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InterviewsNo. 223

#150(Extra) 『地下音楽への招待』刊行: 剛田武

”行き過ぎることを恐れない”

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剛田武
本誌コントリビューター。『地下音楽への招待』(ロフトブックス)を上梓。

多田雅範
本誌コントリビューター。約2年間の充電期間を経て復帰。
『ECM catalog』(東京キララ社/河出書房新社)執筆メンバー。

2016年10月20日 シンガポール・カペティアム(八丁堀)にて

インタビューをすると言いながら剛田さんに久しぶりに会いたいだけの、自分語りをするだけの結果になったことを反省、それでも剛田さんのナイスガイぶりやちょっとした手がかりを伝えられたところもあります。お読みください。(多田前説)


多田雅範(以下、多): ごぶさたしてました、到底書評を書くだけの地底音楽体験は無かったんだけど・・・

剛田武(以下、剛): 地下音楽ですよお。

多: 地底レコードと混じってしまった。Jazz Tokyoで剛田さんが灰野敬二ライブレビューを毎月のように投稿されていた印象の謎がわかりました。

剛: 2002年に灰野敬二さんの不失者のライヴを観て衝撃を受けたんです。3時間以上大音量の演奏で、完全に別世界へ連れていかれました。灰野さんのことは80年代から知っていて、1stアルバム『わたしだけ』(81)を聴いて畏怖の気持ちに打たれたのですが、生で観る機会はなくて。それ以来毎回ライヴに通うようになったんです。その感想を自分でメモ程度に記録していたのですが、ブログという物があることを知って、自分の気持ちを他の人にも伝えたいと思って2005年に灰野さんのアルバム・タイトルを取って『A Challenge To Fate(運命への挑戦)』というブログを始めたんです。

多: 剛田さんのマニアックなサイトは灰野敬二のアルバム・タイトルからなんだー。アイドルおたくで暗黒音楽おたくで、ね。

剛: そう、灰野さんだけでなく、サイケやノイズや前衛音楽のことをブログに書いていたところ、2011年に、面識のあった編集者の加藤彰さんから「灰野さんの本を作ろうと思うのですが、相談に乗ってください」と連絡がきたんです。それが2012年11月出版された灰野敬二著『捧げる・・・灰野敬二の世界』(河出書房新社)で、僕は年表作成で協力させていただきました。

多: なんと!そうでしたか、福島恵一さんがディスコグラフィー全作を紹介している驚くべき一冊でしたね。年表作成なんて、それこそ本人に取材しなきゃ出来ないのでは?

剛: いえ、灰野さんに限らないと思いますが、アーティストって意外に自分の活動の記録を残していないようなんです。どんな演奏だったかは鮮明に覚えていても、正確な日時や会場名、対バンなどについては記憶が曖昧。アーティストにとっては音楽を演奏することが第一ですから、細かいデータに拘るのはファンだけなんでしょうね。幸いにもアメリカ人の熱心なマニアが私設サイトに詳細なライヴデータを記録していたので、参考にさせていただきました。

多: なるほど、それにしても労作。

剛: それで、加藤さんとの作業は一旦終わったんですが、その書籍に関わる過程でますます地下音楽に縁が出来て、例えばグンジョーガクレヨンの園田游さんや組原正さん、陰猟腐厭の原田さんやBe-2(ハーツヴァイス)の及川禅さん等と知り合ったり、忘れられた音源や資料と偶然に遭遇したりしたんです。

多: グンジョーガクレヨンしか知らないー、笑。

剛: そういう、自分で「地下音楽輪廻の無限回廊」と呼ぶほどの運命的な偶然の出会いが連続して起こり、その顛末を『百鬼夜行の回想録』と題してブログに書いていたところ、それを見た加藤さんからメールをもらったのが2013年1月14日でした。曰く「ブログで書かれていることを元に、『ロック』だけにとどまらない『オルタナティヴ・カルチャー』というか、マイナー音楽について言及した本を、つくることができないだろうか」と。まさかそれから3年半もかかるとは思いませんでしたが・・。

多: でも、その改めて地下音楽に潜り込んでゆく偶然とか遭遇の感じがドキュメンタリーのように伝わってきて、ぼくなんかアーティスト名とか関係者が点と点のようにサウンドの記憶と一緒になってバラバラでしたから、シーンの風景が証言者たちの言葉を通じて垣間見える、像を結んだ感じです。

剛: 多田さんはこのシーンの音楽には・・・?

