136. ハーモン・メハリ Hermon Mehari(trumpet, composer, arranger)

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ハーモン・メハリ
Hermon Mehari(trumpet, composer, arranger)
1987年7月25日ダラス生まれ。5才の時にミズーリ州、ジェファーソン・シティへ移り、2006年より UMKC (ミズーリ大学カンザス・シティ校)で学ぶためにカンザス・シティへ移住。大学ではボビー・ワトソンに師事する。ハイスクールの学生の頃よりプロとしての演奏活動を始め、現在カンザス・シティで若手ナンバー1のプレーヤーとして活躍する一方、フランス、スイス、スペインでの活動も積極的に行う。
2008年ナショナル・トランペット・コンペティション優勝、2010年インターナショナル・トランペット・ギルド・ジャズ・コンペティション2位、2014年インターナショナル・セロニアス・モンク・コンペティションではセミ・ファイナリストとなる。
2009年、自らリーダーを務めるバンドで『DIVERS 』、2014年『Our Journey』のCDをリリースするほか、ボビー・ワトソンの最新作『Check Cashing Day』やマイク・メセニー、スタン・ケスラーといったカンザス・シティ在住ミュージシャンとの『A Kansas City Trumpet Summit』等のレコーディングにも参加。また、ジャリール・ショウ、ランディ・ブレッカー、ヒューバート・ロウズ、ベン・ヴァン・ゲルダーやマット・ブリュワー等との共演も行う。
4月末から約3週間、アジアで活動を広げていく足がかりとしてのネットワーク作りのために東京に滞在。
Interviewed by Yoko Takemura @ Tokyo, May 21th, 2015
Photo by Kenichi Iwai ( http://www.ken-iwai.com )


JT: 今回東京に滞在した目的は?
僕が日本を訪れたのは、アジアでの演奏の機会をもっと作るためです。僕はアメリカとヨーロッパでは、かなり勢いよくやっていると思います。フランス、スペイン、スイスでのツアーを行いました。クレルモン=フェランのJazz en Tête といったフェスティバル、スイスのルガノでのBlues to Bop Festival、フランスのクラブやバルセロナ他、いくつかの都市でもネットワークをつくって来ました。 でもアジアでは全く何もありません。それで、僕は日本のミュージシャンとジャズを良く理解したジャズ業界の人達とネットワークを作りたかったのです。

JT: 東京は初めてですか?
はい!今回が初めての来日です。

♪ あなた自身について

JT: ではまず、最初にあなた自身の事について伺います。出身は何処ですか?生年月日は?
1987年7月25日、テキサス州ダラス生まれです。5才の時にミズーリ州ジェファーソン・シティに移り、2996年ハイスクールを卒業してからカンザス・シティに移りました。

JT: 音楽的に恵まれた環境に育ちましたか?いつ頃からどんな音楽を楽しむ様になりましたか?
音楽的には全く恵まれた環境ではありませんでした。両親も親戚の誰も音楽をやっていませんでした。僕がまだうんと小さな頃から音楽を楽しみ始め、最初に好きになったミュージシャンはマイケル・ジャクソンでした。その後60~70年代に流行ったリズム&ブルース、80~90年代に流行ったポップミュージックなんかが好きでした。

JT: 音楽について何か特別な想い出はありますか?
僕は小学校でMr.フラワーズという素晴らしい音楽の先生に出会いました。その先生は、 僕が音楽の演奏を追求し始めるずっと前に、僕に音楽に対する興味をもたらしてくれました。彼の影響と音楽に対する情熱は、僕が中学校で真剣に音楽に取り組み始めた頃には、僕の中にすっかりしみ込んでいたと思います。

JT: いつ頃、どうしてトランペットを始めましたか?
いろんな楽器を試してみたけど、トランペットが僕にとって演奏し易かったからです。特に深い理由は無いです。13才、中学1年の時にトランペットを始めました。後は、作曲のためにピアノを少しと、リズムをとるためにドラムをちょっとかな?唄う事も少し勉強しています。

JT: どんなミュージシャンに影響を受けましたか?
ジャズをプレイし始める前には特に大きな影響を受けた事はありませんでしたが、最初の頃はマイルス・デイヴィス、カウント・ベイシー、デューク・エリントン、チャーリー・パーカーとディジー・ガレスピー。ハイスクールに入った頃には、フレディ・ハバード、ジョン・コルトレーン、クリフォード・ブラウンとケニー・ギャレットに影響を受けました。

JT: 好きなミュージシャンは?
僕のお気に入りはチャーリー・パーカーとジョン・コルトレーン。今、生きてる人ではローガン・リチャードソン!

