#168 レント・ロムス Rent Romus〜“奇妙な”音楽とウェストコースト即興シーン

閲覧回数 9,621 回

Interview: レント・ロムス Rent Romus
Interviewed via e-mail Jan. 10th – 27th, 2018
Questionnaire by 剛田武 Takeshi Goda, 定淳志 Atsushi Joe & 齊藤聡 Akira Saito
Translation by 剛田武 Takeshi Goda

Photo by Nick Chao

●BIOGRAPHY
レント・ロムス Rent Romus (reeds, fl, perc, etc.)
フィンランド系アメリカ人の三世にあたるレント・ロムスは1968年1月6日ミシガン州ハンコック生まれの49歳。サンフランシスコのベイエリアを拠点に活動するサックス奏者・マルチ楽器奏者、作曲家、バンドリーダー、音楽プロデューサー、地域コミュニティの指導者である。

最初はスタン・ゲッツの門下生としてジャズを学びながら、次第にサン・ラやアルバート・アイラー、さらにアーサー・ブライス、デレク・ベイリー、メルツバウといった外の世界に惹かれて行った。

1994年からフリー・インプロヴィゼ―ション・グループLords of Outland、作曲中心のコンテンポラリー・アンサンブルLife’s Blood Ensemble、ピアニストのThollem McDonasと共にBloom Project、そして集団即興グループThe Ruminationsなどを率いて活動する。

これまでリーダー、サイドマン両方で40作を超えるアルバムで幅広く即興と作曲の可能性を探求しており、共演者にはチコ・フリーマン、ジョン・チカイ、ヴィニー・ゴリア、Thollem McDonas、Stefan Pasborg、ジェームズ・ジトロ、Heikki “Mike” Koskinen、Jon Bridsongなどがいる。

Edgetone Recordsの創設者として30年以上インディペンデントな音楽制作・演奏を経験し、Outsound Presentsのエグゼクティヴ・プロデューサーとしてMusicians Union Hallでの隔週のシリーズイベントSIMMや、週ごとのLuggage Store Gallery Creative Music Series、サンフランシスコで毎夏開催される創造的音楽フェスOutsound New Music Summitをキュレートしている。

Rent Romus  http://www.romus.net/
Edgetone Records http://www.edgetonerecords.com/index.html

Outsound Presents  http://www.outsound.org/


一般的にウェストコースト・ジャズと言えば、主に白人演奏家による、クール・ジャズを発展させたようなスタイルというイメージで語られることが多い。あるいは渡辺貞夫の『カリフォルニア・シャワー』のような軽快なフュージョン・サウンドをイメージする人もいるだろう。しかし実際には様々なスタイルが混在していて、オーネット・コールマンやエリック・ドルフィー、チャールズ・ミンガス、アーサー・ブライスといった個性派ミュージシャンも、実はウエストコーストがジャズ・キャリアのスタートだったりする。当然フリージャズやアヴァンギャルドな即興音楽も少なからずあるはずだが、ニューヨーク・シーンに比べて余り知られていない。

昨年、偶然にも複数の本誌コントリビューターがネットやストリーミングで知って、それぞれ興味を抱いていたサンフランシスコのサックス奏者レント・ロムスは、優れた演奏家であるだけでなく、プロデューサー/キュレーターとしてもウェストコーストの実験/即興音楽シーンのキーパーソンである。折しも1月6日に50歳の生誕記念コンサートを開催し、新たな1年をスタートさせたロムスにメール・インタビューを行って、ユニークな音楽遍歴・思想と、知られざるウェストコースト即興シーンについて語ってもらった。


●音楽と共に育つ

JazzTokyo(以下JT): 1968年1月6日ミシガン州生まれとのことですが、家庭の音楽環境はいかがでしたか?

