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No. 215CD/DVD Disksヒロ・ホンシュクの楽曲解説R.I.P. ポール・ブレイ

ヒロ・ホンシュクの楽曲解説 #4『ポール・ブレイ・トリオ/ビバップ、ビバップ、ビバップ、ビバップ』

SteepleChase SCS 1259

Paul Bley – piano
Bob Cranshaw – bass
Keith Copeland – drums

  1. Now’s the Time (Charlie Parker)
  2. My Little Suede Shoes (Parker)
  3. Ornithology (Parker)
  4. A Night in Tunisia (Dizzy Gillespie)
  5. Don’t Blame Me (Dorothy Fields, Jimmy McHugh)
  6. The Theme” (Traditional)
  7. Bebop (Gillespie)
  8. Lady Bird” (Tadd Dameron)
  9. Tenderly” (Walter Gross, Jack Lawrence)
  10. Steeplechase” (Parker)
  11. Barbados” (Parker)
  12. 52nd Street Theme” (Thelonious Monk)

Recorded December 22, 1989, Copenhagen, Denmark

ポール・ブレイと言えば、我が恩師、ジョージ・ラッセルの『Jazz In The Space Age』でジョージが発掘したビル・エバンスとピアノの掛け合いをやっていたのを思うが、筆者にとってはむしろジミー・ジュフリをすぐに思い浮かべる。『The Life of a Trio』である。ジミーはジョージ・ラッセルと親しく、よく食事を共にしたのが懐かしい。ジミーとジョージの関係でポールがニューイングランド音楽院に就任したのは1993年だったと記憶する。筆者がすでに卒業した後であった。ニューイングランド音楽院はアメリカで最初にジャズ科を設立した音楽大学であり、また最近他界したガンサー・シュラーによって設立された「サード・ストリーム」という、ジャズではない純粋なインプロを勉強する科が創設されたことでも有名である。その第一人者であるラン・ブレイクは現在でも元気に教鞭をとっている。先日行われた80歳記念コンサートは圧巻であった。

筆者は同大学院でジャズの作曲法を学んだ。アメリカの学校は日本の大学で経験したのと違い、科が違っても自由に授業に参加できる。筆者も興味本位でサード・ストリーム科のインド音楽研究などの授業を取った。サード・ストリームという音楽は、ともかく膨大な音楽の知識を要求される。フリー・インプロとは違う。自由にインプロしているようだが、それは演奏者が勉強してきて得たボキャブラリーを自由に使いこなし、また、知っているものだからそれを壊すという作業が可能で、そこから新しいものを生み出すという概念だ。ラン・ブレイク、ジミー・ジュフリ、そしてポール・ブレイ、全員ジャズ畑出身ではあるが幅広いクラシックと現代音楽のボキャブラリーを使いこなすインプロバイザーたちだ。

筆者と純インプロ音楽について少し説明しよう。筆者は90年代初期、幸運にもジョン・ゾーンと仕事をしており、そこから派生してフリー・インプロバイザーとして2度独ベルリンに招聘された。最初のコンサートは当日初めて会った、今や名前も覚えてないが驚くべき才能のドイツ人テナーサックス奏者と、言葉も通じないまま二人だけで演奏を始め、主催者側が止めるまで時間を忘れて吹き続けた。興奮状態が続き、夢の中にいるようであった。ところが終演後著名な彫刻家という男が楽屋に訪ねて来、片言の英語で「お前のはフリー・インプロではない」と非難するように言うのである。その時に初めてフリー・インプロとサード・ストリームの違いを理解した。翌年のベルリンでのコンサートは、フリー・インプロの演奏家3人との共演だったが、「彼らは他の音楽をする技術がないからフリー・インプロをしてるのか」と感じてしまって、この時点で完璧に挫けてしまった。反面、ゴリゴリにグルーヴするジャズ、ファンク、それにブラジル音楽に集中するようになり始めた時期であった。そんなわけでポールが就任した当時あまり彼に興味がわかなかったのが残念である。筆者は卒業後教員として学院に残っていたので、ポールとすれ違う機会は何度かあった。1度彼のマスタークラスを聴講したことがある。彼は音楽のことを一切話さず、ビジネスのことばかりで筆者は途中で退場してしまったことを覚えている。