JT: いつ頃ジャズを聴き始めましたか?最初の印象は?
中学校の時にジャズのインプロヴィゼーションのクラスをとった頃から、ジャズのCDを買い始めました。レコード屋に行って、マイルス・デイヴィスのセクションを見つけたんです。どうしてって、彼の名前を覚えていたから。ランダムにピックアップした『カインド・オブ・ブルー』が気に入ってしまった!それを何度も何度も聴きました。それがジャズCDを収集し始めたきっかけです。

JT: あなたの学歴について聞かせて下さい。
ジェファーソン・シティ・ハイスクールで学び、ジャズバンドに入りました。それからUMKC ( University Kansas City of Missouri )のコンサヴァトリー・オブ・ミュージック&ダンスでBA( Bachelors of Art) の学位をとるために入り、学びました。

JT: 大学はどうしてUMKC で学んだのですか?ニューヨークや他の都市に行こうとは思いませんでしたか?
大学を選ぶ時、ボストンのバークリー、ニューヨークのイーストマン・スクール・オブ・ミュージックとUMKCという選択肢がありました。僕はバークリーとイーストマンから全面的に奨学金を受け取るに相応しい、と判断されましたが、最後にUMKCを選ぶ決断をしました。それは、全面的に奨学金を得る事が出来たのと、ボビー・ワトソンの強い誘いがあったからです。

JT: ボビー・ワトソンから何を学びましたか?
ボビー・ワトソンはとても色々な事を教えてくれました。彼は音楽のディレクターである事はもとより、伝統的な振る舞いやマナーについても教えてくれました。これは他の多くの大学にあるジャズ・プログラムとは違い、もっとアカデミックで格式の高いものです。ボビーに学ぶにはまず、自らの音を出していかなくてはならない。そして人に頼らないで自分の音をしっかりと掴んでなくちゃ。すべての偉大なジャズ・ミュージシャンは常に知識に対してもハングリーであり、学んで成長する為に自分自身を押し出していったと思います。

JT: プロとしてのスタートはいつですか?
ハイスクールに通っていた15~16才の頃には毎週ミズーリ州の中央エリア辺りで働き始めていました。大学に行くためにカンザス・シティに移ってからすぐに、カンザス・シティ・エリアとアメリカ中を廻り、働き始めました。卒業する頃にはもうフルタイム働くミュージシャンでインターナショナルに旅行もしていました。

JT: どんなミュージシャンになりたいですか?
僕は、既にそうなってると信じたいんだけど、世界中の色んなジャンルの音楽に自分のヴィジョンを投影して演奏していきたい。リーダーとしても他のプレイヤーのための貴重なサイドマンとしてもね。

JT: 音楽以外に何が好きですか?何か特技はありますか?
旅行、歴史、読書、そしてコーヒーと食べる事が大好きです。(笑)僕はエスプレッソの熱烈な愛好家で、旅行しながらもコーヒーを飲む事を楽しんでいます。

♪ カンザス・シティでの活動について

JT: カンザス・シティでは、どんな活動をしていますか?
カンザス・シティでは週に4~5日働いています。仕事の85%はジャズで、ほとんど僕のトリオかカルテットでスタンダードをやっています。時々、僕のグループの「DIVERS」や素晴らしいヴィブラフォーン奏者のピーター・シュランブと一緒にやります。ほとんどジャズクラブで、ブルールーム、グリーン・レディ・ラウンジ、ブロードウェイ・ジャズ・クラブ、テイク・ファイブ・コーヒー・バーやジャズをフューチャーしているレストランのマジェスティックやサ・ヴァなんかでもやっています。それから、ポップ、ヒップホップ、ソウルグループやロックグループなんかでも時々やっています。

