37. チャック・へディックス『バード;ザ・ライフ・アンド・ミュージック・オブ・チャーリー・パーカー』

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Chuck Haddix『bird ; The Life and Music of Charlie Paker』 photo by Yoko Takemura and T. Michael Stanley(A Celebration of The Life and Music of Charlie Parker)竹村洋子

チャック・ヘディックスは、この本を書くにあたり、「カンザス・シティ・ネイティブである強みは、カンザス・シティ時代のバードを正確に描写する上で役に立っている」と言う。7章からなるこの伝記の冒頭2章は、出生から19才で街を離れるまで、 カンザス・シティ時代のバードについて書かれている。初めてサックスを手にした時や音楽活動を始めた頃の話、オザークでの交通事故、最初の妻になるレベッカや母親アディとの関係など多くのトピックスがあるが、 特に興味をそそられたのは少年時代のバードだ。

ヘディックスは「過去にカンザス・シティ時代のバードについて書かれた事のほとんどは間違っている」とも言っている。 バードは1920年にカンザス州カンザス・シティで生まれ、7才でミズーリ州のカンザス・シティに家族と共に移り住む。最初に住んだ3527 Wyandotteはウエストポートというミドルクラスの白人居住区だった。ここはカンザス・シティのほぼ中心に位置し、3つの人種(白人、黒人、ミックス)が共存する比較的人種偏見の少ないエリアでもあった。ここでバードは白人と黒人のコミュニティー間を行き来しながら、子供ながらに白人と上手くつき合っていく術を学ぶ。その後 パーカー家はカンザス・シティ内で3回引っ越しており、バードが12才の時には18th & Vine ジャズディストリクトに近い黒人居住区に移っている。カンザス・シティではバードの時代から現在に至るまで、どのエリアに住むかで意味が違って来る。

本書では、バードが通っていた学校についても、5才でカンザス州ダグラス・スクールに入学し、7才の時にミズーリ州カンザス・シティのペン・スクール 、サムナー・スクール、13才からリンカーン・ハイスクールで学び、15才の時には退学していた、という正確な事実を記している。 私は、ヘディックスが書き込みを入れてくれたカンザス・シティの地図の上で、バードが住んでいた家や学校、その距離感やどういった道のりやエリアだったのか等を再確認し、当時の様子を想像した。そして、改めてチャックは人から見聞きした話や残された記録からだけでなく、自らの足で根気よく、より正確な情報を割り出していったに違いない、と強く確信する。

これらはほんの一例に過ぎない。ヘディックスは過去の本に書かれた多くの間違った記述を正している。今さらこんな細かいマニアックな修正が必要なのか?そんな事意味がない、という人達もいるかもしれない。 バードが生まれたのは1920年。カンザス・シティの黄金期から衰退期(1934年のペンダーガスト失脚後) まで、世界恐慌も、彼が子供の頃に体験している。当時の街の変化も大きかったに違いない。幼年期からティーンエイジまで、多感な頃の体験というのは、後に強烈な記憶やトラウマになる事がある。バードがカンザス・シティで生まれ育った事は、彼の人格形成に大きく関わったはずだ。そこには絶対間違いがあってはならない。その間違いを正さずしてバードを語るなかれ、というのが誇り高きカンザス・シティ・ネイティブのチャック・ヘディックスの弁だろう。

今回の出版で初めて公開された、極めつけの写真がある。1931年、バードが11歳の時、ペン・スクールの学芸会で『Birdland』という劇を演じた。バードはじめ、クラスメイト達は背中に大きな白い羽根のついたコスチュームを着ている。学校の玄関でクラスメイト達と撮った集合写真だ。この写真は、本の出版前までへディックスのオフィスの誰にもわからない引き出しの中に隠してあり鍵もかけられていた。 本の出版後、「あの写真を最初に見たのは地元の写真屋なんだよ。そこのオーナーが、もしかしたらチャーリー・パーカーかもしれない写真がある、と言って見せてくれたんだ。それを見た時は床にひっくり返ったね!それから僕はオーナーを拝み倒して写真をもらったんだ。彼のお父さんは、何とペン・スクールでバードのクラスメイトだったんだよ。」とヘディックスは言ってきた。これこそ、カンザス・シティ・ネイティブならではの話だ。

学芸会で鳥に扮したバードは、クラスメート達を押しのけて飛び狂っていたかもしれない。時にシャイなバードはステージ横で固まってしまい、他の鳥達が飛ぶのを傍観していただけかもしれない。 快活な小学生の男の子が、自分の家から元気よく繁華街を駆け抜けて学校へ行く。授業の合間には学校近くの草が茂った丘で遊んだり、友達と喧嘩もした。放課後、仲間達と一緒に売れ残りのケーキやクッキーをピックアップしに地元のベーカリーに集まる。学校では人気者だった様だ。空き缶を蹴ったり、口笛を吹き、スキップしながら帰途についていただろう。5年生で初めてアルトサックスを手にする。ジャズクラブを覗き、そこに出入りするミュージシャン達も真近に見ていた。2才でほとんど完璧なセンテンスを喋る事が出来たバードは、お母さんのアディにはうんと甘やかされていたに違いない。 後にバードは『ジャズの革命児、天才、モダンジャズの父』と言われるようになるが、本書の中で音楽的な才能が未知数の『バード少年』に出会えるのは楽しい。

バードが14才の時、後に最初の妻になるレベッカは、家族と共にパーカー一家の住む1516 Olive Street のアパートの2階に引っ越して来る。以来2人は親密な関係となり、バードが16才の時、レベッカに学校の校舎の階段でプロポーズする。この小学校は、彼らが住んでいたアパートから徒歩で10分程の所にある。まだ16才のバードが人目を偲んで近所の小学校でデートし、プロポーズしたのではないか。というのは私の勝手な憶測だが、微笑ましい話だ。そんな読み手の想像力をも掻き立てる、カンザス・シティ時代のバードの話が本書には詰まっている。

本書は『カンザス・シティ・ネイティブのチャック・ヘディックスが書いた』という事に大きな意味があり、それは高く評価されるべきだろう。この地に住んでいるからこそ出来る事を、リサーチャー、ライター、ヒストリアンであるへディックスが行った結果だ。『俺らの街が生んだ歴史に残る世界のチャーリー・パーカーの事、ちゃんと書いてくれなきゃ困るんだよ!』というチャックの声が聞こえてきそうだ。 ここ数年、カンザス・シティに於けるバードのバースディ・セレブレーションは活気を失っている。このチャック・へディックスが書いた『 バード;ザ・ライフ・アンド・ミュージック・オブ・チャーリー・パーカー』の出版を期に、カンザス・シティのみならず世界中の人達がチャーリー・パーカーを再評価し、カンザス・シティというかつてジャズの黄金期を築いた稀有な街とジャズのさらなる発展を願う。カンザス・シティでは、2015年の生誕95年(没後60年)のバースディ・セレブレーションのプランが始まっていると聞いている。おそらく世界中で幾つものセブレーションが催されるだろう。2年後が楽しみだ。

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竹村洋子

竹村洋子

竹村 洋子 Yoko Takemura 美術学校卒業後、ファッション・マーケティングの仕事に携わる。1996年より、NY、シカゴ、デトロイト、カンザス・シティを中心にアメリカのローカル・ジャズミュージシャン達と交流を深め、現在に至る。主として ミュージシャン間のコーディネーション、プロモーションを行う。Kansas City Jazz Ambassador 会員。KAWADE夢ムック『チャーリー・パーカー~モダン・ジャズの創造主』(2014)に寄稿。Kansas City Jazz Ambassador 誌『JAM』に寄稿。(2016)

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