ニューヨーク:変容する「ジャズ」のいま 第7回 フリン・ヴァン・へメン~音楽らしい音楽、のすべて~

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The Walk to Paradise Garden

庭の向こう側にふと見えた草木の繁み、その僅かな隙間からこぼれる午後の太陽の光に導かれて取り憑かれた様に緑を分け入って光の方へと進むと、少年はいつの間にか深い森に足を踏み入れていた。

孤独という恵まれた環境、そして湧き上がる好奇心に背中を押され、少年はその森に潜在的に存在する独特な世界の色彩と音色をひとつまたひとつと発見していく。こうしてそれぞれの「世界」を覗いていくうちに、自分の目に見えるもの耳に聞こえるもの、つまりそれぞれの「世界」を形づくるものすべてが、自身の知覚から生まれていたことを知る。少年は自分自身の精神という森を探検していたのだ。

まるでパラレル・ワールドの様な世界、恐れに勝る純粋な美と探求心、そんな情景を思った。机に置かれたユージン・スミスの写真集の一頁の、「楽園への歩み」と題された作品とこの音楽は私の感覚という管(くだ)を通して奇妙に、しかし親密に繋がりを持った。

独自の世界観

長く続く白昼夢を見るような音楽的体験をしたことはあるだろうか。

外側にベクトルの向く音楽を聞くのは確かに開放的で愉快な気持ちになるかもしれないが、自分の内側に深く沁み渡るような音楽を聞くのは時として瞑想にも勝るほどの精神の滋養となる。

『Drums of Days』(Neither Nor, 2016) は、オランダ出身、ニューヨークで活動するドラマー、ピアニスト、作曲家のフリン・ヴァン・へメンの初リーダー作だ。メンバーはトッド・ニューフェルド(アコースティック・ギター)、アイヴィン・オプスヴィーク(ベース)、フリン・ヴァン・へメン(ドラム、ピアノ)のトリオ、そして1曲のみ、トニー・マラビー(ソプラノ、テナーサックス)が参加している。

ヴァン・へメンのドラマーとしての演奏は幾度となくライブで聞いたことがあったのだが、正直に言うとこのアルバムを聞くまで彼の音楽的世界観の幅の広さ、その独特さを私は知らなかった。ヴァン・へメンのドラムはもちろん本作品の中で聞くことができるが、その演奏はきめが細かく有機的で美しい。興味深いことに、このアルバムでは彼のドラム演奏はあまり全面に押し出されておらず、フェルドマン的でミニマルなピアノ演奏と、ヴァン・へメン自身の作曲、そして音楽的構成の緻密さが彼の独自の世界観を表現する軸となっている。

まず興味をひかれたのは、アルバムの構成なのだが、この作品のあらゆる場所には静かな驚きを起こす瞬間がちりばめられている。一曲一曲の性格が全く違うとも言えるだろう。長く響き渡るピアノの和音をモチーフにした静謐な曲もあれば、フィールドレコーディングに自身の演奏をオーバーダブしたもの、それから同じ詩を朗読する数人の異なった声が音楽に重なり合う曲があり、スタンダードなフリーのトリオ演奏の様な曲もある。それだけの音楽的内容の幅があってなお、全体として非常に上手くまとめあげられているのは見事としか言いようがない。

本作品を聞けば聞くほどに私が感じたのは、いわゆる現代ジャズ的な音の手触りとの決定的な違いだ。ジャズというイディオムをヴァン・へメン自身が音楽家としてどのように捉えているかは、後半のインタビューで述べられているのでここでは深く掘り下げることはしないが、彼の作り出す音には、洗練された都会っぽさというものがあまりないのだ。それは、少しだけ荒削りな録音の質にもよるかもしれないが、その録音が逆に功を奏しているのではないかと思えるくらいに音の手触りには深く自然な充足感がある。現代のジャズアルバムを聞く時に覚えるある種の冷たさのようなもの、ヤスリをかけられて完璧な表面をほどこされた上にガラスの器に入れられた様な距離感に対するフラストレーションを、この音楽は静かにとりはらってくれた。ステレオから流れる音を聞きながら私がずっと感じていたのは、森や草原や海という自然の音とその有機的で飾らないたたずまいだった。

インタビュー

蓮見(以下H): 今年リリースされたアルバム、『Drums of Days』について話してもらえますか?このアルバム制作にあたって、何か明確なコンセプトの様なものがあったのでしょうか?