Rent Romus(以下RR):私の家族にとって音楽は生活の中で重要でしたが、職業として音楽をしているのは私の他にはほとんどいません。母方の家系はみんな楽器を演奏するように育てられていましたし、父方の祖母はピアノを弾き、父がフルートを吹いていました。母は7人家族のテレビもラジオもない家庭で育ったので、楽しみといえば家族で集って音楽とダンスをすることでした。この伝統は私と弟に引き継がれ、ふたりとも楽器を習わされました。幼いころから音楽があるのが当たり前で、疑問に思ったことはありません。

JT:サンフランシスコへ移ったのはいつですか?生活は大きく変わりましたか?

RR:1970年に父が化学研究者の職を得て、ミシガン州ハンコックからサンフランシスコのベイエリアへ引っ越しました。ハンコックは48州の最北部に位置しています。ここは私の祖先が19世紀後半から20世紀前半にかけてフィンランド、ノルウェー、ドイツから移民した地域です。
寒くて静かなミシガン北部出身の両親に育てられたので、私はカリフォルニア西海岸の考え方には完全には馴染みませんでした。成長期の私は周りの友達ほどおしゃべりではなく、いつも都会生活の喧騒の中に自然を見つけて楽しむ子どもでした。

JT:音楽演奏を始めたのはいつ頃ですか。

RR:8、9歳の時、両親がピアノを買ってレッスンを受けさせてくれました。1年くらい経った頃にはレッスンの練習をするより即興で演奏していたのを覚えています。即興の方がずっと楽しいことを発見し、それが間違いなく私の人生全体に続いています。

JT:サックスを始めたのはいつ、どのようにして?

RR:11歳になる頃に、サンフランシスコのベイエリアからサウスベイに引っ越して、ピアノのレッスンが修了したので、別の楽器をやりたくなりました。母がアルト・サックスを演奏していたので、お願いして吹かせてもらいました。古い1950年代製のBundyの学生向けモデルで、戦車のように頑丈なので、しょっちゅう楽器を床に落とす子供にピッタリでした。サックスはピアノよりずっと楽しいうえに、持ち運びも楽でした。

●ジャズの発見と音楽の旅

JT:10代の頃はどんな音楽を聴いていましたか。

RR:13歳の時、地元の公共図書館でクラシックと80年代のコンテンポラリー・ジャズを探して聴き始めました。その頃は新しい音楽を発見できる場所は地元の図書館だけでした。YouTubeもストリーミングもなかったし、MTVは流行りのシンセ・ポップやロックや初期のヒップホップしか流していませんでした。だから出来ることは、文字通りレコードの山の中から掘り出して、自分の気に入ることを祈りながら、家へ持って帰ることだけでした。そうしてラジオのポップ・ミュージックよりも、自分のレコード・プレイヤーでジャズのレコードやテープをもっとたくさん聴くようになったのです。

JT:ラジオのポップ・ミュージックに飽き足らなかった理由は?

RR:私は常に単調なリズムで一つのテーマにフォーカスするより多くのものを音楽に求めています。また、音楽が実際にどう聴こえるかに興味があります。エレクトロニクス技術の発明にはリスクがあります。

JT:クラシックやジャズを探し始めたきっかけは?

RR:サックスを始めてすぐに中学校でハイスクール・ビッグバンドのコンサートがありました。他のプレイヤーがサックスでジャズを演奏しているのを観た途端、私の音楽の旅が始まったのです。

JT:最初に聴いたジャズのレコードは何か覚えていますか?

RR:ウディ・ハーマン&ベニー・グッドマン・ビッグバンドのレコードです。

JT:好きなサックス奏者、他の演奏家、作曲家は(過去と現在)?

RR:サックスを始めた頃は、スタン・ゲッツ、 アーサー・ブライス、トーマス・チェイピン、アルバート・アイラー、サージ・チャロフ、オリヴァー・レイク、チコ・フリーマン、ジョン・チカイ、ジム・ペッパー、ラサーン・ローランド・カーク、そしてアーチー・シェップに影響を受けました。
その後好きなったのは、Tony Passarell、バート・ウィルソン、ソニー・シモンズ、プリンス・ラシャ、ノア・ハワード、坂田明、トム・ウィークス、ブレット・カーソン、Lisa Mezzacappa、Josh Allen、Mark Clifford、Joshua Marshall、 Heikki Koskinen、Safa Shokrai、Donny McCaslin、Troy Mighty、Polly Moller、Andrew Jamiesonなど、名前を挙げればきりがありません。私は常に発見の可能性を信じて、地面に耳を付けて、インスピレーションのあらゆる可能性を探しています。

