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~No. 201GUEST COLUMNR.I.P. セシル・テイラー

特別寄稿 未知への跳梁 – セシル・テイラーと田中泯

未知への跳梁
– 1994年9月17日 ニューヨークSOHOでのセシル・テイラー+田中泯 の歴史的公演を振り返る

text by Velibor Pedevski ヴェリバー・ペデヴスキ
translated by Kenny Inaoka 稲岡邦彌

セシル・テイラーは好奇心のかたまりのような男である。音楽は言うに及ばず、詩、建築、演劇、文学。そしてダンス。所作がいつもセシル・テイラーのアートの核心であり続け、僕らが何年にもわたって交わした無数の会話の主要な話題のひとつであった。所作にはクラシック・バレー、モダン・ダンス、フラメンコ、アフリカン・ダンス、あるいは舞踏(ブトー)が含まれる。セシルは、自分が贔屓にするミュージシャンたち、ベティー・カーター、ホレス・シルヴァー、デューク・エリントン、エルヴィン・ジョーンズ、アート・ブレイキー、アビー・リンカーン、ビリー・ホリデイたちの身のこなしを注視しているなかにもダンスを認識している。ひとたび会えば、カルメン・アマヤ、ルドルフ・ヌレエフ、ミハイル・バリシニコフ、マヤ・プリセツカヤ、マーサ・グラハム、田中泯の名前が次々に飛び出し、彼らの素晴らしさについて語っているうちにまるで子供のように夢中になってくるありさま。彼の部屋には、バリシニコフから届いた手紙などが無造作に置いてあったりする。もう何年も前の話になるが、初めてヌレエフのダンスを観たあと、ヌレエフの詩を書いたと聞かされたこともある。セシル・テイラーの場合、ダンスや所作がセシルにまつわるあらゆることと無関係でなくなってくる。

だから、他の多くの偉大なダンサーたちの名前と同じように、田中泯の名前が挙がってきても何ら驚くことはない。テイラー氏は歌舞伎、とくにその声色と所作には格別な興味をもっており、歌舞伎の現代的な発展形とみなしている舞踏(ブトー)に対する関心は並大抵のものではない。現代の優れた舞踏(ブトー)の踊り手のひとりである田中泯との共演は1988年に遡る。ちなみに、彼はセシルの16才年下。そう頻繁というわけではないが、この傑出したふたりのアーティストがお互いに相手を必要と感じた場合にはいつも場を(観客を含めて)共有してきた。今年の「京都賞」受賞にあたり、テイラー氏が京都で挙行された式典参加の労を厭わなかっただけでなく、田中泯を相手に招き、祝典のための演技に加え、数日後には東京でも公演を行うというまれに見る機会を持ったということはモダン・アートにとってきわめて重要なことであるといわねばならない。

Min Tanaka & Cecil Taylor, September 17, 1994 photo: ⓒJudy Rhodes

当然のこととして、この出来事は、当事者のひとりでもあった私に1994年にニューヨークで行われたセシル・テイラーと田中泯の伝説的な公演を思い出させることになった。この公演の前後10年間にわたって私はテイラー氏のブッキング・エージェントとマネジャーを務めていた。ハウストン・ストリートとプリンス・ストリートに囲まれたソーホー地区の一角、マーサー・ストリートの街路というきわめてユニークな場所で行われたこの歴史的なイベントはいまだに多くのニューヨーカーたちの胸に深く刻み込まれているが、そのイベントに係われたことは個人的にたいへん名誉なことと思っている。「セシル・テイラー+田中泯コンサート」は、グゲンハイム美術館の“ワークス&プロセス~パーフォーミング・アーツ・シリーズ”の一環として2日間にわたって行われた。“ワークス&プロセス”はグゲンハイム美術館の評議員のひとりであったメアリー・シャープ・クロンソン夫人によって1984年に開始され、美術館の手を離れた以降も含めて約30年間にわたってアーティストとパーフォーミング・アーツを一般市民の手の届くところに置いてみるという目的のために続けられてきたイベントである。この素晴らしいシリーズの趣旨のひとつは、アーティストの創造行為を演技だけではなく、アーティストとの会話をも通して伝えることにあった。であるから、デュオ・コンサートの前後一日ずつが会話のための日程にあてられていた。

