ニューヨーク:変容する「ジャズ」のいま 第20回 アミナ・クローディン・マイヤーズ~インタビュー~

閲覧回数 9,274 回

帰り際にアミナが手渡してくれたアルバム、『Sama Rou』(2016, Amina C Records) をかけている。スピーカーから聞こえるのは、どこか少女の様な翳りを残した声の歌う黒人霊歌「Nobody knows the trouble I’ve seen」だ。歌は「神様以外には私の悲しみを知る人なんかどこにもいない」と繰り返す。やがて空間の中に浮かびあがってくるピアノの音が、あらゆる方法で次第にその輪郭を確かなものにしていく。特徴的なゴスペルのリズムやコードが、無調で奏でられるインプロヴィゼーションのパターンの数々と対比することによってより効果的にその意味合いを増していく。素晴らしい演奏だ。豊かな陰影、儚さと意志、静寂を切る一音、ブルース、ブルース、ブルース。

アミナ・クローディン・マイヤーズ。ピアニスト、オルガニスト、シンガー、作曲家。AACMの中でも数少ない女性メンバーの一人だ。自身のバンドを率いた活動の他、ムハル・リチャード・エイブラムス、ヘンリー・スレッギル、レスター・ボウイやジェームズ・ブラッド・ウルマーなどと共演している。彼女の音楽の素晴らしさを語るのに、あまり多くの言葉は必要ない。インタビューは2018年1月にアミナの自宅で行われた。

蓮見(以下H): 初めて音楽に心を動かされた瞬間というものがあれば教えて下さい。

アミナ・クローディン・マイヤーズ(以下M): 良い質問ね。歌うことは本当に好きで。私は耳で聞いたものをそのまま弾くことが出来たからピアノの演奏はとても自然なことだったわ。

H: 歌が先でしたか?ピアノが先でしたか?

M: 6歳の頃にクラシックピアノを習い始めたんだけど、4歳か5歳の頃から家族にいつも歌を歌わされていたの。11歳になると教会で演奏を始めたんだけど、私はとてもシャイだった。クリスマスになると必ず歌う「Sweet Little Jesus Boy」という曲を歌うのが大好きだったわ。よく、「ピアノが上手い」と色んな人に言われたけれど、特にそれについては何も思わなかった。教会では、賛美歌をグループに教えたりもした。若い頃は、自分はクラシックのピアニストになると思っていたし、ナイトクラブで演奏するなんてまさか想像もしていなかった。大学では安定した仕事のために音楽教育を専攻したわ。その頃、ある友人が「ナイトクラブでの演奏の仕事があるわよ。」と言ってきたの。「ナイトクラブでなんか演奏できるわけないでしょ。」とこう言ったわ。「出来るわよ」その友人に押されてクラブに行ってみるとその場で雇われたの。演奏できる曲なんてほとんどなかったのに。50年代には、ゴスペルシンガーが人気を博していた。カルテット・シンガーズというのがあって、大抵は4人のシンガーに、ギター奏者がひとり。シンガー達は歌いながら足を手で叩いてリズムを取るの。Swan Silvertonesに、サム・クックの「Soul Stirrers」。カルテット・シンガーズは南部各地を車で周っていたわ。The Five Blind Boys of Mississippiも最高だった。カルテット・シンガーズが街に来ると、白人の人達も教会の後ろの方の席に座って見に来ていた。黒人の若い男達は教会の庭に車をつけて車のドアを開けたままそこで音楽を聞いていた。あらゆる人が音楽を聞きにきていたわ。パワフルな音楽だった。でもね、ゴスペルからリズム&ブルースにスタイルを変えて歌い始めると、シンガー達はよく人々に非難されていたわ。「悪魔の音楽を歌ってる」ってね。そういう時代だった。

>> Swan Silvertones

>> The Five Blind Boys of Mississippi

アーカンソーで当時トップレベルのミュージシャンだった人が、私の事を気に入ってくれて、ダウンタウンにある白人用のホテルでのソロピアノの仕事をくれたの。そのホテルに行ってみると、黒人達は皆キッチンで働いていて、ピアノの上には大きなチップ用の瓶が置いてあった。テーブルには白人の客がついていて、その中の誰かが私にサインを書いてくれと言ったんだけどサインの書き方なんて知らなかった。とにかくピアノを弾いたわ。弾けたのはたった3曲だけよ。バッハのフーガ、「Autumn Leaves」、「Greensleeves」ぐらい。この数曲を何度も何度も繰り返して弾いたの。次の日にまたホテルに行くと、「レパートリーが少なすぎる」とマネージャーに言われたわ。「レパートリー」っていう言葉さえ知らなかったけど、なんとなく言ってる意味は分かった。悔しくてしょうがなかったわ。これがピアノバーで演奏し始めた頃のことよ。それからしばらくして、シカゴでルーズベルト大学に行ったんだけど、そこで「あなたはジャズの声をしている。」って言われたのね。その当時はアリアみたいなクラシックの声楽を学んでいた。でも声域が高すぎて私には向いていなかったわ。

