LIVE EVIL #29「Bitches Brew for hipsters only 10 周年記念コンサート」

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text and photo:Kenny Inaoka 稲岡邦彌

 

2017年9月21日 大倉山記念館

庄田次郎ニュー・ジャズ・シンジケイト
纐纈雅代アルトサックス・ソロ

フォト・ジャーナリスト、編集者として活躍してきた杉田誠一が東横線「東白楽」にジャズ・カフェ「Bitches Brew for hipsters only」を開店して10年が経った。店は神奈川大学(神大)に通じる六角橋商店街をちょっと入ったところにあり、一見の客ではなく神大生を見込んでの出店と聞いた。昼はジャズ喫茶、夜はジャズ・バーとして機能させる造作になっている。小さなスペースながらアナログとCD用の2ラインの再生装置を完備、アナログ用にはマッキントッシュの管球式プリ/メインを備えるなど、杉田らしいこだわりをみせた。LP/CDは自宅のコレクションから主要なラインアップを持ち込み、壁にはルイ・アームストロングなど自ら撮影したジャズ・ミュージシャンの写真パネルが掛けられた。杉田によれば、第2の応接間を意図した、ということだった。カウンターの中を見て驚いた。エスプレッソ・マシンのロールスロイスと言われるイタリア・チンバリ製のマシンとパニーニトースター、さらには業務用のコンベクション・オーブンまで鎮座していたからだ。この店なら毎日でも通いたい。マッキンが鳴らすジャズを聴きながら、パニーニをつまみ、チンバリのエスプレッソを楽しむ...。日暮れてくれば、ワイングラスを傾けカンパリのストレートを喉に流し込む...。たまらなく贅沢なひとときだ。

マッキンでジャズは聴いたし、ワイングラスは傾けた。カンパリのストレートも楽しんだ。しかし、目の前でチンバリが扱われることはなかった。オーブンが開くこともなかった。少なくとも僕が客として入店した間は...。当て込んだ神大生の姿はなかった。神大までチラシを配りに出かけたこともあったそうだ。「今の学生はジャズを“鑑賞”しにジャズ喫茶に通うなんて習慣は持ち合わせていないんだ、神大生に限らずね」「僕らの頃は講義をサボってまでジャズ喫茶に通ったもんだけどね」。もう20年以上も前になるだろうか。ケニー・バレルの息子と話し込んだことがある。アメリカのカレッジ・サーキットを日本でも実現できないか。アメリカでは全米の大学がサーキットを組みジャズ・バンドが大学を巡演する。演奏の前後に学生と交歓し、学生バンドを対象にクリニックを行う。ジャズ・バンドは仕事を確保しながら、将来のジャズ・ミュージシャンやジャズ・ファンを育成していく。パット・メセニーはグループでサーキットを徹底的に巡演、学生の反応を見極めながらオリジナル曲を取捨選択していき、その上でグループ・デビューしたのであっという間に火がついたという。つまり、最初のアルバムがリリースされた時点で、学生の間ではパット・メセニーのグループと楽曲はすでに馴染みになっていたというわけだ。誰にでも通用する手法ではないかもしれないが、顕著な成功例だろう。バレルの息子は、日本でもサーキットが組めれば、著名なジャズ・バンドを特別予算で送り込むと約束。学生がジャズを身銭で聴ける場を作っていかないと日本のジャズは衰退してしまうよ、と憂うことしきり。早速リサーチを開始したのだが、当時の日本の実情は極めて悲観的なものだった。大学のジャズ・サークルは激減、衰退し切って一つの大学ではグループも組めず、数大学の学生が集まった初めて1グループ組める場合もあるとか...。とにかく、大学で受け皿となれる組織が見つからない。学園祭の主催者はジャズには興味を示さず、アイドルやニュー・ミュージッック中心..などなど。そのうち、再会を約束していたバレルの息子が急性白血病で亡くなったとの悲報が届いた。

