連載第19回 ニューヨーク・シーン最新ライヴ・レポート&リリース情報

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text by シスコ・ブラッドリー (Cisco Bradley) and ジョン・モリソン (John Morrison)
translated by 齊藤聡 (Akira Saito)

I.『自由の原則:1965年から現在までのアートと音楽の実験』および『絶え間ない叫び』(フィラデルフィア現代美術館)

「自由の原則」とは、アメリカにおいて、黒人の生活に共通して流れる要素である。理論的には、抑圧的な社会における自治と自己決定を求める、集団としての欲求である。この原則は歴史上ずっと続いているものであり、われわれの集団的な文化・政治・精神の雰囲気を形成し、支配的な言説であろうとし、われわれを社会的な解放の深く広い可能性へと近づけている。フィラデルフィア現代美術館において、『自由の原則:1965年から現在までのアートと音楽の実験』および『絶え間ない叫び』が開催されており、黒人のアートと音楽にこの原則が働きかけてきたことを探る展覧会となっている。

「アート」とは、西側がまるで理解できなかった言葉だ。アートはコミュニティの一部であるとされている。学者がコミュニティの一員とされたように・・・。アートは人びとの家や皮膚や衣服を飾るものであり、それによってマインドが拡張され、コミュニティにおける権利であるとされている。欲しいときに手に入るものとして・・・。食料品店と同様に大事なものとされている・・・。アートはそのようにしか機能しなかった。―アミリ・バラカ

奴隷貿易からこのかた、黒人音楽は、アメリカ人の社会生活において独特な場所を占めてきた。黒人音楽においてこそ、アメリカ社会の政治的・知的・性的な境界が常に挑戦に晒され、ついには再定義がなされるのだった。歴史的には、黒人音楽(特に)と黒人アートは、アメリカ人の中で、自由と自己決定への集団的な欲求によって力づけられ、エネルギーを注入されてきた。この欲求、精神的・知的・肉体的なものは、資本主義と白人優位主義の構造的な力によって黒人に課せられた根深く迂遠なる社会的な障壁を取り去るために、絶えず発展する原則として機能し、盗まれた土地における盗まれた人びととしての歴史を通じて、黒人の民衆に共通する要素であった。

1940年代にジャズの歴史を一変させたビバップ革命の勃興時に、アメリカの黒人ミュージシャンたちは美学的なもの・知的な現代性・都会性・黒人性を結集し、革命的・予言的な力とした。当時盛り上がりつつあった公民権運動とバップとはつながり合い、黒人の自由の新たな実践と表現とが発展したわけだが、それを取り巻くのはジャズと文化であり、個人表現と(限られた)社会的自治の新たな地平を切り開いたのだった。ビバップというサブカルチャーの自由へのヴィジョンが広範囲な黒人の政治闘争よりも前に進んでいたことについて、かつて、スタンリー・クロウチが、「ジャズ・ミュージシャンは公民権運動には参加しなかった。公民権運動がかれらに相乗りしたのだ」と、皮肉めいた有名な発言を行っている。バップが音楽・文化の言葉として定着しても、差別撤廃への政治闘争はなお決着を視なかった。

1959年までに、公民権運動は、地域的にも国全体でも、草の根の直接行動、選挙権獲得と法制化へのアピールを行うものとして組織化された。黒人たちは構造的な白人優位主義をさまざまな場において攻撃した。同じ年に、激しくもあり模索的でもある新しい音楽が、自由即興の周辺で生まれた。はじめは各々のミュージシャンたちがばらばらに活動していたのだが、オーネット・コールマン、ジョン・コルトレーン、サン・ラといったイノヴェイターたちを急先鋒として、ビバップのリズムや和声の構造を壊し、ジャズの中心にあった音楽的な推進力をわがものとしはじめた。この新しく高度で実験的な音楽は、美的な開拓者であるとともに、のちにわれわれが「ブラック・パワー」として知ることになる社会政治的な運動をいろどることにもなった。