JT:メインストリーム系のミュージシャン、例えばジャッキー・マクリーン、キャノンボール・アダレイ、ソニー・ロリンズ、ウェィン・ショーターなどがない一方で、ヨーロッパの即興音楽家、例えばデレク・ベイリー、エヴァン・パーカー、ペーター・ブロッツマン、ハン・ベニンクなどの名前も出て来ないのが意外です。そういった音楽は聴いていましたか?

RR:ロリンズ、ショーター、アダレイ、ベイリー、ブロッツマンなどのレコードは持っています。勿論みんな各分野の素晴らしい演奏家ですし大好きです。でも、成長し進化し続けるにつれて、言葉では説明できない特定のトーン、サウンド、スピリットを求めるようになったのです。心のより深いレベルで共感する個人的な関心です。

JT:音楽家以外で影響を受けたアーティストは?

RR:
作家ではフィリップ・K・ディック、エドガー・アラン・ポー、フランク・ハーバート、アーシュラ・K・ル=グウィン。
映画監督はデヴィッド・リンチ、デヴィッド・トゥーヒー、ピーター・ジャクソン、エド・ウッド。
画家・映像作家はCJ Borosque (Collette McCaslin)、ジャクソン・ポロック、フリーダ・カーロ。
また、初めて観たジャズをテーマにした映画で、今でも最高作だと思っているのは『ラウンド・ミッドナイト』(デクスター・ゴードン、フランソワ・クリュゼ 、ハービー・ハンコック主演)です。1986年に公開されたときに観て、とても深い感銘を受けました。

JT:作家や映画はSFやカルト系フィクションがお好きなようですね。子供の頃から空想好きでしたか。それはカリフォルニアの生活に馴染めなかったことも関係あるのでしょうか?また、音楽を作る上でSFやファンタジーを参考にすることはありますか?

RR:SFやファンタジーの物語が創り出す想像性や感情やコンセプトを音楽に反映したいと思っています。例えばLife’s Blood Large Ensembleの『Otherworld Cycle』はフィンランドの国民的叙事詩『カレワラ』の古代の物語を音で再現した作品です。幼い頃から夢見がちな子供でした。カリフォルニアの生活環境も一因でしょう。大人になっても空想力を音楽に活かそうとしています。

●実験/即興音楽の世界へ

JT:1982、84年にスタン・ゲッツのワークショップに参加したそうですが、ゲッツからの影響は?

RR:私がサックスを始めた頃の音色の形成と発達はスタン・ゲッツのお蔭です。最初に会ったのは、彼がスタンフォード大学のジャズ・ワークショップで教えていた時です。私は13歳でした。夏休みの一週間のワークショップのマスタークラスの講師でした。生徒がそれぞれ短い演奏を聴かせ、ゲッツが批評しアドバイスします。どういう訳か、彼はいつも私のアンブシュアに注目し、公衆トイレに行って、鏡で自分のアンブシュアを見ながらプレイするよう言うのです。クラスの中でこんなアドバイスを受けたのは私だけでした。3、4回そんなことがありました。マスタークラスの最終日に、後にジャズ評論家になったテッド・ジオイアと一緒に「I’ll Remember April」を演奏しました。すると曲の途中でスタン・ゲッツがテナー・サックスを手にして私と一緒に演奏しはじめました。つまり習ったことを正しくやった証拠です。彼のレッスンは当時と同じように今も鮮明に私の記憶に残っています。

JT:スタン・ゲッツのレッスンの後、あなたの興味はより即興的、実験的、前衛的な音楽に向かいましたね。なぜ、どのようにそんな変化が起こったのですか?

