連載第16回 ニューヨーク・シーン最新ライヴ・レポート&リリース情報

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text by シスコ・ブラッドリー (Cisco Bradley) and クリフォード・アレン (Clifford Allen)
translated by 齊藤聡 (Akira Saito)

I. ピーター・キューンの新旧のレコード

ジャズ界では、執行猶予はそんなに普通のことではない。己に巣食う悪魔との闘いに敗れたのちに再発見された人物、たとえばベース奏者ヘンリー・グライムス Henry Grimes、リード奏者ジュゼッピ・ローガン Giuseppe Logan やフランク・モーガン Frank Morgan といった 者たちがいる一方で、もはや生き残れず、新しい環境ではろくに演奏も録音もできない無数の者たちがいる。アメリカでは創造性に関心が寄せられないことが多いが、そんなことは問題ではない。魂を剥きだしにして、金銭的・精神的な見返りを度外視することには、献身と強い意志を必要とする。

クラリネット・サックス奏者のピーター・キューン Peter Kuhn は、1977年に、生まれ育ったカリフォルニアからニューヨークに出てきてチャンスをつかんだ。アンソニー・ブラクストン Anthony Braxton に励まされ、やがてベース奏者ウィリアム・パーカー William Parker、ヴァイオリン奏者ビリー・バング Billy Bang、サックス奏者フランク・ロウ Frank Lowe やデイヴ・セウェルソン Dave Sewelson らと共演し、また自分自身のアンサンブルも含め、Soul Note、Hat Hut、自身のBig City Recordsに録音しはじめた。

残念ながら、キューンには強いヘロイン癖があり、ロウアー・イースト・サイドの食うや食わずやの環境も相まって、1981年には失意のうちにカリフォルニアに戻ることになってしまった。それどころではない。彼は音楽から離れ、監禁されたり、ホームレスであったりもした。それでも1986年までは頑張れもしたのだが、積み重なる健康問題が深刻な影響となって出てきたのだった。

彼の過去の活躍については置いておいても、2016年に新たなトリオでカムバックするとは(ひょっとするとカムバック以上)、誰も予想だにしなかった。『The Other Shore』には8曲、合計およそ80分もの演奏が収録されており、キューンはクラリネット、バスクラリネット、アルトサックス、テナーサックスを吹き、パーカッション奏者ネイサン・ハバード Nathan Hubbard、ベース奏者カイル・モトル Kyle Motl と共演している。確かに、年齢と経験とが、キューンのフレージングに沈静した深さをもたらしており、また細かな甘味が簡潔なフレーズに加味され、明るく炸裂している。バスクラリネットでは特に分厚く丸くさえずるような音を発し、「Is Love Enough」の始まりに力を与えている。キューンは「Lonely Woman」でB♭に持ち替え、ハバードの断続的なピチカートと揺らめく擦音に対峙している。以前はサックスは彼の主楽器ではなかったはずだが、「Unstrung Heroes」の訥々としたリズムに沿って、広い空間において緊張感を持った演奏を繰り広げており、はらはらするような進行は一転して広い着地点へと至る。

何曲か聴けば、4本の楽器でのキューンの個性を聴きとることは難しくはない。飛翔に力を与える活発なアルト、方法論的で沸き立つようなクラリネットとテナー。アルトについては、キューンが若い頃に影響を受けたペリー・ロビンソン Perry Robinson の響きが聴こえてくることもある。

もういちどリズムセクションに目を向けてみよう。モトルの機敏な循環と力の入ったアルコは懐の深い底流を創りだし、一方、ハバードのドラムスは正確でスイングし、騒々しくもある。キューンの再登場は、単に古い仲間が戻ってきたということにとどまらず、見ていて愉しくもあるのだ。

彼がニューヨークのフリー・ミュージック・シーンに登場した約38年前まで、時計を巻き戻してみよう。『Livin’ Right』がキューンの初リーダー作であり、1978年12月19日にWKCR-FM向けに吹き込んだ録音から抜粋された。ウィリアム・パーカー William Parker(ベース)、デニス・チャールズ Denis Charles (ドラムス)、アーサー・ウィリアムス Arthur Williams(トランペット)、近藤等則(トランペット、アルトホーン)という布陣である。このときのプログラムは、前半がキューンの曲、後半がウィリアムスの長い組曲で、後者は今年になってはじめて『Forgiveness Suite』(NoBusiness NBLP 97)として発掘された。そのすぐ後に、このバンドの拡張版の曲が、パーカーの『Through Acceptance of the Mystery Peace』(Centering 001)に収録されている。

『Livin’ Right』はキューンが Big City Records から出した唯一のLPであり、ジャケットはウイチョル族(ネイティヴ・アメリカン)の糸を使ったアートだ。これは『No Coming, No Going』というタイトルのCDとしてリイシューされ、2枚目のCDのボーナスとして、チャールズとのデュエットが収録された(1979年秋の録音)。猛烈に限界まで弾む「Chi」は、流れる水のようでもあり、エド・ブラックウェル的でもあるドラムスが聴き所だ。続く「Manteca/Long Gone/Axistential」は、ヨーヨーのような雰囲気のテンポで始まり、渦巻き豊かなキューンの叫びが、粘っこくミュートされたトランペットや、パルス波の上ですすり泣くような近藤のアルトホルンと絡み、そして、出たとこ勝負の「Long Gone」では、長いクラリネットのソロが不安さを引き起こす。ウィリアムスと近藤については、彼らのかすれた音色が、徐々にバラードや緩いスイングを展開していく中で拡がってゆき、じわじわと明快になってゆくところなど素晴らしい。

