23. 終戦の日に思う事〜我が子と友人へ

閲覧回数 2,477 回

“To my children and friends on August 15th”

text by Dean Hampton
translation and editing by Kenny Inaoka


今回は、竹村さんの連載にも時折り登場するカンザス・シティ在のディーン・ハンプトン氏が終戦にあたり、子供たちと友人に宛てた私信を同氏と関係者の許可を得て掲載します(訳責:稲岡邦弥)。氏は手紙の意図について、「アメリカ人が過去の歴史の重要な事件を思い出し、アメリカを価値あるものにする手助けをするつもりで書いた。若者には、アメリカと日本の歴史を良く踏まえ、日米両国の価値ある関係を理解する一助として欲しい」と語っている。氏は、ウェブ・コンサルタントをしながら、チャーリー・パーカー・セレブレーションの企画・運営をするなどジャズをこよなく愛するいわゆる市井の人である。(稲岡)


終戦の日に~我が子と友人へ ディーン・ハンプトン

君たちも知っているように、僕には日本の東京に竹村洋子という良き友人がいる。彼女との素晴らしい友人関係はもうかれこれ10年以上続いている。彼女は毎年のようにアメリカを訪ねてくる。僕らは何でも話し合える間柄だ。第二次大戦については今まで何度となく話し合う機会があったが、僕らはそれぞれアメリカ人としての観点、日本人としての観点に立って語り合うんだ。僕が彼女から多くを学んだことは、あの忌まわしい戦争当時、日本が他国に対して行ったことに対して現在の日本人がどれほど悔悟の気持を抱いているか、ということだ。

昨日は、終戦にあたって日本が降伏した64回目の記念日だった。昨夜も彼女と電話で話し合ったのだが、彼女の声がどこか沈んでいることに気が付いた。電話を切ってまもなく彼女からeメールが届いたのだが、そこには「東京はとても静かな日だった」と記されており、yahoo.comに掲載されたニュース記事へのリンクが付けられていた。

記事のタイトルは、「日本の首相、第二次大戦の苦痛に対し深い哀悼の意を表明」とあった。(註:当時は麻生太朗首相)

少し頭を整理してみよう。イラクではすでに4千人以上の米国兵が命を落としている(アメリカで殺人や自動車事故で毎年失われる命はそれぞれそれを超えているが)。第二次大戦で命を失った日本人の数は310万人に及んでいるのだ!!(軍人と市民を合算したものだが)。太平洋戦域で命を落とした米兵は約10万人。イラクでの犠牲者の20倍を超えている。

ヨーロッパとアフリカの地上戦で失われた米兵の数は10万人、ドイツとの空中戦でも同じく10万人。さらに、第二次大戦の全域で失われたアメリカ人の非戦闘員の総数は11万5千人。全部合わせてもアメリカの犠牲者の数は日本の犠牲者の数と比較するとバケツの中の一滴に過ぎない。

2009年の今、われわれアメリカ人が犯してしまったこと、犯しつつあることを忘れ去ってしまうことは簡単だ。アメリカを救うためにやらねばならないことを忘れてしまうことも簡単だ(皆、それを知っているし、忘れてはいないけど)。

私は65才。第二次大戦のことは覚えていないが、戦争の結果生まれたいろんな戦争のおもちゃ(タンク、軍用トラック、ハーフ・トラック、大砲、機関銃、バズーカ砲を背負った兵隊、いろんな戦闘員、B-29やB-24型戦闘機などなど)で遊んだことはしっかり覚えている。カンザス州のジャンクション・シティの駅頭で地方遊説中のハリー・トルーマン(註:第33代米国大統領)を見たことも忘れてはいない。

KCチ-フス(註:アメリカン・フットボール)やロイヤルス(註:MBL)の試合を観にカンザス・シティに来ることがあったら、東へ数マイルのところの「インディペンデンス」に立ち寄ってハリー・トルーマン・ライブラリーとミュージアムを観て行って欲しい。1日つぶして欲しいところだが、半日でもいい。今までに経験したことのない歴史の勉強ができるし、今まで以上にアメリカ人であることに誇りを持って帰途に着くことになるだろう。道路を渡れば古いドラッグ・ストアがあるからコークやチェリー・フォスフェイト、グリーン・リバー(註:コークを除いて共に禁酒法時代にアルコールの代わりに飲まれた時代もののソフト・ドリンク。今ではノベルティ化し観光地などで売られている)が飲める。イェイ!

