Vol.69 変わりつつあるジャズ・ヴォーカル地図〜3人のジャズ・ヴォーカルを聴いて

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text by 悠 雅彦 Masahiko Yuh

先だってたまたまアーヴィング・バーリンがこの世に残した膨大な楽曲に目を通す機会があった。あのジョージ・ガーシュウィンが “アメリカのシューベルト”と呼んで讃えたバーリンの作品には,出世作となった <アレキサンダー・ラグタイム・バンド>を初め、クリスマスの定番曲<ホワイト・クリスマス>にいたる数え切れないスタンダード曲がある。ちなみに、<アイル・ビー・アラウンド>などの佳曲を書いた作曲家アレック・ワイルダーはスタンダードという言葉は敬遠して使わず、72年に上梓した大著『American Popular Song』のなかで「Great American Songbook」と呼んだ。スタンダード曲の多くはアメリカで生まれたものであり、その限りでは Great American Songbook とはなるほど言い得て妙でもある。その労作のトップを飾ったのがアーヴィング・バーリンだった。米国の記念切手にまでなったくらいだから、バーリンにはまさに数え切れないくらい多くの名歌がある。何でも3000を超える作品を残したというが、その名歌から1曲をピックアップせよといわれたらお手上げだろう。歌う人はむしろ少ないが、<May Be It’s Because I Love you Too Much>という、ナット・キング・コールが歌った曲なども忘れがたい。数あるバーリン・ソングの中のマイ・フェイヴァリットは <They Say It’s Wonderful>。なかでもジョニー・ハートマンがジョン・コルトレーンの歴史的クヮルテットと共演して歌ったアルバム(インパルス)の1曲。オープニングを飾ったあの、しのびやかにそっと囁きかけてくる<They Say It’s Wonderful>は、何度聴いたか分からないが、いつ聴いても心が溶ける。
この名唱を聴きながら、ふと思った。ハートマンも、ジョー・ウィリアムスも、あるいはレイ・チャールスも、むろんキング・コールもすでにこの世にはいない。あのころはエラ・フィッツジェラルド、サラ・ヴォーン、カーメン・マクレェの全盛期であり、リナ・ホーンやダイナ・ワシントンも健在だった。もちろんメル・トーメやクリス・コナーらの白人シンガーも活躍していたことは言うまでもないが、当時はジャズ・ヴォオーカルといえば黒人ヴォーカリストをおいては語れなかった。ベティ・カーターもニーナ・シモンもアビー・リンカーンもみな鬼籍に入った。目を転じて現代ジャズ・ヴォーカル界を眺めてみると、なるほどカサンドラ・ウィルソンやダイアン・リーヴスは健在だが,<エラ・サラ・カーメン時代>の足元にも及ばない。男性歌手となると淋しい限り。ボビー・マクファーリンもケヴィン・マホガニーも峠を越えた。
そんな折りもおり、今年のアカデミー賞で黒人受賞者が2年連続で皆無だったというニュースが報じられ、黒人市民やファンの不満や抗議を受けて1票を投じる権利を持つ黒人評議員の数を増やしたことが話題になった。映画界のことは不案内だが、もしかすると話題になるほどの顕著な仕事をした黒人俳優や監督などがひところに較べて少なかったことを暗示しているのではないかと思ったりもした。もしそうだとすると時代を象徴するような傑出した黒人ヴォーカリストを欠く昨今のジャズ・ヴォーカル界の現象は、ジャズ・ヴォーカル界における単なる不作の状態を示しているというよりは、米国のさまざまな分野に共通して見られる時代をリードするだけの能力や気概を持つタレントの不在として片付けていいのかもしれない。だが、そうはいうものの過去の栄光の時代を知る私たちには余りにも淋しい。
アーヴィング・バーリンからジョニー・ハートマンへ、そしてエラ・サラ・カーメンの黄金時代へ。話しがつい飛躍してしまった。本当はジョニー・ハートマンを緒にしてこの2ヶ月ほどの間に聴いた出色のジャズ・ヴォーカル公演を久しぶりに取り上げてみようと思っただけのこと。それが、とんだ脱線になってしまった。
エラやサラやカーメンの全盛期といえば、会場はいわゆるコンサート・ホールが中心だった。彼女たちの時代が過ぎ去って、特に21世紀に入って以降1000人を超えるファンを動員できるジャズ・シンガーはいなくなり、今はなき新宿厚生年金ホールなどでエラやサラの熱唱に酔いしれた日々は遠く去った。それかあらぬか平成の世になり、しばらくして青山に「東京ブルーノート」が産声を上げたとき、今日の盛況ぶりを予想することはまったく出来なかった。それが今や、外国から来日するジャズ(系)・シンガーにとって、ブルーノート・ジャパンは都市になくてはならぬ、いわば聖地のようなホット・プレイスとなりつつある。その後、丸の内に傍系の「コットンクラブ(Cotton Club)が誕生し、この流れは決定的となった。今日、海外のジャズ・シンガーを聴こうと思ったら、ブルーノートとコットンクラブを避けては通れない。今回私が感銘を受けた3人のシンガーの公演もブルーノートとコットンクラブでのものだった。
さて、エラ、サラ、カーメンを嚆矢とするようなジャズ・ヴォーカルの巨大な存在を求めようとしても、それはないものねだりに等しい。しかしものは考えようだ。能力豊かな個性派や魅力的なシンガーが皆無というわけではなく、格の違いは別にすれば、個性的なスタイルで伸びのびと歌って聴く者に親近感を与える若いシンガーが次々と現れては注目を集めているからだ。エラを初めとする巨大な存在がみな世を去り、ジャズを生んだ国アメリカという重石(おもし)がとれたからかもしれない。この何年かさまざまなタイプのシンガーが世界の多くの地域や国々から名乗りを上げ、ファンの注目を浴びるようになったのだ。こんな風に言い表すことができるかもしれない。現代のジャズ・ヴォーカル界は個性派や実力派が互いに切磋琢磨しながら割拠し合う戦国時代、と。すなわち、ジャズ・ヴォーカル大国だった米国のパワーが低下する一方で、他の国々のヴォーカル熱の高まりとともに実力もパワーアップし、たとえばカナダやヨーロッパ各国のシンガーたちが妍を競い合うように歌唱力や個性、持味やテクニックなどをアピールする吹込作品(CD)を発表し、ファンの歓心をかう競争を繰り広げつつあるからだ。現在、特に注目を惹くのがカナダとスカンッジナヴィア諸国だが、とりわけカナダからは有能な新鋭が相次いで輩出している。ソフィー・ミルマンやキャロル・ウェルスマン、驚くべきスキャット能力の持主として話題になったニッキ・ヤノフスキー、あるいはバーブラ・リカなど。ダイアナ・クラールの後釜を競い合う素材は多士済々だ。

