Reflection of Music vol. 47 ファマドゥ・ドン・モイエ

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ファマドゥ・ドン・モイエ@メールス・ジャズ祭1996
Famoudou Don Moye @Moers Festival 1996
Photo & text by Kazue Yokoi 横井一江


1996年のメールス・ジャズ祭のオープニングは、アンドリュー・シリル、ファマドゥ・ドン・モイエ、タニ・タバルによる「ピーセス・オブ・タイム」だった。聖霊降臨祭の週末に毎年開催されるメールス・ジャズ祭の当時の会場はサーカス・テントで、それが設営された公園には色とりどりの小さなテントが並び、ジャズ祭を観に来た人もそうでない人も開放的な空気を楽しんでいる。公園のあちこちからパーカッションをパタパタと叩く音が聞こえた。そのような光景を眺めながら、ずっと昔に読んだイシュマエル・リードによるネオ・ブードゥイズムについての文章が「ダンスとドラムは言葉よりも先に生まれた」という一文で始まっていたことを思い出していた。それは太古のアフリカ、19世紀のニューオリンズ。だが、時空を越えてメールスでもその鼓動を受け止めているのではないかと感じながら、25周年を迎えたジャズ祭が3人のドラマーによるプロジェクトで始まったことはその場に似つかわしいと私は思ったのだ。

80年代からドン・モイエはアンドリュー・シリルとこのプロジェクトを他のドラマーも交えながら行っていたが、このような企画がレコード化されることはまずないので、ステージを観ることが出来たのは幸運だったのだろう。いずれも秀でたドラマーだが、3人並ぶとその個人技の違いがよくわかって愉快だった。残念ながら観る機会を逸したが、その前年はイーノック・ウィリアムソンとの大編成のパーカッション・アンサンブル「サン・パーカッション・サミット」でメールス・ジャズ祭に出演していた。後にそのアンサンブルでアフリカン・ディアスポラをテーマにCD『アフリカン・ソング』(AECO) をリリースしている。

このように、ドン・モイエの広範な打楽器サウンドに対するこだわりは、通常のジャズ・ドラマーのそれを遙かに越えている。最初の個人名義のアルバムは『サン・パーカッション』(AECO)、打楽器によるソロだった。それはなぜか。デトロイトでの大学生時代からアフリカのパーカッションも学んでいた彼は、プロとしての活動する以前からドラマーであり、パーカッショニストだったのだろう。またミュージシャンとしてのキャリアのスタートとなったグループ「デトロイト・フリー・ジャズ」で渡欧した後、北アフリカにも滞在し、モロッコではグナワに触れている。タンジールでクラブを経営していたランディ・ウェストンともそこで会ったという。また、パリでもさまざまなアフリカの打楽器奏者に出会い、学ぶ機会があったことも大きいといえる。

ドラマーの常かもしれないが、ドン・モイエはキャリアの初めから今までさまざまなグループやセッションに参加してきた。「デトロイト・フリー・ジャズ」がコペンハーゲンで解散後、ローマやパリでスティーヴ・レイシーのグループに一時加ったり、当時渡欧していた多くのアメリカ人ミュージシャンと共演している。そしてまた、ローカルな音楽シーンで活躍していたミュージシャン、例えばローマのマリオ・スキアーノやマルチェロ・メリスのような人達との出会いもこの時期から始まっていた。

とはいえ、ドン・モイエと言えば、「アート・アンサンブル・オブ・シカゴ (AEC)」だ。パリでAECの5人目のメンバーになったのは1970年。各メンバーがリトル・インストゥルメントを用いたり、パーカッションを叩くように多楽器主義で、黒人音楽をその文化的なものも含め総合的にくみ上げていくAECへの参加は、巡り合わせというよりも必然だったように思う。AECについてはよく知られているので、ここでは紙面を割かないが、ドン・モイエの加入によって多様性が増したといえる。そしてまた、AECがいわゆる「前衛」を体現していた時代が過ぎ去っても、「グレイト・ブラック・ミュージック」を標榜するに値するグループとして存続し続けたのも扇の要たるドラマーの存在があってこそだったと考える。そしてまた、彼はマネージャーとしての役割も果たしていた。

