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InterviewsNo. 235

#166   Kubikmaggie クービックマギー

Kubikmaggie クービックマギー
ロシアのサンクト・ペテルベルグで2003年に結成されたユニット。現在は、ピアノ、ベース、ドラムスのトリオ編成を中心に場面に応じてサックスを加えたカルテットになる。ジャズ、ロック、ポップス、アヴァンガルドなインプロヴィゼーションからブルース、レゲエ、ミニマリズムまであらゆるジャンルの音楽を自由に越境する。今秋、3作目のアルバム『THINGS』をリリース。
https://kubikmaggi.bandcamp.com/album/things

interviewed by Kenny Inaoka 稲岡邦彌
via e-mails October 2017

 

 Kubikmaggieは溶ければ立派なスープになる「固形スープ」だ

JazzTokyo:バンドにKubikmaggie(クービックマギー)と名付けた経緯は?
KM:昔からMaggieというブランドがあって、とくに固形スープが有名なんだ。お湯に溶かすとスープができるというやつね。僕らの行き方そのもののようでね。いろんなアイディアを曲に溶かしこんでいくとアルバムが完成するというわけさ。僕らが当たり前のミュージシャンならばね。キューブ(立方体)とマギーという2つのロシア語をラテン語で綴るとKubikmaggiになるってわけだ。Maggiというのはロシアの女性の名前で、“magic”というロシア語にも近い。いわゆる掛け言葉だ。

JT:このバンドが結成された経緯は?

KM:バンドが結成されたのは2003年。ピアノのクシーニア・フェドローヴァ(Ksenia Fedorova) がかなりの曲を書き溜めたんでライヴをやろうとミュージシャンを物色し始めた。友人を通じてベースのマックス・ラウジェンカ(Max Roudenko)とギターのヴラッド・アヴィ (Vlad Avy) に出会った。残りはドラムスだけだったのでアルテン・カヒロフ (Artem Kochurov、現在はオンカラ Ongkaraのフロントマンとして活躍中) に声をかけた。このカルテットは3年続き、アルテンがイーリア・ヴァルフォロミーフ (Ilya Varfolomeev) に代わった。イーリアはオン:ラインで見つけたドラマーだ。しばらくして最初のアルバムを制作したんだが、ギターのヴラッド・アヴィが抜け、ピアノ・トリオで演奏していたバンドにたまにゲストとして参加していたのがアレクサンダー・ティモフィーフ (Alexander Timofeev) だった。彼は新作の<Japanese>という曲でサックスを吹いているがライヴにもフィットしていた。

JT:バンドのメンバーを簡単に紹介願います。

KM:ハンタ S.トンプソンの有名な小説にならってメンバーの性格付けを冗談ぽくやってみようかな。クシーニア・フェドローヴァは「恐怖」、マックス・ラウジェンカは「不快」、イーリア・ヴァルフォロミーフは「ラスヴェガスのドラマー」と言ったところさ。サウンド・エンジニアのアイヴァン・リップス (Ivan Rips) もバンド結成時からいる古株だ。

JT:このバンドでのアルバムは何作目?

KM:『Needless』 (2008)、『Suites』 (2012)、『Things』 (2017) で3作だ。クシーニア・フェドローヴァは『Aum Ra』(2009) というソロ・アルバムを録音している。

JT:Ulitka Recordsというのは?

KM:Ulitka Recordsウリートゥカ・レコードは、クシーニアの父親でロシア・アヴァンガルドの有力ミュージシャンのひとり、レオニード・フェドロフが設立したレーベルで、’Auctyon’ (https://en.wikipedia.org/wiki/Auktyon) と仲間のCDの制作を目的にしていた。

 新作『THINGS』はノルウェーで録音、NYでマスタリングした

JT:アルバムに『THINGS』と付けた理由は? アルバム・コンセプトと関係があるのかい?