RR:自分が正統な「ジャズ」の世界に適合していると感じたことはありません。学校で習った規則はいつも抑圧的に感じます。チャーリー・パーカーのリックを一音一音学ぶことに興味はありませんし、音楽理論にはエキサイト(興奮)しません。トーン(音色)とフィーリング(感情)にもっと興味があったのです。そういうアーサー・ブライス、スタン・ゲッツ、アルバート・アイラーといった演奏家の基本要素は、サージ・チャロフ、ソニー・シモンズ、Marco Eneidiのテクニカルな演奏スタイルと同様に、私の音楽の成長の鍵なのです。もちろん理論や表記法や譜面の読み方を学んだうえで、サン・ラのようなエキサイティングな音楽の分野へ進むことが出来ました。
初めてサン・ラの『Heliocentric Worlds Vol.2(太陽中心世界Vol.2)』を聴いたとき、20秒だけ聴いてすぐにレコード・プレイヤーを止めました。こんなものは聴いたことがなかったし、余りに混沌としていて、それまで聴いてきた音楽のすべてから外れているように感じたのです。しかし、無意識のうちに虜になっていたに違いありません。聴く音楽がジョン・コルトレーンからアーサー・ブライスやデヴィッド・マレイへとプログレッシヴな方向へ変化していって、90年代初めに再びサン・ラに戻った時には、彼の音楽を全く違ったポジティヴな捉え方で聴くようになっていたのです。最終的に90年代後半にウェストコースト・アンダーグラウンド・シーンに巡り合い、それ以来後戻りをすることはありませんでした。

JT:あなたのサックスの音色や、例えば二管同時演奏といったスタイルは、とてもユニークです。どのように身につけたのですか?

RR: 15歳の頃初めてローランド・カークを聴いて、一度にたくさんの管楽器を演奏するアイデアに夢中になり、それ以来やり続けています。手法的に新しくはないし、他にもローランド・カーク直伝の演奏法を実践する人はいますが、あまり知られていませんね。
私の音色は、アーサー・ブライス、オリヴァー・レイク、ジム・ペッパー、トーマス・チェイピン、スタン・ゲッツなど、限られた少数のサックス奏者からインスパイアされています。大学時代の私はいわゆる「オタク」でした。大学1,2年の頃、他の学生が週末に外出して酒を飲んだりパーティをしたりしている時、私は誰もいない学生寮の地下室へ行ってサックスを吹いていました。ガラス窓と天井にファンのある大きなコンクリートの部屋でした。部屋のエコーで自分の音がよく聴こえるので、音色やタンギングの調整がやり易いのです。1991年に卒業するまで、学生時代はずっとその練習を続けていました。

Rent Romus
@ Gold Lion Art, Sacramento on January 6, 2018
Photo by Charles Smith

●サンフランシスコ即興シーン

JT:その当時サンフランシスコ・ベイエリアには即興/実験音楽のシーンはありましたか?

RR:ベイエリアでは60年代末から即興/実験音楽はとても盛んでした。サンフランシスコでは、バート・ウィルソン、ソニー・シモンズ、 バーバラ・ドナルド、スマイリー・ウィンターズ、ポーリン・オリヴェロス、スチュアート・デンプスター、ヘンリー・カイザー、ジェームズ・ジトロ、それ以外にも多くの先人たちが、現在我々が辿る道を築いてくれました。

JT:現在のサンフランシスコの即興音楽シーンについて教えてください。

RR:私は後述する「Outsound Presents」で二つのコンサート・シリーズとフェスティヴァルを企画していますが、まだ全員を知っているわけではありません。全米最大とは言えなくても、最も大きなシーンのひとつでしょう。ここには何千人もいるのではないかと思います。しかし、みんなアンダーグラウンドで活動しているので、お互いを見つけるのは、偶然か、知り合いを通じてか、ライヴ・ショーで出会ってかしかありません。パフォーマンスの範囲は、自作サウンド・オブジェ、発明楽器、フリー・ジャズ、アヴァン・ロック、ノイズ、エレクトロニック・インタラクティヴ・メディアまで幅広いです。
BayImproviser https://www.bayimproviser.com/というサイトで、サンフランシスコ即興シーンのアーティストとライヴ会場のリストを見ることが出来ます。ここで起きていることを理解する手引きとして素晴らしいサイトです。