世界中に優れたジャズ・ドラマーは沢山いる。しかし、アフリカとカリブのパーカッションにも精通していて、音楽経験を双方向に反映させている者は多くはない。ドン・モイエはそんな希有なドラマー/パーカッショニストの一人である。重厚なバスドラの上に賑やかに展開するドラミング。パーカッションによるサウンドも多様なリズムとグルーヴを起こす。その作品では時にポリフォニーによってイメージを喚起し、写真で言うならば多重露光のような世界を出現させることさえある。

近年、その活動はあまり伝わってこなかったが、2015年グラミー賞にノミネートされたアーチー・シェップ・アッティカ・ブルース・オーケストラ『ライヴ-アイ・ヒア・ザ・サウンド』(Archieball) で久々にドン・モイエの名前を見つけ、その健在ぶり知った。マルセイユに居を移してからもマイペースで活動しているのだろう。最近作はイタリアの Caligola からリリースされたマリ出身のグリオであるババ・シソコとイタリアのアントネッロ・サリス(ピアノ、アコーデオン)との共演盤。イタリアではフェスティヴァルにも一時毎年のように出演していただけではなく、ワークショップも行っており、ローカル・ミュージシャンとの交流も深い。

来る10月、生活向上委員会東京本部(原田依幸、梅津和時)の招きでドン・モイエが約20年ぶりに来日するが、この邂逅はなにをもたらすのか。間もなく日本の音楽シーンに一石が投じられる。なにかが起こる予感を楽しみに会場に足を運ぶことにしよう。

「生活向上委員会2016+ドン・モイエ」公演情報
https://www.facebook.com/seikoui2016/

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横井一江

横井一江

横井一江 Kazue Yokoi 北海道帯広市生まれ。The Jazz Journalist Association会員。音楽専門誌等に執筆、 雑誌・CD等に写真を提供。海外レポート、ヨーロッパの重鎮達の多くをはじめ、若手までインタビューを数多く手がける。 フェリス女子学院大学音楽学部非常勤講師「音楽情報論」(2002年~2004年)。著書に『アヴァンギャルド・ジャズ―ヨーロッパ・フリーの軌跡』(未知谷)。趣味は料理。当誌「副編集長」。 http://kazueyokoi.exblog.jp/

5 thoughts on “Reflection of Music vol. 47 ファマドゥ・ドン・モイエ

  • 稲岡編集長
    2016年8月4日 at 10:22 AM
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    ドン・モイエは意外にも?NY・ロチェスター(NY州北西部、オンタリオ湖岸)の生まれなんですね。
    大学がミシガン州立ウェイン大学でデトロイトにある。現地の「デトロイト・フリー・ジャズ」というグループに参加してヨーロッパ楽旅に出る(1968〜9)。ローマでスティーヴ・レイシーと共演 (1969) した後、翼1970年、パリでアート・アンサンブル・オブ・シカゴに参加する。
    以上、人名辞典からの引用ですが、自分のなかでの missing ring が完成した気がしました。備忘録として。

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    • 編集部
      2016年8月4日 at 8:36 PM
      Permalink

      はい、コダックの街、ロチェスター出身です。すっごい偶然だったのですが、私の知人とドン・モイエが小学校高学年の時、同級生だったのですよ!ドン・モイエはオハイオのセントラル州立大学に入学し、その後デトロイトのウェイン大学に移っています。理由は音楽的な環境でしょう。デトロイトの学生時代にAECのコンサートに足を運んでいたようです。AECが自費出版した書籍にメンバーのインタビューが載っていて、いろいろなことを話しています。

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  • 稲岡編集長
    2016年8月5日 at 12:15 PM
    Permalink

    それはまた奇遇ですね。ドン萌え〜。その知人は米人ですか?

    Reply
  • 稲岡編集長
    2016年8月5日 at 12:21 PM
    Permalink

    それはまた奇遇ですね。その知人は米人ですか?

    Reply
  • 編集部
    2016年8月5日 at 12:51 PM
    Permalink

    アメリカ人でメールスにも行ったことのあるジャズファンです。今どうしているのかなぁ。

    Reply

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