プリンスを失ったことの痛み

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今回プリンスの死に至って日本の友人から『プリンスってそんな有名だったのか』っというメッセージをもらって驚愕した。アメリカではプリンスの死はボウイーの死よりも大きい。アメリカ中の街が紫に染まった。ボストンでもプルデンシャルなどの民間ビルだけでなく、州知事の命でゼイカン橋やサウス・ステーションが紫に染まった。

今大人気のコメディアン、ジミー・ファロンは、『プリンスは紫という色を支配していた。他の誰に色を支配するなどということができただろう』と、プリンス・トリビュートのオープニングで語った。ファロンが言ったもう一つのコメント、『プリンスは死ぬまでスキャンダルと無縁な数少ない有名人だった』というのが心に残る。酒も薬もやらないので有名だったプリンスだ。しかし、その死因がスキャンダラスな結果となりそうだ。ファロンがコメントした時点では死因が全くわからなかったが、どうやら痛み止め(Opioid)の過剰摂取が原因という説が強い。薬物解析には時間がかかるので正式発表はまだだ。プリンスは過去に腰と足首の手術からの回復に苦しみ、痛み止めの中毒になっていたという見解がある。この痛み止め中毒は現代のアメリカの社会問題で、テレビのドラマでもよく話題になる。麻薬より恐ろしいのだ。警官や消防士などが職務中に負傷し、治療の際に与えられた痛み止めの中毒になり、人生が真っ逆さま、という感じだ。

===アップデート===
本日2016年6月2日に死因の正式発表がされた。死因は予想通り痛み止め、Opioid系Fentanylの過剰摂取。この薬はコカインの50倍の強さとも言われている。シーラ・イーストン談『プリンスはステージ上での過激なパフォーマンスによって常に関節等の故障に悩まされ続け、痛め止め中毒になっていた。』
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筆者はプリンスの熱烈なファンというわけではなかった。知っている曲もアメリカ全土で有名になった曲だけだ。しかし、プリンスというのは誰もが知っていて誰もが尊敬していたアーティストだ。マイケル・ジャクソンやボウイーのような普通のポップ・アイコンではない。世の中から受け入れられなくても自分のクリエィティビティーに真摯なアーティストだ。もう一度言うが、音楽に携わるもの全てが尊敬したアーティストなのだ。マイルスのように次元の違う世界の人だった。

筆者がプリンスの名を知ったのは、筆者が1988年に2台目のコンピュータ、Mac Plusを購入した時にテレビでその同じMac Plusをステージ上で操作していたミュージシャン、それがプリンスだった。そして1990年、マイルスの自叙伝だ。マイルスはロリンズをプリンスの歌い方に見た。業界が要求する音楽ジャンルという看板を無視し、プリンスはマイルス同様常に新しい音楽を追求するために茨の道を選ぶ。そんなプリンスにマイルスは自分を見た。

マイルスとプリンス

マイルス:『プリンスは例の教会的なことをやるんだ。プリンスはギターもピアノも最高にうまい(筆者:ドラムもベースもとんでもなくうまい)。だがヤツの教会的なサウンドがヤツを最もスペシャルにしてる。例のオルガンサウンドもだ。黒人のものだ。白人のものじゃない。プリンスってのはオカマ用教会みたいなもんだ(筆者:意味不明)。ヤツの音楽は夜10時11時に遊びに出かけるヤツらのための音楽だ。プリンスはビートと共にやってきて、そのビートの上で演奏する。プリンスってのはきっとセックスの時ラヴェル(筆者:近代フランス作曲家)じゃなくてドラムを頭の中で鳴らしてるに違いない。だからプリンスは白いヤツじゃないんだ。ヤツの音楽は新しく、しっかりトラディションを理解し、88年、89年、90年としっかりと時代を映し出す。ヤツはこのまま行ったら次世代のエリントンだぜ。』マイルスはドラムを始めた自分の娘、エリンに自分の過去のアルバムを聴くよりプリンスを聴け、と言っていたのも有名な話だ。

