ムーハル・リチャード・エイブラムスとの在りし日をしのぶ

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RIP Muhal Richard Abrams

text by Masahiko Yuh 悠雅彦

ウォルト・ディッカーソン、辛島文雄の訃報から大した時を経ずして、WHYNOTレーベルにリーダー作を吹き込んだピアニスト、というより現代シカゴ・ジャズ界の父ともいうべきリチャード・エイブラムスが永眠した知らせを聞いた瞬間、咄嗟に思い浮かべたのはもう40年以上前の1975年5月、本誌(JazzTokyo)現編集長の稲岡邦彌氏(当時トリオレコード)と連れ立って初めてシカゴの黒人地区を訊ねた時のことだ。当時のメモを引っ張り出すと、正確には5月6日。8日から始まるAACM(創造的音楽家の進歩のための協会)フェスティヴァルのオープニングに出席するためだった。この初代会長がエイブラムスだった。もともとエクスペリメンタル・バンドを組んで吹き込む(1961年)などニュー・ミュージック志向を鮮明にし、AACMの方向性やポリシーも新しい発想と音楽志向を強く打ち出したエイブラムスだったが、とりわけ強く印象に残っているのがフェスティヴァルの開幕日と、最終日(日曜日の11日)の取りを飾ったAACMビッグバンドの演奏で、そのリーダーが彼だった。特にエイブラムスのアレンジ能力に脱帽し、資金さえあればこのビッグバンド録音を制作したいと思ったほどだ。彼の新録音をホワイノット・レーベルから発売しようというプランはシカゴに向けて発つ前にすでにあったと記憶するが、何より驚いたのはレコーディングの話を切り出した最初の交渉の席で、彼が吹込料として7000ドルの他に新品のヤマハ・グランドピアノを真剣な面持ちで要求してきた瞬間であった。このときは二の句がつけないほど仰天した。この途方もない要望にはしかし、他方でもっともな面がないわけではないことに気がついた。というのは、黒人音楽家が白人のプロデューサーやレコーード会社に搾取されてきた歴史と現実があることを、当時の黒人ミュージシャンたちが暗黙裏に認識し、正当なギャランティーを要求する気運が生まれつつあり、とりわけシカゴの進歩的音楽家の間でそうした理解が進みつつあったからだ。

 もちろん私にとっては法外な吹込料をそのまま吞むことはありえず、話しあったすえ妥当な額で落ち着いたものの当時は尻尾を巻いて退散する覚悟をしかかったほどだった。当時この経験を振り返って、AACMの多岐にわたる活動には単に音楽面での革新ばかりでなく、人種差別とも関連するさまざまな差別や格差を打破し是正する運動も包含されていたことを思い知るにいたったのであった。その意味ではニューヨークではほとんど体験したことのないこの経験が私個人に大きな示唆をもたらしてくれたといってもよいだろう。振り返ると、今昔の観が深い。

 いささか追悼の辞からは脱線してしまった感がなくはないが、このAACMフェスティヴァル体験を通して同じ歳のジョセフ・ジャーマンや故マラカイ・フェイヴァースらと知己を得、ヘンリー・スレッギルやチコ・フリーマンと親交を深めて彼らの初リーダー作を制作することができたことだけでも、私にとってこのシカゴ体験はかつてない至福といっても言い過ぎでない理解と貴重この上ない時間を与えてくれた。こんな体験にはその後巡り会ったことがない。

 フェイヴァースとともに、いまはただ、ムーハルの冥福を祈る。

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悠雅彦

悠雅彦

悠 雅彦:1937年、神奈川県生まれ。早大文学部卒。ジャズ・シンガーを経てジャズ評論家に。現在、洗足学園音大講師。朝日新聞などに寄稿する他、「トーキン・ナップ・ジャズ」(ミュージックバード)のDJを務める。共著「ジャズCDの名鑑」(文春新書)、「モダン・ジャズの群像」「ぼくのジャズ・アメリカ」(共に音楽の友社)他。

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