JT:現在のサンフランシスコ・シーンのキーとなるアーティストを教えてください。

RR:ベイエリアには様々な音楽の境界と要素が交差するシーンが多数あります。名前を挙げれば、Lisa Mezzacappa, Darren Johnston, Gino Robiar, Tom Djll, Oluyemi and Ijeoma Thomas, Karl Evangelista, Bill Noertker, ROVA, Kyle Bruckman, Brett Carson, Amanda Chaudhary, Mark Clifford , India Cooke, Ernesto Diaz-Infante, フレッド・フリス, Barbara Golden, Phillip Greenlief, Jack Hertz, Jacob Felix Heule, Matt Ingalls, John Ingle, Andrew Jamieson, ヘンリー・カイザー, Heikki Koskinen, Cheryl E. Leonard, Doug Lynner, Joshua Marshall, Polly Moller, Suki O’Kane, Donald Robinson, John Schott, John Shiurba, David Slusser, Moe! Staiano, Karen Stackpole, Marshall Trammell, William Winant, Francis Wong。これは私が知っている範囲の一部でしかありません。もっとたくさんいるのは確かです。

●自分自身の音楽表現を求めて

JT:フィンランドの音楽との関係について教えてください。私が好きなサックス奏者ミッコ・イナーネンと共演しましたね。

RR:移民の国であるアメリカ合衆国では、先祖伝来の遺産がミックスされて失われてしまうことが多いのです。私は、2014, 5年に作曲・演奏し、2015年にEdgetone Recordsからリリースした『Otherworld Cycle』の制作を通して自分の先祖の失われた遺産を発見しました。先ほど触れたように、この作品はフィンランドの国民的叙事詩『カレワラ』にインスパイアされた組曲です。何百世代にも亘って言葉で伝承され、19世紀半ばに本に書き起こされた叙事詩で、フィンランド独特の視点による創造、冒険、愛、死についての古代の物語です。この本と物語が私を発見の道へと導いて、トランペット奏者/教育家/作曲家のHeikki “Mike” Kosiknenに繋がりました。彼がフィンランド音楽の世界と、生きた歴史を制作している人々と演奏家を紹介してくれたのです。2016年に私たちはフィンランドをツアーして、Teppo Hauta-aho、ミッコ・イナーネン、 Olavi Louhivuori、Simo Laihone、Ville Rauhala、Tane Kannistoと一緒に私の楽曲を演奏しました。

 

JT:チコ・フリーマンとジョン・チカイとそれぞれ共演しましたが、経緯を教えてください。

RR:20歳の頃カリフォルニア州オークランドを拠点とするJazz In Flightという組織で働いていました。その時のディレクターがチコの仲の良い友人だったので、私のバンドJazz On the Lineのレコーディングに参加してもらえないかと提案し、チコの電話番号を教えてもらいました。チコに電話して私の最初のレコード『no boundaries』を送ったところ、数週間後に返事が来てベイエリアを訪れてライヴとレコーディングすることに同意してくれたのです。4回コンサートをして、第3,4夜のショーをレコーディングしました。最初のヴァージョンが『In the Moment』としてリリースされ、後にEdgetoneから『Thundershine』としてリイシューされました。カリフォルニア州サンタ・クルーズのKuumbwa Jazz Centerでのライヴ・アルバムです。私が監修しプロデュースした初めてのメジャーなレコーディング作品でした。

 

ジョン・チカイに初めて会ったのは1995年、彼がカリフォルニア大学デイヴィス校で教えていた頃に、デイヴィスのセントラル・ヴァレー近くのホテルで開催されたコンサートです。観客は10人くらいしかいませんでしたが、ジョンはまるで満場のようにパワフルに演奏したのを覚えています。何度か電話のやりとりをして、1996年にLords of Outlandのゲスト・アーティストとして招待しました。メンバーは他にDavid Michaly(ds)と Jon Birsong(tuba)で、サンフランシスコのODC Dance Theaterでライヴ・レコーディングをしました(『John Tchicai With Rent Romus’ Lords Of Outland ‎/ Adapt…Or Die! 』 Jazzheads Records ‎– JH9503)。その後も1996~98年にサンフランシスコのローカル・エリアで何度か共演し、私がデンマークをツアーした時にはサプライズ・ライヴをしたりもしました。