フリン・ヴァン・へメン(以下V): 一番重要だったのは、僕自身の音楽的なヴィジョンそのものにどうやって息を吹き込むか、そしてひとりのドラマーとしてどのようにすればそれを成し遂げることができるかということだった。周りの人に僕の音楽についての解釈をされるのは、良い具合に受け入れることができる時もあれば、すごく不満な時もある。裏側から外側まで自分自身の音楽について知り尽くしているのは僕自身なのだから、その「ハーモニック・テンポ」は自分で作り出さなきゃいけないと気づいたんだ。そこで僕はピアノから全体の演奏をリードしていくというやり方を選んだ。それは啓示的な出来事で、そうやって初めてバンド全体を僕自身の音楽的世界に導くことができたんだ。このやり方が構築できた後は、もうリーダーだからといって主権を握りバンドを「統治」するような必要はなくなった。それから、僕はギター、ピアノ、ヴォーカルを使った、全体を通してはっきりとした構成のある曲を書いた。それが表題曲の「Drums of Days」で、この曲は「そのまますすめ、録音せよ」という秘密のメッセージをたずさえて生まれてきた様に思えたんだ。

H: 音楽的に影響されたのは?

V: 音楽らしい音楽、のすべてだよ。子供の時に聞いたビートルズは確実に僕の耳に響いていた。それからウェザー・リポートも聞いたし、80年代のポップ・ミュージック、それからいわゆるフュージョンと呼ばれるものも聞いた。真剣にドラムに取り組むようになってからは、ジャズの伝統にもっと耳を向けるようになっていった。ピアノを演奏する時には、デューク・エリントンのあの暖かな音を思わずにはいられないし、時にはエリントン的なハーモニーも自然と出てくる。それに加えて数え切れないくらいのクラシック音楽の図書館も頭の中にあるし、すべての音の根源は自然だとも思っている。
できる限り耳をすまして、ひとつの音楽的スタイルやジャンルに囚われずに自分の聞き方で聞くということが大事なのかもしれない。音はあらゆるところに存在している。僕の一歳の息子は、洗濯機の音に合わせて踊っているよ。
ジャンルやコンセプトという考え方にはまってしまうということは本当によくあると思う。だけど結果としてシンプルで深みのある音響的理解や自然界の不変多様な波動を見過ごしてしまうことが多いんじゃないだろうか。

H: このアルバムは非常に良く構成されていると思います。幾多もの層、手触り、そしてあらゆる異なった音のディテールがアルバム全体をとても面白いものにしています。この構成というのは、意図して得られたものでしょうか、それとももっと自然な音楽的直観にそって生まれたものですか?

V: その両方だね。セットアップや、音を重ね合わせたり動かしたりするのにものすごく時間をかけて、その過程の中でゆっくりとそれぞれの曲の形や性格を明らかにしていったんだ。「Morsel!」という曲は一小節ずつ繋げていったから、それこそ意図的にならざるをえなかった。他の曲は、もっとオープンな作り方をした。「ここに曲はあるけど、演奏して崩していこう、瞬間を選ぶのも、音符を選ぶのも自由だけど、エンディングはこうしよう」そんな具合にね。最終的には、意図的であることと直観的であることは密接に関係していて両方が必要になるんだと思う。

H: このアルバムのプロダクションについて聞かせて下さい。こんな風にサウンド・プロダクションの中でオーバーダブやコラージュ的なアプローチを多く用いているアルバムは(いわゆるジャズのアルバムという括りの中では)あまりないのではないでしょうか。こういった面で影響された音楽などはありますか?