JT: カンザス・シティでは教えていますか?
4~5人のトランペットの生徒を教えています。カンザス・シティ・オール・スター・ハイスクール・ジャズ・バンドのディレクターも数年していました。また、いくつかのマスタークラスも持っています。 教える事はとても楽しいです。僕の生徒達に一番教えたいのは、自分自身を教えられるようになることです。

JT: 作曲、アレンジもしますか?
はい、します。僕の作曲のほとんどは僕のグループ、「DIVERS」のための物です。

JT: あなたのグループ、「DIVERS」について説明して下さい。
ライアン・リー(ds)ベン・リーファー(b)と僕で僕がまだ学生だった2007年にスタートしました。僕達は若い人達がジャズに近づくための歯車の様になりうるグループを作りました。当時カンザス・シティはまだ若い世代のミュージシャン達はオリジナルの音楽を演奏していませんでした。僕達は2008年にアイダホ州ボイセで行われたジーン・ハリス・ジャズ・コンペティションで優勝しました。それが初レコードディングの『DIVERS』に繋がりました。

JT: 新しいCD 『Our Journey』について伺います。どんなコンセプトのCDですか?
『Our Journey』はパリを旅行した時の僕達のランドマークです。
僕達は2010年にはじめてツアーを行ってから7回パリに行っています。僕達はフランスのピアニスト、トニー・ティクシエールとコラボレーションを始めました。カンザス・シティにも何度か彼をよんで演奏しました。コンコード・レーベルに所属する、驚異的に素晴らしいサキソフォーン・プレイヤーのローガン・リチャードソンはカンザス・シティで生まれました。彼はアーマド・アラディーンの元で学び10年程ニューヨークに住み、パリに移りました。すべての曲は2010年から2012年に僕達がパリを旅行したその頃に書きました。そしてパリの郊外でプロデュースしました。

JT: どうやってプロデュースしたのですか?
僕達が基金を作り、セルフ・プロデュースしました。あの頃、僕達はどんな音楽をやりたいか、クリアーなヴィジョンを持っていました。

♪ 2014年、セロニアス・モンク・コンペティションでの体験

JT: 昨年、セロニアス・モンク・コンペティションに参加した時の体験について、聞かせて下さい。
モンク・コンペティションはとてもユニークな体験でした。僕は偉大なトランぺッター達に囲まれて、高く杭で打ち付けられた様な状況になりました。(笑)僕のゴールはそのプレッシャーの中でベストの演奏が出来る事でした。審査員はロイ・ハーグローヴ、アルトゥーロ・サンドヴァル、ランディ・ブレッカー、ジミー・オウエンス、アンブローズ・アキムシーレそしてクインシー・ジョーンズでした。

JT: あなたは優勝できなかった理由をどう考えますか?優勝者と自分に何か違いがあったと思いますか?
難しい質問ですね。 僕はあの状況の中でよく演奏出来たと思っています。ジャッジは僕の手にはゆだねられません。すべてのミュージシャンが特別なテイストを持っていました。
僕は人と違ったサウンド、アイデア、フィーリングを持っていると思っています。優勝者のマーカス・ヒルは僕の好きなトランペットプレイヤーです。

JT: あなたは多くのコンペティションで優勝し、良い成績を残していますね。この経験から何を学び、自分の演奏に役に立っていると思いますか?
僕はこの経験から、自分自身を信用して信じる事を学びました。はい、確かに演奏に役に立ちます。でも、僕は実際にコンペティションはあまり好きではないです。どうしてかって、現実的な音楽の世界の中で、とっても不自然なものでしょ?!

♪ 東京滞在・・・すっかり東京が好きになってしまった!