H: シカゴの話が出ましたが、AACMに関わり始めたのはその頃のことですね。

M: AACMについてはドラマーのアジャラムを通して知ったの。彼を通してムハル(リチャード・エイブラムス)やロスコー(ミッチェル)と知り合った。AACMはムハルのExperimental Bandから始まったの。当初の目的は、ミュージシャンが自由に作曲をしてそれを発表する場を作ることだった。そういう場所が他にはどこにもなかったから。AACMは愛に溢れていたわ。自由に創作することが出来た。誰も批判する人なんていなかった。その当時のボーイフレンドが私に持ってきてくれた仕事が、ジーン・アモンズとソニー・スティットとの仕事だった。ソニーはバードから影響を受けていたわ。それからジーン・アモンズ。彼が吹けば、一音聞くだけで彼の音がどれだけソウルフルかすぐに分かったわ。あんな風にテナーを吹く人は後にも先にも彼しか見たことがない。この2人と演奏して色んなことを学んだわ。だけど、彼らとの演奏では音楽的構成の外側には行けなかった。だけどAACMに関わるようになってから、もっと多面的な音が聞こえる様になってきたの。AACMの中では、実験的なことをすることも出来た。実験的というか、自分自身の視点から作曲することが出来た。AACMのメンバーになる必要条件のひとつは、作曲することだった。ロスコーがデューク・エリントンをテーマに書いた曲に私は歌で参加したりしたわ。ムハルは演劇も制作していた。ジョセフ・ジャーマンと私が主役でね。ジョセフはミュージシャンの役。私はブロンドの髪で一日中ネグリジェを来て煙草を吸いながら文句ばかり言う妻の役。台本はないからその場で即興で会話を作っていくの。舞台は大成功で、1ヶ月間続いたわ。レスター・ボウイも出演したし、ロスコーはロック・バンドを舞台でやっていた。すごく楽しかったわ。AACMでは、クリエイティブになれば何だって出来るということを学んだわ。

H: AACMのメンバーとの対話で心に残っているものはありますか?

M: 60年代にシカゴで、ワダダ・レオ・スミスが私に言ったことはずっと頭に残ってる。「Do your own thing.(自分の音楽をやれ)」。この言葉にはとても助けられたわ。自分と自分自身の音楽に対して良いフィーリングを抱いて、自分を信じること。そうすることで、自分が一体誰なのかを理解して、自分が表現しようとしている内容は他の誰かが表現するものと同じくらい重要性のあるものなんだと気づくこと。

H: シカゴからニューヨークに移り住んだ時の印象は?

M: 初めてニューヨークに来たのは60年代だったんだけど、とても怖かったわ。ロウアーイーストサイドのSlugsに行ったりした。ニューヨークに住むには沢山お金がないと無理だっていう話もよく聞いた。この街には何でもあるのよ。アイスクリームも、ドーナツも、ドラッグだって、欲しければ欲しいだけ手に入ってしまう。だから自制心というものが必要なの。自制心を保っていなければ、ニューヨークはあなたを丸呑みにしてしまうわ。

H: 当時ニューヨークで見たコンサートで心に残ったものはありましたか?

M: まだ移り住む前、70年代前半だけど、ニーナ・シモンを見たわ。彼女の音楽はすごくスピリチュアルでパワフルだった。それからアポロシアターでファンカデリックを見た時。4時間にも及ぶコンサートで、素晴らしかった。ある日リンカーンセンターの近くを歩いていたらドラムが聞こえて、吸い寄せられる様に音の聞こえる方に近づいて行ったら、ババトゥンデ・オラトゥンジがライヴをやっていた。しばらくすると演奏が終わって観客はその場を去り始めたわ。その時に、オラトゥンジがまた何かを弾き始めたの。何を言っていたかは分からないけれど、言葉を叫びながらね。私はその音にいても立ってもいられず、ステージの真ん前まで引き返したわ。すごくスピリチュアルなステージだった。

H: 日本に行った時の事を教えてもらえますか?

M: 初めて日本に行ったのは1982年のことだったと思うわ。私自身のトリオで東京、仙台、それから鶴岡に行ったの。

(註) 大切にしまってあった小さなアルバムの写真を見せながら話してくれたのだが、このアルバムには1985年と書いてあった。

H: トリオのメンバーは?

M: もう亡くなってしまったけどベーシストのフレッド・ホプキンス、それからドラマーのレジー・ニコルソン。これが初めて行った時ね。それから二度目はレイ・アンダーソンと一緒に行ってどこか北の方のジャズ・フェスティバルで演奏した。カサンドラ・ウィルソンやカルメン・マクレエも確か出演していたはずよ。その後にまた今度はビル・ラズウェルとも行ったわ。全部で3回ね。

H: 日本のオーディエンスの印象は?

M: とても暖かく、真剣に音楽を聞いてくれる素晴らしいオーディエンスだったわ。

Share Button

蓮見令麻

蓮見令麻(はすみれま) 福岡県久留米市出身、ニューヨーク在住のピアニスト、ボーカリスト、即興演奏家。http://www.remahasumi.com/japanese/

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

↓ ロボットでないかお知らせください。 * Time limit is exhausted. Please reload CAPTCHA.