#75 音楽的熟成度を達成したマリア・シュナイダー・オーケストラ

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2017年6月8日(木曜日)18時30分 at Blue Note 東京

text by Masahiko Yuh 悠 雅彦
photo by Yuka Yamaji 山路ゆか

 

マリア・シュナイダーcomp. cond
スティーヴ・ウィルソンas,ss デイヴ・ピエトロas リチャード・ペリーts ドニー・マッカスリンts スコット・ロビンソンbs
グレッグ・ギスバートtp ジョナサン・ハイムtp ナジェ・ノードウイスtp マイク・ロドリゲスtp
キース・オクィーンtb ライアン・ケバーレtb マーシャル・ギルケスtb  ジョージ・フリンtb
ゲイリー・ヴァーセイスaccodeon
フランク・キンブローp ベン・モンダーg ジェイ・アンダーソンb クラレンス・ペンds

1.Evanescence
2.Gumba Blue
3.The Thompson Fields
4.Data Lords
5.Sky Blue
6.Hang Gliding

上記のデータは記載した通り、去る6月7日に4年ぶりの来日公演となるコンサートを東京・青山のブルーノート東京で催したマリア・シュナイダー・オーケストラの第2夜のデータの詳細である。

当初私は、JAZZTOKYO のライヴ・リポートへの掲載を考えて書き始めた。上記のデータいっさいを記載することから着手したのも、ライヴ・リポートを書く前のいつもの準備運動のようなものだった。ところが執筆し始めてまもなく、なぜか突然気が変わって、単なるライヴ・リポートとして書く気が失せてしまったことに気がついた。最大の理由は、書いているさなかに、このまま書き進めれば、ライヴ・リポートのいつもの分量を軽く超えてしまいそうだと気がついたことだ。それは言い換えれば、1つには当夜のオーケストラの演奏がきわめて上質で感銘深かったこと。またマリア・シュナイダーがしばらくご無沙汰している間に作編曲術に磨きがかかり、音楽的熟成度を高める中で音楽家並びにリーダーとして目をみはる音楽的熟成度を達成していることを目撃する興味深くも充実したコンサートだったからだ。

初めてマリア・シュナイダー・オーケストラを聴いたのは、記憶が間違っていなければ90年代末、「 Birdland 」でのことだった。その少し前にヴィレッジで週に1度演奏していたときの評判を小耳にはさんで、機会があったらぜひ生演奏を聴いてみたいと思っていた。当時は秋吉敏子ジャズ・オーケストラ( feat.ルー・タバキン)の全盛期であったが、7、80年代のギル・エヴァンス・オーケストラを引き合いに出すまでもなく、米国を代表する名だたるビッグバンドが次から次へと現れては君臨するニューヨークで地道な活動を続けているマリア・シュナイダーにある種の健気さを感じて応援したい気分になったことを懐かしく思い出す。こんなに若い女性が大の男軍団を率いて何ひとつ物怖じせずに統率し指揮している図が格好良くもあった。何より聴衆に対してこれっぽっちも媚を売ることをしないシュナイダーに好感を抱いたのが始まりで、いわば肩入れする機会を狙っていたと言っていいかもしれない。しかし、そうした機会はなかなか到来せず、無情にも月日だけが空しく過ぎ去っていった。彼女がオーケストラを率いて初来日したのは2012年12月。口惜しいことに、このときはたまたま体調が思わしくなく、オーケストラのサウンドに正面から向き合う状態ではなかった。

そんなわけで、今回このオーケストラを聴くのは、初来日した2012年12月以来、5年ぶり。万全の体調で臨むということになれば、恐らく10数年ぶり。だからこそ今回はまさに満を持して、というよりライヴァルを迎え撃つ揚々たる気分で臨んだ。マリア・シュナイダーも私が「バードランド」で聴いた30代前半のマリアではないし、2000年代に入って聴いたときからでも相当な時間が経っている。1960年(11月27日)生まれの彼女はまもなく57歳を迎える。すなわち、彼女はかのブランフォード・マルサリスと同い年なのだ。オーケストラ・リーダーとして、オーケストラル・コンポーザーとして、この道一筋に歩んできたマリアだが、昨年の第58回グラミー賞では最優秀作曲家賞と最優秀ラージ・ジャズ・アンサンブル賞の2部門でベストの栄誉に輝いたことで、ある意味では長年にわたる彼女の努力と精進が報われたといっていいのではないだろうか。

