#1546 『勝 新太郎/THE BLIND SWORDSMAN~侠(おとこ)』

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text by 金野Onnyk吉晃

 

Ratspack EYES RPES-4863 (SHM-CD)  ¥3000+tax

勝新太郎 (vocal/conga)
佐藤允彦 (作・編曲/piano)
井上堯之 (guitar)
東京キューバンボーイズ
福居典美(津軽三味線)
御諏訪太鼓(山本麻琴)

1. プレリュード 乱乃舞~相即・諏訪雷 (佐藤允彦+御諏訪太鼓)*
2. The Blind Swordsman(勝新太郎/conga 今堀恒雄/guitar 上杉亜希子/chorus)*
3. サマータイム(勝新太郎/vocal)
4. ムーン・リヴァー(勝新太郎/vocal)
5. 想い出のサンフランシスコ(勝新太郎/vocal)
6. いそしぎ(勝新太郎/vocal)
7. Days of Blues(井上尭之/guitar)
8. 花・太陽・雨(井上尭之/guitar)
9. Calling(福居典美/津軽三味線)
10. フィナーレ 阿修羅(御諏訪太鼓)*
11. スペシャルトラック *
The Blind Swordsmanオーケストラ・ヴァージョン(東京キューバンボーイズ 岡部洋一/timbales)
*新録音

 

1971年のことである。
李小龍=リー・シャオロンことブルース・リーが、単身日本にやってきた。
勝新太郎に会うためである。当時リーは日本では全く無名であった。

座頭市は香港でも人気のシリーズだった。当時公開された「新座頭市・破れ!唐人剣」も香港で大ヒットした。当時アメリカにいたリーも勝の大ファンであったが、「新座頭市・破れ!唐人剣」に大いに刺激され、「自分が主演し、プロデュースする次の作品に是非、出演してほしい」と思った。出演を断られてもいいから、なんとか直接会って話してみたいという熱望があって来日したのである。

オフィスをいきなり尋ね、どうにか通されたが、部屋で勝と二人きりになった。
「アイ・リスペクト・勝センセイ! アイ・ケイム・ヒア・トゥ・アスク・ユー・トゥ・アクト・イン・マイ・ネクスト・フィルム・イン・ホンコン!」
「おいおい、こいつ、何をいってるんだか、俺はちょっと英語はわからねえんだがなあ、お〜い、誰かいねえのか!・・・しょうがねえなあ」
「ハウ・イズ・イット? 勝センセイ、ギャラ・メイ・ビー・エクスペンシヴ、アイ・ノウ。ドント・ウォーリィ。プリーズ!」
「なに? お前のフィルムに、俺が出ろっての? お前、カンフー?」
「イェース! アイ・アム・カンフー・アクション・スター。マイ・カンフー、ディファレント・フロム・アザーズ。イフ・勝センセイ・ウィル・ファイト・ウィズ・ミー、イット・ウィル・ビカム・グレート! アイム・シュア」
「俺とファイトすんの? お前ちょっと、そこでカンフーしてみろよ。ショウ・ミー・カンフー」
リーは上半身裸になると、鍛え上げた筋肉美を見せ、合掌一礼。深く呼吸を整え、いきなり幾つかの型を見せ、あの速度を、柔軟さを誇示した。
初めて見る截拳道(ジークンドウ)。勝は魅せられてしまった。
「う〜ん。いける! ジミー以上だ! こいつとならいい絵が撮れる! えーと何だっけ、ユア・ネーム」
「リー! ブルース・リー! プリーズ・コール・ミー・ブルース!」
「わかった、ブルース、あんたの体が何よりも語ってくれたよ。やりたい! あんたと映画とりたい!...と、いきてえんだがなあ」
と、勝は椅子に沈みこんで葉巻をふかすと、煙を天井に吹き上げた。
「センセイ、イズ・ゼア・トラブル?」
「ああ、トラブルおおありだよ。俺は契約が合ってな、う〜ん、ケイヤクだ。なんていうんだ。ああ、プロミス? ルール?」
「ア〜、コントラクト! イッツ・インポータント!」
リーの顔が曇った。勝はしばらく眼をつぶっていたが、やおら体を起こして叫んだ。
「よし! 俺の弟子を行かせる! 二人、使ってくれ。ツー・マン、ゴー・トゥ・ホンコン、マイ・スチューデント、グッドマン!、オーケイ?」
「ユア・ステューデント? オ〜、イッツ・レグレットフル。バット・ノー・アザー・ウェイ。サンキュー、センセイ。アリガトゴザイマス・・・」

数ヶ月後、リーは再び勝のもとへやってきた。そしてラッシュを見せた。
「センセイ! リアリィ・グッド・フィルム、ハウ・ディド・ユー・フィール? ドウデスカ」
「う〜ん、悪くねえんだがな。音楽がまだだろ。まあアクションの音はそっちの専門がやるしかないんだろうが、問題は音楽だよ、音楽、ミュージック!」
「ミュージック? オブ・コース・ヴェリー・ナイス・ホンコン・ミュージシャンズ、アイ・アスク、ノー・プロブレム」
「いや、俺はジャパニーズ・ミュージシャン、使ってほしいんだよな」
「フー? ダレ?」
「サトウ・マサヒコってジャズメン知ってる? 知らねえだろうな」
「イズ・ザット・ミュージシャン・ナイス?」
「まあ、一回聴きに行くか?」