今思えばポールの音楽は純インプロではなく、サード・ストリームであったのだと思う。そんな経緯から今回楽曲解説に筆者が選んだのはポールの数少ないジャズ・アルバムの一枚である『BeBopBeBopBeBopBeBop』。筆者のバンド「ハシャ・フォーラ」は数ヶ月前、新譜『ハシャ・ス・マイルス』を発表した。これはいかにマイルスのレパートリーを今までにないサウンドで作り上げられるか、という趣旨で、常に新しいものを創るというマイルスの教えの一つに従ったものである。ポールのこの1990年のアルバム『BeBopBeBopBeBopBeBop』に同じ意味で共感を覚える。古いビ・バップのスタンダードを、彼のユニークなボキャブラリーで新しいサウンドに仕上げている。当時の多くの評はまずポール・ブレイがビ・バップを題材に選んだことに驚き、そしてそのユニークな創造性を賛美している。

筆者にとっての驚きは、ポールがまさしくジャズのタイム感でグルーヴしていることである。彼もまた“できるのにやらない”実力の持ち主の一人であったことがわかって嬉しく思った。それに加えてこのリズム・セクションだ。ベースはあのボブ・クランショーだ。スイングジャズからハードバップ、エラやモンクやタイナーやロリンズや、レコードのクレジットで名前をしょっちゅう見ていたベーシストだ。そしてドラムはキース・コープランド。あまり名前は知られていないかもしれないが、彼はジョージ・ラッセルのリビング・タイム・オーケストラの一員としてヨーロッパで活躍していた。1988年には同オーケストラの一員として『東京ミュージック・ジョイ』にも参加している。筆者は留守番としてジョージの授業を代講していたので同行していないが、リハーサルのアシストで1度だけ会ったことがある。素晴らしいライドシンバルのグルーヴを醸し出すドラマーである。本アルバム『BeBopBeBopBeBopBeBop』でもクランショーのオン・トップでドライブするベースと、ビハインドでグルーヴするキースのドラミングとのタイム感の幅の中で自由奔放にグルーヴしまくるポールのピアノがこのアルバムを最高のジャズ作品に仕上げている。筆者はこういうグルーヴを聴いているだけで幸せになれるわけだが、ポールのインプロが実にオリジナルで耳が釘付けになってしまう。

前置きが長くなってしまった。楽曲解説に入ろうと思うが、その前にこのアルバムを聴く際に一つ注意事項がある。高価な再生装置を使って鑑賞しない方がよい。ミックスにかなり問題があり、ドラムのステム(サブミックス)に不自然なブーストが7.6KHzあたりにかかっていてとても聴きづらいし、ドラムの各楽器のイメージが広すぎてとても不自然だ。それに対して不自然な音のするベースのピックアップに正しくコンプレッションが入っていないので、ミックスから消えてしまう。iPhoneやコンピュータスピーカーなど、5KHz以上の再生ができない、しかもモノラルに近い環境で再生することをお勧めする。Bley/Haden/Motianの『Memories』のようなミックスだったらどんなによかっただろうかと思うが、このアルバムの素晴らしい演奏に集中し始めるとこれらの欠点が不思議と気にならなくなるので、この注意書きは個人的な意見と受け止めて頂きたい。

“Now’s The Time” (Charlie Parker) 一曲目はいきなり有名なジャズブルースだ。こんな曲を一曲目に選んだことでこのアルバムへの意気込みがはっきりと伝わってくる。こちらも意気込んでこの一曲だけを解説しようと思う。この一曲目の解説だけでこのアルバムの全体をかなり説明できると信じる。ブルースはアメリカ音楽すべての基本である。筆者は生徒に「ブルースができるまではジャズを演奏してはいけない」と教える。反対にブルースをまともに勉強していない演奏家は聴いてすぐわかる。スムーズジャズで有名になった某ソプラノサックス奏者などがいい例だ。

<Now’s The Time>はおそらく最初に有名になったジャズブルースで、何がトラディッショナルなブルースミュージックと違うかといえば、トラディッショナルな単純なブルースフォームに対しインプロをもっと楽しむためにII – V進行やディミニッシュコードを挿入してコード進行を複雑化している。

