ニューヨーク:変容する「ジャズ」のいま 第12回 ヘンリー・バトラー~ニューオーリンズの面影

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ブルックリンへと移動したアンダーグラウンドシーン

ここ十年程の間にマンハッタンの家賃は高騰し続け、NYの音楽シーンで重要な役割を果たしてきたトニックやニッティングファクトリーなどのライブハウスそして数々のレコード店が閉店や移転を余儀なくされた。一方で、マンハッタンからひとつ橋を渡ったブルックリンやクイーンズ地区へのアーティストや若者たちの移住が進むにつれて、新しいライブハウスもぽつぽつと誕生している。私は過去十年程ずっとブルックリンに住んできたので、電車だったら1時間半から2時間ほどもかかってしまうクイーンズのことはよくわからないのだが、ブルックリンでジャズ関連の音楽の聞ける場所に関しては割と良く知っている方だと思う。その中のひとつ、バー・ルナティコは、確か2年程前にベッドスタイ地区にオープンした。丁度ブルックリンの北側と南側を分ける境目の辺りに位置するこの場所は、人種問題を描いたスパイク・リーの代表作、『Do the right thing』(1989)が撮影されたエリアからわずか数ブロック先というなかなかコアなロケーションだ。

映画を見た人はなんとなく分かるかもしれないが、このベッドスタイ地区はもともとアフリカン・アメリカンの居住者が大多数を占めていた。だが、ここ5年ほどの間、今までマンハッタンに住んでいた中流階級層の人々が、家賃がより手頃なこれらの地区になだれこんでいる。この現象はジェントリフィケーションと呼ばれていてニューヨークでは物議を醸す話題のひとつである。より裕福な層の人々が、昔はいわゆる「ゲットー」と呼ばれた様な地域に移り住むことによってその場所の家賃が上昇し、結果としてある程度治安が改善したり街並みがヒップになったりする一方で、もともとの居住者達が何十年も住んでいた家を追い出されてしまうという現象が起きている。そういった意味でもストリートの空気には少なからず緊張感のあるこの場所で、こじんまりと灯りをともして近所の人々に音楽を提供しているのがバー・ルナティコだ。お洒落な異国風の内装が、店に漂う親密な空気と音楽の匂いでうまくまとめあげられている。細長いバーに立てかけられたいくつかのスツールと、小さなテーブル席が窓際に数個とステージ前に数個あるだけのごく小さな店だ。店の一番奥には、4人もミュージシャンが並べば狭く感じるくらいの簡素なステージがあって、その端にはアップライトピアノが照明に照らされて佇んでいる。

ピアニストのためのピアニスト

ある日、バー・ルナティコのホームページを眺めていたら、ニューオーリンズのピアニスト、ヘンリー・バトラーという文字が目に入った。その夜は、夜中12時から今年最大のスノー・ストームがやってくるので外出を控えよという警告がニューヨーク州全体に出されていたのだけれど、なんだかこの機会を絶対に逃してはいけない気がして私はブルックリンを上下に走る市バスに乗り込んだ。バー・ルナティコにつくと、すでに店は熱気に溢れていた。純粋に音楽を聴きにきた人も居れば、一杯飲みに立ち寄っただけの人も居る。上手い具合にステージ前のピアノがよく見える席に座れたので、カクテルとオリーブのマリネをたのんで開始を待つことにした。すぐ横の席ではバトラー氏が誰かと顔を寄せ合って周りの喧騒とは別世界の静かな会話に興じていた。しばらくすると彼は立ち上がり、案内役に導かれてピアノの前に座った。第一声に少し訛りのある話し方で彼はこんなことを言った。「今夜はもう、5杯ビールを呑んで、マリファナも吸って、ヘロインをやった後にバーボンを3杯呑んで、それから赤ワインを何杯だったかな・・」ヘンリー・バトラーというピアニストの人となりを全く知らない私は、彼が一体冗談を言っているのか本気なのかわからず一瞬困惑したのだけれど、後になって彼がインタビューでこう話しているのを聞いて、それがまったくの冗談だったことを知った。「ニューオーリンズ時代、ジェームス・ブッカーのピアノには心酔していたものの、ブッカーの生き方(ドラッグを常用していた)に共感できなかった為に一緒に時間を過ごすことは意図的に避けていた」と。