多: 中央線に住んでいましたからチラシは横目で見ていたくらいでマイナーも知らないし、法政大学学館ホールには5回以上10回未満のライブ体験しかない感じ。灰野敬二は『滲有無』ばかり聴いてた、90年代に近い。竹田賢一さんと大里俊晴さんは文章と語りで大尊敬しているお方ですが、90年代以降の文章や衛星ラジオ放送ですね。

剛: A-Musikのライヴ、と、書かれてますよね。

多: 80年代はもっぱらECMレーベルとその周辺ばかり漁っていて、チャーリー・ヘイデンのリベレーション・ミュージック・オーケストラを掲げて左翼気取りしていたら、東大で宇宙物理をやっていたECMファンクラブの先輩から、じゃあこれは気に入りますかとA-Musikの『エクイロジュ』1983年を聴かせてもらって、すぐにディスクユニオン新宿店に買いに走って、それこそアルバート・アイラー以上に揺さぶられてしまって、ライヴに行ったらそのヴォーカルにさらに圧倒されたという。

剛: ははは、竹田さんがきいたら喜ぶと思いますよ、あ、でも竹田さんインタビューだけはぼくが体調壊して加藤さんに代役してもらってたんです。加藤さんのほうが、結果いい内容のインタビューになりましたけど。中でも大橋巨泉さんがアルバート・アイラーを聴いてジャズ評論家を廃業したって話が好きなんです。逆に竹田さんの音楽にアイラー以上に揺さぶられた多田さんが、僕の本で竹田さんのインタビューを読んでJazzTokyoに復帰するという符号・・・。

多: おれは竹田さんの5万分の1以下だって。誕生日だけ一緒。90年代の後半だったかな、ジャズ喫茶の四谷いーぐるを日曜に借り切って、当時のパソコン通信ニフティ倶楽部ECMのオフ会として20人以上集まって、不失者、マイ・ブラディ・ヴァレンタイン、ストラーダ、デヴィッド・シルヴィアン、ケティル・ビョルンスタ、とか聴きまくったことがあって、その時に竹田さんがいらっしゃってくれたんですよ。

剛: へええ、楽しそうですね。

「不屈の民」演奏:A-Musik
A Musik El Pueblo Unido Jamas Sera Vencido

 

多: わたし、ね、今年になって初めて園田佐登志の『耳抜き 1982-1989』を聴いて、これは当時としてもかなりレベル高かったと驚いていたんです。

剛: 僕は当時吉祥寺マイナーで観たのは東京ロッカーズ系のパンクバンドだけだったので、所謂マイナー音楽に関してはちょっとだけ後追いなんですが、『愛欲人民十時劇場』や灰野敬二『わたしだけ』などピナコテカのレコードには胸ときめかしましたね。それは内容の良し悪しではなく、他では決して聴くことが出来ない「行き過ぎた表現」だったからです。一度開いたら元通りに畳めない折り紙ジャケット(芳賀隆夫『PIYO-PIO』)や歌謡曲のシングルがおまけについた三角ジャケット(Anode/Cathode 『Punkanachrock』)、一枚一枚異なる壁紙を貼ったレーベル面(PUNGO 『1980〜1981』)など、手作りの装丁も自主制作盤の極みでした。CD時代になってそんな楽しみは減りましたが、園田さんの『耳抜き』や山崎春美さんのガセネタやタコの未発表音源を聴くと、レベルが高いか低いかは別として「行き過ぎる」ことを恐れない、というより「その先を目指そう」とする意欲の奔流に魅惑されます。そんな音源がまだまだ世の中に眠っていることを考えると気が遠くなります。

多: その才能に出会ったばかりの園田佐登志さんの証言を中心にこの本が構成されていたので、びっくりです。それに山崎春美さんのページまで読み進めると剛田さんと山崎さんの対決姿勢なり、何と言っても”この本を認めない”というのっけからの檄文、しかも尊敬する大里俊晴さんまで園田さんをディスっているという、何があったんだーという刺激的なドキュメント。

剛: この本を読んだ人が最初に驚くのはそこでしょうね。園田佐登志さんへの敵意については本に書かれたこと以外は僕も知らないので憶測で語るべきではないと思います。ただ、山崎さんの怒りの切っ掛けは、僕がブログに書いた「自殺未遂ギグ」の感想だったことは確かです。自分にとっての衝撃の大きさを説明しようとして「もうこんな世界は嫌だと思った」と書いたのが、山崎さんには非難と受け取られた。確かに逆の立場に立てば、自分の行為や発言に対して「嫌な気持がする」と言われたら、「なんだと、この野郎!」と思いますよね。自分の未熟さを反省するのみです。

多: でもこの本の刊行記念トークショーでは山崎さんとやっているのでしょう?

