JazzTokyo

Jazz and Far Beyond

閲覧回数 39,607 回

CD/DVD DisksNo. 233

#1435『柳川芳命+Meg / Hyper Fuetaico Live 2017』

Text and photos by Akira Saito 齊藤聡

Dual Burst-01

柳川芳命 Homei Yanagawa (as)
Meg (ds)

1. Act. 8 / Yellow Vision (Asagaya, Tokyo) July 8 2017
2. Act. 7 / Shuyukan (Oumihachiman, Shiga) June 17 2017

Hyper Fuetaicoは、アルトサックスの柳川芳命とドラムスのMegによるデュオである。2015年の共演を経て、2016年には『柳川芳命2016』(極音舎、2016年)においてこの名前を付した曲でデュオを収録。それ以降、(ユニット名ではなく)シリーズ名として活動を展開してきた。

笛と太鼓でFuetaico、シンプルな構成だ。しかし、その演奏ぶりは、従来のサックスとドラムスによるデュオとは大きく異なっており、とても独創的なものである。

Megのドラミングは、ある高みから、覚悟を決めて身体ごと落ちてゆくようなスタイルである。ビートではなくフリーフォールだ。落下により増してゆく慣性には恐れもあるに違いない。だが、Megはともかくも叩く。そして再び高みへと登りつめ、落下する。灰野敬二のドラミングにも同じような印象を覚えたことがあるが、唯我独尊の灰野とはやはり異なる。これはデュオなのだ。

柳川芳命のアルトを聴くと、しばしば、これはアジアのブルースだと感じてしまう。大陸なのか、朝鮮半島なのか、日本列島なのか、それはわからない。ブロウの立ち上がり、朗々とした謡い、立ち去りの寂寞、それらに地霊のような情念が湛えられ、ときに隠しようもなく溢れ出てくる。

たとえば、20年前に早川大の書とのコラボレーションとして出された柳川のソロ『邪神不死』(極音舎、1996-97年)と聴き比べてみると、意外なほどにかれの音は変化していることに気が付く。かつての外に向けられた棘は姿を消し、その代わりに、発酵といおうか、爛熟といおうか、音の深みが増しているように思えてならない。

2017年7月8日、阿佐ヶ谷のYellow Visionにおいて、このデュオを観ることができた(本盤の1曲目として収録)。狭いハコのステージ上で、柳川とMegとは、やや大袈裟にいうならば、情念と覚悟とを迸らせた。それは計画された「うた」ではなく、間合いをはかりあっては形として提示し、それを絶えず繰り返すものであった。居合い抜きのデュオとでもいうべきだろうか。

本ライヴをもって「Hyper Fuetaico」のシリーズは区切りをつけ、また2017年10月頃から同じふたりのデュオによる新シリーズ「Heal Roughly」を始める予定だという。Megも柳川も、名古屋市や関西を拠点に活動している(本盤の2曲目は滋賀県近江八幡市の酒遊館で収録されている)。関東在住の筆者にとって、かれらのライヴを観る機会は多くはないのだが、その分、次への展開がどのようなものになるか楽しみである。

(文中敬称略)

齊藤聡

齊藤 聡(さいとうあきら) 著書に『新しい排出権』、『齋藤徹の芸術 コントラバスが描く運動体』、共著に『温室効果ガス削減と排出量取引』、『これでいいのか福島原発事故報道』、『阿部薫2020 僕の前に誰もいなかった』、『AA 五十年後のアルバート・アイラー』(細田成嗣編著)、『開かれた音楽のアンソロジー〜フリージャズ&フリーミュージック 1981~2000』、『高木元輝~フリージャズサックスのパイオニア』など。『JazzTokyo』、『ele-king』、『Voyage』、『New York City Jazz Records』、『Jazz Right Now』、『Taiwan Beats』などに寄稿。ブログ http://blog.goo.ne.jp/sightsong

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください