54. Going To Kansas City~久しぶりにカンザスシティを訪ねて

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54. Going To Kansas City~久しぶりにカンザスシティを訪ねて
Going to Kansas City : text & photos by Yoko Takemura 竹村洋子
Charlie Parker Birthday Celebration photos: courtesy of Kansas City Jazz ALIVE, Victoria Alaadeen Dunfee, David Basse

9月の初めから3週間弱、アメリカに滞在した。勿論、カンザスシティを訪れる事が第一の目的だった。昨年8月に訪れる予定だったが、プライベートな事情で家を空ける事が出来ず、やっとの渡米に至った。前回から3年も開けてしまった。
私のカンザスシティ訪問は今年で20年目になる。1998年以来ほぼ毎年、5月~9月の間の2~3週間滞在していたが、叶わなかった年もあった。年2回、3回という年もあり、この20年間でトータルするとやはり20回程になる。

今年の夏は、日本の酷暑からシカゴ経由カンザスシティへ、既に夏バテ状態で移動したカンザスシティは異常に寒かった。特に滞在初日から5日間程は、日中も長袖着用、夜に至っては気温摂氏10度~15度と、これも異常気象。その後2週目以降からは気温もだいぶ上がり、爽やかな初秋の気候を楽しんだが、そんな気候の変化から、カンザスに着いてからいきなり体調を壊してしまい、いつものペースとはかなり違った滞在になってしまった。年をとってくると、体調が悪い時に新しい音楽を体験するというのがなかなか容易なことではない。若いミュージシャン達が台頭してきているという話も日本にいる時から聞いており楽しみにしていたが、短い滞在期間に無理をして追っかけるのを止めた。

とはいえ、9月8日に開催されたローカルなPrairie Village Jazz Festival (プレイリー・ヴィレッジ・ジャズ・フェスティヴァル)は小規模なジャズ・フェスティバルながら非常にレベルが高く、気温摂氏10度という寒い夜の野外でも十分楽しめた。今、カンザスシティで一番ホットなジャズクラブ、『Green Lady Lounge』『Black Dolphin』やお馴染みの『Blue Room』『Phoenix 』『Calfono』でのショウも強力にスィングして楽しかった。 『Supper Clun』を始めとした新しいクラブにも幾つか行くことができ、初めて会うミュージシャンも多かった。

現在、カンザスシティのジャズシーンは、大きな問題を幾つか抱えている。特に、ミュージシャンを取り巻くジャズのサポーター達に問題があるようだ。

18th&Vineジャズ・ディストリクトがこれから数年、大きな再開発計画下にある。『アメリカン・ジャズ・ミュージアム』の裏手に、若手のスポーツ選手育成を目的とした大きな野球場、練習場が設立される。
『アメリカン・ジャズ・ミュージアム(American Jazz Museum)』は莫大な赤字を抱え、今年初めCEOが辞任に追い込まれた。現在、CEO抜きで残ったメンバー達が細々と運営している。
アメリカン・ジャズ・ミュージアム内には『ジャズ・ミュージアム』『ニグロリーグ・ベース・ボール・ミュージアム( Negro League Baseball Museum)』や、ジャズクラブ『Blue Room』、お土産ショップの『Swing Shop』が併設されている。『ニグロリーグ・ベース・ボール・ミュージアム』は特に野球ファンでなくても歴史的に価値のある展示物も多い。が、どちらのミュージアムも閑古鳥が鳴いている。展示は20年前にオープンした時とほとんど変わらず、リピーターもいない。ジャズ・ミュージアムは何のヴィジョンもプランもなく、ただオープンしているだけなのだ。
『Swing Shop』もたまにしか訪れないこの私が驚く程、同じものしか売っていない。毎月第一金曜の夜にミュージアム内ホールでミュージシャンが演奏しているが観客は決して多くはない。
ジャズクラブの『Blue Room』はそこそこ良い経営状態の様子だ。真偽は定かではないが売りに出されているという噂が飛び交っている。サンフランシスコの経営コンサルタントが入り、1年間ミュージアムを閉めて、展示、経営の立て直しをする、という話が進行していたようだが、そのプロジェクトも、現在頓挫しているようだ。

8月に催された “チャーリー・パーカー・バースデイ・セレブレーション” は今年は大きく様子が違った。主催したのは ジャズ・サポート団体の 『Kansas City Jazz ALIVE』。 (45. カンザス・シティ・トリップ参照)。メインイベントである “21 Sax Salute” は  今年は昨年まで行なっていたチャーリー・パーカーの眠るリンカーン・セメタリーではなくはなく、アメリカン・ジャズ・ミュージアム近くのBowlというところで行われた。(50 . チャック・へディックス氏との “ オーニソロジー ” 参照)。肝心なチャーリー・パーカーのお墓では、ある一人のジャズサポーターとその仲間数人が、同じ日に同じ様なセレブレーションを行なったが、ほとんど人が集まらなかったようだ。私も毎年セレブレーションに合わせて献花ををしているが、今年は主催者側から、お墓ではなくBowlの方に送るように頼まれた。「それって変じゃない?チャーリー・パーカーのお墓がカンザスシティにある事の意味をもっと考えるべき!」と友人のファニー・ダンフィー(故アマード・アラディーン夫人)と相談し、予算を半分ずつにして2箇所に贈った。