ヘンリー・バトラーの両手が鍵盤を叩き始めてほんの十秒もたたないうちに、私はそこに自分が座って彼の演奏を聴いていることに心底感謝し、1分が過ぎる頃には感極まって目を潤ませ、その5分後には変幻自在のピアノ・グルーヴに感嘆の声をあげ、最初の曲が終わる頃にはすっかり完全なユーフォリアに包まれていた。私はとにかく、そのピアノの熱量と異質さに耳を奪われていた。世界中のすべてのピアニストがこの演奏を目にするべきだとさえ思った。ニューヨークでこれまでに聴いてきた数々のピアノ演奏とは別次元の圧倒的な存在感がそこにはあった。底抜けに明るい音。しかしその明るさは反対側にある暗闇を陵駕することなく、ブルースを全身にまとって、まるで人懐っこい野良猫の様にいとも簡単に私達の領域に滑り込んでくるのだ。

>> Henry Butler “Butler’s Boogie”

土地に繋がれた音、個人の紡ぐ音

ヘンリー・バトラーの音楽は、ニューオーリンズそのものだった。ある土地の特有の気候や文化によって育まれた音楽の響きというものには独特の説得力がある。もちろん、ジャズに関しても、北欧のもの、日本のもの、ニューヨークのもの、とそれぞれの土地に付随する音楽的表現の【傾向】というものはなんとなくあるのかもしれないが、元来ジャズの持つディアスポリックな性質によってその境界線は現代までに非常に曖昧なものとなってきた。そういった意味で、ジャズと呼ばれる音楽に関して言えば「土地が音楽を通して何かを表現する」という感覚よりも、「音楽家の個人性が何かを表現する」という感覚の方が強いように思う。もちろんこれはとても相対的な見方ではある。だが、例えばブラジルの歌手カルトーラの音楽が強烈にリオデジャネイロの空気を示唆する様に、ヘンリー・バトラーの音楽からはニューオーリンズがこれでもかと匂い立っている様に私には感じられたのだ。

土地と音楽家が互いに持つ親密さのおかげで音楽にすべてが委ねられている、そんなある種の安心感がそこにはあった。と同時に、ヘンリー・バトラーという音楽家の自主性が失われることは決してない。竜巻の様に上昇し続け、ダンスし続けるグルーヴのモーメンタム。これがニューオーリンズなのか、と思った。左手のブギウギのグルーヴは様々なバリエーションに変化し続け、右手が撫でるメロディはメアリー・ルー・ウィリアムスのエレガントなブルース・ラインを彷彿とさせ、時にフリーっぽく構成が崩れていく瞬間の鍵盤を叩く音の力強さにはセシル・テイラーを思い出さずにはいられなかった(バトラー氏曰く、「最近彼がやってる内容については知らないが、70年代にセシル・テイラーがやっていたことは素晴らしく気に入っていた。」そうだ。)そしてそこに歌が入ってくる。彼の歌は、リズム&ブルース、ゴスペル、そしてカントリー的なヨーデルさえも入り乱れる、まさにニューオーリンズらしい歌だ。この歌がまた素晴らしくソウルフルで親しみやすく、ピアノの技巧的表現と混じり合い絶妙なバランスを生み出していた。

南部ルーツの音:オーティス・スパン、ジェームス・ブッカー

ヘンリー・バトラーの演奏スタイルを目にしながら、私の脳裏に浮かんだのはオーティス・スパン、そしてジェームス・ブッカーだった。3人ともが南部の出身で、ピアノを弾きながら歌う。オーティス・スパンと言えばシカゴ・ブルースの代表格として知られるピアニストだが、彼のもともとの出身地はミシシッピだ。20世紀初頭から中期にかけて起きたグレート・マイグレーション(合衆国南部から北部への黒人の大移動)、多くのミュージシャン達がこの時期にシカゴやニューヨークへ移ったが、オーティス・スパンもその中の1人だった。南部から北部への移動は、当時のアメリカ黒人達にとって自由と独立を意味していた。ミシシッピからシカゴへと渡ったブルースには人種差別のはびこる南部での暮らしからの解放感が加わり、そのサウンドは次第によりアップビートで都会的なものへと変わっていったという。故郷の音楽を弾き続けると同時に、そこに個人的な経験や環境の変化をストレートに織り交ぜていくこと、それは音楽家にとってごく自然なことなのだと思う。ある種の帰巣本能、そして新しい領域への探求心の間を行き来しながら、人間を媒体とした【土地の表現】は変容し続けてきた。

>> Otis Spann “T’Aint Nobody’s Business If I do”