フィールド・ホラーから派生したトラディッショナルなブルースフォーム

Traditional F Blues Changes

ビ・バップ時代に発生した、ジャズブルースフォームの一例

Bebop Blues Changes

では何がブルースの定義なのか。筆者は、ブルースは2つの条件さえクリアーしていればブルースに聞こえる、と生徒に教えている。この2つの条件とは、1)12小節フォームである事と、2)その5小節目に必ず4度コードが来、そしてその4度コードが2小節以上続かない事。極端な話この2つの条件さえクリアーしていれば1度コードさえなくてもよい。ポール・ブレイのブルース演奏を聴く際、この点に留意して頂きたい。

まずヘッド(テーマ)を聴いてみよう。ポールは2度繰り返すヘッドを同じに演奏していない。1回目の左手のヴォイシングは6度下で、西洋和声では順当な手段だが、ブルースに当てはめると違和感があるのを逆手にとっている。2回目はその6度下を半音上げてなんと#11thの音を弾いている。一歩一歩トラディッショナルなブルースから離れるように、だ。

そしてインプロの1コーラス目、まずクランショーがヘッドの最後の小節から、ブルーノートスケールに基づくF-A♭というオスティナートを始める。そしてポールはいきなりA♭Maj7(#5)を弾く。このコードはジョージ・ラッセルが説いたリディアン#5のスケールから派生するコードだ。注目したいのはその5度音、Eナチュラルである。F7のガイドトーン、AとE♭のうちの一つ、E♭を完璧に否定している音だ。前述の1度コードは必要ないという説明を思い起こして頂きたい。A♭Maj7(#5)を2度弾いた次のコードは、これもリディアン#5コード、FMaj7(#5)。次に平凡なGMaj7を弾くが、ベースのオスティナートであるFとA♭、両方とぶつかって異様なサウンドを醸し出す。GMaj7に含まれるF#の音がもっとも不協に聞こえ、その反対側でベースのA♭があたかもGに対するオルタードテンションのような響きを出す。そして4小節フレーズ最後のコードはD7(♭9)だ。ここではベースのFがポールの弾くコードの#9として融合し、意外と奇抜なサウンドになっていない。4小節フレーズを完結するために意図的にやったのであろうか。

5小節目、ベースはFのペダルをキープしているが、オスティナートはF-B♭に変更してしっかり4度コードを示している。そこでポールが弾くコードは、なんとA7(9)だ。どうやら4度コードに必要なDとA♭は全く無視することに決めたのか、いや、期待されるコードからどれだけ遠くに行けるかを試しているようだ。ここでのベースのダウンビートはFなので、結果はFMaj7(#5)のサウンドになっているが、ベースが第二音のB♭を弾いた途端にそれは破壊される。と思いきや、ベースはその次のコード、Bdim7に移るのでオスティナートはF-Bに変わり、直前でポールが弾いたA7(9)と折り合いをつけた結果になる。ところがである。ベースがBdim7を弾いているのに、なんとここでポールは4度コードであるB♭7(♭13)を弾くのである。実に過激というかなんというか。

注目したいのは、このピアノソロの1コーラス目と2コーラス目、2コーラス続けてポールは全てコードを流しただけで、ジャズのソロセクションを期待する聴衆は戸惑うかもしれない。しかし彼は自分がもっとも得意とするハーモニーの遊びをご披露していると理解できる。クランショーもそれを心得ているかのように普通のペダルではなくオスティナートを投げてポールに場を提供する。そのオスティナートはコード進行の外には出ていないので、ポールは好きなように意図的に不協和音をぶつけられるというわけだ。ポールが自分のスタイルを築き上げたインプロ音楽とこのあたりが大きく違うところだ。ファンとしては嬉しい異色作品である。

3コーラス目でいよいよ単音インプロが始まるが、まだゴリゴリのグルーヴを出すのではなくまずはアルペジオだ。このアルペジオはB-9でF7からはそう遠くはない。F7に対しBはテンション#11th(以下T#11)、DがT13th、F#がT♭9th、C#がT♭13thだ。ちなみにB-9のAを弾いていないのは、多分F7のコードトーンに含まれているからだろう。B-9はそう遠くはないと言ったが、一番下に9thのC#を、トップ音にマイナー3rdのDを置いて短9度の不協和音を作り出している。どこまでも不協和音で勝負するポールだ。

