、金井秀人と高柳昌行。
あまり知られていないことだけれども、カーレーサーとしても活躍。FISCO(富士スピードウェイ)オープン初のレース中に死んだいすず117クーペのレーサー(実は、ぼくの叔父)とは、交流があった。
病院を辞してから、1999年。2度目のインタヴューは「アウトゼア」。創刊号のみのインタヴューではあった。名古屋は動物園前のマンションに、日本画家の奥さまとのふたり暮らし。
綾戸智絵、寺井尚子、ケイコ・リーらの仕掛け人としてのほとばしる熱情に圧倒される。
極私的に言えば、「ドクター・ジャズ」こと内田修さんは、ジャズ愛のひと。ジャズがジャズであった時代の損得勘定を無視したスポンサーの最右翼ではあった。
プライベートでも、よく飲み、よく食べました。
「もっと、杉田くんには頑張ってもらわないとね」
名古屋の巨大な海老フライ、大変おいしゅうございました。
いまは「神の国」で、楽しく高柳さん、金井さん、宮沢昭さん、プーさんらと、心ゆくまで、スイングしていることでせう。
 心より合掌。(杉田誠一)


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杉田誠一

杉田誠一 Seiichi Sugita 1945年4月新潟県新発田市生まれ。獨協大学卒。1965年5月月刊『ジャズ』、1999年11月『Out there』をそれぞれ創刊。2006年12月横浜市白楽にカフェ・バー「Bitches Brew for hipsters only」を開く。著書に、『ジャズ幻視行』『ジャズ&ジャズ』『ぼくのジャズ感情旅行』他。

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