Bowlで行われたセレブレーションでもカウント・ベイシー、メリー・ルー・ウィリアムズなどを始めとした過去のカンザスシティ・ジャズに貢献したミュージシャン達の展示が行われたが、その名前のスペルもJay “Hooty” McShann (→ Hootie 正)やAhmed Aladeen(→Ahmad 正)といったカンザスシティ・ジャズのイベントをオーガナイズするプロの仕事とは信じられないようなミスだらけの展示で、おまけに主催者がスピーチしたカンザスシティ・ジャズの歴史は間違いだらけ。私の友人達は皆、とてもがっかりした言っていた。

これはセレブレーションを主催する人達が、我も我も、と勢力争いのような形で行なった結果だ。どこでも街が成熟して行くと必ず権力、勢力争いが生まれるが、カンザスシティはこんな状態だから、優秀なミュージシャンが数多くいるにもかからず、いつまで経っても陽の目を見ないのではないだろうか、と思わざるを得ない。若いミュージシャン達がカンザスシティを離れて行く要因の一つでもあるかもしれない。

また、もう一つのジャズサポート団体、『Kansas City Jazz Ambassordors』も運営と金銭上のトラブルがあり、ジャズ誌 『Jam Magazine』の編集長だったラリー・コピクトニク氏は自ら編集長の職を辞した。コピトニク氏の編集は簡潔で、カンザスシティに根ざした記事がとても読み応えのある内容だっただけに、私個人としても非常に残念に思う。今後は自身のブログでこの街のジャズシーンの動きを発信して行くようだ。

ミュージシャン達は皆、益々元気で若手も多く台頭してきている様子だ。20年前に初めて聴いたジョー・カートライト(p)、デヴィッド・バッセ(vo)、スタン・ケスラー(tp)、ダニー・エンブレイ(g)、タイロン・クラーク(b)、ロニー・マクファダン(vo. fh)、しばらくカンザスシティを離れていたトッド・ストレイト(ds)は戻って来ていた。彼等は、当然のことながら超ベテランだ。
6年前に訪れた時に若手ミュージシャンの台頭に驚いたが、その時に会った若手と言われたミュージシャン達、ブライアン・スティーバー(ds)、ベン・リーファー(b)、マット・オットー(ta)、マーク・ローリー(p)、マット・ホッパー(g) 等は、もはや中堅の域に差し掛かっている。このコラムで紹介したハーモン・メハリ(tp) (53.ハーモン・メハリ『buru-:Bleu』参照)は、もう既に30歳を超え、おじさんの域に片足突っ込んでいる。彼は現在、ユーロ圏内で3年間のワーキング・ビサを取得し、パリを拠点にユーロ圏内を現地のミュージシャン達と一緒に演奏し、大活躍している。同じカンザスシティ出身、パリ在住の少し年上のローガン・リチャードソン (38歳、sax) に続けとばかりの勢いである。また、ハーモン・メハリがパリにいる事により、多くのミュージシャン達が短期にパリに渡り、ハーモンらと演奏活動をしている。
そして、UNKCの学生を中心とする次の世代が台頭してきて『Blue Room』で面白いジャム・セッションをやっている事をピーター・シュランブ(vb, p) から聞いた。カンザスシティ・ジャズの第5世代になる。
エボニー・ファウンデン、モリー・ハンマー、シェイ・エスタ、ジュリー・ターナー、ジェネヴァ・プライスといった女性シンガー達が思いっきり元気だった。
また、初めて聴いた『A La Mode』という3人組のグループはジャズ、シャンソン、ブルース、ボサノヴァなどがミックスした様なエスニック色のある非常にユニークなサウンドを披露していた。ハスキーヴォイスのヴォーカルのBaby Jはカズーを使って唄ったりしていた。クレイトン・デロングがギター、ベースのジェームス・アルブライトはカンザスシティ・シンフォニーとカンザスシティ・ジャズ・オーケストラで活躍していた実力者。

ハーモン・メハリ他、多くのミュージシャン達の師であったUMKC (University Missori of Kansas City)Conservatry of Musicのディレクターだった、ボビー・ワトソンはその教職の場を去って、自己の活動をインターナショナルに行なっているようだ。スタン・ケスラー、ダニー・エンブレイなど、ベテランのミュージシャン達の多くはUMKCで教鞭をとっている。

また、チャーリー・パーカー本人を直接知り、影響を受けたミュージシャンがこの街にはもうほとんどいなくなってしまった。その最後の一人とでもいうべきシンガー/ピアニストのルクマン・ハンザ(1931年9月15日生)が今年2月に86歳で逝去した。

