Reflection of Music vol.34 ローレン・ニュートン

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ローレン・ニュートン @横濱ジャズプロムナード2002
Lauren Newton @Yokohama Jazz Promenade 2002
Photo & text by Kazue Yokoi 横井一江

今、リリースされたばかりのCD『スキップ・ザ・ブルース/佐藤允彦&ローレン・ニュートン』(地底レコード)を聴き終えたところである。1982年ドイツ文化センターでの第16回パンムジーク・フェスティヴァルと池袋にあったスタジオ200での1986年のライヴ録音である。CDを聴いているうちに、80年代という時代の空気感が朧気ながら甦ってきた。そして、声が「歌」という領域を超えて、楽器的表現により踏み込み、即興音楽周辺で個性的なパフォーマーがどんどん出てきたのが80年代だったことを思い返していたのだった。

60年代から70年代にかけて、フリージャズに端を発し、より独自の即興表現を追求するなかで、楽器奏法をどんどん深化させ、新たな表現を獲得していったミュージシャンがいた。だが、その主役は楽器奏者で、中にはフリージャズの文脈からヴォイス・パフォーマンスの先鞭をつけたパティ・ウォーターズやリンダ・シャーロックといった歌手もいたが、稀な存在に過ぎなかった。それは、声の表現において密に繋がった「歌」そして「歌詞」との回路ゆえだったのかもしれない。

80年代に入ると「声」がざわめき始めた。現代音楽では拡張奏法で知られるメレディス・モンクの『ドルメン・ミュージック』(ECM)がリリースされ、デモーニッシュな歌姫ディアマンダ・ギャラスが登場、またフィル・ミントンも自己のヴォイスによる表現を一層拡張したパフォーマンスを行う。メールス・ジャズ祭では、ローレン・ニュートン、ウルスラ・ズディアク、ジーン・リー、ジェイ・クレイトンによるヴォーカル・サミットが出演、そしてボビー・マクファーリンも参加した編成でLPがリリースされた。ヴォーカリーズやスキャットだけではなく、息音、喉声、はては嬌声、呼吸そのものまで人それぞれ発声や身体機能を駆使し、声を喉を身体を楽器とするヴォイス・パフォーマンスがあちこちから立ち現れてきたのが80年代初頭だった。その中の際立った才能のひとりがローレン・ニュートンだったのである。

ところで、なぜこのような変化が訪れたのだろう。フリージャズもその後にヨーロッパで起こったフリー・ミュージックも70年代の終わりには、もはや新しい音楽、先鋭的な音楽ではなくなった。60年代という若者にとっての政治の時代は終わったが、カウンターカルチャーが隆盛し、ハイカルチャーの権威が揺らいだことで、芸術文化に質的な転換をもたらしたのではないか。その後日本的な意味合いでのサブカルチャーが起こってきた要因がそこにあるように私は思う。その典型が、文化的な方向感が失われた混沌とした70年代末のニューヨークのアンダーグランドに集まってきた次代を担う若い世代のミュージシャン達の活動である。ジョン・ゾーンもその中のひとりで、彼がコブラを発表したのも80年代半ばで、あちこちに伝播していったのである。バックグラウンドが異なるミュージシャンによる共演も増え、現代では当たり前となったノイズも含めた多様なオルタナティヴな表現が即興音楽界隈で広まったのが80年代ではなかったか。声も然りだったのである。

1982年の第16回パンムジーク・フェスティヴァルでローレン・ニュートンが初来日したのは、タイムリーな出来事だったのだと今にして思う。パンムジーク・フェスティヴァルは日独現代音楽祭が元になった現代音楽のフェスティヴァルだが、第16回のテーマは「ジャズと現代音楽」ということで、作曲家石井眞木に加えて日独の評論家、副島輝人とヨアヒム・E・ベーレントが企画に参加したことで、このような顔合わせもまた実現したのだ。しかし、私自身は残念ながらCD化されたそのステージは観ていない。今考えると惜しいことをしたと思うが、後悔先に立たずである。ピアノと声=身体がまるで楽器同士のように渡り合うコラボレーションは今聴いても新鮮さを失っていない。佐藤允彦の巧者ぶりもまた際立っており、共演者の選定もまた絶妙だったといえる。

オレゴン出身のローレン・ニュートンだが、シュトゥットガルトに留学して現代音楽を学んでいた。マティアス・リュエグと知遇を得たことから、ウィーン・アート・オーケストラ設立時にメンバーとなるのである。私が最初に彼女の名前を見たのもウィーン・アート・オーケストラのファースト・アルバム『タンゴ・フロム・オバンゴ』だった。そこではヴォイスが参加しているという以上の強い印象は残らなかった。アルバムということでは、その後に彼女自身がリリースした『タンブル』を聴いた時、ヴォイスの可能性が大きく拓かれたように感じたことは今でも記憶に残っている。そして、ウィーン・アート・オーケストラ10周年の1987年、メールス・ジャズ祭で観た時に、まるで楽器のようにアプローチするローレン・ニュートンに声もまたここまで楽器と対等な立場になり得るのかという驚きと感慨を持ったのだった。

1990年にウィーン・アート・オーケストラ退団以降は、ヴォーカル・カルテット「タンブル」を結成、またジョエル・レアンドレ、アンソニー・ブラクストンを始めとする多くのミュージシャンやダンサー、アーティストと共演している。写真は2002年横濱ジャズプロムナードに沢井一恵、齋藤徹と共に出演した時のもの。度々来日しているローレン・ニュートンだが、このセットは異なったバックグラウンドを持つ三者の音楽的な感性が即興という線上で見事に共鳴したステージだった。また、最近リリースしたフィル・ミントンとのデュオ『O HOW WE』(ダウンロード版のみ)では、まるで不条理演劇を観ているかのような世界を繰り広げている。

身体そのものを楽器とするローレン・ニュートン、幅広い音域、色彩に例えるならば淡く仄かな色あいから濃く濁った色調まで豊かな音色を持ち、変幻自在にその響き、表情を操りながら、ヴォイスの限界を超えるように時に音響的に時に演劇的に即興パフォーマンスを行う。ノイジーでダーティなサウンドを発する時も決して品格を失わない。彼女が創り上げたパーソナルな音空間には、いつも毅然とした美しさが保たれている。私は彼女のヴォイス・パフォーマンスのそのような世界に惹かれているのだ。

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横井一江

横井一江

横井一江 Kazue Yokoi 北海道帯広市生まれ。The Jazz Journalist Association会員。音楽専門誌等に執筆、 雑誌・CD等に写真を提供。海外レポート、ヨーロッパの重鎮達の多くをはじめ、若手までインタビューを数多く手がける。 フェリス女子学院大学音楽学部非常勤講師「音楽情報論」(2002年~2004年)。著書に『アヴァンギャルド・ジャズ―ヨーロッパ・フリーの軌跡』(未知谷)。趣味は料理。当誌「副編集長」。 http://kazueyokoi.exblog.jp/

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