その中で一際抜きん出た歌唱力とジャズ的センスで光っているのがエミリー・クレア・バーロウ。現代的なセンスを持つ正統派といってもいいタイプ。ポップな感覚にも優れ、ボサノヴァやシャンソンなども自在にこなす力を持つ。従って、レパートリーも多彩。その上カナダの伝説的ドラマーとして知られるブライアン・バーロウを父に持つ毛並みのよさは、98年に発表したデビュー作でも充分に窺えた。その彼女が昨年に引き続き、新たに自国のミュージシャンを引き連れて再度来日。コットンクラブでの『Live in Tokyo』(Empress Music Group)も好評で、よほどこのクラブが気に入っているとみえ、オープニングの<Feelin’ Groovy>から乗りに乗ったステージさばきを披露した(1月23日、ファーストセット)。
全員カナダのプレーヤーで固めたバックは、ケリー・ジェファーソン(ts、fl),アマンダ・トソフ(p)、レグ・シュワガー(g)、ジョン・マハラジ(b)、ファビオ・ラグネリ(ds)というクィンテット。
彼女がヴォーカリストとして新たな第1歩を踏み出そうとしていることを窺わせるように,スタンダード曲に加えてシャンソンやボサノヴァを混じえ、<It’s Just Talk>を初めとする今回初めて耳にしたポピュラー・ソングなど全11曲。2つのアンコール曲を含めると全13曲にもなるプログラムを、立て板に水のごとき滑りのいい唱法で料理し,人々の喝采を博した。ジャズ(系)・ヴォーカリストとしての地力、技術、表現力を評価しようと思ったらスタンダード曲を聴くのが一番だが、バーロウの場合も<Midnight Sun>や<Almost Like Being Love>などでその力量のほどがうなずけた。特に前者は難曲中の難曲で、力が充分備わっていないシンガーには歌えない。よほどのシンガーでも敬遠するのが普通の難曲で、故青木啓氏や山口弘滋氏らの定評あるスタンダード本にもさすがにこの曲や歌った歌手の記述はない。バーロウはジェファーソンのフルートをバックにボサノヴァ調の軽快なリズムで巧みにドライヴしてみせる。軽いタッチだが、さすがに巧い。今度はバラードとしてじっくり料理するバーロウの<ミッドナイト・サン>を期待したいものだ。後者はこの夜の彼女のベスト。わけてもベースとギターの2者を相手に披露したスキャットには舌を巻いた。横溢するジャズ・スピリット。トソフとマハラジのソロも素晴らしかったが、彼女のこの唱法には脱帽させられた。
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Photo by ⓒYasuhisa Yoneda 米田泰久/CottonClub