1966年の夏に、学生非暴力調整委員会(SNCC)のメンバーがミシシッピにゆき、黒人有権者を登録し、たいへん抑圧的な南部において政治的な力を創りだそうとした。州の抑圧やKKK(クー・クラックス・クラン)の嫌がらせに直面し、SNCCのオーガナイザーたちは、「公平な権利」や「勝利を我らに」といった呼びかけから脱し、新たに過激な標語を生み出しはじめた。ストークリー・カーマイケル(クワメ・ツレ)とウィリー・リックス(ムカサ・ダダ)は、広くはブラック・パワーの父とされているのだが、彼らがグリーンウッド・ミシシッピの街におけるスピーチの最中に最初に標語を掲げたことが、SNCCメンバーの逮捕や、公民権運動のオーガナイザーであるジェームス・メレディスへの狙撃(「恐怖に対する行進」の途中)につながったのだった。「私が逮捕されるのは27回目だ、もう監獄になど行きたくない!白人がわれわれを鞭打つことを止めるには、打ち勝つしかない。今われわれが言いたいことは、ブラック・パワーなのだ!」―ストークリー・カーマイケル

公民権運動が進むにつれ、大きな権利の獲得や、法的な差別と公民権剥奪の撤廃がなされ、黒人の抵抗は強化されていった。この強度は特に若者たちの間で顕著であり、都市の若い黒人たちは直接行動、暴動、殺人と過激化し、不十分な統合に幻滅もしていた。古くからの敬意や気高さといったものは否定され、新しい時代精神がブラック・アメリカの意識に根付いていった。

単純な政治運動よりも深く広いものとして、60年代後半から70年代初頭までのブラック・パワーは、さまざまなアフリカからのディアスポラの影響(ヨルバのアートや精神性など)の活きた集合体であり、ブラックパンサー党のマルクス主義につきあたり、汎アフリカ主義やその他とても多くの異なる要素を活性化させ、ブラック・アメリカの新しく全包括的なアイデンティティへの欲望を生み出す触媒となった。この時代には、黒人たちは、言語、神話、哲学、精神性、政治、音楽、アート、歴史、劇場、音楽、経済、衣服、食事、髪型など、さまざまな領域を過激に再想像することによって、黒人性を世界の存在論的な中心とみなすことを模索した。部分的には、ブラック・アメリカの統合を、失われた社会経済的・知的な危機に対する応答とみなして、コミュニティの大事さがより強調されるようになった。黒人の隣人とは、かつては、資本主義と白人優位主義という「見えざる手」によって、逃れられないゲットーにまとめて押し込められた結果にすぎないものだったのだが、前向きで人びとのニーズにあった、活気あるコミュニティとしての捉えなおしがなされた。ブラック・パワーの時代にあっては、黒人コミュニティは、物理的にも精神的にも、将来の黒人の社会的・政治的革命をもたらす孵卵器であり、また、最終的には、黒人が所有・管理するビジネスや文化組織を獲得するための戦略となるべきものだった。

このブラック/アフリカンによるコミュニティ形成のコンセプトは、熱く実行に移された。1965-75年には、アーサー・ホールによるイレ・イフェ文化センター(北フィラデルフィア)、イースト(ブルックリン)、ブラック・レパートリー・アーツ・センター(ハーレム)など、国全体で、ブラック/アフリカンを中心に据えた文化センターが創設された。これらの文化センターは、黒人の文化的・政治的・社会的な自治の標識のようになっていた。またこの時代には、Black Jazzや伝説的なStrata Eastといった先鋭的なジャズレーベルも生まれた。これらの新しい組織が、自立、コミューン同士のコラボレーションと互助といった価値を中心に据えて高めようとして、新しいコミュニティの精神的な基軸なのだと自認した。そして、これらの組織や創設者たちは、コミュニティが人びとの創造的なエネルギーに火を点けて、世界革命へと導くのだと考えた。

文化的・政治的なエネルギーの波は、特に、シカゴにおいて強かった。長いこと、過激なブラック・ミュージック、アート、政治的慣習の温床であった。このエネルギーは強風の街においてエレクトリック・ブルースにもジャズにも感じ取ることができるし、暗殺された政治的天才・ブラックパンサー党の指導者フレッド・ハンプトンもシカゴ生まれである。シカゴの黒人アーティストやジャズ・ミュージシャンは、彼らの領域を拡げることだけでなく、コミューンの生活空間や、知識とリソースを共有する自由な創造の組織を重視して、コミュニティにおいて社会的に生きることにも、強い意識を持っていた。

