ニューヨーク:変容する「ジャズ」のいま 第25回 「ブラック・ミュージック」を再考する①

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「ブラック・ミュージック」という言葉をあまり使わなくなったのはいつ頃だっただろうか。日本では1つのジャンルを表す目的で何のためらいもなく使われているこの言葉を、私も数年前までは日常会話の中でたまに使うことがあった。「I love Black music.」という風に好意の意味合いで使っていたわけだが、アメリカ社会における暗黙のルールのようなものをある程度理解するようになった今、それは勉強不足だったと言わざるを得ない。だが、「ブラック・ミュージック」という言葉は、まったくのタブーというわけではない。ここニューヨークでも時々耳にするものだ。ただしほとんどの場合はアフリカ系アメリカ人か、事情をよく知らない外国人の口にする言葉だ。または、音楽史について語る場合、批評的な視点が含まれる場合に例外的な使われ方をすることもある。この言葉は、使う者とそれを受け取る者の意識を容易に分断する。かたやプライド、誇り、憧れ、同胞意識といった強いフィーリング。かたや足枷、人種差別的意味合い、安易なカテゴリー化といった重い呪縛だ。

この言葉の歴史、そして現代における解釈に純粋に疑問を持った私は、数人の音楽関係者に質問してみることにした。私の投げかけた質問は以下のようなものだ。

Do you think that the meaning of the word Black Music has transformed itself in the past decades in America? More precisely, did it shift from something that represented the ideology of Black Power that surrounded the civil rights movement to something else?

What does the word signify in modern America, if it does at all?

In Japan, the term Black Music is widely used, at record stores, on music magazines, and by critiques to describe a certain category in music; Music that stems from African tradition, or simply the ones that are played by black musicians. Is this still a valid use of the term, or does it need reconsideration?

「ブラック・ミュージック」という言葉の意味合いは、過去数十年の間にアメリカという土地において変容を遂げたと思いますか?さらに細かく言えば、公民権運動におけるブラック・パワーのイデオロギーを代弁するものから、何か別のものへと変化しましたか?

現代アメリカにおいて、この言葉は何を意味しますか?または特に大きな意味はないと思いますか?

日本では、「ブラック・ミュージック」という言葉はレコード店や音楽雑誌、批評家達により、音楽における1つのカテゴリーを表すために幅広く使用されています。つまり、アフリカの音楽的系譜を引き継ぐもの、または黒人の演奏する音楽、というカテゴリーです。このような言葉の使い方は果たして現代でも妥当でしょうか?それとも、私達はこの言葉の意味を再考する必要があるでしょうか?

今回、質問に答えてくれたのはニューヨークで長年活動するミュージシャンだ。ニューヨークの音楽関係者なら大抵の人が知っている人物だが、彼が匿名でのインタビューを希望したため、ここでは名前をあげない。彼は70代の黒人男性だということを、1つの予備知識として挙げておく。

ちなみに、彼はとても饒舌な人で、短い間に様々なトピックを転々と飛び回るような話し方をする。結果として、こうして書き出した時に少しまとまりに欠ける言葉の羅列のようになってしまったが、それもこの記事を読む上での1つのエクスペリエンスとして大目に見ていただければありがたい。

音楽家X(以下、X): 1970年に僕がニューヨークに来た当時、50〜60年代からのラディカルな音楽の変化において黒人のミュージシャン達が何をどう感じていたかということは僕にはあまりよく分からない。そういう意識を直接的に感じられるようなシーンから僕は離れていたからね。
この問題はとても主観的なものだ。誰が語り、その内容を誰が受け取るのかによって答えは変化する。
もしミンガスが生きていたとして、彼にこの質問を投げかけることができるとしたら、彼は何と答えるだろうね?実際には、質問に答えてくれはしないかもしれないが、ミンガスのように強い意見を持った人物が何を言うかはなんとなく想像できると思う。ハミエット・ブリューイットもまた、確固とした意見と感覚を持ったアーティストの1人だった。もちろん僕自身も「強い意見と感覚」は持っているけれど… 僕の場合はメインストリームの、特定のシーンに属している人間じゃないからね。例えば、ウィリアム・パーカーなんかは、「ブラックネス(黒人であること)」に対して強い感覚を持っている黒人アーティストの1人だ。その言葉は、「ブラック・インプロヴァイズド・ミュージック」だったり、「ブラック・アバンギャルド」という表現に関わってくる。

蓮見令麻(以下、H): 音楽を言葉で表現する時に「ブラック」という枕詞をつけることは、ある種のプライドのような感覚から来ているんでしょうか?