 

ジャズ・ヴォーカルの正統派といったら、今日、ナンバーワンに指を屈するのはロバータ・ガンバリーニをおいてないだろう。イタリア人というハンデを持前の闘志で跳ね返したばかりでなく、エラ、サラ、カーメンの偉大な唱法を吸収しながら、かつ多くの優れたジャズ演奏家に直接学ぶことで、彼女ならではの優れたジャズ唱法を手中にした。かつてMJQのジョン・ルイスはヘレン・メリルを評して、彼女の唱法が優れたジャズメンとの交流の中で育まれ、彼女がそれを自覚してみずからの中に取り込むことでジャズ・ヴォーカリストとして成長したのだと喝破した。優れたジャズ・ミュージシャンとの交流がいかに大切で貴重であるかを、私はガンバリーニの音源や初来日したときのインタビューを通して再認識させられた。彼女は98年に米国へ渡ってまもなく、偉大なアルト奏者で作曲家の故ベニー・カーター(スイング時代の3大アルト奏者の1人)のもとで薫陶を得、カーターが亡くなるまで彼のもとで研鑽を持続した。また、同じくサックス万能でフルートの名手でもあり、ディジー・ガレスピーと組んでバップ期を闊歩したジェームス・ムーディーとも、彼が亡くなるまで親しく何度も共演する間柄だった。ジャズ史に名を馳せる偉大なミュージシャンから直接教えを受けたことに限っていえば、彼女は最後の幸運なシンガーの1人だったと言って間違いない。ガンバリーニがデビュー作でも歌って評判をとり、以後ライヴ・ステージでは決まって披露する<サニー・サイド・オヴ・ザ・ストリート>のヴォーカリーズも、ディジー・ガレスピー、ソニー・ロリンズ、ソニー・スティットの白熱的なソロを再現したもので、後半はこれをスキャットで熱唱するこの曲は、今や彼女の十八番。この夜(2月11日,コットンクラブ)のファーストセットでも前半のクライマックスで熱唱した。何度聴いたか分からない私だが、彼女が高度な水準を保って歌い続けていることには改めて驚かざるを得ない。ことにスキャットの迫力ときたら、さすがのサラ・ヴォーンも絶賛したのではないか。もしエミリー・クレア・バーロウとスキャットで一騎打ちしたら、さぞかし凄い聴きものとなるだろう。
バーロウの<Midnight Sun>には驚いたが、ガンバリーニの第2曲<That Old Black Magic>にも目をみはった。かつてジョニー・マティスの同曲に興奮した思い出がよみがえった。ハロルド・アーレンが書いた曲の中でも難曲中の難曲。滑るようにノリのいい彼女の唱法で聴くと、たいした難曲に聴こえない。次のデイヴ・ブルーベックの傑作<In Your Own Sweet Way>の選曲といい、年期の入ったジャズ・ヴォーカル・ファンに有無を言わさぬガンバリーニの高度なセンスとヴォーカル技法には,サラならずとも脱帽せざるを得まい。このあと、ピアソラの<オブリヴィオン>やボサノヴァの<ノー・モア・ブルース>などで緊張した空気を和らげるなどステージの運びも心憎い。
バックをつとめたのは全員黒人の達者なミュージシャンばかり。ここにもエラ、サラ、カーメンの系統を引くガンバリーニの顔がありありと見えるようですこぶる興味深い。ジャスティン・ロビンソン(as)、サリヴァン・フォートナー(p)、アミーン・サリーム(b)、ジェレミー・クレモンズ(ds)からなるワンホーンのクヮルテット。
わが国では名前が知られているロビンソンが,ルグランの<サマー・ノウズ>と<ネヴァー・レット・ミー・ゴー>のメドレーで味のあるソロを披瀝し、フォートナーとサリームも堅実なソロで期待に応えた。後半に入って再び“ジャズ”を歌う歌手に帰った彼女は、テナー奏者ジミー・ヒースの佳曲<Without You>からコール・ポーターの<From This Moment on>へ。ポーター曲での転調をまじえたスリリングな展開で、このあとアンコールの<Fly Me to the Moon>を最後に、バラの花が匂い立つようなガンバリーニのジャズ・ヴォーカル・ステージは幕を閉じた。スキャットのみならず、何を歌ってもうまい。ひとつ難点があるとすれば、歌やステージの運びがきちんと計算されていて、彼女がスムーズに運んでいく展開にスキがまったくなく、やや聴き疲れを覚えることだ。多少はスキがあった方がいいことを、彼女の取り巻きやスタッフが暗示してあげられたらいいのだが、聡明な彼女自身がやがては気がつくだろう。
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写真Photo by ⓒYasuhisa Yoneda 米田泰久/CottonClub