オープニングを1992年の「Allegresse」で飾ったあと、2007年の『Sky Blue』や2014年の『The Thompson Fields』などのアルバムから選曲し、曲ごとの説明のほかに演奏曲のソロイストをあらかじめ紹介して演奏に入るという形はこれまでとほとんど変わりない。ところで、3曲目の「The Thompson Fields」を聴きながら、気がついたことが1つある。それは何か。すなわち、このオーケストラが従来のジャズの大編成バンドの中でも極めて傑出したアンサンブル力(パワー、テクニック、表現性)を発揮していることについてはもはや贅言を要すまいが、さらに他に比肩しえない洗練されたジャズ・アンサンブルの新たな地平にこのオーケストラが向いつつあり、スコアとアンサンブル間の伝統的な相互交流や進取の精神に裏付けられたマリア・シュナイダーと楽員との相互的信頼やアンサンブルの高度な達成を実現していることが確実に感じられたことだ。マリアが一気呵成に狙いを定めて驀進するタイプの音楽家でも、前衛的なコンセプトに尋常ならざる関心を持つコンポーザーでもないことは、CDなどの過去の記録を点検すれば明らかだ。彼女は生地のミネソタ大学からニューヨークのイーストマン音楽学校で基礎を収めたあと、ギル・エヴァンスやボブ・ブルックマイヤーについて作編曲を総仕上げ的に学び収めたあと、まさに満を持して自己のオーケストラを持つにいたった音楽家であり、1作ごとに、あるいは年を経るごとに、彼女自身が思い描いたオーケストラル・ジャズの道を一歩一歩究めつつあるといってよいのだろう。

マリアが自身のオーケストラで表現しようとしているのはいわゆるビッグバンド・ジャズとは趣きが異なる。彼女がオーケストラを名乗っているのもそれと無関係ではないと私は考えている。彼女のもとにはかつてベルギー出身のハーモニカの名手トゥーツ・シールマンス(2016年8月22日に死去)がいたが、現在はアコーディオンのゲイリー・ヴァーセイスがいて大きな役割を果たしている。しかし、かつて2、30年代のビッグバンド時代から6、70年代以降オーケストラを名乗る例が多くなった編成の大きなバンドの変遷を考えたとき、特殊な楽器を用いるアイディアはビッグバンドに代表されるラージ・ジャズ・アンサンブル(Large Jazz Ensemble)にあっては、少なくとも革新的といえるほどの変化ではなかったろう。私自身はそれ以上に、バップがジャズの最も進化した様式として受容されつつあった時代、西洋音楽の最先端にいたヨーロッパの作曲家に学んだピート・ルゴロに代表される作編曲家らと組んだスタン・ケントン・オーケストラ、あるいは米国に亡命してきたミヨー、バルトーク、ストラヴィンスキーらの影響を受容する流れのもとで名を馳せたボイド・レーバーン、ジョニー・リチャーズ、あるいはクロード・ソーンヒルらのオーケストラル・サウンドが今でも好きで、時おり彼らが残したハイパー・サウンドを楽しむことがある。