KM:僕らは足かせになるコンセプトやスタイル、トレンディなアイディアにとらわれたくなかった。何曲かライヴで転がしながら仕上げていって、時期が来たら録音する、というやり方を取っていた。つまり、曲が僕らと生活を共にしながら自然に仕上がっていき、録音されていくというやり方が好きなんだ。今度のアルバムも同じで、それぞれ毛色の変わった楽曲を演奏しながら仕上げていった。同じ頃、エスノデザインを得意とする二人組のアーチストSASHAPASHAと付き合っていた。彼らはあちこちへ出かけてガラクタや植物などを拾い集め、戦利品から宝飾品やインテリア・デコレーションを創作するんだ。また、戦利品を集めてひとつのコレクションにまとめるのも得意だった。僕らも同じことを考えた。「thing(モノ)」という言葉は何を表してもいい。皆が持っているモノを寄せ集めて創造的な意見を戦わせながらまとめていきひとつの最高のモノに仕立て上げる、ということなんだ。

JT:収録された曲について簡単な説明をお願いしようか?

KM:それでは、行くよ。

<Japanese:日本人>
この曲の最後の動機のシンコペーションを効かせたリズムやアタック、ポーズが吉田達也のバンド「Ruins:ルインズ」からヒントを得ているんだ。中盤はリリカルで優しくワルツ調なんだけど。

<Gusli:グースリ>
ロシア最古の撥弦楽器 gusliグースリで奏でるオスティナートに乗った即興的アンビエント。

<Schostak:ショスタコ>
いちばん長尺の曲でめまぐるしく変化する。中間部はソヴィエトの漫画のテーマをレゲエ調にし、続くマーチはどこかショスタコーヴィチを思わせる。

<Summertime:サマータイム>
テーマはふたつでリズムはタンゴ。テーマのひとつはかの有名なガーシュインのスタンダード<サマータイム>、もうひとつは 2003~2006年の僕らのギタリストだったヴラッド・アヴィの作曲で、彼に曲の命を永らえてくれと言われたんだ。

<Pompeii?:ポンペイ?>
唯一、詩のついた楽曲。詩の内容はすべてのモノには終わりがある、という事実を語っている。ジャジーに始まり、中間部は歌詞付き、イスラム教のムエズン(祈祷時間告知係)が歌っているような、またどこかバルカン調の常軌を逸した曲調。

<Hangar:ハンガー>
ダウン・テンポのベース・リフの繰り返す中でのパワフルなインプロヴィゼーション。

JT:アルバムの完成には何日かかったの?
KM:レコーディングそのものは3日間。<ハンガー>と<グーシリ>はワン・テイクで上がり。それ以外の曲はちょっと時間がかかった。各曲ともインプロヴィゼーションの余地を残した状態でスタジオに入った。

JT:街にはレコーディング・スタジオやミキシング/マスタリング・ラボがいくつかあるのかな?

KM:僕らの街にはグランドピアノを置いたスタジオは無いんだ。いくつかブースがあってアイ・コンタクトを取りながら演奏をするタイプのスタジオ。首都のモスクワでも一流の施設は限られている。だから海外へも足を向けることになる。例えば、ノルウェーのオーシャン・サウンド・レコーディングは設備や雰囲気が素晴らしい。マスタリングはNYへ出かけて、メデスキ、マーチン&ウッドなどを手がけて有名なエンジニア、アラン・シルヴァーマンを起用した。


 音楽だけでは食べてはいけない

JT:月に何本くらいライヴのチャンスがあるの?

KM:ギグのチャンスは極めて少ないね。アルバム披露のコンサートはやったけど。マネージャーをつければチャンスは増えると思うけど。僕らの音楽にはかなり機材が必要だし。アヴァンガルドをやろうと思ったらグランドピアノがいる。そうなると経費がかさんでくる。ロシアではアヴァンガルドは難しいんだ。バンドを維持すること自体が難しいと言える。今は海外のマネージャーを物色しているところさ。

JT:街には何件くらいのジャズ・クラブがあるの?

KM:サンクト・ペテルブルグにはとても少ない。「ザ・ジャズ・フィルハーモニア」「JFC」、あとはレストランだね。演奏しているのはディキシーランド、フュージョン、それからトラッド系だね。フリー・インプロヴィゼーション、アヴァンガルド、ノイズ系には「サウンド・ミュージアム」(http://soundmuseumspb.ru/) というのがある。

JT:音楽一家に生まれたの?