朝鮮戦争のことも、もっと改良されたたくさんの戦争のおもちゃで遊んだことも覚えている。プロペラ機にジェット機が取って代わった頃のことだ。1952年、6才の時だったが、ドゥワイト“アイク”アイゼンハワー(註:第34代米国大統領)が大統領選を闘っていた頃のことも覚えている。ジャンクション・シティで育ったんだが、フォート・ライリー(砦)の外側でアイクの地元から25マイルのところだった。だから、地元の連中は当然アイクを応援することになっていた。“アイ・ライク・アイク”のパレードで僕はベース・ドラムを叩いていたんだ。僕にはベース・ドラムが大き過ぎたんで、赤いワゴンに載せて街中を叩き回ったんだ!ジャンクション・シティ・デイリー・ユニオンという新聞に載った写真を今でも持っているよ。

“アイ・ライク・アイク”のキャンペーン帽もまだ持ってるし,時々かぶってはみる。最後にかぶったのは、最後の大統領選の時で、この僕らの偉大なる国を何とかするためにどうしてもアイクが必要な時だった。朝鮮戦争が終結した時のことも覚えているけど、どうやって停戦に至ったかを知ったのは何年も経ってからだった。つまり、アイクが、戦争を止めないと核兵器を使う意志があることを彼らに知らしめたんだ。そして約72時間後に停戦を迎えた。

カンザス州のアビリーンの近くまで来ることがあったら、ちょっと立ち寄ってアメリカの歴史を振り返り、誇りを新たにして帰ったらいい。アイクのミュージアムと少年時代を過ごした家がある。トルーマンのミュージアムより良いし、得るものが多いだろう。

JFK(ジョン F.ケネディ=註:第35代米国大統領)も覚えているし、あの暗殺劇(註:1963年11月22日 於テキサス州ダラス)はひどかった。アメリカ人の誰もが涙を流した。あの日、アメリカ人はまた変わったんだ。これも、まだ生まれてなかった多くのアメリカ人が覚えていない大事件のひとつだ。9.11テロ(註:2001年のアメリカ同時多発テロ事件)に居合わせたとしたら、僕らにとってのJFKの暗殺劇と同じ感懐を抱いたと思う。事の内容は異なるが、どちらも国家的なトラウマになっている。

アメリカでは僕らは第二次世界大戦の勝利を祝っている。日本では死者を悼み、2度とあのような戦争が起こらないように頭(こうべ)を垂れている!

アメリカに幸あれ!!
父/ディーン

PS.: I hope that if we ever need to have another war, we can do it with musical instruments and have a “jazz battle of the bands.” Let’s not kill anybody anymore and have some fun!

追:万一、もう一度戦争をやる羽目になったら、楽器を持ち出して”ジャズ・バンド合戦”をやればいいんだ。これ以上殺し合いをするのはごめんだ。楽しもうよ!

Dean Hampton
ディーン・ハンプトン
在カンザス・シティ。ウェブ・デザイナー/ジャズ・オーガナイザー

(初出:2009年9月6日)

Share Button
竹村洋子

竹村洋子

竹村 洋子 Yoko Takemura 美術学校卒業後、マーケティングの仕事に携わる。1996年より、NY、シカゴ、デトロイト、カンザス・シティを中心にアメリカのローカル・ジャズミュージシャン達と交流を深め、現在に至る。主として ミュージシャン間のコーディネーション、プロモーションを行う。Kansas City Jazz Ambassador 会員。KAWADE夢ムック『チャーリー・パーカー~モダン・ジャズの創造主』(2014)に寄稿。Kansas City Jazz Ambassador 誌『JAM』に寄稿。(2016)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

↓ ロボットでないかお知らせください。 * Time limit is exhausted. Please reload CAPTCHA.