ミシャ・メンゲルベルクの思い出 Onnyk

閲覧回数 2,183 回

1982年5月5日、ICPオーケストラは、岩手県盛岡市の教育会館大ホールで演奏した。この来日時のツアーの演奏は、盛岡の六日後、大阪でのライブ録音がレコード化され『ヤーパン・ヤーポン』としてリリースされた。

調べれば分かる事だが、一応メンバーを記しておこう。ハン・ベニンク(dr)、ペーター・ブレッツマン(ts, as, bs)、ケシャバン・マスラク(ts, as)、マイケル・ムーア(as, cl)、近藤等則(tp)、ウォルター・ビアボス(tb)、ユープ・マーセン(tb)、ラリー・フィシュキン(tuba)、モーリス・ホルストハイス(viola)、そして指揮と作曲とピアノがミシャ・メンゲルベルクである。

この来日はとてもタイミングが良かったと思う。当時は、ようやく「即興演奏」という「形式」が、「ここには一つの可能性がある」と認められ、ある種の成熟に向かっていた時期だといえよう。

1982年は、仙台のJzzz & Nowの故中村邦夫氏がエヴァン・パーカーを初めて単独で招聘し、全国でソロ・ライブ・ツアーを敢行した年でもある。私もかなり無理をして盛岡で主催を引き受け、130人もの聴衆が入ったことに驚いた。その後これだけの動員数はないと言っていい(正確にいえば、アンサンブル・アルハンゲリスクの公演ではそれを越えたが、招待客が多かったのだ)。私はその年に社会人となり、今、還暦を迎えている。

82年以前の状況でいえば、70年代後半、故間章氏によって、スティーヴ・レイシー、デレク・ベイリー、ミルフォード・グレイヴスという大物が招聘され、ギュンター・クリストマン&デトレフ・シェーネンベルクが来日し、西海岸からはグレッグ・グッドマン、ヘンリー・カイザーらもやってきた。まだあっただろうが、一地方都市に住んでいた私の直接的な経験ではそこまでだ。もちろん、日本でもいろいろなジャンルから「形式にとらわれない自立した即興演奏」を志す人々は多数現れ、東京や京都ではそういう集団による自主コンサートが多数開催され始めた。

毎月、世界のマイナーレーベルから刺激的なレコードがリリースされ、皆、争って聞いた。その中でもリリース直後から名作として、また異彩を放ったのが、即興演奏専門の老舗レーベル「インスタント・コンポーザーズ・プール=I. C. P.」の”TETTERETT” (1977)である。ICPの20番目のレコードとしてリリースされ、その演奏者はICP-10TETとされた。

メンバーを書いておこう。ミシャ・メンゲルベルク、ジョン・チカイ、ギリウス・V・ベルゲイク、ペーター・ベニンク、ペーター・ブレッツマン、ベルト・コッペラー、トリスタン・ホンジンガー、ミシェル・ヴァイスヴィッツ、アラン・シルヴァ、ハン・ベニンク。

ジャズを含む伝統的大衆音楽のスタイルを、自家薬籠中のものとしながら、その細部において、あるいはソロやつなぎにおいて見せる爆発的、かつユーモラスな即興演奏が実に娯楽的だった。

十人規模以上の即興演奏アンサンブルが珍しかったわけではないし、無限定なアンサンブルに堕すことを避けるならリーダーの意向や、作曲という方法が重要になる。それはもう、アレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハ率いるグローブ・ユニティ・オーケストラが先行していた。が、それに比較してICP-10TETのなんと軽く、楽しく、突き抜けている事か!

我が邦では、60年代モダンジャズのリスナー達の性格の名残なのか、「即興演奏」を、ジャズのアドリブの延長上として、あるいはフリージャズの発展型として見る傾向があり、そこにルサンチマンや、一種の闘争的姿勢、反商業主義、反体制的なものを根底に見ようという意識があったように思う。それはそれでひとつのモチベーションであり、否定できない。阿部薫や、高柳昌行のスタイルは日本人の琴線に触れる物があったのだ(生活向上委員会のような若手集団がボーダーレスでユーモラスなアンサンブルを目指した事も記しておこう)。

しかし、ICP-10TETは、そのような意識を払拭した。そのオーガナイザーこそがミシャ・メンゲルクその人だった。既に彼はジャズ界にも広く知られていたが、エリック・ドルフィーの最後の共演者としてだった。即興演奏の愛好家には、ハン・ベニンクとの共演が常に関心をもたれていた。

私のような、ジャズから入って来たのではない即興演奏愛好家には、ICP-10TETの軽やかさは驚異的だった。しかし、ここには実に伝統主義的な。そして音楽文化の違いを感じさせるものがあったことは否めない。デラシネというべきか、あるいはメディアが故郷であるような、我々の世代は何を渇望していたのか。

ICP-10TETの来日は我々の渇きを癒すだろうか。そして彼らは来た。そのメンバーは変っていたがベニンク、ブレッツマンというミシャの長年の盟友がいる。そして近藤等則が牽引車となって日本全国を巡演したのだ。