最初の4小節でB-9のアルペジオをした後で5小節目のアルペジオはA7(9)だ。そのA7(9)をすぐに半音下げてA♭7(9)のアルペジオを8小節目の終わりまで続ける。注目したいのは、A7(9)はまさに1コーラス目のコードソロの5小節目と同じであり、続くA♭7(9)のルートは4度コードのB♭7のガイドトーンの一つだ。しかもA♭7(9)の9thの音はB♭7のルートだ。ここでポールは気分でフリー・インプロをしているのではなく、考えてサウンドを作り出していることが理解できる。恐ろしい限りである。最後の4小節、ターンアラウンド部分でのアルペジオはもっと不協和音を強調し、B♭7(♭9)とA7(♭9)の不協性を強調した、学校でダメと教わる基本位置ヴォイシングだが、直前の2つのアルペジオが第一展開型であり、そこから半音下降するフォームが形成されている。

4コーラス目でさあいくぞというようにゴリゴリにグルーヴしたソロが始まる。まずポールのタイム感に注目だ。思いっきり幅のあるグルーヴで、ライドをビハインドで叩いているキースのさらにビハインドでグルーヴしまくるポール。ヨダレが出そうなジャズの伝統を充分マスターしており、ポールがスタイルを築いたインプロ音楽からはうかがえなかった一面だ。面白いのはキースのスネアだ。4コーラス目までパルスのギリギリ後ろでゆったり叩いていたスネアが、このコーラスからいきなりオン・トップで攻撃的になり、それに対してポールが幅のあるビハインドにまわって、まるでゴム紐を思いっきり引き伸ばしたようなスリル感を出している。これがまさにジャズの醍醐味だ。

ここでのポールのインプロでの音選びは実に勉強になる。最初のフレーズはA-11に聞こえるが、トップ音にB♭を弾くことでB♭Maj13を想定していることが解る。続いて明らかにE7(13)のサウンドがするフレーズを弾き、ビ・バップ風のアプローチフレーズを挟んだあと4小節フレーズの最後はA♭Susに落ち着く。このA♭Susの構成音はFのブルーススケールから遠くはない。気になる5小節目は当然またしてもA7だ。直前のA♭Susから綺麗につながっている。そのA7のフレーズが主調和音であるFの半音下であるEに進行し、E7のフレーズを♭9などを交えながら8小節目の終わりまで続け、9小節目からのターンアラウンドはA7(#9)のフレーズからB、B♭、Cという進行を表示して、解決するべき11小節目直前でなんと再びE7のフレーズを敷き、そこから解決するように主調音であるFを2度ガンガンと叩く。放浪していた子供が帰宅したというように、だ。

ポールのこのインプロのやり方からいったい何が学べるかを説明する前に、ブレッカーの話を少ししよう。筆者はバークリー在学中にマイケル・ブレッカーのマスタークラスを受けたことがある。当然筆者もご多分にもれずブレッカーを必死でトランスクライブしまくっていた一人であった。彼は「譜面に書いてあるコードを見た時に、空中に3個の別のコードが見える」と言った。当時はまだジャズを勉強し始めたばかりで、テンションから発生するエクステンションコードのことを言っているのかと思った。実際ブレッカーもそうコメントしていたのだが、それなら3個は多すぎないか、と思ったのを覚えている。その後彼のライブを何回か見たが、ある時彼はFのブルースでEリディアンのフレーズをまるまる1コーラス吹いているではないか。ここで“アウトする”という概念が自分の中で完璧に変わってしまった。つまり、コンシスタンシー(一貫性)が聴こえれば理論に逆らっていてもまったくかっこいいということだ。

