#1451『TON-KLAMI / Prophecy of Nue』

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今月の Cross Review #1: 『TON-KLAMI / Prophecy of Nue』

Text by Yoshiaki “onnyk” Kinno   金野 “onnyk” 吉晃

NoBusiness Records NBCD 102

Midori Takada 高田みどり (marimba, perc)
Kang Tae Hwan 姜泰煥 (as)
Masahiko Satoh 佐藤允彦 (p)

1. Prophecy of Nue
2. Manifestation
3. Incantation

Recorded live on the 27th May, 1995 at Design Plaza Hofu, Yamaguchi, Japan by Takeo Suetomi / Concert produced by Takeo Suetomi
Mastered by Arūnas Zujus at MAMAstudios
Photos by Akihiro Matsumoto, Takeo Suetomi and Yuko Tanaka
Liner notes by Takeo Suetomi and Koji Kawai
Design by Oskaras Anosovas
Produced by Danas Mikailionis and Takeo Suetomi (Chap Chap Records)
Release coordinator – Kenny Inaoka (Jazz Tokyo)
Co-producer – Valerij Anosov

一体誰がこのようなタイトルを付けたのだろう。あまりにも刺激的だ。記号というにはほど遠い。なんと罪作りな。東西南北の獣のキメラとしての鵺(ぬえ)、まさにこの音楽は四方どこにも属さないのかもしれないが...

このCDは、非イディオマティックな即興演奏という、音楽生成のあり方において最上の記録のひとつであることは論を待たない。それを理解するには、聴くという方法以外には無い。

高田みどり、姜泰煥、佐藤允彦という三つの点によって決定される「円=トンクラミ」が、一点増えても減っても、それ以外の円相に成り得ないという、あたかも幾何学的な事実は変える事が出来ない。

私が最初に姜泰煥に会ったのは1986年の盛岡だった。故副島輝人氏が「韓国にこんな素晴らしい演奏家集団がいた!」と招聘して来た姜泰煥トリオの、盛岡公演を請け負ったときである。先に副島氏からきたカセットを聴いて、非西欧的な、そして風格のある、独自の音楽だと感じた。

ほとんど国外で演奏する事が無かった彼らは、長いツアーで幾分緊張と疲労がみえた。韓国のミュージシャンは初めてではなかったが、こちらも構えていたかもしれない。お互い緊張が解けたあたりに、私は姜とようやく話す事が出来た。

しかし彼はハングル以外殆ど解しない。日本語の堪能な故金大煥(姜の従兄弟である)が通訳をしてくれた。そこで、サックス談義になったのだが、私が自分の肺活量の無さを卑下すると、すかさず姜はこう言ったものだ。

「私も肺活量は少ないのです。ですから循環呼吸を取り入れた。私は自分のサックス演奏にパターンを持っています。三つ息の使い方がある。そしてアンブシュアや運指などにおいて七つの方法がある。これらを組み合わせ、その順序や長さを変えて行くだけで無限に演奏が展開できるのです。そして私は従来のリードに満足できなくて、自分で作ったりもしました。これは特別な音がするので、あまり使いませんが」

こう言って、彼は自作のリードをひとつ私にくれた。それは弾力あるアクリル板にアルトのリードの基部を貼付け、マウスピースに固定できるようにしたものだった。それを試すと極めてノイジーな音が出る。推測だが、トンクラミの91年のメルスミュージックフェスのライブ録音の1曲目の冒頭はかなりの時間これを使っているように思う。

(暗黒舞踏の元祖、土方巽は晩年「東北歌舞伎」を構想し、自らの舞踏様式を確立すべく「舞踏譜」を作っていた。その中には一見即興的にも見える彼の動きが全て「型」として記されていたという。この型、様式化への意識と、姜の奏法に共通性を感じる)

盛岡のコンサートは盛況とは言い難かったが、それなりに良い反応はあった。私も共演させてもらったし、全体の録画が残っているので、いつか機会を見て公表できたらと思っている。

翌年、姜トリオは再来日し、サントリーホールを湧かせた。

二度目に会ったのは私がソウルへ一人旅した時だった。この時、私は金の自宅にも行ったが、姜とは彼の当時の職場である宝飾店で出会い、誘われて国楽のコンサートに連れて行かれた。

国楽は、朝鮮半島の伝統楽器を主に用い、また伝統音楽のスタイルも併用しながら新しい韓国の音楽を作る運動と解釈できる。日本で言えば現代邦楽とも言えそうだが、韓国社会における認知度は高く、若手作曲家や演奏家が積極的に取り組んでいた(現在の情況は知らない)。そこでも姜は多くの知人に囲まれ、批評やアドバイスをしていたようである。

そして繁華街イテウォンへ赴き、ソウル、いや韓国でも殆どないジャズバーに入った。そこの客層は7割がアメリカ人はじめ外国人だった。私は韓国人によるジャズのライブを期待したが、残念ながらその日は無いということだった。

「外国人ばかりですね」と言った私に、姜は情況を説明した。

「韓国ではジャズ聴かれていないというか好まれないのです。韓国の音楽は感情に強く訴える歌が好まれます。今のジャズは器楽中心ですし、ハングルの歌はジャズにのりにくい。さらに私のようにオーネット・コールマンみたいな前衛派に影響された音楽は、演奏する場所なんかなかったのです。近年、私のトリオが海外で演奏したり、金徳洙の『サムルノリ』も活躍しているから前衛派が認められてきているのですが、それでも年に2、3回ライブできたらいいほうです」