KM:クシーニア・フェドローヴァはまさにそうだね。彼女はAuctyonのリーダーでジョン・メデスキやマーク・リボーとの共演などで欧米でもよく知られているレオニード・フェドロフだから。

JT:何歳頃にどういう音楽に初めて興味を持ったのかな?

KM:ひとは誰しも幼い頃に音楽に興味を示すと思うね。クシーニアは5〜7歳頃にThe Cureが好きになったし、マックスはフォーク・ミュージック、イーリアはメタリカを口ずさんでいた。

JT:初めて楽器を演奏したり作曲を始めたのは?

KM:僕らは皆、音楽学校や専門の大学で楽器を始めたんだ。クシーニアはピアノ、イーリアはマリンバを学校で始め、マックスはバヤンというロシアのアコーディオンを自宅に持っていた。ジャズに興味を持つようになってマックスはベースを、イーリアはドラムスを始めたんだ。

JT:街にはクラシックやジャズの音楽学校があるの?

KM:ペテルスブルグには国立のクラシックとジャズの専門の高校がある。高校を卒業するとジャズの大学やクラシックの音楽院に進学する。私立の大学も2、3校ある。

JT:プロとして演奏を始めたのは?

KM:Kubikmaggiのメンバーはそれぞれ学位を持っていて20年くらいのキャリアがあるよ。

JT:音楽だけで食べていけるの?

KM:僕らのやってる音楽の場合、ロシアでは無理だね。掛け持ちでバンドをやったり商業音楽をやってる場合は別だけど。僕らはそれぞれ音楽以外の仕事で生活していて、それがとても残念なんだ。

JT:街にはまだCDショップはあるのかい?

KM:ペテルスブルグにはまともなCDショップは数件だけ残ってる。昔はもっとあったし、大きなチェーン店もあったけど、インターネットの配信が盛んになってマニアックな店だけが残っている。わずかだけどレコードを偏愛するファンもいて専門店が2、3あるね。

JT:音楽配信の動きは?

KM:ロシアでも盛んになりつつある。CDがなくなって配信が盛んになるにつれて海賊盤の無料のオンラインで音楽を聴く風潮が広まりつつある。と言ってもロシアではCDの99%が違法コピー(海賊盤)だからね。

JT:バンドでロシア以外で演奏した経験は?

KM:政変が起きる前のウクライナに出かけたことはある。ロシアの中ではモスクワとヴォロネジで演奏した。イスラエル、ドイツ、フィンランドでも演奏したよ。

JT:ジャズ・フェスは?

KM:ペテルスブルグではジャズ・フェスは2つある。ペトロジャズ (Petrojazz) からは僕らの音楽はサイケ過ぎるという理由で出演を拒否されたんだ。ヴォログダ・ジャズ・フェスの場合、国内のバンドは秘密のコンテストがあってジャズ系ははじかれるんだ。と言いながら、アヴィシャイ・コーエンやザップ・ママ、マーク・ジュリアナ・カルテットなどは出演してるんだぜ。

JT:政府(国や地方自治体の)は音楽家や演奏活動をサポートしてくれるのかい?

KM:クラシックの有名どころだけだね。ジャズはダメだ。

JT:最後に夢を語ってくれるかい?

Alex:食べることを考える必要がなくなること。

JT:生活のことかい?

Alex:そうさ。音楽に専念できるようになりたい。

 

稲岡邦彌

稲岡邦彌 Kenny Inaoka 兵庫県伊丹市生まれ。1967年早大政経卒。2004年創刊以来Jazz Tokyo編集長。音楽プロデューサーとして「Nadja 21」レーベル主宰。著書に『新版 ECMの真実』(カンパニー社)、編著に『増補改訂版 ECM catalog』(東京キララ社)『及川公生のサウンド・レシピ』(ユニコム)、共著に『ジャズCDの名盤』(文春新書)。2021年度「日本ジャズ音楽協会」会長賞受賞。

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