ブレッカーに関してもう一つ話題がある。ニューイングランド音楽院在学中ボブ・ミンツァーのマスタークラスを受けた時、彼がブレッカーと2テナーでアルバム録音の仕事をした時のことを話してくれた。それはヨーロッパの作曲家のアルバムで、常識では考えられないような恐ろしく複雑なコード進行が小刻みに変わるインプロセクションをブレッカーとミンツァーが交代でソロすると設定された箇所があり、初見で立ち向かったミンツァーはいったいどうインプロすればいいのか真っ青になったという。幸いブレッカーの方が最初にインプロをすると書かれていたので、ブレッカーがいったいどんなソロをするのかと聞き耳を立てていると、ブレッカーはものすごい勢いでアウトしながらも自由奔放に吹きまくっている。思わずブレッカーの顔を見ると、なんと目をつむっているではないか!後でブレッカーに「瞬時に暗譜したのか」と問うと、「いや、コードを追えるとはとても思えなかったのでコードは全く無視して目をつむってめちゃくちゃ吹いただけだよ」と言ったそうだ。

当然この「めちゃくちゃ」はナンチャッテのいい加減なめちゃくちゃではなく、ブレッカーが長年貯蓄したアイデアの引き出しから耳を頼って破片を取り出し、上手に組み立てていくという作業だ。つまり、一つ一つのフレーズに完成度があればそれに対するコードが理論的に当てはまらなくても関係ないということだ。言い換えれば、それぞれのフレーズに何のコードを表しているかという響きが要求される。コードのサウンドがするフレーズである限り、例えばポールのソロが毎コーラス5小節目でA7のサウンドをさせている時、たとえAの音が4度コードのB♭7を破壊する音だとしても「間違っている」というサウンドにはならない。

ただここで特筆すべきは、ポールはこれをモードの曲ではなくブルースでやっている、ということだ。チック・コリアの<Matrix>もブルースだが、彼のアウトの仕方はほとんど分析可能で、彼がいったいどんな代理コードやクロマチックアプローチを意識してアウトしているのかが聴き取れる。ポールの場合、前述のように分析不可能だ。しかし彼は確固たるコンシスタンシーを提示するから聴いていて彼がどういうハーモニーを頭に描いて演奏しているのかが聴き手に伝わる。

では、まったく蛇足だが、いったいどういった場合に「間違った」サウンドになってしまうか。コードに対し理論的に沿っていようがいまいが、フレーズ全体に一つのコンシスタンシーが形成されているのに、そのフレーズの中で1音だけそのコンシスタンシーから外れた音が演奏されてしまう時である。逆に言えば、演奏家がうっかり「間違った」音を演奏してしまった場合、その間違いを3回同じように繰り返せば新しいコンシスタンシーが生まれ正当化されるのである。

先に進もう。次の5コーラス目で大きな変化が起こる。ターンアラウンドに入る2小節前、フォームの7小節目でなんとトラディッショナルなブルースフレーズが、しかも正しい調性でいきなり飛び出す。聴き手に、自分は全て理解して演奏しているということを確認するかのようにだ。そして最後の4小節のターンアラウンドはモードジャズで聴き馴染んだ4度積み上げコードをF-11、G♭-11、E♭-11と投げ、B♭7(Sus)を経てA-7をモーダルなヴォイシングで終わらせる。ここはターンアラウンドの最後だから導音であるEが入っていても不思議ではないが、このA-7を6コーラス目の頭でもう一度繰り返し、次にB-7に上がり、また離れて行く。素晴らしいセンスだ。このB-7に続くコードが、意外にもコンシスタンシーを壊している。右手の動きから考えればG#-7なのだが、左手が根音のG#ではなくFを弾いている。結果的にF7(alt)のサウンドになっているのだが、こればかりは筆者にはポールの意図が理解できなかった。ポールは弾いた途端に手を離し、意図していなかったコードを弾いてしまったようにも聞こえるが、ここはフレーズの終わりなのでわざとF7を投げたのかもしれない。どちらにしても流れを止めるというよりは刺激を投げかけている。才能のなせる技ということだろう。

6コーラス目のターンアラウンドで躙り寄るように調性に戻って来、7コーラス目で聴き慣れたブルースフレーズがFの調性内で始まる。ご機嫌なグルーヴである。9コーラス目にはなんと<Ornithology>からの引用まで飛び出す。全体の構成をもう一度確認してみよう:
コーラス 1~4:ポール独自の不協和音で、ブルースは無視するが5小節目のA7などのコンシスタンシーを提示
コーラス 5:スタンダードなブルースフレーズの挿入
コーラス 6:独自のハーモニーに戻るが、最初と違い不協和音的ではなく、モーダルなヴォイシングをし、そこからコンシスタンシーを保つアウトをし、最終部分でインサイドに向かう
コーラス 7~10:ゴリゴリのトラディッショナルなブルースフレーズを基本にし、グルーヴを楽しむ
この構成力の凄さに感嘆する。このアルバム全体を通して、これら全てが事前に計画されているとは考えにくい。全てがスポンテニアスに直感で進んでいると思われる。