チャールズとのデュオは、ニュー・イングランド・レパートリー・シアターにおいて録音されたものであり、ここではキューンはテナーも吹いている。冒頭の「Stigma」はスティーヴ・レイシー Steve Lacy やジャミール・ムーンドック Jameel Moondoc を思わせるぎくしゃくした曲であり(特にパーカッションが入るとき)、獣のようなクラリネットのソロに対し、チャールズは活き活きと返答してみせる。「Drum Dharma」は、テナーのささくれた叫びで始まり、締めくくる。その間には、ドラムスがうねり、割れんばかりのリムショットや、絡みつき唸るような火花を見せる。その横で、キューンはまるで積み木をしているようだ。最後の「Headed Home」は、ドラマーのしなやかでコンスタントな動きと、小気味よくヴェルヴェットのような陽気なサックスとの、目覚ましく小気味よい対話である。キューンは長いことアンダーグラウンドのフリー・ミュージックから去っていたが、実は、確実に足跡を残していたのである。

text by クリフォード・アレン Clifford Allen

ブルックリン在住のアーキビスト/ライター。現在は、The New York City Jazz Record、Point of Departure、Jazz Right Now に寄稿している。カンザスとテキサス出身だが、そんなことで彼を嫌わないでほしい。


II. フェイ・ヴィクター Fay Victor の 55Bar でのライヴ(2016/7/28)

ヴォイス・アーティストのフェイ・ヴィクター Fay Victor が 55 Bar で毎月行っている演奏は、最近のニューヨークでもっとも驚くべきことのひとつだ。ソウルフルなエネルギーに満ち、新鮮なアイデアを発散させ、聴衆を愉快な旅に連れていってくれる。7月28日は自身のバンドを率いてのスペシャル・ナイトで、彼女の誕生日でもあったため、ファンにケーキを振る舞ったりもしたのだった。

ヴィクターのバンドには、ジェイムス・ブランドン・ルイス James Brandon Lewis(テナーサックス)、アルアン・オルティス Aruan Ortiz(キーボード)、マーヴィン・スウェル Marvin Sewell(ギター)、ヨチェム・ヴァン・ダイク Jochem van Dijk(ベースギター)、ジェイソン・ナザリー Jason Nazary(ドラムス)が参加している。さらに、彼女はスペシャルゲストを呼んでもいる。ダリウス・ジョーンズ Darius Jones(アルトサックス)、ベン・ガースティン Ben Gerstein(トロンボーン)、北村京子(ヴォーカル)、パトリシア・ニコルソン Patricia Nicholson(ダンス)らである。

ファーストセットでは、ヴィクターは「House of the Rising Sun」、「Blue Monk」、「How Could I Do It Blues」などのスタンダードを歌ったのだが、4曲目の「If I Had My Way」に入る前に自分自身の詞によって即興を挿入した。このセットの間じゅう、ヴィクターは、親しみやすいテイストによって聴衆と一体となり、そして未知の領域へと移った。メンバーを見ただけで、ヴィクターのスタンダードへのアプローチが普通のものでないことがわかる。彼女は各曲を新鮮で大胆なものとし、オリジナリティを際立たせ、その一方で音楽の伝統にも結合させてみせた。

セカンドセットは、ゲストを順次フィーチャーすることにより、さらに実験的な領域へと移行した。まずはニコルソンが即興で踊り、この機会を与えたヴィクターに捧げる詩を披露した。そして、ヴィクターと北村のふたりのヴォイス・アーティストが参入し、この夜でもっとも大胆な実験をみせた。次のヴィクターの曲「I Sing」では、スウェル、ジョーンズ、ガースティンが戻ってきて即興を繰り広げ、最後には全員が参加したのだった。

text by シスコ・ブラッドリー
(Jazz Right Now http://jazzrightnow.com/

Fay Victor, photo by Cisco Bradley
Fay Victor, photo by Cisco Bradley

【翻訳】齊藤聡 Akira Saito
環境・エネルギー問題と海外事業のコンサルタント。著書に『新しい排出権』など。ブログ http://blog.goo.ne.jp/sightsong

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シスコ・ブラッドリー Cisco Bradley

ブルックリンのプラット・インスティテュートで教鞭(文化史)をとる傍ら、2013年にウェブサイト「Jazz Right Now」を立ち上げた。同サイトには、現在までに30以上のアーティストのバイオグラフィー、ディスコグラフィー、200以上のバンドのプロフィール、500以上のライヴのデータベースを備える。ブルックリン・シーンの興隆についての書籍を執筆中。http://jazzrightnow.com/

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