其の情況がどう変ったのか、私は詳しくないが、その後何度か来日した金も「日本でやるライブの方が多いよ」と言っていたのを覚えている。

当時の韓国のレコード店にジャズは全くなかった。そしてレコードはLPだけだったが(韓国には17センチ盤がないという)、CDが増えて来ていた。また韓国の大衆音楽レコード、CDには制約があり、必ず1曲はハングルの歌を入れるということだった。いずれ当時の韓国情勢については、話題を出す事も躊躇された金芝河や、死去したばかりの尹伊桑のことなど、社会全体に現在と違う意味での緊張感があったのだが、それは機会を改める。

さて、私は本CDの内容の素晴らしさを語る事を自らに禁じたので、いみじくも、プロデューサーにして、このライブの主催者でもあった末冨健夫のメモから、常々私が感じていた問題をむしかえしてみたい。

末冨曰く「このライブは90分休み無しで演奏されたが、佐藤允彦の編集で主としてトリオ演奏の部分を、3つのトラックに編集した」という。

全ての録音は、商品に成る前から編集が開始されているといってもおかしくはない。それは写真家がある被写体を前にしてファインダーを見る前から、シャッターを切る前から、彼の頭の中でその作品が形成され始めていることに匹敵するだろう。

写真家が画面をトリミングし、コントラストや色調を決定して行くように、録音者はどの時点で録音ボタンを押し、止めるかの意識がある。そして録音は、フェードイン、フェードアウト、カット、コピー、ペースト、オーバーダビング、イコライジング、エフェクト加工、マルチトラックならばさらに複雑な過程を経て、各トラックが作られ、並べ方を再考された後、最終的な編集物が完成する。そして各トラックに、アルバム全体にも名前がつけられ「作品=商品」は完成する。

そんなことはもう常識だ。「ビッチェズブリュー」やそれ以降のマイルス作品がいかにして出来たかは誰もが知っているし、ジャズに先立ち、グレン・グールドも、アメリカの名だたるオーケストラも、そしてロックやポップスの現場では先行していたプロセスだった。

我々は、ジャズにそのような「加工」をなるべく認めたくない意識があるようだ。演奏者以外の要素を排除したいような気持がある。しかし、実際上既にいかなるライブでも、スタジオでも、どのようにマイクロフォンを配置するか、どのメーカーのマイクを使ったか、録音機が何かは重要であり、録音の良否がその「作品=商品」の良否を左右する事もある(かつて日本のレコード会社はそれをわざわざ表示する事も辞さなかった)。

だから録音され再生される音は既に、「誰の耳によって捉えられた音でもない」。いわば複数の、あるいは一本のマイクが拾い、ミキサーを経て録音機の性能に依って記録された「演奏の影」でしかない。其の意味では写真の例えとはかなり違う性質も持つだろう。

ここで、本CDの製作経緯に戻る。これはCD収録時間を越えるぶっ通しの演奏を、演奏者の一人が編集した結果として届けられた。それはある意味、プロデューサーと編集者の意図が大きく働いた結果であることを否定できない。

ある映画が、その物語の主人公を演じた俳優の作品ではなく、監督の作品として語られる事は常識である。映画を見る時、それはカメラの捉えた画像を、存在しない誰かの視線として借り受けるのである。これは録音された音楽が誰の聴いた音でもない事に匹敵するだろう。

このCDは、末冨と佐藤の手に依って世に出た。それが我々に、「終われば大気中に消え行く」コトとしての音楽をモノとして受け取ることを可能にした。

このCDに収録され、再生されるあらゆる音は、聴く者をして戦慄せしめる。そして我々はこれがドキュメントだと思い込む、思い込みたい。しかしこれこそ貴方の耳で捉え、脳内で醸成される音楽なのだ。

即興演奏を録音する事に意味は無いという輩がいる。それはそれで言わせておいて良い。くどくど書いて来たように録音は演奏とは別物だからだ。しかしこうして「誰の耳が聴いたものでもない演奏」を、かつてあり得た情況を強く想う因(よすが)として、そしてそれがひとつの思想にまで達する可能性があるならば、このCDの存在価値はますます高まるだろう。それは書物のような役割をし、人を導く。

私は参考迄に、91年、メルスでのライブ録音としてリリースされたトンクラミのアルバムを聴いた。その演奏はこのCD以上にダイナミックかつアグレッシブな印象を受けた。冒頭、姜のサウンドはノイジーかつ持続的で、何のフレージングもアーティキュレーションもなく延々と続く。まるで驟雨のなかで高田と佐藤が二人駈け抜けて行くようだ。

おそらく欧州の聴衆はこんなサックスを聴いたことがなかっただろう。いや、既に失われた文化の中で、古楽器として、考古学的発掘物としての管楽器達はこういう響きを放っていた筈だ。姜のサウンドは彼らの古い意識に到達しただろうか。彼方から他部族が攻めて来る、祖先の恐怖をも想起しただろうか。

姜の音色は決して優しく無い。それはある意味無慈悲である。それは圧倒的パラム=風となって彼方から吹いて来る。

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金野 "onnyk" 吉晃

Yoshiaki "onnyk" Kinno 1957年、盛岡生まれ、現在も同地に居住。即興演奏家、自主レーベルAllelopathy 主宰。盛岡でのライブ録音をCD化して発表。 1976年頃から、演奏を開始。第五列の名称で国内外に散在するアマチュア演奏家たちと郵便を通じてネットワークを形成する。 1982年、エヴァン・パーカーとの共演を皮切りに国内外の多数の演奏家と、盛岡でライブ企画を続ける。Allelopathyの他、Bishop records(東京)、Public Eyesore (USA) 等、英国、欧州の自主レーベルからもアルバム(vinyl, CD, CDR, cassetteで)をリリース。 共演者に、エヴァン・パーカー、バリー・ガイ、竹田賢一、ジョン・ゾーン、フレッド・フリス、豊住芳三郎他。

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