JT: 初めて訪れた東京の最初の印象は?
僕は東京が大好きになりました!いろんな意味で、驚異的に素晴らしい所です!食べ物、景色、音楽、人々、建築、日本美術などなど。

JT: 何が一番エキサイティングでしたか?何かカルチャーショックを受けましたか? 何でも感じた事を自由に話してみて下さい。
僕の今回の東京滞在のハイライトの一つにミシュラン3つ星の日本食レストラン『いしかわ』での食事、というのがありました。僕は食べる事が大好きで、ここでの素晴らしい食事の虜になってしまいました。すべてが新鮮で美しかった。これは僕が今まで自分の人生の中で口にした最も美味しい食事の一つで、素晴らしい体験でした!
今回体験した食べ物に関して、少し話をさせてください。東京に来て、すぐ寿司屋に行きましたが、もうカンザスで鮨は食べられません。フレッシュで美味しくてアメリカとはレベルが違う。何度も同じ店に行きました!特に初めて食べた“穴子”がとても気に入り、築地に行った時に穴子を買い、宿泊先のキッチン付ホテルで料理してしまいました!凄く良く出来て美味しかったですよ!(爆笑)刺身、蕎麦やうどん、焼き鳥、天麩羅、まい泉のトンカツも最高だったし、今まで食べた事のない筍やレンコン、茗荷も美味しかった。滞在中はほとんど毎日、日本食を食べていました。日本食のスタンダード(ご飯、味噌汁、魚、漬け物)はとてもヘルシーで欧米とは全然違って、このライフスタイルは僕にはとても魅力的です 。デザートでさえ、甘すぎずヘルシーでとても気に入りました。
それからコーヒーがとても美味しい。世界中で最も美味しいエスプレッソ・コーヒーが東京にはあります。下北沢の『Bear Pond Espresso』と『Omotesando Koffee』です。
東京の街はクリーンで美しい。人々がとても親切で礼儀正しいです。多くの人達に会いましたが、皆親切で人の話をよく聞き、辛抱強い。僕は東京にいて多くの事を学び、成長したと思います。
東京には、エキサイティングな事が山程あります。僕が一番印象に残った事は、東京では様々な物が手に入る、という事です。ここには誰に対しても何かがいつもある、という印象を受けました。それは色んな側面であり、ビジネスでも、文化面でも社交の場でも旅行者にとってもです。
勿論、日本とアメリカの文化の違いは感じていましたが、カルチャーショックはありませんでした。どうしてかというと、アメリカでも日本の文化は好きで本を読んだり、歴史を勉強したり、アニメを見たり、映画を観たりしていましたから。黒沢明作品のDVDはほとんど持っています。
あ、それから、東京はどこに行ってもジャズが流れていますね。築地市場の小さな店でも街中でもレストランでも。(笑)

♪ 刺激的だった東京での音楽活動

JT: 東京に来る前に、日本のミュージシャン達と何か特別なコネクションはありましたか?誰か、日本のミュージシャンで知り合いはいましたか?
来日前は誰一人いませんでした。ホンの少し、友達の友達くらいでした。僕はセロニアス・モンク・コンペティションで曽根真央に会っていますが、彼はボストン在住です。

JT: 東京に来て最初にした事は?
一番最初にした事は、高田馬場のIntroへ行き、ジャム・セッションにシット・インした事です。

JT: 日本のミュージシャンについての印象を話して下さい。
まず、東京にはとても沢山ミュージシャンがいる、という事です。そしてみんな演奏する事を愛しています。そんな刺激的なシーンが見られたのは、驚くべき事でした!

JT: 最も印象的だった日本のミュージシャンは?
僕は本当に沢山のミュージシャンに会いました。一緒に演奏して、本当に楽しめたミュージシャンが何人かいます。鈴木良雄(b)、岡崎好朗(tp)、中島朱葉(as)、田中菜緒子(p)、そして楠井五月(b)です。良雄は真にベースを理解しており、その演奏は素晴らしく、僕が聴いたベースの中では最高にスイングするベース・プレイヤーでした。
好朗は沢山のアイデアを持つ素晴らしいトランぺッターです。僕は、朱葉のあの若さから湧き出るエネルギー、彼女のビバップの影響をうけて前向きに突き進んでいくあの勢いがすごく好きです。彼女は素晴らしい可能性を持っています!菜緒子はメロディーラインを素晴らしく美しく演奏するプレイヤーと感じました。五月はとても創造的なエネルギーを持っており、常に彼の音楽をより良い方向に持って行っています。
それから、中村恵介(tp)も良いプレイヤーだと思いました。彼自身のバンド「EKD Jazz Collective」のコンセプトは好きです。楽しいアンサンブルでした。もう1人、日本人ではないですが、レイモンド・マクモリンは僕の好きなサキソフォーン・プレイヤーです。彼はスウィンギーでクリエイティブ、オリジナルそしてソウルフルです。彼の音楽を聴けて一緒にプレイが出来て良かった。