V: プロダクションがアルバムの音の中で大きな位置を占める様な、素晴らしい音響技術が施されたできの良いポップ・ミュージックが僕は好きなんだ。ヘッドフォンでそういう音楽を聞くと、音の交わり方の緻密さ、それぞれのセクションの「ポップ」な音のさせ方、音楽的密度の濃い場所と薄い場所の対称性、そういうプロダクションの素晴らしさに脱帽してしまうよ。最近だとレディオヘッドが今までにないレベルまでこういう音響技術の側面を押し上げていて、本当に感心する。
アルバムを作るのは、真っ白なキャンバスを前にして何を描くかを決めることだと思うんだ。
そこにすでに存在するものを認識すること、何を創造しようとしているかをより明らかにするための自問をすること。このプロセスは本当に面白いと思う。何が絵画を素晴らしくするだろう?何がこの景色をこんなにも魅惑的なものにするのだろう?別の言葉で言えば、その作品そのものがおのずと息をしはじめるのを待つというやり方、それこそが『Drums of Days』の制作過程で起こったことだと言えるかもしれない。
プロダクションという観点から言うと、ジャズやインプロヴィゼーションのレコードの多くが、あまりにも似通ったサウンドになっている。同じスタジオで、同じドラム・ブースに入って同じような音を作るんだ。僕はすごくこのことを苛立たしく思っている。

H: アルバムの中で朗読されている詩はどのようにして選ばれたものですか?この詩はアルバムの音楽的な内容とは関係していますか?

V: 「Aching Arches」という曲を書いたのはレコーディングの数日前だった。詩の朗読をこの曲の真ん中に入れたのには理由があった。予期しない要素をちりばめることで、そうして僕自身の「期待」に挑戦することで、このアルバムをより深いリスニング経験のできるものにしたいという思いが次第に強くなっていたんだ。実験の可能性があるなら、やってみるしかない。
この詩は、エリオット・カルディノウの詩集からの引用なんだ。その詩集は作曲している時にピアノの上にたまたまあって、そこに何か自然なつながりが生まれた気がした。レコーディング・セッションの時にこのアイディアを形にするのはそう簡単じゃなかったけどね。

H: 「ジャズ」という言葉についてどう思いますか?あなたの音楽にこの言葉はどのように関わってくるでしょうか?

V: 確実に僕の音楽に存在しているもの。僕とバンドのメンバーが音楽的に会話する中で、そのリズムだったり感覚的な部分に沁み渡っている。僕、トッド、アイヴィンの三人ともが、ジャズという伝統を自身に沁み渡らせている奏者で、僕達はそれを音楽の中にいきわたることを「許して」いる。「許す」と言ったのは、僕自身がジャズと呼ばれるものとの折り合いをつけるのに随分と時間を要したからなんだ。今では、それ(ジャズ)が僕の音楽の中で自由に飛び回れるようになったと感じているよ。

H: 次のレコーディングの予定は?

V: 今は、フィールドレコーディングと家にある楽器を用いた曲作りをしているんだ。音のサンプリング、プラグインを使った実験、時間をかけた音楽構築、そういうプロセスを通して、それぞれの曲が「何者」なのかを探っていくんだ。何人か別のミュージシャンとも共同制作しようと声をかけた。詩人のミリアム・アトキンの詩のいくつかも使わせてもらったんだけど、素晴らしい仕上がりになったよ。
可能性は限りない広がりを持っているということを、より遠くへ行くほどに、より深く、実感し続けているんだ。驚くくらいにね。この音楽が出来上がったらすぐにでもみんなとシェアしたいと思っている。

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蓮見令麻

蓮見令麻(はすみれま) 福岡県久留米市出身、ニューヨーク在住のピアニスト、ボーカリスト、即興演奏家。http://www.remahasumi.com/japanese/

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