マイルスが言っている意味は、プリンスは全くジャンルを問わないスタイルをベースにした。その多岐にわたるスタイルに白人のもの、オールデイズやフォークミュージック、フォークロックやロックンロールも多々あり、しかしプリンスはその全てを黒人のビートに変えてしまった、ということだ。これはプリンスにしかできない技であり、未だに他の誰も成功していない。その他にもファルセットや超絶ギター、と、プリンスの偉大さを数え上げればきりがない。プリンスのギターの凄さには言葉を失う。何かの雑誌のインタビュアーがクラプトンに『現存する最高峰のギタリストと言われる気分はどんなものでしょう』と聞いた時、クラプトンは『その質問はプリンスにしてくれ』と答えたのも有名な話だ。

実際プリンスのピッキングには目を見張る。一体どうやってあんなピッキングができるのであろうか。まるで魔法を見ているようだ。速弾きじゃない。グルーヴなのだ。あの遠くから振り下ろすピッキングが出す恐ろしいほどのグルーヴなのだ。そして彼はギターを色々な方向に持ち替える。この動作がものすごくフレージングに役立っていると思う。ロック特有の速弾きを続けるのではない、プリンスのギター奏法の特徴の一つだ。もう一つプリンスのギターに関する特異なことがある。彼は楽器をツールとしか考えていない。B.B. Kingやクラプトンのように自分の楽器をこよなく愛している、とかは全くないようだ。ジミヘンの影響だろうか。プリンスはよく最後にギターを投げる。誰かに当たらないのかといつもヒヤヒヤする。

プリンスの曲作り

さて、プリンスが作曲した曲の数は膨大で、マイルスを含め他のミュージシャンのために書いた曲やサテライト・プロジェクトも含めると、リリースされた数は500にものぼると言われている。正確な数が判明しないのは、誰も数えられないかららしい。それだけ膨大なのだ。本日ネットで騒がれた話題の一つに、どうやらPrince Vault(プリンス金庫)という、映画に出てくるような銀行の地下にある様相の大金庫があり、そこにある未発表の録音はアルバム1,000枚分にも上るらしい。筆者が馴染んだ曲は、アルファベット順に<1999>、<Alphabet St.>、<Baltimore>、<F.U.N.K.>、<Kiss>、<Let’s Go Crazy>、<Purple Rain>、<Raspberry Beret>、<When Doves Cry>等。全ての曲でキーボードのリフ、ベースのリフ、必ず耳に張り付くようなキャッチーな要素がある。だが筆者にとって耳を釘付けにされたのは<Kiss>と<When Doves Cry>だ。そのサウンドの特異さに仰天したのを覚えてる。<Kiss>は世で始めてドライサウンド、つまりリバーブなしのボーカルが録音されたアルバムだと言われている。当然レーベルからはNGが出たが、幸運にもその時点ではプリンスは自分の意見を押し通すだけの力を持っていたという。

しかしプリンスに自分の意見を通させるだけの力ができるまでには長い茨の道があったという。彼は9歳で作曲を始め、16歳で参加していたバンド、グランド・セントラルのメンバーが自分の思ったように演奏しないことに腹を立てており、だからデモテープは自分で全て演奏した。ベースもドラムもピアノもギターも、16歳までには完璧にマスターしていたということだ。後に人間の不安定さを心配しないで良いドラムマシーンをフィーチャーしたり、そのドラムマシーンに過度のゲートをかけてリズムを強調したり、自分のギターにパターンゲートを使ったり、と、新しいビートを作り出す天才であった。ギミックなサウンドは一つもしない。彼のビート感を具現化するためにやっているのがはっきりわかる。

この、自分の頭の中にあるサウンドの忠実な再現は彼の特徴の一つであり、後年もバンドメンバーに対する高い要求は有名な話である。自分が演奏して見せ、その通りやれ、というわけだ。その反面彼のライブステージは多くのインプロ要素を持つ。彼のギターソロなどはそのいい例だが、ステージでの自由奔放な動きはリハーサル風景と比べるとよくわかる。