X: 彼とは長年の知り合いだからよく知っているけれど、彼自身の中でもこれに関する考え方は随時更新されていっているようだ。今現在のウィリアム・パーカーがどういう答えを出すかは僕にはわからない。アメリカの歴史では、ブラックパンサーなどを含む黒人運動の革命が50年代から70年代にかけて起きた。イライジャ・ムハンマドやマルコムX、アンジェラ・デイヴィスなどの功績を見直した上で言えることは、「ブラック・カルチャーは存在する」ということだ。ニューオーリンズの黒人音楽家達がアメリカ音楽に与えた影響は果てしない。どんな言葉を使って表現するとしても、根底にはこういう感覚がある。「僕達は黒人だ。そして、同じ感覚を持つ者同士、同じ船に乗っている。」
50年代後半から70年代のインタビューで、マイルス・デイビスはよくこう話しているんだよ。「黒人か白人かは、そいつの音を聞いてれば分かる。」とね。だけど、80年代に入ると「もう黒人だか白人だかはサウンドでは分からなくなってしまった。」と言っているんだ。1949年に撮られた写真で、マイルスが数人の黒人ミュージシャン達と一緒にバーに座っているものがあるんだ。ホレス・シルヴァーも写っていたかな。とにかく、その写真を見ていると、何かとても強いフィーリングを感じるよ。それは深い同胞意識のようなものだ。
僕が想像するに、新しいタイプの黒人ミュージシャンというのがいるのかもしれない。もしかすると、現代だけじゃなくて、20年代とか30年代にも、ブラック・メンタリティ(黒人としての意識)やブラック・アイデンティティはその時代ごとに何かのきっかけで変化してきたのかもしれない。
ヒップホップは、黒人的伝統に基づいて形作られたカルチャーだから、そこに白人が入ってくる場合、「黒人と同じくらい上手くやれるのか」という逆レイシズムのようなことも起きる。
非黒人のジャズミュージシャンに対する抵抗心よりも、非黒人のラッパーに対する抵抗心の方がずっと強いだろうね。それはつまり、業界、プロモーター、批評家の持つ抵抗心、または先入観だ。個人的に僕もそういう話を聞いたことはあるよ。「黒人のミュージシャンが、人種を理由に自分をバンドメンバーとして雇ってくれない」とぼやいている(非黒人の)ミュージシャンも知っている。「黒人という理由でメディアから注目を得ているミュージシャンがいる一方で(注:あくまでも主観的コメント)、自分は相応の注目を集めることができない」とかね。
世界中のどこでも、ジャズとジャズに関連する批評にはそれなりの影響力がある。「ブラック」という言葉を再考すること。その言葉が歴史においてどのように使われてきたのか、それについて考えることが、少なくとも僕個人にとってはレメディ(治療)になると考えている。これという明確な答えは出ないかもしれないが、僕達1人1人が、現代における「ブラック」という言葉に対するパースペクティヴを再構築することが必要なのかもしれない。
音楽において「ブラックネス」という点にばかり焦点を当てることは、さらに大きな問題を呼び起こしかねない。僕達は、自分の読むものをどの程度信じるべきだろうか?読者というものは、自分の読む文章を過剰に信じてしまいがちなものだ。
僕は妻とよくヴァンガードに行っていたんだが、ソニー・ロリンズやハービー・ハンコック、セシル・テイラーのコンサートをあの場所で見たんだ。彼らは革新的な音楽家として世間に認められ、キャリアを確立した。一方、僕やその他大勢のミュージシャン達は、ヴァンガードで演奏する権利を与えられない。
ハミエット・ブリューイット、チャールス・ミンガス、マイルス・デイヴィス、ウィリアム・パーカー、ロイ・キャンベル…僕自身は、彼らのような音楽家達とはまったく違う視点を持っている。だからといって若い世代のミュージシャンの考え方に近いわけでもない。僕が今興味を持っているのは、白人やアジア人のミュージシャン達は「ブラックネス」についてどう思っているかという点だ。
さっきも話したように、マイルスは80年代以降、「演奏を聞いただけでは白人か黒人か分からなくなった」と言ったんだ。僕はいつも思うんだよ。非黒人のミュージシャンが、ジャズやフリー演奏や即興音楽といったものを弾いていることに感心する。でも、「感心」なんてすべきじゃないのかもしれない。そういう風に感じる理由はたぶん、この音楽は黒人男性が牛耳る世界だという意識があるからだろうね。20年代や30年代にニューオーリンズで生まれた音楽は、元々は黒人達が演奏していたものだ。その過程を目撃した白人の音楽家や批評家たちは、そういった音楽を演奏したり批評したりする時に、「黒人の音楽」であるという点に影響を受けただろうと思う。ジャズのような音楽には、あまりにも大きな黒人的伝統が根付いている。だけど現代では、世界中であらゆる人種の音楽家達がこういう種類の音楽を演奏するようになった。彼ら(非黒人の音楽家)は、今僕が述べた歴史的事実について考えたりはしないのかもしれない。