 

これらの邂逅はどちらも私の音楽の発展の重要な礎になりました。お二人には私と一緒に音楽を作ってくれたことを永遠に感謝しています。

Jazz on the Line 1992 feat. Chico Freeman

JT:あなたはJazz On The Line、The Lords of Outland、Life’s Blood Ensemble、Deciduousなどたくさんの異なるバンドを率いてきました。いくつもバンドを作る意図を教えてください。

RR:私はたくさんのミュージシャンや音楽制作者と一緒に音楽を作るのが好きなのです。ひとつのバンドだけでは多様性を求める気持ちを満足させられないので、たくさんのバンドやプロジェクトが必要になります。Jazz On The Lineは私の最初のグループで、オリジナルのコンテンポラリー・ジャズを志向していました。The Lords of Outlandは過去の作曲を拡張し、より即興的な環境で音楽制作をしたい気持ちの表れです。Life’s Blood Ensembleは我々の先人たちにインスパイアされた音楽を演奏することを主とする集団作曲グループです。Deciduousはアメリカ合衆国の異なる場所からの様々な即興表現の地域形態の探求です。

JT:楽器とリードのスペックを教えてください。

RR:アルト・サックスはSelmer Mark VIにセブンスターBeechlerメタル・マウスピース。標準的なリードはMarca 3ですが、時々Alexandriaも使います。それから1919年製 Cメロディ・サックスと、最近入手したUnisonのソプラノ・サックス、どちらもBeechlerのマウスピースです。

JT:カーヴド・ソプラノ・サックスを使う理由を教えてください。

RR:ストレート管の滑らかなサウンドよりも、カーヴド・ソプラノの混ざり合った音の方が好きだからです。

JT:1919年のCメロディ・サックスを使っているとあります。国は違いますが、昨年、ミシェル・ドネダもソプラノのC管を使っていました。最近見直されて人気なのでしょうか?あなたがC管を使う理由は?

RR:私の1919 Lyon Healy C-melody saxophoneをeBayで買ったのは、2003年にベーシストのLisle Ellisと音楽への献身について抽象的な議論をした後です。トレンドや人気とは関係ありません。

Rent Romus playing C-melody Saxophone
Photo by Peter B. Kaars

●制作者として〜Edgetone RecordsとOutsound Presents

JT:1991年にEdgetone Recordsを設立した経緯と意図を教えてください。

RR:Edgetoneは、私の初めてのJazz On The Lineのレコードをリリースする自給自足のレーベルとしてスタートしました。自分自身で音楽を制作して直接入手できるようにすることは理に適っています。プロフェッショナルな音楽ファミリーの出身ではないので、業界内部の伝手もなく、独学で音楽ビジネスの世界のやり方を学ぶしかありませんでした。はじめは他にリリースしてくれるレーベルを探したのですが、反応は無視又は興味なしばかりだったのです。
1994年にチコ・フリーマンと共演した2ndアルバム『In the Moment』(2008年に『Thundershine』としてEdgetoneから再発)を制作・リリースした後に、ニューヨークでJazzheadsレコードを運営しているピアニストのRandy Kleinと出会いました。そして3枚のアルバムをJazzheadsからリリースしました。Lords of Outlandの2枚『You’ll Never Be the Same』(95) とJohn Tchicaiとの『Adapt…or Die!』(97)と、Life’s Blood(Trio)の初録音『Blood Motions』(97)です。1999年にサンフランシスコのフリー・インプロヴィゼーション音楽コミュニティと出会って、その自由精神と障壁を持たないアプローチに恋に落ちました。セルフ・プロデュースのアーティストがとてもたくさん存在することを知って、このコミュニティをプロモートするための支援機構が必要だと感じました。そこで2001年にEdgetoneを再開し、他のアーティストに門戸を開いたのです。SFのコミュニティはもちろん、他のウェストコーストのアンダーグラウンド・ジャズ・コミュニティや、ジャンルを越境した音楽の原型やスタイルを探求する人たちがいる地域、特に活動拠点と個性的なコミュニティ・レーベルを探しているD.I.Y.のアーティストたちに。

JT:レーベルの『My music is weirder than yours(私の音楽はあなたの音楽よりもっと奇妙だ)』というキャッチフレーズが気に入りました。どのような意味が込められているのですか?

