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悠々自適 悠雅彦Monthly EditorialNo. 233

悠々自適 #75 地歌ライヴに賭ける藤本昭子の闘志と偉業

text : 悠 雅彦
profile photo :森 豊
stage photos : 岩田えり

寄る年波のせいか、これというテーマを決めて巻頭文を書くのがしんどく、億劫になってきた。最近の数回は、その間隙を縫って、河田黎、マリア・シュナイダー・オーケストラのライヴ評を題材に話題を広げると同時に批評的関心を深めつつ、巻頭文にふさわしい内容を盛り込むことに注力しながらまとめあげた。それは言い換えれば、私にとっての新しい境地のようなものだったといえばよいだろうか。シャンソン、ジャズときたら、お次ぎは邦楽でいこうと意を決したのも、地歌の記念すべき素晴らしいコンサートがあったからだ。

実は7月3日にブルーノート東京で聞いた渡辺貞夫ビッグバンドが気持のいい演奏を披露してくれたので、これを取り上げようと心積もりをしていたのだが、実をいうと朝日新聞社が主宰している<朝日賞>に渡辺貞夫を推薦したこともあり(2004年には穐吉俊子を推薦した。彼女はジャズ音楽家初の受賞者となった)、いささか逡巡しているうちに時間が経って、決断を急がなければと気が急いていたときに、たまたま聞いたのが藤本昭子の地歌ライヴ・コンサートだった。ところが、これが予想以上に素晴らしかった。今回は邦楽の番だと思っていたことでもあり、思い切ってこの地歌ライヴ・コンサートの評文で巻頭文をしたためることにした。

藤本昭子/地歌 Live at よみうり大手町ホール
2017年8月13日 14:00

1.尾上の松
藤本昭子(歌、三絃) 日吉章吾(歌、筝)

2.こんかい
藤本昭子(歌、三絃) 澤村祐司(歌、筝)

3.新青柳
藤本昭子(歌、三絃) 菊央雄司(歌、筝)

4.根曳の松
藤本昭子(歌、三絃) 岡村慎太郎(歌、筝) 藤原道山(尺八)

プログラムには<第85回記念公演>とある。一口に85回というが、今回までで16年の歳月を費やして達成した、それだけでも口があんぐり開いてしまいそうな、びっくりするほどの記録といって間違いない。年に5回のライヴを休まずに16年を超えて催し続けてきた事実だけでも、その陰で彼女がどれほどの努力と研鑽を怠ることなく続けてきたことから生まれた記録であることかと思えば、ほとんど奇跡的なライヴ活動といって差し支えないだろう。

私事で恐縮だが、彼女の一座が芸術祭に参加した2004年にたまたま審査員を拝命していたことが縁で知己を得た私は、この年の12月の地歌ライヴに初めて招待され、彼女が三絃で演奏した「雪」と「八重衣」を柔らかな手触りを感じながら賞味した。若いころ琴の手習いをしていた母の遺伝子がこのときそっと私の邦楽の目覚めを用意してくれたのかもしれない。そういえば、家のSP盤の中にフランスのヴァイオリン奏者ルネ・シュメーが宮城道雄の筝を得て1932年に吹き込んだ「春の海」があり、戦後まもなく聴き飽きるほど繰り返し聴いた記憶が私のどこかで目を覚ましたのかもしれない。それから時が経って石川勾当の「八重衣」は私の密やかな愛聴曲となった。一方、このとき初めて聴いた「雪」に強く印象づけられた私は、それからまもなく彼女の兄、藤井泰和の三絃で出雲蓉が舞った「雪」にただならぬ感銘を覚えたことが今でも脳裏から消え去らない。それまで地歌の愛好者であるなどとは間違っても公言したことがなかった私が、機会さえあれば進んで地歌の演奏会に足を運ぶようになるきっかけとなった地歌2曲の思い出がわけも分からない中で甦ってきたのだ。

この時分は新宿の「たべるな」というレストランの小さなステージがライヴ会場だったことと、昭子さんの実母で人間国宝の藤井久仁江氏がご健在で、九州系地歌の真髄と枯れた芸をうかがうことができたことが忘れられない。それから13年余を経て迎えたのがこの第85回。正直にいって、第1回の2001年6月から今日まで途中下車も挫折もすることなく新宿から銀座、それから現在の求道会館(本郷)での「地歌ライヴ」の旗を降ろさなかった藤井昭子(当時は本名)の初心忘るべからずの精神、地歌を愛してやまない母親譲りの地歌芸への執着(こだわり)には、ただただ感服するのみである。この日の記念演奏会には5人のゲストが賛助出演した。前半が日吉章吾と澤村祐司。休憩後の後半は菊央雄司と岡村慎太郎、及び藤原道山。すなわち全員が男性。5人全員が男性とはかなり珍しい。この日は藤原道山以外の4人が筝の演奏家として舞台に立つとプログラムが告げていた。ということは、昭子さんは三絃演奏に徹するということだ。これもかなり珍しい。昭子さんによれば、今回は前半が30代、後半が40代の男性演奏家たちとの共演が聴きどころとか。そのあとの言葉がいかにも彼女らしくて、反対に微笑ましい笑いを場内に誘った。「ということは、50代は私1人ってこと?」。