剛: はい、10月16日に新宿ネイキッドロフトで対談しました。実は山崎さんと直接じっくりと話し合うのは2015年3月のインタビュー以来だったんです。その間のやり取りはもっぱらメールだけだったので、山崎さんもインタビューの時の印象であのような原稿を書いたものの、僕が本当はどういう人間なのか判断できなかったんだと思います。1年半ぶりに対面で「自殺未遂ギグ」の話をするうちに、血を見て怖かったのは確かだけど、僕が受けた衝撃の本質は、山崎さんの命をかけた表現行為に対して、大学という“ぬるま湯”の中でのほほんと生活する自分(たち)に嫌悪感を感じたことだったと分かってきました。それがどれだけ山崎さんに伝わったかは分かりませんが、最後は理解、というより赦していただけた気がします。

多: 音楽を聴くという体験以上だもの。まあ、編集の過程で遺族の意向に配慮するといった経緯もあったみたいですね。ガセネタの『SOONER OR LATER』が出ていなかったら、あのギターの速度の価値、には出会えなかったです。80年代の半ばだったかな、チェーンソーで自分の足を切り落とそうとしたライヴがあったと人づてで聴いて、何だかまったくそっちの音楽シーンには関心が持てなくなってましたね、そっちってどっちだと自分に突っ込みますが。(笑)

剛: 足を切り落としそうとしたのはハナタラシという、後にボアダムスを結成する山塚アイ氏のワンマンユニットですね。観客に「コンサートの開演中にいかなる事故が発生し危害が加わろうと主催者側に何ら責任がないことを誓約いたします」という誓約書にサインさせた上でライヴをやるんですが、ビール瓶や板ガラスを客席に投げつけ、チェーンソーで襲いかかるのは手始めで、挙げ句の果てにユンボでライヴハウスの壁を壊したり、漏れたガソリンに火炎瓶を投げ込もうとしたり、ある外タレのコンサート会場でダイナマイトを隠し持ってたのが見つかり退場させられたり、数々の極悪伝説が残っています。僕も『宝島』や『Fool’s Mate』で記事を見ただけで生では観てないのですが、多田さんと同じように、話だけで嫌悪感を催しました。そもそも僕は、中学時代にフィルムコンサートでディープ・パープルのリッチー・ブラックモアがギターを壊すのを観てショックを受け「ロックなんか二度と聴くもんか!」と決心したことがあるんです。そしてクラシックを聴こうと冨田勲の『火の鳥』を買ったら、シンセサイザーに感動して電子音楽に興味を持ち、親父のレコード棚にあったシュトックハウゼンを聴いて“そっち”に行ったんです。で、シンセ繋がりでプログレに辿り着いて結局ロックに逆戻り。中3でパンクにハマり、高校時代のバンドのライヴでは自分でギターを叩き壊しちゃったんです。だから人生何が起こるか分かりませんね。もしかしたら山崎さんの自殺未遂ギグやハナタラシみたいな、破壊的な自傷パフォーマンスをやっていた可能性もあるかも。

多: リッチー・ブラックモアの札幌レインボー公演女子高生圧死事件に行ってたわ、高校ん時。しかし、すごい場所までシーンは行っていたのですね。

ハナタラシ HANATARASH

 

剛: この本の主人公は音楽でも人でもなく「場」なんです。僕はたまたま80年代前半に地下音楽に触れた経験から「音楽の場」をテーマにしただけで、ジャンルや時代が異なっても「自分の場」を創ろうとした/している人たちはたくさんいます。例えば「NY即興シーン」は、伝統的なロフト文化を継承しつつ、若いミュージシャンが出演できる場所が生まれ、『The New York City Jazz Record』のような活字媒体やウェブサイトがあり、関連音源を放送するカレッジラジオやライヴ映像を撮影して投稿するユーチューバーもいる。もしくは「アイドル・シーン」でもいいです。登場人物を入れ替えれば『NY即興音楽への招待』とか『地下アイドルへの招待』が書けるでしょう。アートや演劇や映画でもOKです。「地下音楽」のことをまったく知らなくても、自分たちの場を作ろうと動き出した人たちが、何かに導かれるように繋がり合い、それぞれの目的に向かって散って行った栄枯盛衰の物語として楽しんでいただきたいですね。