もっともインパクトがあったシカゴ・シーンの組織は、AACM(the Association for the Advancement of Creative Musicians)とAfriCOBRA(the African Commune of Bad Relevant Artists)である。AACMは、ピアニスト・作曲家のムハル・リチャード・エイブラムス、ピアニストのジョディ・クリスチャンとフィル・コーラン、ドラマーのスティーヴ・マッコールによって設立された。メンバーはまるで過去50年間のアヴァンギャルド・ブラック・ミュージックの「Who’s Who」である。アンソニー・ブラクストン、ヘンリー・スレッギル、アミナ・クローディン・マイヤーズ、ジャック・デジョネット、レスター・ボウイ、ロスコー・ミッチェル、マタナ・ロバーツ、ワダダ・レオ・スミス、その他大勢。

歴史家・作曲家でAACMメンバーでもあるダグラス・エワートは、グループのミッションについて、「AACMは、自己定義、コミュニティと個人の発展に光を当てるという考えのもと設立された」ものだと説明している。加盟アーティストの新しいヴィジョンと実践、そして、コミュニティを代表するということである。AACMが音楽の限界を書き換えた一方で、AfriCOBRAはヴィジュアルアートにおいて同様の道を切り開いた。劇作家で黒人アートの専門家でもあるラリー・ニールの言によれば、AfriCOBRAの功績は、生にもたらされる予言的なヴィジョン、コミュニティに深く張った根であった。「AfriCOBRAのアーティストたちはアフリカン・アメリカンのコミュニティにおけるヴィジュアル部族であり、西洋においてアフリカ人たちが積み重ねた経験の美しさと栄光とに光を当てるものである。かれらの作品は、アフリカン・アメリカンの文化のイコノグラフィーでもある。」と彼は言う。AACMとAfriCOBRAの仕事と遺産は、『自由の原則:1965年から現在までのアートと音楽の実験』においても大きくフィーチャーされている。これはナオミ・ベックウィズとディーター・ロエルストリートがオーガナイズしキュレイターを務めた野心的なマルチメディアの展覧会であった。60~70年代のシカゴ・アヴァンギャルドと現代のアーティストを扱い、過去と現在のラディカルな美学の野心的な対話を創出するものだった。

展示会場に入ると、天井から吊り下げられた巨大なスクリーンが出迎える。そこには、ダグラス・エワートとジョージ・ルイスのカルテットがアルバート・アイラー『Spirits Rejoice』のカバーを演奏する白黒のヴィデオが投影されている。このパフォーマンスは、カナダの映画作家スタン・ダグラスによるヴィデオ・インスタレーション作品『Hor-Champs』の一部であり、これが作られた1992年は、白人警官がロドニー・キングを撲殺したにもかかわらず無罪放免となったことに端を発した大暴動が起きた年でもあった。

もっとも苛烈で切迫していながらも実にミニマルで上品な仕事は、もともと、ロス・サウスセントラル地区の住民に捧げられている。複数の部屋にまたがり、さまざまな音声・映像を組み込み、革命的な黒人アートと音楽の世界についてマルチセンサーによって示すことにより、それを観る者には、自由の原則が浸透するものとなった。この展示は、当時のドローイング、彫刻、コンサートの券、アルバムカバー、楽譜、絵画、コラージュやミクストメディア作品(その中には、ムハル・リチャード・エイブラムスの驚くほど力の抜けた現代的な作品『View From Within』[1985年]も含まれる)を幅広く俯瞰するものだった。

ワズワース・ジャレル『Revolutionary』(1972年)は、活動家であり、またブラックパンサー党のオーガナイザーでもあったアンジェラ・デイヴィスの肖像画である。本展のなかでも際立ってイコニックな作品であり、爆発するようなフォルムと劇的な色遣いが、暴力的で楽天的な当時の雰囲気と精神とを封じ込めている。

