#1517 藤井郷子/ソロ+オーケストラベルリン~ナインティナイン・イヤーズ

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text by Masahiko Yuh 悠雅彦

『藤井郷子/ソロ』

Libra Records 201–046/BOMBA RECORDS

1.Inori
2.Geradeaus
3.Ninepin
4.Spring Storm
5.Gen Himmel
6.Up Down Left Right
7.Moonlight

2017年7月9日 八幡浜ゆめみかんにて録音
Recorded by Toshihiro Toyoshima Akio Ishiyama Naofumi and Sato Mitsuru Itami
Mixed by Mitsuru Itami, October 25, 2017
Mastered by Tetsumasa Kondo, December 2, 2017

 

冒頭のソロを何気なく聴きはじめたとき、ふと私が話を交わしているときの彼女と感じが違うことに気がついて、思わずハッとした。ふだんの彼女は持前の明晰な頭脳で自分が思っていることをストレートに、しかし決して的をはずさずに言う。それはこと音楽においても変わらない。ところが、このソロでの彼女はどこかいつになくしんみりと、遠くを見つめるような眼差しで音を爪弾きはじめる。冒頭の「祈り」と題した1曲を、もしブラインドフォールド・テストされたら、藤井郷子だと言い当てることはおろか想像もできなかっただろう。
しかし、ここで改まって考えた。ピアノという楽器は決して嘘をつかない。叩いたその音が物語るすべてだ。あの藤井郷子がかくも神妙に、幾分ナーヴァスになってピアノに向かい合うときがあるのだと分かって、実はなぜか安堵?した。

このソロ・ピアノのアルバムが生まれる経緯については、本作品の実質的な発案者であり、そしてプロデューサーであり、録音制作するに当たってこれ以上にない場(環境)を用意した井谷満(愛媛県在住の音楽愛好家、とある)氏が吐露した制作ノートを一読するに限る。かいつまんで紹介すれば、「藤井郷子のピアノをソロで聴きたい」という井谷氏の思いが本作誕生の出発点だったということだ。しかし、彼がその思いを実現させるのには10年ほどを要したらしい。井谷氏の思いは藤井郷子のソロで、名器Steinway D274 を備えたホールでの演奏を録音してレコード(CD)化することだった。その滅多にない機会が到来したのは2017年の7月だった。藤井郷子がデビュー20周年を迎える2017年に計画しているワールド・ソロツアーの1つに、この録音コンサートを組み入れてもらう承諾を得たのだ。井谷氏は、D274を備えている愛媛県八幡市の市民文化会館(800人収容。松山市から車で1時間ほど)に音響上最適な300人ほどの観客を集めて、このコンサート録音を敢行したのであった。

結果は、思いがけない藤井郷子のソロ演奏を収めたアルバムとなって日の目を見ることになった。全体は7楽章からなるピアノの組曲作品がパノラマ状に展開される作品ともいえるし、あるいは情景描写ではなく自己の心象風景の変化を綴った詩的作品ともいえると思う。意を凝らした会場を含む演奏環境ゆえの清楚な音響が印象的。たとえば、澄み切った空の清浄感、あるいは町を縫って流れる小川の透明感だったり。藤井はピアノの弦をマスキングしたり、さまざまな小道具を使ってキーやピアノ弦の音に変化を与えたりするが、それらの音が不用意に表立つことが決してないのもいつもの彼女とは違うように感じられた。ときにはたとえば「Ninepin」ではフランスのプーランクの曲調や音の戯れを思わせたりするが、全体には大胆ないつもながらの彼女ならではの曲想の変化が見える一方で、繊細な心象風景描写を感じさせるエピソードや展開がいつもにはない新鮮さを生んでいて、いわばそこがいつもの彼女に感じられにくい音の表情だったのかもしれない。

アルバム全体はピアノの音が実にクリーンに、豊かな余韻を湛えて録音されており、それが時おりユーモラスなエピソードを生み、ときには絵本の無邪気な世界を彷彿させるところがプーランクをしのばせる要因だったのかも、と思ったりする。最後に、ウディ・ハーマン楽団の「Four Brothers」で名高いジミー・ジュフリーの作品が演奏されているが、残念ながら作曲者自身の演奏を聴いた覚えも、原曲のスコアを一瞥した記憶もないので、藤井の演奏にいかなる面白さや聴きどころがあるのかはまたの機会に譲りたい。