RR:このフレーズは2010年に何度もミーティングを行って創り出されました。Edgetoneを最も適切に表現できるフレーズを探していたのです。特定のジャンルを追求するレーベルではありません。フリー・ジャズ、オリジナル作曲のジャズ、ハーシュ・ノイズ、エレクトロニクス・インプロヴィゼーション、フォーク・ミュージック、アヴァン・ロックやパンクもあります。メインストリームの一部と見做されることのない音楽をリリースしたいと常に思っています。ある日レコーディング・アーティストのJess Rowlandが思いついた『My music is weirder than yours』というフレーズを聞いて、みんながレーベルが提供すべきものを最もうまく表現していると同意しました。恐らくそれほど奇妙ではない音楽もあると思いますが、音楽のテイストは常に主観的ですから。

JT:サンフランシスコの「奇妙な」音楽と言えばレジデンツが思い浮かびますが、あなたの活動に影響はありますか?

RR:もちろんレジデンツからはとても重要な影響を受けています。2003年に私がErnesto Diaz-Infanteと結成したAbstractionsや、現在やっているバンドThe Ruminationsの大きなインスピレーションのひとつです。レジデンツのようなグループやアーティストは、私が心から愛する探検的な音の彫刻の道を開いてくれました。たとえ伝統的なスタイルの音楽をやっているときでも、この影響は私のプレイに現れています。彼らは、標準的な枠の外で音楽を演奏し創造する新しい方法の研究を可能にする、先入観のない探求の扉を開いてくれたのです。

JT:レジデンツと並んでウェストコーストの「奇妙な」音楽集団と呼ばれているLos Angeles Free Music Society(LAFMS)は知っていますか?リック・ポッツ、ジョー・ポッツ、ジョセフ・ハマー、スメグマ、エアウェイ、NONなどのミュージシャンがいます。

RR:ジョセフ・ハマーはOutsound Presents主催のLuggage Store Seriesに出演してもらったことがあります。他のミュージシャンも知っていますが、LAFMSのことは初めて聞きました。

JT:Outsound Presentsについて教えてください。

RR:2000年にサンフランシスコ・ベイエリアの他の音楽/サウンド実験家たちと共同で設立した非営利組織です。Outsound Presentsは、新しくて創造的で実験的な音楽と音響のオリジナル作品の上演をサポートし、伝統的で市場主義の音楽へのオルタナティヴとして、地元で活動・ツアーするミュージシャンの一般の認知を高める為の活動をしています。Outsound Presentsの使命は、実験音楽の作曲、即興演奏、新たな楽器の発明と使用を激励することです。ジャンルはジャズ、アヴァンギャルド、自作サウンド、ノイズ・アート、ミュージック・コンクレート、ミニマリズム、そのほか名付けようのない音楽です。現在Outsound Presentsは少なくとも年間を通して二つのウィークリーのコンサート・シリーズを企画し、参加アーティストを積極的にプロモートし、地元の学校や大学や他の教育機関での講演会やデモ演奏やコンサートを通して、新しい音楽をより幅広いオーディエンスに紹介するよう努めています。組織のプレミア・ショーケースは毎年7月に一週間通して開催されるNew Music Summitです。

●世界との繋がり

JT:現在のジャズや音楽全般の状況をどう思いますか?