プリンスのステージ

プリンスはなんといってもライブだ。彼は聴衆を感動させる天才であった。例のマイルスの有名なインタビュークリップ:『プリンスはジェームス・ブラウン、ジミ・ヘンドリックス、マービン・ゲイ、それとチャーリー・チャップリンを全て統合してる』
チャップリンは意外だった。だがマイルスはプリンスの魅了するステージパフォーマンスを言っている。観ているだけで痺れてくる。

てんかんを持って生まれたプリンスは身長約157cm。ところが一旦ステージに立つとそのエネルギーで全てを飲み込んでしまうパフォーマンスだ。2007年のスーパーボールのハーフタイム、筆者はアメフトを見る気はしないのでYouTubeで見られるようになってから見たのだが、大雨の野外でやったものとは知らなかった。関係者が事前にプリンスに大雨だがどうするか、と打診したら、もっと降らせ、と言ったそうだ。ツルツルのステージで高いピンヒールのダンサーたちと、感電しかねないエレクトリックギター4本、関係者はどんな補償問題になるかと生きた心地がしなかったという。

しかし、プリンスはこの世のものとは思えないようなパフォーマンスをした。

この2007年のパフォーマンスからわかることは、自分のサウンドにこだわるプリンスは決して自分の曲にこだわっているわけではない。他人のヒット曲だろうがそのパフォーマンスに必要なら躊躇なく演奏する。<Proud Man>、<All Along the Watchtower>、<Best of You>、プリンス以外のヒット曲だ。それを完璧にプリンス流に料理している。彼にとって音楽はステートメントではなく、楽しむものだというのがはっきりしてる。この執拗なまでにこだわる彼の音楽観とのギャップがまた彼の特徴なのだと思う。

ありがたいことにYouTubeにはプリンスのステージ動画がたくさんある。FacebookにもThe Prince Museumなるものがある。
https://www.facebook.com/PrinceMuseum/
もうプリンスを生で見てプリンスの世界に感動の涙を流すことはできないが、動画でも十分感動できるので是非試して頂きたい。


追記:アメリカにはこんなジョークがある。

ある高名な法皇が昇天した。天国の入り口に着くと、天使が『ご苦労様でした。下界での功績はこちらにも聞こえています。こちらに住んで頂く家を用意しているのでご案内します。

歩いていると家の大きさがまちまちである。

『天使や、家の大きさが違うのはなぜに』

『下界での功績によって、でございます』

法皇、神に仕える身、大きい家をもらいたいなど思ってはいけない、と思いつつも・・

『こちらでございます』

とんでもなく大きな屋敷である。

『これはこれは、こんなに功績を認めていただいたのですね?』

『いや、法皇様のはその隣の小さな方です』

『!!!ではこのお屋敷はどなたの?!』

『デューク・エリントンのでございます』

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今頃プリンスはマイルスとエリントンと大パーティをしているのかな。

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ヒロ ホンシュク

本宿宏明 Hiroaki Honshuku 東京生まれ、鎌倉育ち。米ボストン在住。日大芸術学部フルート科を卒業。在学中、作曲法も修学。1987年1月ジャズを学ぶためバークリー音大入学、同年9月ニューイングランド音楽学院大学院ジャズ作曲科入学、1991年両校をsumma cum laude等3つの最優秀賞を獲得し同時に卒業。ニューイングランド音楽学院では作曲家ジョージ・ラッセルのアシスタントを務め、後に彼の「リヴィング・タイム・オーケストラ」の正式メンバーに招聘される。昨年9月、ブラジリアン・ジャズ・バンド「ハシャ・フォーラ」を率い、新作CD『ハシャ・ス・マイルス』(インパートメント)発売記念ツアーを敢行、東京JAZZ他に出演。 [ホームページ:RachaFora.com] [ ヒロ・ホンシュク Facebook] [ ヒロ・ホンシュク Twitter] [ ヒロ・ホンシュク Instagram] [ ハシャ・フォーラ Facebook]

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