 

最後は4年ぶりの来日となったカート・エリング。3月1日のファーストセット(ブルーノート)を聴いた。実はエリングの生は初めてで、そのせいか意想外なことが幾つかあった。CDで聴く限りでは、彼があれほど声を張って歌う人とは知らなかった。2曲目の<Where the Streets Have No Name>でもヴァースから歌ったようだが、あたかもオペラ歌手がアリアを朗々と歌う様をしのばせるエリングの節回しと声のドラマティックな張りにはさすがに面食らった。レコーディングとステージをまったく別ものと考える人もいるらしく、エリングがたまたまそのタイプのシンガーだったというに過ぎないのかもしれない。だが、いったん馴れてしまうと気持がいい。全身全霊をこめた彼なりの唱法で通し、決して気を抜かないからだ。だらけた態度は微塵もない。
バックのメンバーはジョン・マクリーン(g),ゲイリー・ヴァーセイス(p、org)、クラーク・ソマーズ(b)、ケンドリック・スコット(ds)。
勢いのある4ビートの<Steppin’ Out>がジャズ・シンガーとしての能力を窺うにふさわしい1曲といってよいか。エリングはスキャットも混じえ,レコードではなかなか聴けない技巧的なアドリブ唱法ともいうべき力唱を披露し、私の脳裏にイメージとしてあった硬派のジャズ歌手らしい一面を垣間見せた。このスキャットを聴いて、エリングが現今の男性ジャズ・シンガーの先頭にいる存在であることが確認できた。<I Like Sunrise>はデューク・エリントンの作品。滅多に聴けないエリントン曲でもある。ジャズ・シンガーでこの曲を歌った例を私は過去に知らない。ヴァーセイスのピアノとデュエットで歌うエリングのバラード唱法だが、聴く者を引き込んでいくこのバラード演唱だと、エリントン曲から漂う香気に包まれるような気分がすがすがしく、いやドラマティックにさえ感じられて、その瞬間エリングに脱帽したい気分になった。中ほどの5曲目で歌ったあのジャコ・パストリウスの佳曲<Three Views of a Secret>。エリングがここで披露したファルセット・ヴォイスはもう1つの聴きものだった。彼のヴォイスは今、頂点に達しているといっても間違いあるまい。さすがグラミー賞に輝いた才能だけのことはある。
驚いたのは次の瞬間。エリングがステージに招き入れたゲストが何とフリューゲルホーンとヴォーカルのトク。エリングとトクがこんな親しい間柄であるとはつゆ知らなかっただけに、トクの健闘でステージに温かな雰囲気が漂うのを見て、エリングが気分を高揚させている姿が逆に微笑ましかった。曲は<パリの4月>。パウエルともベイシー楽団とも違う花見を満喫しているかのようなエリングとトク。2人の互いに1歩も引かないフォーバース・チェイスが気持よかった。続くアルトゥーロ・サンドヴァルの切々たるバラード曲<ボニータ・クーバ>,そして一転して激情的なリズムで勢いよく繰り広げられる<ネイチュア・ボーイ>。前者でのトクの切々と訴えるソロといい、後者でのエリングのスキャットといい,互いの持味が最良の形で発揮された素晴らしいクライマックス。トクがヴォーカルを披露しなかったのは彼がエリングに遠慮したのかどうかは別にどちらでもよいが、両者が親密な関係をあたためていることが分かっただけでも収穫だった。今度は両者のスキャット合戦を期待したいものだ。
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Photo by ⓒ Yuka Yamaji/山路ゆか

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悠雅彦

悠雅彦

悠 雅彦:1937年、神奈川県生まれ。早大文学部卒。ジャズ・シンガーを経てジャズ評論家に。現在、洗足学園音大講師。朝日新聞などに寄稿する他、「トーキン・ナップ・ジャズ」(ミュージックバード)のDJを務める。共著「ジャズCDの名鑑」(文春新書)、「モダン・ジャズの群像」「ぼくのジャズ・アメリカ」(共に音楽の友社)他。

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