私がこの街を訪れ始めてからこの20年で、ジャズ・コミュニティが停滞している、と大きく感じた事が 2000年の中頃一度あった。その頃は現在のようにまだ若手ミュージシャン達がそれ程出てきていなかった。今回は、若手ミュージシャン達が台頭している一方で伝統のカンザスシティ・ジャズも次の世代にきちんと受け継がれている。ミュージシャン達、ジャズ・サポーター達の交代、ジャズ・コミュニティの在り方なども含めて、今、この街のジャズシーンは大きな転換期にあると感じた。

あっという間の20年だったが、振り返ってみるとジャズシーンのみならず、様々な事があった。何人のミュージシャンに会っただろうか?
今回の私の最大の収穫は、音楽を楽しむ事はもとより、多くの友人達と楽しい時間を共有できた事だったような気がする。
昨年11月、カンザスシティのジャズシーンに大きく貢献したディーン・ハンプトン氏が亡くなった。(23. 終戦の日に思う事~我が子と友人へ。参照)ハンプトン氏は私がこの街で最初にコンタクトをしたジャズ・サポーターで、今回の訪カンザスで会えなかったのは非常に寂しかった。私のカンザスシティは、全て彼との関係から始まったのだから。今回は、20年前にそのハンプトン氏が紹介してくれた友人達、シンガーのデヴィッド・バッセ、ファニー・ダンフィー、UMKCマー・サウンド・アーカイブス、キュレイター&ディレクターのチャック・ヘディックス、ラリー・コピトニク(元地元紙Jam編集長)らが、見事なホストぶりを発揮してくれた。
また、ジェイ・マクシャンの娘達、シカゴ在住のリンダ・マクシャン、ジェニー・マクシャン、ナッシュヴィルからわざわざ私に会いに来てくれたマギー・エヴァンス(ナッシュビルでミュージシャン達の法律的な事をサポートしているカンザスシティ・ジャズ・ファン)、シンガーのジュリー・ターナー、東京の阿佐ヶ谷ジャズフェスティバルに長年出演しており、3年前に故郷のカンザスシティに帰郷したマーティン・ピータースと京子夫人など多くの友人達と、東京の私の生活とは全く違う濃い時間を共有することができた。このコラムにも書いたジェネヴァ・プライス(51. A Touch of Love : ジェネヴァ・プライスからの贈り物参照)との時間も格別なものだった。こういった人達が、真にカンザスシティのジャズシーンを支えているのだろう。
20年の間にジャズを通して生まれたカンザスシティの人達との友情は私の宝であり、彼等がずっと私を支えてくれてきてくれた事に、深く感謝している。

また、今回は特に、ジャズはさすがアメリカ自国の文化であり、アメリカのジャズシーンはミュージシャン、サポーター達を含めて底辺が広く層が厚い、と感じた。

2年後の2020年は東京オリンピックが開催される。同じ夏、カンザスシティはチャーリー・パーカー生誕100年を迎える。アメリカには新しい大統領が生まれるだろうか?
この街とジャズシーンがどう変化しているだろうか?「また行こう!」と懲りずに思う。

 


UMKC (University Missori of Kansas City) Dr. Kenneth J. Labudde, department of  Special collection  (UMKC, ケネス・ラブッデ・デパートメント・オブ・スペシャル・コレクション)

UMKCへは2日訪ねた。マー・サウンド・アーカイブスのキュレイター&ディレクターのチャック・へディックス氏とスペシャル・コレクションのケリー・マーティン氏は相変わらず快く私を迎えてくれ、膨大な資料を見せてくれた。私の別コラム『Jazz A La Mode』に使用する多くの写真を無償で提供してくれている。ライブラリーはすっかり綺麗にリニューアルされ、資料はさらに増え大きな棚にオーガナイズされ、コンピューターとロボットでコントロールされた巨大なストラージは見ているだけでも面白かった。


Prairie Village Jazz Festival  (プレイリー・ヴィレッジ・ジャズ・フェスティヴァル)

プレイリー・ヴィレッジはミズーリ州カンザスシティに隣接するカンザス州オーバーランド・パーク市にある。オーバーランド・パークは中〜上クラスの人達が多く住む、閑静な住宅エリア。
フェスティヴァルは毎年9月の第2土曜の午後から夜11時頃まで、ハーモンパークというなだらかな傾斜のある公園で催される野外ジャズ・フェスティヴァル。約1000人の観客が集まる。2018年は9月8日土曜に開催された。

 

*フェスティバルの詳細やミュージシャンについては今後、紹介していく。

(2018年11月記)

竹村洋子

竹村洋子

竹村 洋子 Yoko Takemura 桑沢デザイン専修学校卒業後、ファッション・マーケティングの仕事に携わる。1996年より、NY、シカゴ、デトロイト、カンザス・シティを中心にアメリカのローカル・ジャズミュージシャン達と交流を深め、現在に至る。主として ミュージシャン間のコーディネーション、プロモーションを行う。Kansas City Jazz Ambassador 会員。KAWADE夢ムック『チャーリー・パーカー~モダン・ジャズの創造主』(2014)に寄稿。Kansas City Jazz Ambassador 誌『JAM』に寄稿。(2016)

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