マリア・シュナイダーのオーケストラがスタン・ケントンやボイド・レーバーンらのオーケストラの歴史を受け継いでいるとは思えないが、一方で彼らの演奏する音楽がジャズの歴史におけるビッグバンドの流れとはまったく違う、あるいは真っ向から対立する方向を目指しているわけでもない。少なくとも彼女自身はビッグバンド・ジャズを演奏しているとはおくびにも思っていないだろう。その昔、ガーシュウィンが「ラプソディー・イン・ブルー」を生む最大のきっかけを作ったポール・ホワイトマンは自己の楽団を率い数々のヒット曲を連発して、なぜか ”キング・オヴ・ジャズ” の称号を贈られたが、私の祖父が米国で買ってきた彼のSPレコードにはどれもポール・ホワイトマン&ヒズ・オーケストラとあり、ビッグバンドとはどこにもうたっていなかった。ホワイトマンのバンドを含めてこの時代の編成の大きなバンドは大方がダンス・バンドであり、独自に命名したアンディ・カーク楽団のような例外を除けば、 フレッチャー・ヘンダーソン楽団、ジミー・ランスフォード楽団、アイシャム・ジョーンズ楽団、ノーブル・シスル楽団、チック・ウェッブ楽団、グレン・ミラー楽団等々、ほとんどのバンドがFletcher Henderson & His Orchestra のように名乗った。かのデューク・エリントン楽団やカウント・ベイシー楽団も例外ではなかった。こんな風に追ってみると、マリア・シュナイダー・オーケストラも米国のジャズ&ポピュラー音楽の伝統に帰って名乗っていると言っても、あながちうがち過ぎとは言えないような気もする。オーケストラはドイツ語で「クランクケルパー」というそうだが、これは「響きを持つ身体」という意味。演奏家の集まりであるバンド(楽団)を人間の身体の働きになぞらえているのかもしれない。

マリアは絵筆を持った作曲家、オーケストラ・リーダーのようだ。あたかも画家のように楽器の組み合わせやアンサンブルの音色を考えながら、彼女はスコアというキャンバスに絵筆を滑らせていく。「The Thompson Fields」などは情景描写といい、冒頭のギターによる情景を表す提示といい、いかにも絵画的サウンドといった趣きが色濃い。その前に演奏された「Gumba Blue」でも、スコット・ロビンソンのバリトン・ソロや続くゲイリー・ヴァーセイスのアコーディオン・ソロの背後に、”blue” のニュアンスを感じさせる色(音)使いが見えるあたり、どの部分もサウンドの構造や組み立てが一筋縄ではいかない。この “blue” の色合いが5曲目の「Sky Blue」の “Blue” と違って耳に入ってくる面白さに注目すると、マリアの画家的なセンスと音楽家としての素質が溶け合って生むオーケストラル・サウンドの緻密な美質がよく分かる。この「スカイ・ブルー」におけるスティーヴ・ウィルソンのソプラノ・ソロはいかにもヴェテランらしい余計な力を抜いた演奏で、思わず堪能させられた。プロデュース活動をしていたころ、チャンスがあったら声をかけようと思っていたプレイヤーだけに、彼の変わらぬプレイぶりがことのほか嬉しかった。

4曲目の「Data Lords」も聴きものだった。アコーディオン、ギター、それに3リズムの序奏からフルートの入ったアンサンブル、そしてグレッグ・ギスバートのトランペットとデイヴ・ピエトロのアルトのソロが展開する流れの中で、バックのアンサンブルがザザザッと波が押し寄せるような効果音的サウンドを発して変化を生むあたりなど、いわゆるポップなサウンドはどこにもないが、隙のないよく練られたマリアのサウンド作りが印象的だった。最後を飾った「Hang Gliding」では、ハング・グライダーの滑空のスリリングな面白さが、5拍子と6拍子が交互に流れるリズムの中で気持よく展開し、気持のいい締めくくりとなって幕となった。

このマリア・シュナイダー・オーケストラが次に来日するのは来年か、それとも3年後か。次はどんな楽曲とオーケストラル・サウンドで楽しませてくれるか。次回を楽しみに待ちたい。

http://www.bluenote.co.jp/jp/artists/maria-schneider/

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悠雅彦

悠雅彦

悠 雅彦:1937年、神奈川県生まれ。早大文学部卒。ジャズ・シンガーを経てジャズ評論家に。現在、洗足学園音大講師。朝日新聞などに寄稿する他、「トーキン・ナップ・ジャズ」(ミュージックバード)のDJを務める。共著「ジャズCDの名鑑」(文春新書)、「モダン・ジャズの群像」「ぼくのジャズ・アメリカ」(共に音楽の友社)他。

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