尾上の松

それにしても日吉章吾の切れと勘のいい演奏には目をみはらされた。さすがは昭子さん、お目が高い。プロフィールを見ると、東京芸術大学(芸大)の邦楽科及び大学院を出て、まだ6年ほどしか経っていない。この2、3年の間に全国箏曲コンクールをはじめとするさまざまな大会で受賞したことを通して注目すべき存在となり、とりわけ昨年、芸術祭の音楽部門で新人賞を受賞したことで脚光を浴びたことを証明するこの日の知的で清すがしい演奏は、まさに快演というにふさわしい手さばきだった。彼女の地歌ライヴでは時には尺八を加えたりする

「尾上の松」を含めて何回か拝聴しているが、頼もしい英才を相手に、ときに対等に語らうように、ときに心を開いて張り合うかのように、豊かな緊張感を讃えたこの日のような「尾上の松」は滅多にない聴きものだったといってよい。またこの曲が九州系の地歌演奏家にとって特別な作品であることと合わせて、昭子さんと日吉章吾の気持の合わせ方や語らいを通して聴く者に清々しく感じられた効果がものをいって、実に新鮮な聴きものとなった。それだけ日吉章吾の才気横溢する歌と筝の演奏に息子のような年齢の日吉の大成を読み取った昭子さんの気持の高まりが、目をみはらせる高度なテクニックの応酬の中にキラリと光って見えるという、そんな新鮮さが聴く者に新たな感動を呼び覚ました「尾上の松」ではあった。

お気づきとは思うが、「尾上の松」に始まる今回のラインアップは、次の「こんかい」、後半の「新青柳」と最後の「根曳の松」と、どれをとっても地歌が誇る大曲ばかり。名曲負けするのではないかという疑心暗鬼が、将来の邦楽界をになう若い男性演奏家との熱い共演を通して清々しい自身に変わっていく道行きを、あたかも事前に昭子さんが予想していたかのようなプログラム構成に、私は率直にいって驚いた。だが、展開はまさに昭子さんが読んだ通りの筋書きで進んだといってもよいだろう。それを踏まえていえば、昭子さんにとって幸先のいい日吉章吾との「尾上の松」だったといっても言い過ぎではないと考える。

こんかい

日吉章吾に続いて登場したのが澤村祐司。彼も芸大邦楽科の出で、2006年卒業との1点から判断すると日吉章吾の3年先輩にあたり、現在33か34歳。2013年に長谷検校記念全国邦楽コンクールで優秀賞を受賞し、2年後の2015年に初のリサイタル(紀尾井小ホール)を催したとプログラムの紹介にあり、有望な筝・三絃の演奏家として集めているのだろう。曲は「狐会」の当て字から類推されうるように、きつねにまつわる京都生まれの芝居歌。谷垣内和子さんの解説文によれば、能狂言「釣狐」や歌舞伎芝居に由来する芝居歌で、狐の鳴き声を模したタイトルからはユーモラスな民話の雰囲気が漂う。「母親の病を治すために招いた法師が、実は母親に恋慕する狐が化けたものだったので追い払う」(谷垣内和子)という歌詞からは、近世京都で流行っていた歌舞伎風の芝居の雰囲気が漂い出す。17世紀末から18世紀初めといえば、三絃が大活躍する曲が多数生まれたころで、この三絃の活躍がいわゆる手事物の誕生をと発展を用意する大きな要素となった。「こんかい」の作曲者は当時京都で「六段れんぼ」などで知られ岸野次郎だが、手事が注目を浴びる直前の時期の作品とあって、手事が二つも入る「尾上の松」とは対照的にいわゆる手事はひとつもない。しかし、合の手の手事風のシャープな両者の演奏はスリリング。奏法的にもかなり至難な筝の演奏を、澤村祐司がはた目にも分かる力演を披露して聴衆を惹きつけた。この筝の手付けは宮城道雄によるもので、随所に現れる技巧的に至難なパッセージを澤村が堂々と演奏し、藤本昭子の歌と三絃に和してみせた颯爽たる姿が印象的だった。そういえば、澤村は宮城会に所属する。現在、箏曲宮城社師範をつとめる彼にとっては精神的な師ともいうべき宮城道雄のこの手付けを藤本昭子の三絃と語らう形で演奏することは、ある意味では挑戦でも喜びでもあったに違いない。それはまた昭子さん本人にとっても貴重な体験であると同時に、今後の活躍に向けての希望の光となるものだろう。

