So long Geri.

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ジェリ・アレン(p)と最初に出会ったのは、1988年の筆者の渡米直後、当時破竹の勢いで快進撃していたスティーヴ・コールマン(as)率いるM-Base一派の、BAM(ブルックリン・アカデミー・オブ・ミュージック)での決起集会コンサートだった。ジェリとカサンドラ・ウィルソン(vo)が紅一点ならぬ二点で、強面もてのプレイヤーが並ぶ中、華やかさをもたらしていた。理知的な中にワイルドさを秘めたプレイは、次世代を担うM-Base の面々の中でも、ずば抜けた存在感を誇っていた。翌年4月、ディスク・ユニオン制作のチャーリー・ヘイデン(b)、ポール・モチアン(ds)とのトリオのアルバム『セグメンツ』のレコーディングでも、ご一緒した。大ヴェテラン2人に囲まれ、端正なビバップから、フリーキーでイマジネイティヴなプレイが印象に残る。またラルフ・ピーターソン(ds)との双頭ユニット“Vクインテット”もヒットを飛ばし、日本でもその名を知られるようになってきた。そして彼女は、90年代輝かしいキャリアを着々と構築していった。彼女のレッスンを受けた生徒は、ジェリの最も憧れるピアニストは、ハービー・ハンコック(p)と聞かされていたそうだ。2000年代に入って、ジェリとは、また様々なフェスティヴァルやクラブで、会うことが多くなった。現時点で最後のアルバム・リリースとなっているデヴィッド・マレイ(ts,b-cl)、テリ・リン・キャリントン(ds)とのパワー・トリオのリリース・ライヴも取材した、80年代後半から変わらぬ輝きと、円熟の境地が加わっていた。最後に撮影したのは、今年年頭のNYCウィンター・ジャズ・フェスト。チャーリー・ヘイデン(b)の未亡人、ルース・ヘイデンがプロデュースするリベレーション・ミュージック・オーケストラに、カーラ・ブレイ(p)に代わって起用された。ヘイデンが、最も愛したピアニストの一人だったジェリは、ヘイデン譲りのスピリチュアルなプレイで期待に応えたが、そのときすでに病魔に侵されていたのであろう。死の前日の6月26日にラルフ・ピーターソンのフェイスブック・ページで、ジェリが重篤な状態があるのを知った。回復を祈っていたが、翌27日訃報が発表された。まだ60歳、その輝かしいキャリアを築いて行く過程を目撃していた一人として、残念でたまらない。まだまだ素晴らしい音楽をクリエイトし、新たな扉を開いてくれると思っていた。今は、謹んでご冥福をお祈りしたい。

 

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常盤武彦

常盤武彦

常盤武彦 Takehiko Tokiwa 1965年横浜市出身。慶應義塾大学を経て、1988年渡米。ニューヨーク大学ティッシュ・スクール・オブ・ジ・アート(芸術学部)フォトグラフィ専攻に留学。同校卒業後、ニューヨークを拠点に、音楽を中心とした、撮影、執筆活動を展開し、現在に至る。著書に、『ジャズでめぐるニューヨーク』(角川oneテーマ21、2006)、『ニューヨーク アウトドアコンサートの楽しみ』(産業編集センター、2010)がある。

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