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No. 218Live Evil 稲岡邦弥

 #018 ニコラス・レットマン・バーティノヴィック&川口賢哉 デュオ・日本ツアー2016 スペシャル・ゲスト:豊住芳三郎

2016年5月25日
横浜 エアジン

text & photo:稲岡邦弥

ニコラス・レットマン・バーティノヴィック (b)
川口賢哉 (尺八)
豊住芳三郎 (drums / perc / 二胡)

所属する法人の理事が出演するライヴ・イベントと重なってしまったのだが、NYからの来日・帰国公演ということでエアジンに出かけることにした。地元のクラブ(といっても、door-to-doorで約1時間)なのに馬車道を折れる筋を間違えるほど足が遠のいていたのが恥ずかしい。エアジンはソニー・ロリンズの名曲<エアジン>に因む昔ながらのいわゆる“ジャズ・クラブ”の雰囲気を湛えた名店のひとつだ。オーナー梅本氏のブッキングも筋金入りで、毎年、春と秋には1週間にわたるスペシャル・イベントも組まれる(今年の3月は『うた祭り<春>2016』)。階段を上っていくと踊り場の椅子に腰掛けた豊住さんと出会い、久しぶりの再会の話題はお互いの体調について..。どこに出かけてもシニア共通のテーマだ。
下手から川口、Nico、豊住が並ぶ。豊住のブラシを使ったヒットから演奏が始まる。Nicoと川口が突き上げるようなスタッカートで応じる。豊住がまったく年齢を感じさせない軽快さで次々にスティック、マレットに持ち替え、あるいは指や掌を使ってリズムを点描していく。Nicoと川口はそれぞれ独自に直線的なラインを繰り出すコレクティヴ・インプロヴィゼーションで3者がアンサンブルとして聴こえてくることはない。

来日直前、Jazz Tokyoのリクエストに応じたインタヴューによると、Nicoは1972年フランス・シェルブールの生まれ。1998年、NYに渡り、イラストレーターや数々のセッションを経てアーチー・シェップのレギュラーとして活躍中。川口賢哉は1970年、広島県の生まれ。早大大学院を経て渡米、NYでカール・ベルガーのクリエイティヴ・オーケストラのメンバーとして、またジャーナリストとして活躍中。セッションの合間に確かめたところ、都山流の尺八奏者の家に生まれ、当然のように都山流を学んだが、その後明暗流を経て現在は海童道に励んでいるという。

最近、海童道(わたづみどう)に励む若い尺八奏者ふたりに出会ったので、アルバム『海童道』(1978 / SONY) の解説を参照しながら海童道を振り返ってみたい。この解説は海童道祖自身が記したものと思われるので、これ以上の資料はないだろう。「海童道は、剣道、茶道、書道などと同様、道のひとつだが、各種の道のように技倆を旨とするだけのものではなく、色々な自己のはたらきを表していく総合体であり、この総合体が単純化に至る」「海童道は具体的には、『自然法』『吹定』『道理』『海童道杖』『余流』などに分かれる」。音楽ファンにとってもっとも興味があるのは『吹定』だろうが、『吹定』とは、「道具とよぶ縦笛を吹き用いて行う。吹くといっても演奏するのではなく、呼吸と動きによって行う体達であり、この『吹定』によって発する音の数々がまとめられて、色々な道曲となる」。「現在(注:1978年当時)、海童道が医学の新たな行き方にも大変な示唆と影響を与えており、医学の方々からは海童道医学ともいわれ、海童道の在り方が重視されている」。

なお、海童道を創流した海童道師は、1910年、福岡県の生まれ。本名を田中賢道といい明暗寺系統の博多一朝軒の出。1978年(昭和53年1月)現在、「道祖老師は、毎日深夜から朝方にかけて広場に立ち通し、暴風雨の際でも、これを浴びて海童道杖を使駆するという激烈な体達をかさねて、苦しみ抜かれている。その期間も既に千七百日を超えている。このはたらきを吹定に打ち込む」。天台宗では千日間の荒行、すなわち千日回峰行を経て解脱(げだつ)、大阿闍梨(だいあじゃり)に至るが、海童道の体達はこれに勝るとも劣らないといえるだろう。

