ルディ・ヴァン・ゲルダーの思い出

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text by Kenny Inaoka 稲岡邦弥

 

学生時代、新宿マルミでぼつぼつ、モンクやピーターソン、MJQなどの輸入盤を買い始めていたが、これは自宅鑑賞用。ゴリゴリのハードバップ系はやはりジャズ喫茶の大型再生装置で音圧を胸に受けながら聴くものと決めていた。たまに出かけるライヴに近い雰囲気を手軽に味わえることもあった。当時ジャズ喫茶は競って新譜を仕入れ、ジャズの情報発信基地になっていたが、今振り返るとハードバップをほとんどリアルタイムで聴いていたことになる。そしてそのほとんどがルディ・ヴァン・ゲルダー録音だったのだ。ブルーノート、プレスティッジ、インパルス...。かくして、ルディがブルーノート・レーベルのプロデューサー、アルフレッド・ライオンとのコラボレーションで作り上げた音が、ヴァン・ゲルダー・サウンド、すなわち、ジャズ・サウンドということになる。もう少し絞り込めば、ハードバップ、それを真髄とするモダン・ジャズのサウンドの典型、リファレンスということになる。

幸いにも、そんなルディと一度だけ相見える機会に恵まれたことがある。1979年6月のことだ。同僚・原田和男の紹介でエルヴィン・ジョーンズ・ジャズ・マシーンの日本公演とエルヴィン参加の辛島文夫トリオ『ムーンフラワー』を旧トリオレコードで録音した翌年である。ケイコ夫人を通してリチャード・デイヴィスとのデュオを録音したいとの申し入れがあった。エンジニアには親友のルディ・ヴァン・ゲルダーを指名。断る理由は無い。いや、心が躍った!もともとベースが好きで、エルヴィンとリチャードの名盤『ヘヴィ・サウンズ』(Impulse) は愛聴盤である。しかし、ドラムとベースのデュオは個人的趣向は別としてビジネス的にはいかにも地味だ。それにせっかくのルディ起用だったらやはりサックスは欠かせ無い。そうするとピアノも必要になるな。かくして、思案の末、アート・ペッパーとローランド・ハナのラインナップが決まった。アートは、前年、ロスの妙中俊哉 (SeaBreeze)と共同出資、復帰後の最高傑作と目される『Among Friends』を制作、Donte’sのライヴでも絶好調を確認している。ハナちゃんの生のピアノの音はよく知っているのでルディがどういう音で録音するかに興味がある。この無謀とも言えるアイディアにエルヴィンからすんなりOKが出た。ハナちゃんを起用した理由はもうひとつある。このメンバーでOKが出たら、この録音をルディにダイレクト・カッティングでやらせてみたい。そのとき、『グラヴ』(1977/Trio) でダイレクト・カッティングを経験しているハナちゃんがリーダーシップを発揮してくれるだろう、こんな秘かな目論見があった。ダイレクト・カッティングは文字通りテープを介さずに録音現場で直接ラッカー盤に音を刻み込む。45rpmなので片面15分以内、1度スタートしたらら片面分は演奏を途中で止めることはできない。万一、ミスが出たら、ラッカー盤を取り替え、一から演奏を再スタートする。ミュージシャンはもちろん、エンジニアにも相当なプレッシャーがかかる。ダイレクト・カッティングにもルディからOKが出た!

録音前日、菊地さん(雅章、Pooさん)がセントラルパーク・ウェストのエルヴィンの自宅に案内してくれる。菊地さんは1972年、エルヴィンとジーン・パーラ(b) のトリオで、ルディをエンジニアに迎え『Hollow Out』(Phillips)を制作しているのだ。エルヴィンと菊地さんの間でひとしきりルディの話に花が咲く。ディナーのメインは魚のあら炊き。もちろん、ケイコ夫人の手料理で、エルヴィンはこれを食べている限り健康で力も付くとご満悦。翌日のレコーディングにはエルヴィンの車に便乗させてもらうことにする。

EPK
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hoto by Keiko Jones June 12, 1979