盛岡では、当時多くのミュージシャンを招聘した喫茶「ママT」の野田良和氏が公演主催を引き受けた。そして私も喜んでそのスタッフになったのだ。私たちは興奮していた。既にブレッツマンやベニンクは間章の遺志を継いだ半夏舎が招聘していたが、あの伝説的存在メンゲルベルクが、ICP-10TETを率いてやってくるというのだから期待は高まった。

当日に盛岡入りした彼らはすぐ、会場での準備を開始した。このとき、ハンは、スネアスタンドが無いと言い出した。我々が急遽見つけて来た練習用の脆弱なスネアスタンドに何の不安も示さなかった。そして3メートルくらいの枝をどこからか持ち込んで来た。

そして開演時間が迫って来た。私はそわそわして、即興演奏界の大物達に少しでも近づきたく、「何か用はないか、欲しいものはないか」というようなことでも聞いてやろうと控え室に入った。その瞬間の事は今でも忘れられない。

他のメンバーとは別に用意された6畳ほどの楽屋に、ミシャとペーターが座っている。そしてハンは広くも無い室内をうろうろしている。ヘビースモーカーで知られるミシャは紫煙を吐いて椅子に沈みこんでいる。

ああ、これは何かレコードジャケットの写真そのままじゃないか!と私は嬉しくなった。

しかしペーターは憮然たる面持ち。そしてハンは苛ついている様子だ。何か議論をしている最中だったようだ。一人、ハンが声を荒げてがなりたてている。ペーターは下を向いてぼそぼそと応じ、ミシャは煙を吐きながら中空を見つめている。あの議論は何語で交わされていたのだろう。

私は一瞬、これはまずい時に入って来たのかと思った。しかし私が入って来ても彼らの態度は一向に変わらない。次の瞬間、これが彼らの日常なのだと了解した。楽屋でのミュージシャンは、いつも和気あいあいで馬鹿話をして盛り上がっているばかりではない。

そして開演。レコードのICP-10TETとはかなり違う雰囲気だ。もっと洗練されているし、見応えがある。巨漢ラリー・フィシュキンがどたばたと駈けて来ていきなり爆音でソロをとってみたり、盛んにサックスを振り回すケシャバンの豪快さ、実にクラシカルな演奏を聴かせるヴィオラのモーリスが、かえって目立つのだ。

そしてミシャは? 立っても座っても、極端な猫背である。まずおかしかったのが、灰皿を鍵盤の上にのせ、くわえ煙草で演奏を続けながら、時々タバコを持ったまま右手で指揮を執る。当然、灰が鍵盤に落ちる。するとそれを払いのけながら、そのキーの音を弾いてしまうのである。それがまた見事にはまる。モンクあるか?

演奏が盛り上がって、ミシャはケシャバンにソロを指示する。しかしあのマックスヘッドルームのような男はにやついて、首を横に振る。ミシャは弾きながら何度も指をさす。ついには立ち上がって何か叫ぶ。ケシャバンはにやついたままステップなど踏んでいる。

諦めたミシャは自分で弾き始めるが、その途端誰かがブワッと、象のくしゃみのような爆音をかます。大体それはラリーの仕業だ。チューバの一発は他のサウンドをかき消すほどの音量がある。だからこのバンドにはベースがない。

ハンの、スネアだけの素晴らしいプレイも聞き物だった(最初の一撃でスティックを叩き折ってしまったハン!しかしいつ壊れるかヒヤヒヤしていたスネアスタンドは最後迄無事だったし、拾って来た大枝でのプレイも会場を湧かせた)。

あのソロ拒否は演出だったのか、そうでなかったのか?いずれ、このオランダ、ドイツ、米国、日本の混成オーケストラの、ユーモアと底力を見せつけられたコンサートが終わった。

打ち上げ会場は、当時東北でも良く知られた「伴天連茶屋」という、土蔵を改装したジャズバー(現在もあるが営業していない)。この店でもよくライブは行われていた。その二階の幾つかのテーブルに分散してメンバーは座し、食事をとった。

当時地元の音楽動向を紹介していたミニコミ「おせっかいパンフレット」から、インタビューの申し込みがあった。そして近藤等則さんのお手伝いでミシャへのインタビューが敢行された。今再録する。

− 今日の演奏に感謝しています(と聞いたつもりがどうこんがらかったか、音楽観について答えられてしまった)。

ミシャ(以下M):即興演奏するということは乗り物に乗って風景の中を行くようなものだ。毎日違った素材でやっていきたい。昨日と今日は違うのだ。

− 曲の組み立てはどうやってるのですか
M:すごく良い質問だ!だが答えが無い(笑)。
− いわゆる手癖というものが、即興演奏ではでてくると思うが、どう考えているか?
M:盛岡は美しい町だね。君たちの職業はなんだい?(理解されなかったのか、はぐらかされたのか不明)
− 貴方の音楽の特徴はなんですか?
M:無い。
− 好きな音楽家や作品は?
M:too many!
− では嫌いなのは?
M:長いリストになるね。
− 自分の音楽はどのような目的を持っていると思いますか?
M:何も無い!
− 自分の作品が永続すること、スタンダードナンバーになることを望みますか?
M:関係ないね。永続しない事を望む。もう既に音楽のライブラリーは一杯なので、少なくすることのほうが大事だ。
− どのような思想や美学に興味を持ってきましたか?
M:一番関心があるのは音楽の論理について。そしてまたファンタジーに最も興味を持っている。時々はファンタズムにもね。
− 音楽表現に於いて、沈黙に積極的な役割を認めますか?
M:沈黙は素晴らしい!そして音楽の最良のものだよ。
− 身の回りのどんな音に興味がありますか?
M:どのような音でも興味を持てる。枠をはめたくはないね。