JT: その多くのミュージシャンの中でも誰が、あなたが一緒に演奏して最も心地良かったですか?
鈴木良雄です!彼の感性とビートはとても強かったです。彼はスィングの伝統を本当に良く理解しており、しかも若い世代と新しい音楽もやっており、本当に尊敬します。

JT: 東京最後の夜、あなたよりずっと先輩にあたる日本のミュージシャン達(鈴木良雄、峰厚介、増尾好秋、山本剛、村上寛)と一緒にプレイしましたね。その時の事を話して下さい。
日本の僕よりずっと年上のジャズ・レジェンド達と演奏し、心から演奏を楽しめました。音楽の本質を真に理解しているみんなが一緒集まり、本当に素晴らしい演奏をしていました。彼らと一緒に演奏出来た事は、最高に刺激的な事でした!

JT: 日本のジャズクラブはどうでしたか?
東京のジャズクラブを本当に楽しみました。こんなに沢山あるって、驚くべき事です。それから、ジャムセッションに参加する時に多少のお金を払わなきゃいけないってのはちょっと変ってるな、と思いました。 僕が気に入ったクラブはBody and Soulです。照明、ステージや客席のつくり等も良かった。とてもハイクラスで居心地の良さを感じました。 Introも良かったです。ミュージシャン達の心地良い溜まり場かな?毎晩良い人達が集まっている。あそこの観客は音楽をちゃんと聴き、音楽の真価をとても良く解っていると思います。

JT: 今回のあなたの東京滞在は成功でしたか?あなたが来日前に思っていたより、多くの事が得られましたか?
僕の今回の東京は大成功でした!僕自身が、多くのミュージシャンと一緒に何か成し遂げられたような気がします。多くのミュージシャン達が、戻って来たらまた一緒に仕事をしようと言ってくれました。どうやって僕のファンを作っていけるか、という事も学んだし、ジャズクラブやオーナーとのコネクション、いくつかのプレス関係とのコンタクトもとりました。 僕は日本のジャズビジネスがどうやって動いていくのかを理解するために東京に滞在していた訳です。僕はこの事を少し理解出来たと思います。これはアメリカにいては簡単には解りません。だから、僕は今回、東京に来る決断をしたのです。 サポートしてくれた皆さん、本当に有り難うございました!

JT: 次回の東京滞在について何か具体的なプランはありますか?
はい!もう次の事を考えています。来年のそんな遅くない時期に戻って来るでしょう。次の僕の滞在では東京を中心に日本のいくつかの街をツアーしたいです。

♪最後に・・・

JT: もし、ミュージシャンにならなかったら?
そんな事は全く考えられません!音楽は僕の人生です。もし演奏しないなら、プロデュースか作曲をします。

JT: ミュージシャンとしてのゴールはありますか?
僕の音楽についてのゴールは、出来うる限りベストを尽くし続ける事です。

JT: ずっとカンザス・シティに住み続けますか?
カンザス・シティはいつも僕の人生の一部です。もし、何処か他に移ることがあっても、いつでも戻って来るでしょう。

JT: あなたの夢を聞かせて下さい。
僕の夢は、音楽を通じて、結果として前向きな姿勢である事から生まれる影響を、他の人達にも与えられるような生き方をする事です。

*関連サイト
http://www.hermonmehari.com

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竹村洋子

竹村洋子

竹村 洋子 Yoko Takemura 美術学校卒業後、ファッション・マーケティングの仕事に携わる。1996年より、NY、シカゴ、デトロイト、カンザス・シティを中心にアメリカのローカル・ジャズミュージシャン達と交流を深め、現在に至る。主として ミュージシャン間のコーディネーション、プロモーションを行う。Kansas City Jazz Ambassador 会員。KAWADE夢ムック『チャーリー・パーカー~モダン・ジャズの創造主』(2014)に寄稿。Kansas City Jazz Ambassador 誌『JAM』に寄稿。(2016)

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