『吹定』についてはさらに、「すべて道具によるのではなく、道具を用いる際は寸分の油断も致さない。即ち思考と実践の一致のはたらき」と喝破され、「およそ音色を弄して、旋律的なものほどに音楽身を帯びるが、道曲は音楽と違って、音楽的であればあるほどに、道曲としては力が弱く、道理から離れて、海童道の体達に入り難いのである」という。

一転、豊住の二胡の演奏から始まった2ndセットは、すぐNicoがアルコで和し、川口も尺八で寄り添ってアンサンブルとなった。豊住の二胡から旋律めいたものが生まれたので、Nicoが付け、コレクティヴ・インプロヴィゼーションではあったが、うまくアンサンブルと化したのだった。豊住は二胡を弾きながら、時折り足でバスドラやハイハットを踏んでオカズを入れる余裕をみせる。後半、豊住はドラムに戻り、Nicoは弦の間にチューブを挟んでプリペアードを試みたり、ブリッジの先の弦をこすって懸命に音色の変化に挑戦してみせるが、川口はハードスケジュールの疲れからかあるいは海童道に固執するあまりか本領を発揮できずに不完全燃焼のまま終わってしまったようだ。リスナーとしてはそれぞれのソロも聴いてみたかったがベテランの豊住に場の支配を委ねてしまったNicoと川口についにそのチャンスは巡ってこなかった。幸い、NicoのソロCD 『Solo Japan Suite』を入手したので(25枚限定の手書きイラスト・ジャケット付。ICPが創設されたときもLPジャケやボックスはミュージシャンの手製だった)、近くリリースされる川口のソロCD『雨露』(ChapChap Records) と合わせてゆっくり聴いてみよう。

追)

PS:このレポートを書き終わったところで、僕が前述のアルバム『海童道』(SONY) を献呈した音楽人である友人から以下のメールが入電しているのを知りとても悔しい思いをした。豊住さんからじかに道祖について話を聞きたかったからだ。友人のメールに曰く;

「豊住さんは、はじめは、「豊住白闘道客」という名前を頂いたそうですが、最後には「道客」から「道士」に昇格して「丹滄」の名をもらったと仰っていました。つまり、「豊住丹滄道士」だと思います。道祖から習ったのは法竹や道曲などの音の面ではなく、哲学(海童道の哲理)だとも仰っていました。
一方で、ご自身のライブに(同時に音を出すことはなかったそうですが)道祖が出演するコーナーを設けたことが何度かあったそうです。海童道祖がそうした「ライブ」のような会に出演することは通常は有り得なかったそうですが、きっと、豊住さんだからこそ、道祖も引き受けたのだろうと思います。
PPS:海童道祖について真実を知りたいファンは、豊住さんのライヴに出かけて教えを乞うに越したことはない。知りたいこと、知りたくないこと、色々語ってくれるはずだ。

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稲岡邦彌

稲岡邦彌 Kenny Inaoka 兵庫県伊丹市生まれ。1967年早大政経卒。2004年創刊以来Jazz Tokyo編集長。音楽プロデューサーとして「Nadja 21」レーベル主宰。著書に『新版 ECMの真実』(カンパニー社)、編著に『増補改訂版 ECM catalog』(東京キララ社)『及川公生のサウンド・レシピ』(ユニコム)、共著に『ジャズCDの名盤』(文春新書)。2021年度「日本ジャズ音楽協会」会長賞受賞。

 #018 ニコラス・レットマン・バーティノヴィック&川口賢哉 デュオ・日本ツアー2016 スペシャル・ゲスト:豊住芳三郎」への1件のフィードバック

  • 川口賢哉は海童道を学んでいますが、海道童祖にはさほどこだわっていません。道祖へのこだわりが海童道のいたずらな神秘化につながることに、危機感を抱いているからです。文中「豊住に場の支配を委ねてしまった」とあるのは問題に思えます。集団即興演奏において場の支配は好ましくなく、支配的に音を繰り出している演奏者の責任が大となるように思えるからです。法竹の吹定がそのまま哲理となるのであって、海童道にあってはこれらは不可分のものであると思います。

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