新青柳

休憩後の後半は、冒頭の挨拶で観客の笑いを誘った40代演奏家の大曲2題。まずは名曲「八重衣」を生んだ石川勾当のもうひとつの名曲で、「融(とおる)」を含めて<石川の三つ物>のひとつ。本調子手事物の迫力と幻想的な絵巻物を見るようなファンタジーが、この「新青柳」の魅力でもあり、特に謡曲「遊行柳」からの暗示に始まり、源氏物語の柏木の恋の話にまで広がる幻想性が魅力。谷垣内和子さんは、能をフィルターに源氏世界への想いを重ねた作品と評している。昭子さんとの丁々発止のやり取りを通して、とりわけ二つの手事に昭子さんの三絃との絶妙なコンビネーションを発揮した勘の鋭い演奏で、「新青柳」のめくるめく幻想世界を表現することに成功した菊央雄司には予想した通りとはいえ改めて驚かされた。

実は最初の日吉章吾とともに菊央雄司の演奏を目の当たりにするのはこれが2度目である。過ぐる4月、平家の語りの歴史性をクローズアップした平家語り研究会の特別講演会(薦田治子講師)で、菊央雄司と日吉章吾が田中奈央一とともに平家語りを披露したときだ。このとき平家琵琶を演奏したのが日吉、三絃で平家語りを演奏したのが菊央だったからである。演奏が難しいとの定評があり、特に三絃の難曲ともいわれる「新青柳」を選曲した裏に、菊央の力強い、しかしてモダンな情趣にも富む歌及び演奏と相まみえて、藤本昭子の闘志に火がついたといっても過言ではないだろう。初共演とは思えない、両者の意気軒昂ぶりが印象深い源氏物語、いや平安時代に想いを列ねた石川勾当のきらびやかな世界を堪能した「新青柳」だった。

根曳の松

最後は、尺八の藤原道山をゲストに迎えての大曲「根曳の松」。三絃は岡村慎太郎、両者ともこの地歌ライヴの常連で、初春のめでたい情景をうたった晴れやかな三つ橋勾当の作品を格別に気負うこともなく、むしろ3者で演奏することの至福を言祝ぎあうかのような晴れやかさを讃えて演奏した。藤原道山と岡村慎太郎の演奏は私もこの地歌ライヴで数え切れないくらい聴いて馴染み深いが、それゆえか昭子さんとの心の通い合いもいたってスムースで、手事を3つも配したこの難曲をむしろそれぞれに楽しむかのように演奏して締めくくったのが感慨深かった。聞けば、藤原と岡村の両者は東京芸大の同級生だそうで、加えてこの地歌ライヴの常連とあって何のわだかまりもなく昭子さんとのステージを楽しんでいるように見えて、三役物にふさわしい「根曳の松」のめでたさが晴れやかに浮かび上がってくるようだった。かくして第85回記念をうたった藤本昭子の<地歌ライヴ>は成功裏に終演した。この先どのくらい長く続くかは、言わずもがな彼女の健康と気持次第だが、みずからは冒頭の挨拶の中でにこやかに意中を披瀝していたのが頼もしくもあった。彼女は満面に笑みをたたえながらこう言ったのだ。「このまま順調に進みますと、第100回の地歌ライヴはちょうど2020年の東京オリンピックの開催と重なることになります」と。笑いながら冗談めかして言ってはいるが、本心は本気だと聞いた。その100回記念ライヴは誰と、何を演目に演奏するのだろうか。(いや、それ以上に、その100回記念演奏会に私自身が立ち会えるのか。(2017年8月19日記)

悠雅彦

悠 雅彦:1937年、神奈川県生まれ。早大文学部卒。ジャズ・シンガーを経てジャズ評論家に。現在、洗足学園音大講師。朝日新聞などに寄稿する他、「トーキン・ナップ・ジャズ」(ミュージックバード)のDJを務める。共著「ジャズCDの名鑑」(文春新書)、「モダン・ジャズの群像」「ぼくのジャズ・アメリカ」(共に音楽の友社)他。

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