多: なるほど、そこは重要ですね、この本は80年代地下音楽だけの話ではない、と。

剛: はい。僕自身、地上も地下も天国も地獄も全部同じだと思っていますから。

多: 3年前に初めて剛田さんに会ったとき、メアリー・ハルヴァーソンの名前に興味を示されたんでしたよね。

剛: そうそう、ECMの多田さんというイメージだったんだけど、僕がアイドル論を延々ぶちあげて(笑)。話の中でふと口にした「オルタナロック」という言葉に、多田さんがメアリー・ハルヴァーソンのロックバンドPEOPLEのことを話し出して。彼女のことはほとんど知らなかったんですが、「メガネ女子」という形容詞に興味が惹かれて、帰宅してからYouTubeでググってみたら、美人じゃないけど眼鏡が似合う素敵な女性で。多田さんからもらったPEOPLEの音源を聴いたらメアリーの変態ギターや歌もいいけど、ケヴィン・シェイのドラムが強烈でした。そこでケヴィン関連の動画を検索してたら、共演してる凄まじいサックス奏者を発見したんです。それがクリス・ピッツィオコスでした。だから、もしメアリーが眼鏡をかけていなかったら、クリスやニューヨーク即興シーンに出会うことはなかったという。メガネ女子は偉大です。

多: メガネ女子は神だし。それが現代ジャズのコラムを突如として連載開始された。

剛: クリス・ピッツィオコス以外にもニューヨークの即興ジャズの動画がYouTubeにたくさん上がっていることに気付いたんです。エリオット・シャープやヘンリー・カイザーといった有名な前衛音楽家もいるけど、ほとんどが名前も知らない若そうなミュージシャンばかりで、しかもどれも演奏が凄い。「凄い」というのは演奏テクニックや音楽的なクオリティという意味では無くて、創作意欲とエネルギーの凄さです。過去の伝統に縛られないで、自分たちのやりたいことをやりたい方法で表現している。それぞれ動画の再生回数は三桁も行かなくても、毎日のように新たな動画が投稿される。単に音楽が演奏されるだけでなく、それを世界に向けて発信しようという人がいる。シーン(場)のパワーを感じました。この動きをアーカイヴ化するとともに、判り易く紹介しようとしているのがシスコ・ブラッドリーのサイト『Jazz Right Now』だったのです。彼のサイトを発見したときは思わず「コレだ!」と声を上げてしまいました。すぐにシスコに連絡して、日本語版を作りたいと伝えました。Jazz Tokyo編集部も乗り気でOKしてくれて『Jazz Right Now〜今ここにあるリアル・ジャズ』を連載することになったのです。最初は私ひとりでしたが、クリスやNY即興シーンのことをブログで書いていた齊藤聡さんに声をかけて二人体制になりました。齊藤さんは実際にニューヨークへ行って現地のシーンをご覧になっているし、ジャズに関しては僕よりずっと詳しいので、最近はもっぱらお任せしちゃって面目ありません(謝)。

クリス・ピッツィオコス・カルテット Chris Pitsiokos Quartet @ JACK 2-21-16 1/4

多: なるほどねー。この本の付録CDのラストトラックで剛田さんの吹くサックスが聴けますね!まさに、マッツ・グスタフソンかクリス・ピッツィオコスかという、よくわかります。

剛: 以前JazzTokyoに書いたクリスのCDレビューでも告白しましたが、大学のジャズ研からドロップアウト(落ちこぼれ)した僕が拠点にした吉祥寺のライヴハウス『ぎゃてい』でやってたのが付録CDのOTHER ROOMというユニットなんです。マッツやクリスとはテクニックも経験も雲泥の差ですが、やる気だけは一端のアヴァンギャルディストでした。あの時代あの場では“やる気”こそが唯一の正義だったように思います。

多: ぼくはもうフリージャズは終わっていたと思っていたです。なんというか、クールジャズから英国即興シーンへ進んでいったジャズ的な身体感覚に基づいた表現というのかな、なおかつ聴き続けられる謎の強度がある音楽・・・

剛: それが多田さんと益子博之さんとでやっている四谷音盤茶会?いつも行こうと思うんですが、悉く推しのアイドル現場と被ってしまって(泣)。次回はでんぱ組とネクロ魔とブクガとMMMの予定をチェックしてからブッキングしてくださいな。ちなみに地下音楽的にお勧めしたいのは、ネクロ魔ことNECRONOMIDOL(ネクロノマイドル)。“ラヴクラフトのクトゥルフ神話をルーツとする暗黒系アイドル”と説明すれば、興味を惹かれる読者もいるかも。音楽的にはブラックメタルやダークウェイヴと呼ばれるジャンルですが、その発祥地はノルウェーやスウェーデンなので、ECMと共通性がないわけではないかもしれませんよ。テリエ・リピダル、ラウル・ビョーケンハイムに限らず北欧はメタルの聖地ですから。