ポールに続くベースソロについて少し言及したい。クランショーは旋律インプロではなく普通にウォークして4コーラスソロを取る。ロン・カーターもそうすることが多かった。時々ジャズファンから、なぜベースソロなのに、と疑問の声を聞くことがある。残念ながらこういうベース奏者のソロの意図が伝わっていない。反対に言えば聴き手がジャズの楽しみ方を理解していないということになる。前述したが、ジャズの醍醐味は華々しいインプロでもなく、そのユニークなハーモニーでもない。他のどんな音楽のジャンルにもないスリリングなタイム感の特殊なグルーヴがジャズの醍醐味なのである。このベースソロなどはクランショーのドライブするオン・トップのタイム感と、キースのビハインドでレイドバックするビートの幅を楽しむ。この楽しみ方を一度味わえば、4コーラスだろうが10コーラスだろうがずっと楽しんで聴いていられる。反対に学生などが一生懸命インプロの練習はするが、オン・トップでドライブするウォークができていないことに気がついていないのを見かけることがある。残念だ。

ここまでピアノ、ベース、ドラム三者の間で繰り広げられるタイム感の幅と、そこから生まれるグルーヴに焦点を当てて説明してきたが、ではソロピアノの場合どうなるのかを少し説明しよう。7曲目<Bebop>がそれであり、キース・ジャレットが数多く録音したソロコンサートも同じだ。何がジャズ特有なのか。ここでもやはりタイム感である。ソロ管楽器ではむつかしいが、ピアノは両手で2人分のタイム感を表現できる。ピアノは打楽器なのである。他の種類の音楽では「合ってない」ところがジャズではグルーヴにつながるのである。<Bebop>はものすごいグルーヴを楽しませてくれる。グルーヴとはメトロノームで一定に続くパルスに沿うとは限らない。演奏者が感じているパルスに対してオン・トップやビハインドなタイム感が表現されれば、ルバートの曲でさえジャズ特有のタイム感でグルーヴするのである。それに対し9曲目の<Tenderly>のイントロ部分はジャズ特有のグルーヴと言わないのはもうご理解いけると思う。ただしそういうレッテルを貼るということは、勉強の手段以外ではまったく無用なことであることは忘れずにいて頂きたい。

最後のトラック、<52nd Street Theme>はまたブルースである。アルバム最初と最後をブルースでまとめるという趣向だ。最初のブルース、<Now’s The TIme>との調理法の違いを思う存分楽しんで頂きたい。

ヒロ ホンシュク

本宿宏明 Hiroaki Honshuku 東京生まれ、鎌倉育ち。米ボストン在住。日大芸術学部フルート科を卒業。在学中、作曲法も修学。1987年1月ジャズを学ぶためバークリー音大入学、同年9月ニューイングランド音楽学院大学院ジャズ作曲科入学、演奏はデイヴ・ホランドに師事。1991年両校をsumma cum laude等3つの最優秀賞を獲得し同時に卒業。ニューイングランド音楽学院では作曲家ジョージ・ラッセルのアシスタントを務め、後に彼の「リヴィング・タイム・オーケストラ」の正式メンバーに招聘される。NYCを拠点に活動するブラジリアン・ジャズ・バンド「ハシャ・フォーラ」リーダー。『ハシャ・ス・マイルス』や『ハッピー・ファイヤー』などのアルバムが好評。ボストンではブラジル音楽で著名なフルート奏者、城戸夕果と双頭で『Love To Brasil Project』を率い活動中。 [ホームページ:RachaFora.com | HiroHonshuku.com] [ ヒロ・ホンシュク Facebook] [ ヒロ・ホンシュク Twitter] [ ヒロ・ホンシュク Instagram] [ ハシャ・フォーラ Facebook] [Love To Brasil Project Facebook]

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