Farewell to Mr. Rudy Van Gelder

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photo & text by Takehiko Tokiwa  常盤武彦

2016年8月25日、ルディ・ヴァン・ゲルダーが逝ってしまった。1989年4月25日に初めて、その伝説的なスタジオで撮影をするチャンスを頂いて以来の日々が、走馬燈の如く駆け巡った。最後にお会いしたのは、2014年のジャズ・アット・リンカーン・センターのディジース・クラブ・コカコーラで開催されたプレステッジ・レコード創立60周年記念パーティで、ヴァン・ゲルダーの90歳のバースディ・イヴェントでもあった。側近のドン・シックラー夫妻に付き添われ車椅子に座っていたが、相変わらず眼光鋭く矍鑠となさっていた。昨年から共同通信社のニューヨーク支局の企画で、ぜひインタビューをと依頼を受け、アシスタントのモウリーン・シックラーに連絡をしたが、ヴァン・ゲルダーの体調がすぐれないので、暫く待って欲しいと言われた。6月に、ニューヨークで活躍するピアニストの海野雅威のフェイスブックに、ジミー・コブ (ds) のニュー・アルバムのレコーディングがRVGスタジオで行われたと掲載される。マイク・セッティングをするお元気そうな姿に、またお会い出来る日も近いと、期待していた矢先の訃報だった。今この原稿を書いている8月27日現在も、まだ心の整理がつかない。気むずかしいことで知られるヴァン・ゲルダーは、実は写真とバード・ウォッチングが趣味で、バス・ルームには、リヴァーサル・フィルムの高価なダイレクト・プリントの現像機があり、自ら撮影した野鳥の写真のカラー・プリントを作るほど凝っていた。私の使うカメラに興味を示しお話をし、以来打ち解けてお付き合いさせていただけた。写真フォルダを検索していて出てくる懐かしい写真を改めてみて、そのキャリアの後半を幾度となく共に過ごさせていただいたことに感謝の念が尽きない。それらの写真にキャプションをつけてギャラリーとしたので、ぜひご覧いただきたい。
ルディ・ヴァン・ゲルダーのジャズ史における偉業は、私が改めて語らずとも周知のことである。ここに2011年の9月20日に、レコード・コレクター誌の依頼により、インパルス50周年の特集で取材させていただいたインタビューを再録したい。

ブルーノートについては1990年代から行方均氏に同行してインタビューを撮影していたので、多くのエピソードを伺っていたが、インパルスについてのインタビューでは、数々の新たな発見があった。ヴァン・ゲルダーは、世代が上のアルフレッド・ライオンや、ボブ・ワインストックには大きな敬意を払っていたが、同志的な紐帯をもって共に仕事をしていたのは5歳下のクリード・テイラーだったことが、明らかになった。インタビュー中、ヴァン・ゲルダーは、あらゆるミュージシャンに対して、記録者としてニュートラルな立場を崩さなかった。原稿執筆最終段階で、結論部分のあなたにとってのインパルス・イヤーとはと、改めて電話で尋ねた。答えは一言「ジョン・コルトレーン (ts,ss) の録音が出来たことが、最大の幸せだった」と語ってくれた。天国で、コルトレーンとの49年ぶりの再会を喜び、最新作を録音しているにちがいない。今はただ、長年のご厚誼をたまわり、ありがとうございました。RVGサウンドは不滅です。安らかにお休み下さい、と伝えたい。

追記  :  アシスタントのモウリーン・シックラーによると、8月27日に身内だけの小規模な葬儀が行われ、ニュージャージー州パラムスのジョージ・ワシントン・メモリアル・パークに埋葬されたとのことです。ご冥福をお祈りいたします。

 

 

 

 

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常盤武彦

常盤武彦

常盤武彦 Takehiko Tokiwa 1965年横浜市出身。慶應義塾大学を経て、1988年渡米。ニューヨーク大学ティッシュ・スクール・オブ・ジ・アート(芸術学部)フォトグラフィ専攻に留学。同校卒業後、ニューヨークを拠点に、音楽を中心とした、撮影、執筆活動を展開し、現在に至る。著書に、『ジャズでめぐるニューヨーク』(角川oneテーマ21、2006)、『ニューヨーク アウトドアコンサートの楽しみ』(産業編集センター、2010)がある。

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