JAZZ meets 杉田誠一 #105「追悼:アレサ・フランクリン」

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text by Seiichi Sugita 杉田誠一

「クイーン・オブ・ソウル」「レディ・オブ・ソウル」ことアレサ・フランクリンの葬儀が、8月31日にデトロイトで行われ、スティービー・ワンダーやチャカ・カーンがパフォーミングを捧げた。 アレサは、1942年3月25日、テネシー州メンフィスで生まれるが、育ったのは、デトロイトの父の教会である。その教会をホーム=根拠地として「クイーン・オブ・ゴスペル」「レディ・オブ・ゴスペル」としてスターダムを登りつめるのである。 アレサは、2018年8月16日、膵臓ガンのため死去。享年76。

1998年にはジュリアードを卒。晩年は、ピアノ弾き語りに魂は、昇華されていった。
在学期間は、異なるが、同じくジュリアード出身のニーナ・シモンの影響を受けているのは、明らかである。
あの毅然たる歌に対する姿勢。 公民権運動では、常に凛として先頭に立つ。
1972年7月8日、その日は、日曜日だった。マンハッタン・トランスファーから列車に乗って、出来上がって間もないナッソー・コロシアムへ。
サマータイムなので、20時といえば、まだ、明るい。ナッソー・コロシアム、最初にステージに立ったのが、アレサ・フランクリン。客席は、いきなり総立ちで、そのオーラは、ハンパないはじめてのもの。

その日は、日曜日。どでかいコロシアムが、荘厳な教会に、瞬く間になってしまったのだ。まぎれもなく「クイーン・オブ・ゴスペル」「レディ・オブ・ゴスペル」が、いま、同じ時空を共有している。 夢幻たる、ファンタスティック・コミュニティー! 説得力溢れる強力な唱法は、ニーナ・シモンと、通底する。
ナッソー・コロシアムの16.000人は、アレサ・フランクリンの歌を超えた祈りに、ひとつになった。
その後、ステージには、デューク・エリントン、レイ・チャールズ、ダニー・ハサウェイらが登場する。

帰りの列車で考える。 多くのブラック・ピープルにとって、根拠地=ホームとは、教会であること。そして、リロイ・ジョーンズ(アミリ・バラカ)がいうように、ゴスペルも、ソウルも、ジャズも、「変わっていく同じもの」だということを。

「クイーン・オブ・ゴスペル」「レディ・オブ・ゴスペル」ことアレサ・フランクリンのご冥福を心よりお祈り申し上げます。 合掌。

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杉田誠一

杉田誠一 Seiichi Sugita 1945年4月新潟県新発田市生まれ。獨協大学卒。1965年5月月刊『ジャズ』、1999年11月『Out there』をそれぞれ創刊。2006年12月横浜市白楽にカフェ・バー「Bitches Brew for hipsters only」を開く。著書に、『ジャズ幻視行』『ジャズ&ジャズ』『ぼくのジャズ感情旅行』他。

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