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Reflection of Music 横井一江No. 218

Reflection of Music vol.46 佐藤允彦

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佐藤允彦@公園通りクラシックス2016
Masahiko Satoh @Koen-Dori Classics 2016
Photo & text by Kazue Yokoi 横井一江


「戯楽」という造語を見て、あなたは何を思い浮かべるだろうか。それがアルバム・タイトルの一部だとしたら、どのような音楽であると想像するだろうか。

「○○戯楽」というタイトルを見た時、戯楽は戯画に脳内変換され、戯画と言えば誰でも知っているあの鳥獣戯画をいつのまにか空目していた。と、そのカエルたちが動き出し、ヒュー・ハーマン制作の擬人化されたカエルが夜中に古池で音楽会を繰り広げるジャズ・カートゥーン『The Old Mill Pond』 (1936) の場面に変わる。カエル版キャブ・キャロウェイ、ファッツ・ウォーラー、ミルス・ブラザース、ルイ・アームストロングなどが登場するそれである。1920年代終わり頃からジャズがフィーチャーされるアニメーション映画が制作されるようになった。ベティ・ブーブやポパイなどで知られるフライシャー・スタジオはジャズ・カートゥーンを語る時に欠かせない存在で、その最盛期はハーレム・ルネサンスの時期と重なる。ジャズはカートゥーン制作者にもインスピレーションを与えていたのだ。

「戯楽」の最初の一文字「戯れる」という言葉から、連想ゲームに入り込みそうになり、あらぬことにジャズ・カートゥーンに飛んでしまった。ジャズはさまざまなところで影響を与えたのだが、その逆もしかり。話を元に戻そう。

その「戯楽」という言葉と最初に遭遇したのは、佐藤允彦のCD『巴翁戯楽』 (2009) である。タイトル下に小さく「Based on Bach」と書いてあるし、和田誠のジャケットからバッハをネタにしていることは一目瞭然。本人が書いた短いノーツによると、バッハは中国語で「巴赫」と書くので、巴爺さんの冗談音楽ということでこのタイトルが閃いたのだという。○○風バッハというのは今まで何度か聞いている。しかし、収録されていたのはジャズ風味のバッハではなく、全くもってジャズだった。バッハらしくないのである。その理由は彼のサイト上のエッセイで種明かしをしているとおり、単旋律だからだ。バッハといえば対位法なのに、その呪縛から逃れようという発想の転換に驚いた。もちろんコードもつけて、そしてリズム…。しかもジャズだから当然インプロヴァイズする。これは今まで聴いた中で一番楽しいバッハだった。いや、バッハ作品をモチーフにした新たな曲が生まれたのである。

それから暫くして、『江戸戯楽』 (2011) というCDが送られてきた。今度は出囃子集、噺家が登場する時に流れる音楽がジャズに。落語好きの佐藤ならではのテーマだ。しかも寄席に見立てた曲構成。ジャズと落語には「即興性」を含めて通じるところが多いとよく言われる。ジャズファンで落語ファンも多いし、噺家の師匠にジャズ好きも少なからずいる。落語について蘊蓄を語れる人ならば、浅識の私よりもきっと数倍楽しめるだろうなと嫉妬しつつ、その遊びゴゴロや洒脱さを大いに楽しんだ。そして、どうやらこの「戯楽」シリーズは佐藤允彦のライフワークなのではないかと気付いたのである。3作目は『童心戯楽』 (2014)、童謡がテーマ。子供の頃に聞いた歌が懐かしい昭和の風景に重なり、ジャズの響きの中から立ち上がってくる。嬉々として素材をいかに料理するのか、編曲転じて新たに曲を創る行為そのものを楽しんでいることが伝わってきたのだった。

どうやら私はすっかり「戯楽」シリーズのファンになってしまったようで、3作目をリリースして間もないというのに、無礼にも「次のお題は?」と尋ねてしまった。「スタンダードにしようかな?」という答え。ちょっと待って、スタンダードは洋の東西を問わずさんざんアレンジされてきたではないか。それをさらに「戯楽」するということは、いったい何を企てているのだろう。と、またまた期待が風船のように膨らんでいったのである。