話が脱線した。
10周年記念フェスは2日間にわたって6アクトが出演したのだが、僕は2日目の2アクトしか聴くことができなかった。最初は、庄田次郎のニュー・ジャズ・シンジケイトのセッション。庄田次郎はかつてBitches Brewでも聴いておりレポートも書いた。開演に先立ち、主催者の杉田誠一が「ニュー・ジャズ・シンジケイト」について15分間くらい当時の社会情勢も交えながら説明したのだが(ステージ上ではミュージシャンが楽器を構えてまだかまだかの姿勢)、要約すると、「ニュー・ジャズ・シンジケイトは、1974年、庄田次郎(tp)と原尞(p)により法制大学の学生会館で旗揚げされたフリー・ジャズ・ユニット。そのスピリットは庄田次郎により今に引き継がれ、原尞はその後故郷の佐賀県鳥栖に戻り、ミステリ作家に転向。直木賞を受賞した(芥川賞は誤り)」。ドラムスのリードにより7、8名のミュージシャンが集団即興演奏を開始、時折り庄田がポケット・トランペットでシーンを切り裂いていく。各奏者のソロがフィーチャーされたのち、集団即興演奏に戻り、ディクレッシェンドして幕。当時の生き残りとして、集団にしろソロにしろパワーとアグレッシヴさの不足を感じざるを得なかったが、時代がそれを求めていないのかもしれない。

 

 

庄田次郎と同様、纐纈雅代(こうけつ・まさよ)もソロに関してはBitches Brewを主戦場にしてきたアーチストのひとり。テナーも吹くそうだが僕はアルトしか聴いたことがない。鈴木勲のグループではフリー・バップを巧みにこなすし、自作『Band of Eden』ではコンテンポラリーなワールド・ミュージックを披露して見せた。インテリジェンスを持ち合わせた非常に懐の深いミュージシャンという印象を持つ。ステージに上がった彼女はワンピースに下駄を突っかけていた。楽器が震わせた空気が床から下駄を通して身体に循環してくる効果を楽しんでいるのだろうか。たしかに靴では振動が遮断されてしまうはずだ。CD『TON-KLAMI』がリリースされたばかりの姜泰煥 (カン・テー・ファン) は胡座をかいてアルトを吹く。姜泰煥 の瞑想的な音楽は胡座をかくことから始まる。先週せんがわJazzArtで聴いたNYのクリス・ピッツィオコスはパイプ椅子に腰掛けてアルトを吹いていたが、正直なところ戦闘モードが感じられずヴィジュアル的には戦意を削がれた。纐纈のプログラムは、最初にソロで30分ほど、次いで、オリジナルとパーカー、スタンダードを1曲ずつ、リードを交換する間も惜しむほどほとんど1時間吹き続けた。感心するのはブレスのうまさだ。弱音部では循環も使っているのかもしれないがそれと分からせないほど表現上必要なテクニックとしてこなしている。最初の一音から10分ほどサーキュラー・ブリージング(循環)とマルチフォニックスでぶちかましたピッツィオコスとは対照的だ。ピッツィオコスのメカニカルでゲーム的な演奏に対して、纐纈の音楽的でヒューマンな音楽はどこまでも対照的。纐纈の演奏の中では、オリジナルの<卑弥呼>にいちばん惹かれた。日本音階にこだわり、湿り気を感じる演奏にそれこそDNAを刺激されたのだろうか。そこはかとなく漂ういい意味でのフェミニンさを捨てる必要はないのかもしれない。

  

Bitches Brewの話に戻ると、杉田は昼間の営業を諦め、夜のライヴに業態を変えた。変えざるを得なかった。アップライトのピアノがあり、わずか20名ほどのスペースである。営業的に成立するはずもなく、相当私財を注ぎ込んだはずだ。そんな状況の中にあっても妥協を排し、あくまでも己の美意識に忠実なキュレーションを貫き通した。庄田次郎、纐纈雅代の他にも、金剛督、竹内直、浦邉雅祥、大由鬼山、蜂谷 真紀などBitches Brewを創造の場に選んだミュージシャンも多い。沖至、白石かずこ、坂田明、梅津和時、三上寛の名も忘れることはできない。日本では珍しいレジデンシーも採用し、一人のアーチストに1週間のキュレーションを委ねることもあった。どこか、ジョン・ゾーンが主宰するNYのストーンを彷彿とさせる部分もあった。母親の介護もあり10周年を機に、運営を代替わりするという。Bitches Brewは2代目を得て生まれ変わるのだろう。杉田は介護の合間を縫ってフィルムの撮影を復活させるという。もちろん、暗室も復活させると気合が入る。

とりあえず、10年間お疲れ様でした。機会があればまたレコード・ジャケットの撮影をお願いしたいね。

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稲岡邦彌

稲岡邦彌

稲岡邦弥 Kenny Inaoka 兵庫県伊丹市生まれ。1967年早大政経卒。音楽プロデューサー。著書に『改訂増補版 ECMの真実』編著に『ECM catalog』(以上、河出書房新社)『及川公生のサウンド・レシピ』(ユニコム)共著に『ジャズCDの名盤』(文春新書)。Jazz Tokyo編集長。 https://www.facebook.com/kenny.inaoka?fref=ts

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