もうひとりのピアニスト、ジェームス・ブッカーはニューオーリンズで生まれ、その短い生涯をニューオーリンズで終えた。ヘンリー・バトラーはジェームス・ブッカーについて「ドビュッシーやベートーヴェン的なアイディアでさえブルースに織り込み自分のものにしてしまう。」と話し、ドクター・ジョンは、「ニューオーリンズの生み出した、黒人でゲイでひとつ目でジャンキーの最高に冴えてるピアニストだ。」と話した。ドラッグに溺れて最期はオーバードーズで命を落としてしまった天才的なピアニスト。現役の間ヨーロッパやロサンジェルスなどに赴いて録音やコンサートをこなすことはあったものの、彼の帰る場所はいつもニューオーリンズだった。そんな彼の音楽は、どこまでも「ジェームス・ブッカー」で、どこまでもニューオーリンズだったと言える。ジェームス・ブッカーの音楽の強力な基盤にもなっている、ニューオーリンズ的音楽言語というのは、彼に師事したことのあるヘンリー・バトラーの演奏に確実に受け継がれている。カントリー、クレオール、カリビアン、ブルース、アフリカ、様々な要素を、ニューオーリンズという土地の持つまるで磁石のような何かがひとつにまとめあげて培養してきたのが、ニューオーリンズ・ミュージックなのかもしれない。

>> James Booker “On The Sunny Side Of The Street”

Do you know what it means to miss New Orleans?

2005年のハリケーン・カトリーナのことを覚えているだろうか。アメリカ南東部を襲ったこの巨大ハリケーンは各地に大きな爪痕を残した。特にニューオーリンズは莫大な被害を受け、被災・復興を通した政府の失策は多岐に渡る問題を巻き起こした。カトリーナ被災後のニューオーリンズという街の様子をドキュメンタリータッチで事細かに描写した『トレメ』(HBO, 2010-2013)というドラマがある。この作品を監督したデヴィッド・サイモンは、元はボルティモア・サン紙で記者をつとめていた経歴の持ち主で、そのジャーナリスト的な観点を武器に社会問題に焦点を当てながらもストリートからの目線で人々のリアルな生活を描いた。この物語の中にはニューオーリンズの音楽のリアリティが沢山盛り込まれていて、実際にドクター・ジョンやジョン・バティステなどのニューオーリンズ・ミュージシャン達が大勢出演している。アメリカで過ごしてきた時間の過去十年以上を千マイルも北に離れたニューヨークで暮らしてきた私にとっては、ニューオーリンズの雰囲気や音楽がものすごくエキゾチックに感じられたし、ハリケーン・カトリーナがどれだけの影響を人々の暮らしに及ぼしたかについても知ることができ大いに感銘を受けた。

現在ニューヨークに暮らすヘンリー・バトラーも、実はカトリーナに被災した1人だった。復興の目処がたたず、長年住んだニューオーリンズの家とピアノを手放して移住せざるを得なかったのだという。土地と密接に結びついたニューオーリンズ・ミュージックを演奏してきた彼が、常に異種混合の起こるニューヨークという場所でこれからどんな風に変化していくのか、または変化せずに場所を変えてニューオーリンズを表現し続けるのかに私はとても興味がある。

実際にヘンリー・バトラーがニューヨークに基盤を移した後にコラボレーションをしたのが、トランペット奏者のスティーヴン・バーンスタインだ。ジョン・ゾーンをはじめとするダウンタウンの前衛・アンダーグラウンド・シーンの音楽家達との共演歴のあるいかにもニューヨークらしいミュージシャンであるバーンスタインは、ヘンリー・バトラーとのコラボレーションで『Viper’s Drag』(Impulse!, 2014)というアルバムを作り上げた。バトラーのピアノを核にして録音されたこのアルバムの内容はかなりニューオーリンズの伝統に忠実な仕上がりになっているが、時折クラリネットの音がクレズマーに聞こえたりするのはやはりニューヨーク的な愛嬌の仕業なのかもしれない。これからもっと沢山の音楽的な化学反応を耳にしたいと思う一方で、ニューヨークの寒空の下で聴くニューオーリンズ・ミュージックもずっとそこにあって欲しいと思う。純粋な伝統、混合された伝統、伝統の不在、私たちを取り巻く空間とその境界線は自在にその形を変えながらある時はとどまり、またある時は進みつづけていくのだ。

>> Interview “Henry Butler: Rhythm & Blues and Jazz” by Library of Congress

>> “The Butler Did It: An Interview with pianist Henry Butler” by Brian L. Knight of The Vermont Review

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蓮見令麻

蓮見令麻(はすみれま) 福岡県久留米市出身、ニューヨーク在住のピアニスト、ボーカリスト、即興演奏家。http://www.remahasumi.com/japanese/

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