そして、作2015年1月、遂に「標準戯楽(スタンダード=標準+戯楽)」を新宿ピットインで演奏するというので出かけていった。どのような編曲いや作曲をしたのか、曲間に解説しながら演奏していく。Retrograde(逆行形)、Inversion(転回形)、Retrograde-Inversion(逆行転回形)を曲によって使いわけながら、作品を書いたそうだ。平たくいえば、譜面の上あるいは右に鏡を置き、そこに写った譜面を見て演奏するようなものである。ただし、それだけではとても聞ける作品にはなるまい。そこで、作編曲家でもある佐藤允彦の本領発揮というわけなのだ。おそらく「戯楽」シリーズを具現化するよき共犯者、加藤真一 (b) と村上寛 (ds) にとっても目から鱗の譜面だったと想像する。前口上を聞いた上で演奏を聴くと、つい原曲を思い浮かべ、比較しながら聞いてしまうので脳ミソが汗をかいたが、そこには未体験の面白さがあった。とはいえ、一度聴いただけでは味わいつくせていないので、ことある毎に『標準戯楽』はいつ出るのですかと聞く始末である。

その『標準戯楽』が6月6日にリリースされる。一足先に送っていただいた音源をじっくり聴く。聴けば聴くほど愉快な気持ちになってくる。収録されている作品の原曲は、誰でも知っているスタンダードばかり。さんざん「改造」し、コードも当然違う筈だ。おそらくは裏コードを多用しているのではないだろうか。そうなると原曲がわからないのでは、と思う人もいるだろうが、どっこいそれがわかるから不思議だ。<Blue Monk>が<Mon Beulk>というように、タイトルを見れば想像つくのだが、それだけではない。原曲が音の蜃気楼のように鏡の向こうに見えるのである。モンクなり、エリントンなりの作曲家の個性や曲の特徴を知り尽くした上での「改造」なのだということがわかった。ジャズという知の遊園地でスタンダード曲と戯れている。「戯楽」は高度な遊びだ。即興演奏からもインスピレーションを得ていたり、その逆ということもあるのだろう。私はふとミントンズ・プレイハウスで繰り広げられていたセッション風景を想像していた。そこでは1940年代初め皆ポップ・チューンを即興的にいじり倒していたではないか。この「戯楽」という発想そのものがジャズなのである。

佐藤允彦は言うまでもなく、60年代から活躍してきた日本を代表する音楽家であり、その活動は幅広い。その活動を遡り、現在まで辿ろうものなら、一冊の本が出来、日本のジャズ史のある側面が浮かび上がってくるだろう。ジャズだけではなく、即興演奏においても共演者の先を読みつつ、サウンドを構築していく手腕は随一のものがある。近年も朴千在 (per) との『Afterimages Live』 (2012) や現在スリランカで最も注目すべき作曲・演奏家のひとりであるシタール奏者で、西洋楽器とのコラボレーションでも評価が高いプラディープ・ラトナヤケとの『SERENDIP』 (2015) をリリースしているように、異なるバックグラウンドを持つ演奏家とも新たな境地を拓いている。ピアニストとしても音の粒立ちがよく明快なタッチ、知的ながらもジャズ的なウィットに富んだサウンドはいつ聴いてもフレッシュで耳に美味しい。

写真は公園通りクラシックスで、高瀬アキと2台ピアノで共演した時に撮影したもの。ピンポン玉を弦の上に置いて演奏するのは、高瀬の十八番。彼女はいつもピンポン玉をポンポン放り込むのだが、佐藤は弦の上にビリヤードの玉を並べるようにキレイに並べていた。そこに二人の性格の違いが現れていて可笑しかった。ピアノを弾き始めると、高瀬の場合はまるでお手玉をしている時のようにピンポン玉が跳ね上がり、ピアノの外に飛び出すということもありなのだが、佐藤の場合は慎重にサウンド効果を測定しながら打鍵するせいか、ピンポン玉の飛び上がりかたも控え目。だからなかなかと捉えられない。ピアノの縁に乗っているように見える(実際は宙に浮いている)白くて丸い玉がそのピンポン玉のひとつなのである。

横井一江

横井一江 Kazue Yokoi 北海道帯広市生まれ。音楽専門誌等に執筆、 雑誌・CD等に写真を提供。ドイツ年協賛企画『伯林大都会-交響楽 都市は漂う~東京-ベルリン2005』、横浜開港150周年企画『横浜発-鏡像』(2009年)、A.v.シュリッペンバッハ・トリオ2018年日本ツアー招聘などにも携わる。フェリス女子学院大学音楽学部非常勤講師「音楽情報論」(2002年~2004年)。著書に『アヴァンギャルド・ジャズ―ヨーロッパ・フリーの軌跡』(未知谷)、共著に『音と耳から考える』(アルテスパブリッシング)他。メールス ・フェスティヴァル第50回記。本『(Re) Visiting Moers Festival』(Moers Kultur GmbH, 2021)にも寄稿。The Jazz Journalist Association会員。趣味は料理。当誌「副編集長」。 http://kazueyokoi.exblog.jp/

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