RR:いつの時代もミュージシャンや音楽には挑戦があります。音楽は永遠です。常に成長し変化し進歩します。ジャズとは何か?どこへ行くのか?そんなことはどうでもいいのです。トレンドやメディアの言論、伝統主義者が言うことや、誰が今月のお気に入りのフレイバーか、などに注意を払うことはありません。音楽は音楽、それだけです。

JT:最近よく聴いている音楽は?国に関係なく教えてください。

RR:ヴィニー・ゴリア、アルバート・アイラー、アーサー・ブライス、デヴィッド・ボウイ、ピーター・キューン、トム・ウィークス、MC Rambo、Jodarok、DJ Kridlokk、Aivovuoto、バーバラ・ドナルド、プリンス・ラシャ、SMC Hoodrats、Era Koira、Lisa Mezzacappa、Maria Kalaniemi、山下洋輔トリオ、Teppo Hauta-aho、Berit Margrethe Oskal、Wimme など。他にもたくさんいます。

JT:坂田明や山下洋輔トリオを聴いたきっかけは?

RR:インターネット検索とYouTubeの魔術です。最近YouTubeでアルバート・アイラーを検索していて見つけました。

JT:ニューヨーク・シーンやアメリカの他のローカル・シーンと繋がりはありますか?

RR:ニューヨークとの繋がりは殆どありません。90年代に何度か訪れ、2006年にはコンサートもしましたが、私にとってはベイエリアにいるのと同じです。だから何か特別の演奏の機会が無い限り、イーストコーストへ行く必要を感じません。

JT:海外との繋がりは?

RR:デンマークとフィンランドのミュージシャンと共演しました。とても楽しかったです。

JT:日本の音楽シーンについて知っていますか?好きな日本の音楽家・作曲家はいますか?

RR:余り知りませんがもちろん興味はあります。大友良英や坂本弘道が出演した日本のノイズ・アーティストを描いたインディペンデント映画『WE DON’T CARE ABOUT MUSIC ANYWAY…』(2011)は面白かったです。初めてライヴを観た日本のミュージシャンは秋吉敏子でした。1988年にルー・タバキンとのコンサートを観たのが最初です。また、ずっと前から秋田昌美(メルツバウ)のノイズ・ミュージックの大ファンです。現在日本の即興音楽シーンで活動しているマルコス・フェルナンデスとは、彼が故郷の横浜に移る前にサン・ディエゴに住んでいた頃何年間も一緒に活動していました。
また、日本国籍を捨ててアメリカに帰化してサンフランシスコ・ベイ・エリアに住んでいるミュージシャンもいます。Motoko Honda、Masaru Koga、Shoko Hikage、Kanoko Nishi-Smithなどです。

JT:日本のサックス奏者の梅津和時は知っていますか?音色とフレーズの切れ味、そして、前衛意識とエンターテインメントの同居などスタイルが近い気がします。

RR:知りませんでしたが、検索してみます。

JT:今年1月6日に50歳の誕生日を迎えました。これからの音楽活動の野望を教えてください。

RR:難しい質問です。もちろん、新しいテーマの音楽を作り続け、面白い人と演奏して、地球上の他の場所に音楽を届けたいと思っています。2019年に再びフィンランドを訪れる予定です。いつか日本に行ってマルコス・フェルナンデスや日本のミュージシャンと共演したいです。また、バルト諸国をツアーしたいと夢見ています。

JT:ありがとうございました。いつか日本でお会いできることを祈っています。

●Recent Releases

#1471 『Rent Romus’ Lords of Outland / In the darkness we speak a sound brightness and life』

#1473 『Rent Romus’ Lords of Outland / In the darkness we speak a sound brightness and life』

 

#1464 『Rent Romus / Deciduous : Midwestern Edition Vol. 1』

Share Button
剛田武

剛田武

剛田 武 Takeshi Goda 1962年千葉県船橋市生まれ。東京大学文学部卒。会社勤務の傍ら、「地下ブロガー」として活動する。近刊『地下音楽への招待』(ロフトブックス)。 ブログ「A Challenge To Fate」 http://blog.goo.ne.jp/googoogoo2005_01

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

↓ ロボットでないかお知らせください。 * Time limit is exhausted. Please reload CAPTCHA.