追悼:生悦住さんと私 Onnyk (きんのよしあき)  

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生悦住さんとの関わりは、非常階段、インキャパシタンツの美川俊治くんの紹介に始まります。彼は、私がニューヨークの怪物トリオ、ボスビトマグースのファンだということから、その日本盤をPSFから出すので、CDジャケット画を描かないかと申し出て来たのです。勿論喜んで引き受けましたが、それまでモダーンミュージックやPSFとは全くおつきあいがなかったのです。幸い、私の絵は採用され、カセットでしか流通していなかったライブが日本からCDとして初リリースされたのは嬉しい事でした。

そして何度か生悦住さんとは電話や手紙でのやりとりをするようになりました。お店にも上京の折には寄りました。

丁度、その頃、モダーンミュージックでは音楽誌を出し始め、それがあの「Gモダーン」だったのです。その当時編集をやっていた沖さんに「何かレビューを書きませんか」と言われ、アルヴィン・ルシエについてちょっと長いレビューを書いたのです。すると、それが好評だったらしく、毎号、字数制限無く書かせていただける事になってしまいました。

また新譜のレビューもせよと、サンプルをもらうこともありました。さらに「埋もれた名盤500」という企画にも寄稿してほしいとのことで、毎号数枚を書いたのですが、全体でもう500は越えたのではないでしょうか。

いずれ、あの雑誌は全くボーダーレスで、島うた、演歌から、サイケデリックなロック、ノイズ、即興、ひとくせあるようなロック、クラシックまで、日本のディープフォークである友川かずき、三上寛は信頼関係があったし、ジャズだってリー・コニッツのソロをPSFでも出しましたね。

一時は編集者が変わって、困ったこともありましたが、結局最終号まで記事を掲載していただきました。内容に関しては一度も意見や修正をいわれたこともなく、生悦住さんの度量の広さの御陰で、私はかなり論考を展開する事ができたと感じています。本当に感謝しています。

また、特筆すべきは、私淑していたアメリカの音響彫刻家ハリー・ベルトイアのCDを出していただいた事です。ベルトイアのレコードは70年代、知られざる名作でしたが、全11枚のアメリカ盤の質の悪さは本当に情けない物でした。録音だけは生前の本人がしており、質は良かったので、なんとかこれをCD化したいと思い、生悦住さんに相談を持ちかけたのです。私がダビングしたカセットを聞いて、即座に承諾してくれました。

「これはいいですね。他で出していないなら、なおのこと、PSFで出しましょう。すぐ交渉開始してください」

歌や声にとても関心が強かった生悦住さんが、あまりパッションの強く無いサウンドアートを、ぱっと即断してくださったのが信じられなかったです。嬉しくて、ハリーの遺族の息子さんにすぐ手紙を書きました。

折しも彼もCDを製作するところだったとのことで、曲がかぶらないようにし、私の聞いてもらいたいハリーのサウンドのモワレが聞ける曲を選び、息子さんからマスターテープを借用しました。この古いテープが安全に太平洋を往復するか、また、ちゃんと東京でマスタリングできるかとても心配でした。

また息子さんは色々と資料を送ってくれ、後には自分が作ったという小ぶりのベルトイアスタイルの彫刻をくださったし、ハリーの版画集もくれました。

アトリエ内で撮影された未発表の写真と、私の拙い「ハリーとの架空対話」スタイルで書いたライナーをつけ、生悦住さんは全て仕上げてくれました。それだけではなく、アメリカで制作されたCDには無かったジャケット印刷までして先方に送り、米盤百枚とPSFの盤と交換してくれたのです。

ベルトイアのCDを日本で制作出来たのは私の行った仕事の中でも最も価値がある事だと思います。そして何より、生悦住さんとの共同作業の貴重な成果です。

顧客としても厚遇してくれました。私がESPの復刻CDを全部買うと決めたので、それが出る度に送ってくださったのですが、いつも値引きしてくれて、またおまけで「これ聞いてみて」とサンプルなど付けてくださったり、随分あまえさせていただきました。

私も次第に多忙となり、また家計の事もあって次第にCDやレコードを買わなくなりましたが、それでもGモダーンへの執筆だけは一番大事な仕事のひとつと位置づけていました。私がレビューを送らないと「スペース開けて待ってるから」とメールが来るのでした。

くどくど書いてしまいましたが、生悦住さんの音楽観で、とても興味深いと思った事を書いておきます。

「私は、音楽だけはリアルだと思うんです。つまり絵にしても映画にしても、作品としては間接的ですよね。何かを絵の具とかで、その形に見えるようなものにしたり、映画なんて結局演出して、編集して作られてるじゃないですか。でも音だけはどうされても、聞こえた、そのまんまでしょう。嘘がつけないんですよ。音楽は」

この通りおっしゃった訳じゃないですが、こんな内容であったのは確かです。異論はあるでしょうが、声、歌をお好きだった生悦住さんのならではの言葉、その気持は良く伝わるのではないでしょうか。(合掌)


Onnyk (きんのよしあき)自己紹介

1957年、盛岡生まれ。現在も同地に在住。
1976年頃から、即興演奏を開始。第五列の名称で国内外に散在するアマチュア演奏家たちと郵便を通じてネットワークを形成する。
1982年、エヴァン・パーカーとの共演を皮切りに国内外の多数の演奏家と、盛岡でライブ企画を続ける。

自主レーベルAllelopathyより以下のアルバムを発表。
“the unsaid” ソロからオクテットまでの多様なアンサンブル。新宿ピットインと荻窪グッドマンで録音。
“in a trice…” 中谷達也、河崎純とのトリオ。入谷ナッテルハウスにて録音
“to whom it may concern” エヴァン・パーカー、バリー・ガイ、竹田賢一との共演ライブ。盛岡にて録音
“ars longa dens brevis” ジョン・ゾーン、フレッド・フリス、豊住芳三郎との共演ライブ。盛岡にて録音。

『山海経』周尾淳一の電子音楽作品。花巻にて録音、盛岡にて編集。

『死後を愛して』倉地久美男、藤本GESO和男の歌曲、自演のカップリングアルバム(30cmアナログ盤)

CD+DVDのボックスセット「第五列」に1970年代〜2000年までの演奏と動画を多数収録。カン・テーファン・トリオ初来日時、キース・ロウ、ペーター・ブレッツマン、ポール・ラザフォード、豊住芳三郎らとの共演動画収録、

米国レーベルPublic Eyesoreより以下のアルバムを発表。
“sotto voce” 同名のカルテット(Onnyk、佐藤陽子、泉山弘道、小原晃)のライブ録音集成。盛岡、東京にて録音。
“private idioms” Onnykのギターソロ集成。盛岡でのライブと自宅録音。

ほか、欧米のマイナーレーベルの企画するコンピレーションや、素材提供型リミックス企画に多数参加。カセット、レコード、CDでのリリースあり。

東京PSFレコードのBorbetomagusのCDジャケット画製作。Harry BertoiaのCD製作のプロデュースを担当。
モダーンミュージックの雑誌「Gモダーン」に音楽評論とレビューを最終号まで継続。

過去には「ORT LIVE」「COS」「Noisecapture」「同時代音楽」にも寄稿。

現在

「ちゃぷちゃぷレコード」のHPや出版物に寄稿。
Deadstock recordsのブログに日本アンダーグラウン音楽の過去や盛岡周辺事情を掲載。
地元バンドでの活動に力を入れている。

連絡:020-0816 岩手県盛岡市中の1-10-34 金野吉晃
電話/SMS:080-1848-7350

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