ルディのスタジオに着いて驚いた。アシスタントは付けず、すべてルディがこなす。口数も少なく黙々と必要な作業をこなす。ステージではドラムの位置からマイクのセッティングまで自ら仕切るケイコ夫人もルディの前では手も足も出ない。モニターから初めて出た音を聴いて驚き、笑みがもれた。聴きなれたルディ・ヴァン・ゲルダーのサウンドそのものだからだ。当然といえば当然だが。センターから迫り出る張りと艶のある力強いアート・ペッパーのアルト、ルディ独特のちょっとゴツゴツしたピアノの音、粘りがあるが決して重すぎないベース、迫力のあるバスドラをアンカーにそれぞれが明確なタイコとシンバル、そしてバンドとしての見事なバランス!思惑通りハナちゃんのアドヴァイスを得ながらスムースに録音が進んでいく。エルヴィンが3曲を提案、1曲はケイコ夫人名義のオリジナルだ。エルヴィンの薦めでリチャードとハナちゃんが自作曲を1曲ずつ、アートはビリー・ストレイホーンを選んだ。バンマスはエルヴィンだがメンバーに気を使い、公平に扱う。僕はタイムキーパーを仰せつかったが、細かいキュー出しは必要のないほど彼らの時計は正確だった。1枚目は慎重を期してやや短めに終わったが、2枚目は完璧だった。2枚目の2曲目、<Pitter Pat>はエルヴィンのオリジナル・アイディアを生かし、リチャードとのデュオ、6分23秒と思いがけず長い演奏となったが、この間、アートとハナちゃんのふたりはノイズを出さないように身を硬くして最後の3曲目の開始を待ち続ける。最後の音が消えフェーダーが下された瞬間、緊張から解放されたバンドから大きな笑いがはじけ、ずっと神妙な表情を続けていたルディの顔から初めて笑みが漏れた。ケイコさんと僕は拍手で彼らの健闘を称えた。ラッカー盤にルディが自分の名前を刻み込んですべてが終わった。

エルヴィンから、機材が写りこまないアングルからだったら写真を撮っても良いと許可を得ている、と聞かされていたが、シャッターを切る余裕はなかった。ルディの目を盗んでスタジオ内の写真を撮ったと自慢げに雑誌に書いていたジャズ喫茶のオーナーがいたが、恥ずべき行為だ。物見遊山で出かけたその場限りのアマチュアはいざ知らず、音楽制作を生業とする僕らには考えられない愚行である。

ちなみにアルバム・タイトルは僕が帰りの飛行機の中で考えた。Richard Davisの「R」、Art Pepperの「A」、Roland Hannaの「R」、Elvin Jonesの「E」を続けて、RARE、veryを加えて『Very R.A.R.E.』。心はお分かりのように、このカルテットが一期一会の「きわめて稀れ」な出会いであること、さらに、ダイレクト・カッティングであるから「きわめて生に近い」鮮度のあるサウンドであること。名は体を表す、を地で行ったネーミングと自負しているのだが..。

録音から30年近く経った2006年に刊行された『ヴァン・ゲルダー決定盤101』(音楽出版社)を見て驚いた。2000作を超すといわれるルディの生涯録音の中から選ばれた101作に、このアルバムが取り上げられていたのだ。曰く「このアルバムはヴァン・ゲルダー・スタジオにて録音からマスタリングまで行われた唯一の日本制作盤です」。ちょっと意味合いは違うが、苦労が報われた気がした。

https://www.youtube.com/watch?v=gmm5NeYaVXE

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稲岡邦彌

稲岡邦彌

稲岡邦弥 Kenny Inaoka 兵庫県伊丹市生まれ。1967年早大政経卒。音楽プロデューサー。著書に『改訂増補版 ECMの真実』編著に『ECM catalog』(以上、河出書房新社)『及川公生のサウンド・レシピ』(ユニコム)共著に『ジャズCDの名盤』(文春新書)。Jazz Tokyo編集長。 https://www.facebook.com/kenny.inaoka?fref=ts

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