田中泯自身の振付けによるソロとセシル・テイラーのソロ・ピアノ公演は「アヴァンガルド」と名付けられた。場所は、ブロードウェイとプリンス・ストリートが交差する一角で、1992年にオープンしたグゲンハイム美術館ソーホーというグゲンハイム美術館のアネックスの横、メインのストリートから入ったスペースである。ちなみにグゲンハイム・ソーホーは日本の著名な建築家、磯崎新の設計になるものだが、惜しくも2001年には閉館した。「アヴァンガルド」の前夜祭はグゲンハイム・ソーホーで行われ、4人の主要な賓客、田中泯、セシル・テイラー、作家のスーザン・ソンタグ、日本文化の権威、コバタカズエ(木幡和枝)がパネル・ディスカッションを行った。

Cecil Taylor , September 17, 1994 photo: ⓒAriane Lopez Huici

ニューヨーク・ソーホー地区でのこの歴史的な公演に先立つこと数週間前に行われたインタヴューで、セシル・テイラーは田中泯との共演について彼がどのような準備を行ったか簡単に説明している。

その内容は以下の通り;
“この田中泯との共演では3つの分野について取りかかっている。まず、ピアノに向かう道筋とどのような所作をするかについて。ヴォイスの使い方と使用する言語について。つまり、アフリカの言葉を翻訳するか、ネイティヴ・アメリカン・インディアンの言葉を翻訳するか、歌うか、詠唱するか。そして、音楽がある。音楽の特殊な音響組成。これらのことについて準備しつつ素晴らしい時を過ごしている。当日は特別な人たちが来場することを知っている。なぜって、彼らは来るに決まっているからだ。そして彼らを驚かせてやりたい。そのために特別なことを準備している。公演当夜、すべてを忘れて陶酔できるレヴェルに達することができるかどうか確認するために。”

Min Tanaka, September 17, 1994 photo: ⓒAriane Lopez Huici

この野心的なアイディアを実現するために、オーガナイザーであるグゲンハイム美術館はソーホー地区のもっとも繁華な中心部であるマーサー・ストリートの特定のブロックを終日閉鎖し、セシル・テイラーと彼のベーゼンドルファー・インペリアルのためのステージと10メートル離れて田中泯のためのステージを設置する許可を市当局から取得する必要があった。会場は熱狂的な観客に埋め尽くされたが、内容は彼らの期待に充分応えられるものであった。しかし、このふたりが係わるイベントはいつも予見や期待は無用である。テイラー氏と田中氏はお互いを驚かせるためにつねに目を離さず、結果として比類のない共演の美しさを実現するのである。これらふたりの真のマスターの公演をニューヨークの観客のために提供するのはじつに刺激的であった。日本文化を良く識るセシル・テイラーと、時には火山のように爆発するもののふたりの共演では内省的で陰影に富んだ演奏を披露するアヴァンガルドかつ創造的な即興音楽の創始者のひとりであるセシル・テイラーに見事に反応する田中泯の演技。

このふたりはその後、1996年7月にマサチューセッツ州ベケットでのジェイコブズ・ピロウ・ダンス・フェスティバルで再び相見えることになったのだが。ニューヨーク・ソーホーの中心地での歴史的な公演からほぼ20年後の今年、この傑出したふたりによる唯一無比の芸術に魅了される体験を再び味わうことができようとは誰が信じ得たであろうか。

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執筆者紹介;
Velibor Pedevski ヴェリバー・ペデフスキはニューヨークを中心に活躍するマケドニア出身のサウンド・デザイナー。同時に、セシル・テイラー、アンソニー・ブラクストン、ヘンリー・スレッギル、ムーハル・リチャード・エイブラムス、ワダダ・レオ・スミス、 ロウレンス“ブッチ”モリス、サム・リヴァース、アンドリュー・ヒル、ロナルド・シャノン・ジャクソン、キップ・ハンラハン、ジョン・ルーリー&ザ・ラウンジ・リザーズ、レジー・ワークマン等々、多くの当代もっとも重要な創造的ミュージシャンの数々のコンサートを長らくコーディネイトしてきた。また、35年間のジャーナリストとしての実績があり、1993年から14年間にわたってニューヨークのニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチ校のコンテンポラリー・ジャズ専攻科教授を務めていた。
他に、アンソニー・ブラクストンの作品専用のレーベル、ブラクストン・ハウスの共同オーナー、自身の11作のアルバムをリリースしたハードエッジ・レーベルのオーナーでもある。
アーティストとして、ヴェリバー・ペデフスキは、ハードエッジのステージ・ネームの下、ソロやブッチ・モリス、ワダダ・レオ・スミス、ブランドン・ロス、ダグ・ヴィーセルマンと実演、録音の実績を残している。

facebook.com/hardedge2
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初出:Jazz Tokyo  #192 November 24, 2013

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