H: 音楽的な視点としても、一般的な考え方としても「カラー・ブラインド」でいることの方が一般的になってきていると思います。少なくとも私はそう感じています。
(注: カラー・ブラインドとは、「肌の色で人を判断しない態度、人種的偏見を持たないことを意味する。単純に差別主義者ではないという意味ではなく、意図的に相手の肌の色が見えていないかのように人と接するということ。カラー・ブラインドという姿勢は、相手や状況によってポジティブにもネガティブにも受け取られる。)

X: それは良いことだと思う?

H: その点がまさに、私が疑問に思っているところなんです。

X: カラー・ブラインドであることを選んだとしても、例えばジェームス・ブラウンのような、黒人のルーツを強烈に示唆するようなアーティストには感銘を受けるはずだよね?カラー・ブラインドであっても、ジョン・コルトレーンの良さが分からないなんてことにはならないはずだ。言葉というのは難しいね。言葉に何らかの意味合いを込めても、受け止め方は人それぞれだから。

H: 「ブラックネス」という言葉の話題に戻りますが、現代の音楽においてこの言葉が使われる時、社会・文化的にどんな意味合いを持っていると思いますか?60年代には公民権運動との強い関係性がある言葉でしたが…

X: 例えば言語のアクセントや、音楽の演奏の仕方にしてもそうだけれど、誰かがどこかで発信したものがどんどん広まって「標準化」「画一化」されていく。僕はこの状況に疑問があるんだ。特定の地域やコミュニティから生まれる文化的特徴が消されてしまう。

H: カラー・ブラインドであることによって?

X: そう、標準化されることによってね。
逆に僕から質問させてもらうけど、現代のミュージシャンにとってこのテーマはどれくらい重要なものだと思う?特に若いミュージシャンにとって。人種は関係ない。

H: 全体を俯瞰してみると、あまり重要視されてはいないと思います。ただ、音楽というコンテクストにおいて「ブラックネス」に基づいた意識のグラデーションのようなものは目にすることがよくあります。

X: 僕もそう思うよ。

H: 音楽家がそういった感覚を強く持つ場合、それは何らかのイデオロギーに繋がるものなんだろうか、ということを考えています。

X: イデオロギーと同等のものでなくとも、それに近いようなものは特定の人種や民族のコミュニティの中に存在すると思う。つまり、同胞意識だね。同胞意識を保つことによってブラック・カルチャーを守り、維持していくという政治的義務が僕達アメリカの黒人にはあると言えるかもしれない。同時に、習慣的に自ずと同胞意識を抱いている部分もある。同じ人種同士で行動を共にしたり演奏したりすることは、必ずしもイデオロギー的な行為であるとは限らない。
(つづく)

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蓮見令麻

蓮見令麻(はすみれま) 福岡県久留米市出身、ニューヨーク在住のピアニスト、ボーカリスト、即興演奏家。http://www.remahasumi.com/japanese/

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