以上。ミシャ・メンゲルベルク47歳時の言葉である。

インタビュアーによれば質問の後半は、ある雑誌が多様な音楽家にした質問をそのまま使ったとの事である。また意外かと思われるのは、ミシャがファンタジーやファンタズム、つまり幻想や、怪奇な存在というものに惹かれているという点ではなかろうか。私は、共産主義を信奉するポール・ラザフォードを対極に思い出すのだが、ポールもUFOの実在を信じていた。

今、改めてミシャの関わった演奏をいろいろと聞き漁っても、そこに厳密な論理やら、ファンタジーを感じる事は、私にはないと言って良い。そこにあるのはひたすら、ユーモラスで、自発的で、あるべきところに収まるような、派手ではないが確実な、チェスや碁を楽しむような、彼のピアノである。

自宅の食器棚を探り回ってドルフィーとのセッションの録音を発見したように、過去の様々なる音楽スタイルを探り、あれこれ並べ直している彼の音楽。また折角見つけたそのテープを飼っているオウムにずたずたにされ、それを繋ぎ直そうとしている彼の渋面、その傍らに落ち続けるタバコの灰。そんな事を想像して私はにやついてしまうのだ。

そして私は未だに、あの控え室で三人が何を議論していたのか、そして一人黙していたミシャが漂う煙を追いながら、何を思っていたのかが気になるのである。(終わり)

写真出典:
「おせっかいパンフレット」4号 1982.7.30発行
発行者:飯坂真紀、遊座万里
写真撮影:飯坂真紀

(追記:2001年にヴィレム・ブロイカーのBVHAASTからリリースされたICP ORCHESTRA ”OH, MY DOG”ではミシャとハンのほかにW. ビアボスとM. ムーアが再び参加。T. ホンジンガーも復帰した)


Onnyk (きんのよしあき)自己紹介

1957年、盛岡生まれ。現在も同地に在住。
1976年頃から、即興演奏を開始。第五列の名称で国内外に散在するアマチュア演奏家たちと郵便を通じてネットワークを形成する。
1982年、エヴァン・パーカーとの共演を皮切りに国内外の多数の演奏家と、盛岡でライブ企画を続ける。

自主レーベルAllelopathyより以下のアルバムを発表。
“the unsaid” ソロからオクテットまでの多様なアンサンブル。新宿ピットインと荻窪グッドマンで録音。
“in a trice…” 中谷達也、河崎純とのトリオ。入谷ナッテルハウスにて録音
“to whom it may concern” エヴァン・パーカー、バリー・ガイ、竹田賢一との共演ライブ。盛岡にて録音
“ars longa dens brevis” ジョン・ゾーン、フレッド・フリス、豊住芳三郎との共演ライブ。盛岡にて録音。

『山海経』周尾淳一の電子音楽作品。花巻にて録音、盛岡にて編集。

『死後を愛して』倉地久美男、藤本GESO和男の歌曲、自演のカップリングアルバム(30cmアナログ盤)

CD+DVDのボックスセット「第五列」に1970年代〜2000年までの演奏と動画を多数収録。カン・テーファン・トリオ初来日時、キース・ロウ、ペーター・ブレッツマン、ポール・ラザフォード、豊住芳三郎らとの共演動画収録、

米国レーベルPublic Eyesoreより以下のアルバムを発表。

“sotto voce” 同名のカルテット(Onnyk、佐藤陽子、泉山弘道、小原晃)のライブ録音集成。盛岡、東京にて録音。
“private idioms” Onnykのギターソロ集成。盛岡でのライブと自宅録音。

ほか、欧米のマイナーレーベルの企画するコンピレーションや、素材提供型リミックス企画に多数参加。カセット、レコード、CDでのリリースあり。

東京PSFレコードのBorbetomagusのCDジャケット画製作。Harry BertoiaのCD製作のプロデュースを担当。
モダーンミュージックの雑誌「Gモダーン」に音楽評論とレビューを最終号まで継続。
過去には「ORT LIVE」「COS」「Noisecapture」「同時代音楽」にも寄稿。

現在
「ちゃぷちゃぷレコード」のHPや出版物に寄稿。
Deadstock recordsのブログに日本アンダーグラウン音楽の過去や盛岡周辺事情を掲載。
地元バンドでの活動に力を入れている。

連絡:020-0816 岩手県盛岡市中の1-10-34 金野吉晃
電話/SMS:080-1848-7350

 

Share Button

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

↓ ロボットでないかお知らせください。 * Time limit is exhausted. Please reload CAPTCHA.