十分なスペースを過去と現在の作品に与えることによって、『自由の原則』と『絶えざる叫び』の展示は、如何に時代が自由の深く広い表現を駆動し、現代のブラック・アメリカのアートと文化に活力を与えているかを示すものとなった。

text by ジョン・モリソン John Morrison

フィラデルフィア在住のライター、DJ、プロデューサー。ソロ・アーティストとしても、デビュー作となるヒップホップのアルバム『SWP: Southwest Psychedelphia』(Deadverse Recordings)をリリースしたばかり。ツイッターとインスタグラムは@John_Liberatorをフォローされたい。

II. ブランドン・ロペスのThe Mess(アウル・ミュージック・パーラー、2016/11/17)

ブランドン・ロペスはニューヨークの即興音楽シーンにおいて、この数年間、観た者から一目置かれるベーシストとなっている。多くの先鋭的なアンサンブル(アミリタ・キアンビのElder Ones、ネイト・ウーリーのカルテットなど)に、多才なサイドマンとして参加してきた結果である。手練で、力強く、深く、不安なサウンドは、彼が参加するあらゆるグループにエネルギーを与えている。最近ではリーダーとしても活動している。この日は彼の新トリオThe Messのデビューであり、クリス・コルサーノ(ドラムス)、サム・ユルスマン(ピアノ)とともに、ブルックリンのプロスペクト・レファーツ・ガーデンズにあるアウル・ミュージック・パーラーに出演した。

ロペスの曲は、the Messが即興を行う基盤となっており、潮の満ち引き、火花、リズムの伸び縮みといった特徴がある。ある種のエネルギー音楽の先駆けでもあり、アグスティ・フェルナンデスが1990年代末にウィリアム・パーカー、スージー・イバラと組んだピアノトリオなんかを想起させる。すなわち、プレイヤー同士の掟無しの関係、椅子から転げ落ちそうなほどハラハラする即興、他のプレイヤーに主役として言いたいことを言わせるよう十分なスペースを与えるやり方、といったところだ。ロペスがペースと音楽の強さを決め、ユルスマンとコルサーノはグループのサウンドの深い核を探るべく果敢に攻めている。

このふたりの表現力は信じられないほど幅広い。広いスペクトルがエネルギーの高低幅を強化し、そのことが、バンドにスピードとエネルギーの両面で限界を超える動きを与えている。ヤバいエッジに到達したら、再び内側に戻ってくるという按配である。

ユルスマンの計り知れない才能については、まだ知られていない。彼の演奏にはしばしば哀愁があり、やや抑制的でもあり、だがいつ何時でも大波を起こすことができる。コルサーノはヴェテランだが、真にパーカッションの革新者であるにも拘らず、長いこと過小評価されてきた。彼はズレたリズムで音楽の構造を解体し、また先に進めることによって、バンドを推進する。その一方で、ロペスは内部から推進する。ロペスの美しい旋回は、音をびしびしと刺しこんでいくところと対照的であり、それが泥臭い音色や、先の展開への見通しを加えている。このコンサートはthe Messのデビューに過ぎないのであり、2017年にどのようなトリオに成長していくのか期待してやまない。

この日、アウルでは、the Messの他に、ダスティン・カールソンのセプテットAir Ceremonyが複雑な曲を披露してもいる。アウル・ミュージック・パーラーは素晴らしい場を提供しているのだ。ニューヨークにお越しの際は、アウルにも、もちろん他の場にも、足を運んでほしい。

 

>> The Mess (Brandon Lopez, Chris Corsano, Sam Yulsman) – at The Owl, Brooklyn – Nov 17 2016(動画)

text by シスコ・ブラッドリー
(Jazz Right Now http://jazzrightnow.com/

以上が、最新のニューヨーク・シーンである。
【翻訳】齊藤聡 Akira Saito

環境・エネルギー問題と海外事業のコンサルタント。著書に『新しい排出権』など。ブログ http://blog.goo.ne.jp/sightsong

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シスコ・ブラッドリー Cisco Bradley

ブルックリンのプラット・インスティテュートで教鞭(文化史)をとる傍ら、2013年にウェブサイト「Jazz Right Now」を立ち上げた。同サイトには、現在までに30以上のアーティストのバイオグラフィー、ディスコグラフィー、200以上のバンドのプロフィール、500以上のライヴのデータベースを備える。ブルックリン・シーンの興隆についての書籍を執筆中。http://jazzrightnow.com/

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