NECRONOMIDOL – LAMINA MALEDICTUM PV

 

多: ジャズ評論家の益子博之さんがセレクトした音源を聴くのは、ほんと刺激的ですよ、今度齊藤聡さんも誘って来てくださいよー。剛田さんのおかげでJazz Tokyoで蓮見令麻さんのテキストが読めるというんで、蓮見さんのCDは菊地雅章直伝の遺伝子があるのがわかったんです、ぼくはその感謝を伝えたくて今日はここに来たんです!!

剛: ははは。僕としては蓮見さんの前にコラムを書いていただいていた吉田野乃子さんのユルい文章も好きなんです。ジョン・ゾーンに師事しただけあり、サックス・プレイはキレッ切れなのに、文章を読むと腰が砕けるギャップ萌え。蓮見さんの理知的な文章は、クールな演奏スタイルと正比例していて、言わばツンデレ萌えといいましょうか。あ、こんなこと書くと嫌われるかも。って考えると益々萌えちゃうんですけど。

多: おれも。顔も知らないのに、アブナイおじさんだな。それにしても付録CDを併せて聴くと、この音楽は生きているという感じがする。インターネット時代の前夜、「Stay hungry, stay foolish」の前夜という感じがする。今、同じ演奏はできない気もする。でも、もっと聴きたいという渇望があるなあ、日本のフリージャズも60年代の発掘録音はすごいんですよね、なんでだろう。

剛: “前夜”と言えば梅津和時さんと原田依幸さんがNYから帰国後に結成した集団疎開の唯一のアルバムのタイトルが『その前夜』ですね。まさに生活向上委員会大管弦楽団の誕生前夜のドキュメント。日本ジャズ革命前夜という意味もあるでしょう。コンサート・レビューにも書きましたが『生活向上委員会大管弦楽団2016』は素晴らしかったなあ。40年を超えるキャリアの中で初めて実現したドン・モイエと梅津・原田チームの邂逅から生まれたのは、多田さんがおっしゃった「ジャズ的な身体感覚に基づいた表現(中略)、なおかつ聴き続けられる謎の強度がある音楽」そのものでした。“FREE JAZZ IS NOT DEAD(フリージャズは死なない)”という宣言と捉えてもいい。すごいのは発掘音源だけじゃないってことですよ。

多: ぼくらは古い墓をあばく夜のあいだにー、フリッパーズギターな心境になってきた、おれ、呪術的なフリージャズとかよくわからない暗黒音源みたいの、好きだなー。

剛: 今企画しているんですけど、地下音楽の音源だけでDJイベントしようと思っているんです。

多: それは聴きたい!音源はこれからどんどんスポルティとかで聴けるようになるはずで、そこで必要とされるのは選曲眼ですね、ガイダンスがあったらもっと早く遠くへ行ける。

剛: 圧倒的な遠くへ、ですね。僕はJazz and Far Beyondの“Far Beyond”担当を自負しているので、もっともっと遠くへ行きたいと思います。70年代、阿部薫は“もっと速くなりたい”と言い続けましたが、21世紀に必要なのは速度(Speed)ではなく距離感(Distance)なのではないでしょうか。自分だけがスピードを出すのではなく、対象との相対的な距離感を適宜に図ることにより自らの表現の地平を切り開く。そう考えると、クリス・ピッツィオコスが自己のカルテットのデビュー作に『One Eye with a Microscope Attached (片目を顕微鏡に付けて)』という距離感を意味するタイトルをつけたことは、偶然ではなく、共通する時代感覚を示唆していると言えるのではないでしょうか。

多: ”行き過ぎることを恐れない”というのは名言だなあ、地下音楽のテーゼですよ、意識がいま広がったなあ、そのピッツィオコス今度聴かせてくださいよ。剛田さんのサイト見て、でんぱ組.Incを爆音でかけてます。

剛: でんぱ組.Incの推しメンは?

多: ええっ、そこまで行ってないー。(笑)

多田雅範

Masanori Tada / 多田雅範 Niseko-Rossy Pi-Pikoe 1961年、北海道の炭鉱の町に生まれる。東京学芸大学数学科卒。元ECMファンクラブ会長。音楽誌『Out There』の編集に携わる。音楽サイトmusicircusを堀内宏公と主宰。音楽日記Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review。

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