『藤井郷子オーケストラベルリン/ナインティナイン・イヤーズ』

Libra Records 211 – 047/ BOMBA RECORDS

Satoko Fujii Orchestra Berlin;
tenor sax: マシアス・シューバート Mathias Schubert ゲブハルド・ウルマン Gebhard Ullmann
baritone sax: パウリーナ・オウクザレク Paulina Owczarek
trumpet: リカルド・コック Richard Koch リナ・アレマーノ Lina Allemano ナツキ・タムラ 田村夏樹
trombone: シアス・ミュラー Mathias Muller
bass: ジャン・ローダー Jan Roder
drums: ミカエル・グリエナー Michael Griener  ピーター・オリンズ Peter Orins

1.Unexpected Incident
2.Ninety – Nine Years
3.On the Way
4. Oops !
5.Follow the Idea

Recorded by Ti To at zentri-fuge, Berlin, April 2, 2017
Mixed by Peter Orins, October 25, 2017
Mastered by Max Ross at System Two, NYC, NY, November 30, 2017
Executive producer: Natsuki Tamura

 

そして、田村・藤井夫妻の生活圏の1つでもあるドイツで、ベルリンの音楽仲間たちに声をかけて吹き込んだ1作がこの『ナインティナイン・イヤーズ』。こちらでは藤井はピアノの椅子に座ることなく指揮に専念している。還暦記念『月刊  藤井郷子』第三弾と大書した宣伝パンフレットには、「99歳で亡くなった敬愛する藤井の義母へ捧げる追悼作」とある。義母ということは、田村の母親と受け取っていいのだろうか。それにしても藤井が敬愛する義母への献呈作だから、きっとしんみりと聴かせる作品に違いないと思って聴きはじめたら、いやこれがとんでもない、むしろ破天荒な”飛んでる”作品。まるで藤井がオーケストラ・ベルリンを玩具にして遊んでいるとでも形容したいヨーロッパ的アヴァンギャルドをからかっているような1作なのだ。曲によってはベースやドラムス、あるいは小道具を軸にしたパーカッション・ソロを含む、聴く者の想像を超えて惑わすかのような、ユーモアの情を感じさせる作品なのである。「オン・ザ・ウェイ」のドラムスや打楽器の会話で始まるなどはその好例。これを聴くと、藤井ら夫妻がベルリンの演奏家たちとすっかり互いを許し合う仲になっていることが分かってうらやましいくらい。

それにしても、田村夏樹・藤井郷子夫妻が留学先の米国から故国へ帰って以来、文字通り夫唱婦随、いや婦唱夫随というべきか、類稀れな夫婦(めおと)音楽家として今なお活動を中断することもなく変わらぬ姿勢を貫いて意気軒昂ぶりを発揮している姿は、何はともあれあっぱれと言うしかない。この夫婦はさまざまなグループを率いて活動していることは繰り返すまでもないが、その活動成果をそれぞれのユニットごとに録音してCD化し、それらをまとめて一挙に発売する策をとってきた。最初は仰天するほど驚いたが、現在ではまた来たなという感じ。先に紹介した『ソロ』が還暦記念『月刊 藤井郷子』の第1弾で、第2弾が『KAZE/Atody Man』、このオーケストラ ベルリンが第3弾ということになる。藤井は指揮に専念しているとはいいながら、録音を進めながらさまざまなアイディアをメンバーに合図をしては”飛んでる”風景を生み出しているような気がする。一方、田村夏樹の方はプレイに専念しているらしいが、ドイツのトランペッターとの区別がつきにくい。とにかく彼女の義母がこの音楽に共感していたとは何とも痛快だ。

悠雅彦

悠雅彦

悠 雅彦:1937年、神奈川県生まれ。早大文学部卒。ジャズ・シンガーを経てジャズ評論家に。現在、洗足学園音大講師。朝日新聞などに寄稿する他、「トーキン・ナップ・ジャズ」(ミュージックバード)のDJを務める。共著「ジャズCDの名鑑」(文春新書)、「モダン・ジャズの群像」「ぼくのジャズ・アメリカ」(共に音楽の友社)他。

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