二人はその晩、佐藤允彦トリオのライブに行く。
「どうだった? いいだろ! ばしばしきまってさ。あれが大半アドリブだってんだから驚くよ」
「...センセイ、アイ・クドント・アンダスタン・ゼア・ミュージック」
「いやあ、すげえよな、ジャズってのは。あんたはアメリカに長くいたからわかるだろ!」
「ゼア・ミュージック・イズント・グッド・トゥ・マイ・フィルム、アイム・シュア」
「俺はさあ、是非あいつの音楽ってかジャズでやってみたかったんだよ。まあ今回は俺が出られなかったから、せめて、佐藤の音楽で革新的な事をしてやろうじゃないか!な、ブルース先生よ!」
「.....」
「あのよ、俺の映画も、カンフー映画も似ている。それはまずきっちり作った殺陣だ。な、あれは半端じゃねえ。間違えたら死ぬ。アドリブは絶対無しだ。そうだろ。型は新しくなっても、その場で変えちゃいけねえ。でもな、殺陣だけじゃ映画にならねえんだ。話が進むのは殺陣じゃねえとこだろ。こうやって俺とあんたが話してるのもアドリブだ。でもちゃんと流れはあるんだ。な、そうだろ。俺は自分の映画では、台詞なんか決めちゃいないよ。少なくとも俺んとこはな。流れで話すんだ。自然にな。でもさ、あんたの映画、殆ど出来ちゃったよなあ。だからさ、絵や台詞を変える訳にゃいかねえ。だから、せめて音楽でアドリブしたらいいんだよ。・・・ジャズの帝王マイルスって知ってる?知らねえかな。こいつは出来ちゃった映画にアドリブで音楽つけてくれって頼まれて、やっちまったんだぜ。すげえ映画だ。『死刑台の・・・』え〜と『死刑台のエスカレーター』だ。かっこいいんだ!見てみろよ。ジャズっていえばもうアドリブが命さ。アドリブの無いのはジャズじゃねえよ。皆が、同じ曲の中ででアドリブをする。でもそこで滅茶苦茶にならない。ちゃあんとテーマがあって、そこに戻ってくるんだ。な、そこで『劇終』って訳だ。な、だからよ、ジャズのやり方を取り入れるんだよ。あんたの映画を『死刑台のカンフー』にしちまおうぜ!」

...という会話がなされたのではないかと筆者は想像している。勝とリーが会って話が進んだのは事実なのだが。

リーは香港に帰った。
そして『精武門=Fist of Fury(邦題;ドラゴン怒りの鉄拳)』は72年に公開された。勝の意を託された橋本力(『大魔神』の中に入っていた)と勝村淳(本来は殺陣師)が香港に赴き、映画に出演した。役柄は、相変わらず卑怯で悪辣な日本人の柔道師範とその用心棒だった。
音楽はジョセフ・クーが担当し、その他既成曲が十曲以上使われている。蛇足だが、上原ひろみはクーに捧げる曲を書いている。

『侠(おとこ)』は統一感があるような、ないような不思議な作品である。
タイトルバックは雅楽を感じさせる佐藤允彦と御諏訪太鼓の共演で始まる。そして、あたかも荒野の向こうから座頭市がのそのそと歩いて来るような、映像を想起させる演奏。いきなり、抜き身を構えた連中が襲って来る。しかし、十秒もかからず、皆倒されてしまう。いきなり勝自身のMCが入り、生前の彼が残したシャープなコンガ演奏に乗せて哀愁の旋律が軽快に流れる。「ブラインド・スウォーズマン」というコーラスのリフレイン。昭和のグランドキャバレーのダンスフロアに連れていかれる。かと思えば勝の少し鼻にかかった歌声によるスタンダードナンバー。そして逝ってしまった井上堯之最後の演奏! 幻のバンドGSの仇花、PYGの「花・太陽・夢」。ここに還って来たのか。勝が三味線の師匠だったことにあやかって津軽三味線の協奏曲「コーリング」も響く。再び諏訪太鼓の轟きが荒ぶる「阿修羅」は座頭市の格闘シーンか。はたまた勝の歩んだ<修羅の道>を諏訪の神に告げているのだろうか。そしてエンドロールに再び「ブラインド・スウォーズマン」。東京キューバンボーイズの面目躍如。最後の一瞬、剣戟の響きが聞こえるのが嬉しい。

この世を去ったミュージシャンとの共演例では、Lennie Tristano Trioの『Note to Note』を思い出す。トリスターノとソニー・ダラスが1964年にデュオを録音、トリスターノはドラムスを後から加えて発表しようと考えていた。それから約30年後、彼の娘キャロルが自らドラムを叩き、ピアノトリオ作品として発表したのである。
可能なことは起きてしまう。
それなら次は、勝を過去の映像から抜き出して、新たな映画を作ってもらおうか。タイトルは”The Return of THE BLIND SWORDSMAN”! いや、待て、ブルース・リーは『死亡遊戯』でもう先んじていたぞ!
さて、あの世の修羅道で、リーと邂逅した勝はいかなる映画を撮るだろうか?
截拳道と座頭殺法の対決やいかに。

〜劇終〜

http://jazztokyo.org/reviews/kimio-oikawa-reviews/post-29898/
http://jazztokyo.org/column/special/post-22101/

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金野 "onnyk" 吉晃

Yoshiaki "onnyk" Kinno 1957年、盛岡生まれ、現在も同地に居住。即興演奏家、自主レーベルAllelopathy 主宰。盛岡でのライブ録音をCD化して発表。 1976年頃から、演奏を開始。第五列の名称で国内外に散在するアマチュア演奏家たちと郵便を通じてネットワークを形成する。 1982年、エヴァン・パーカーとの共演を皮切りに国内外の多数の演奏家と、盛岡でライブ企画を続ける。Allelopathyの他、Bishop records(東京)、Public Eyesore (USA) 等、英国、欧州の自主レーベルからもアルバム(vinyl, CD, CDR, cassetteで)をリリース。 共演者に、エヴァン・パーカー、バリー・ガイ、竹田賢一、ジョン・ゾーン、フレッド・フリス、豊住芳三郎他。

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