#1300 『矢沢朋子 / Absolute-MIX』

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Geisha Farm GF002/ラッツパックレコード

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矢沢朋子 (piano, Roland synthesizer & voice)

    1. Untitled for Piano & Electronics — Johann Johannsson
    2. ….sofferete onde serete… — Luigi Nono
    3. Love God — Carolyn Yarnell
    4. China Gates — John Adams
    5. The Time Curve Preludes 2 — William Duckworth
    6. Kid A — Radiohead
    7. Etudes pour piano: No. 5 Arc en ciel — György Ligeti
    8. Etudes pour piano: No. 2 Cordes Vides — György Ligeti
    9. Mosaic — Hirokazu Hiraishi
    10. A Rainbow in the Mirror — Hirokazu Hiraishi
    11. Children’s Song No. 1 — Chick Corea

M1.2.3.& 4 recorded at 杉並公会堂リサイタルホール, February 28,2010 Recording & mixing engineer: Seigen Ono M1 Mixing engineer: Susumu Iguchi
M3 Pre-production engineer:Yoshie Kumasaka/Voice part recorded at Platinum Studio, Taipei, October 25,2015 Recording & mixing engineer: Chun Hsien Huang
M8 Recorded at Premier Amanuma Studio, Tokyo, March 25, 2003 Recording & Sound engineer: Hideki Shinozaki
M6,9 &11 Rre-recorded at Tainan University of Technology’s studio, October 21&22, 2015 Chief recording engineer: Tong-Hwei Lin Recording engineer: LEWIS Total sound & mixing engineer: Chun Hsien Huang M9 Pre-production engineer:Yoshie Kumasaka
M7 &8 Recorded at Garaman Hall, Ginoza January 14m 2014 Recording engineer: Tomoya Ogoshi
M10 Recorded at Chealsemore apartment, NY November, 2000
Total sound mixing & mastering at Platinum studio, Taipei November 22&23, 2015
Executive producer: Tomoko Yazawa


本誌の稲岡編集長に君の感想に興味があるからと、このCDを渡された。筆者はクラシックで大学を出たものの大学院からはジャズしかやっていない。しかも現代音楽などは勉強不足も甚だしい。加えてこのCDのライナーノートは本誌の副編集長、横井女史の手になる作品。何かとても間違えたことでも書いてしまった暁には笑って済ませて頂くしかないことをご了承頂きたい。特記しておきたいのは、断じて身内の立場として書いたのではなく、純粋に音楽的興味に突き動かされて書いた事実である。

Tomoko Yazawa

馴染んだ曲が数曲ある。チック・コリアの<チルドレンズ・ソング>などは自分も弾けないピアノに向かって練習した思い出がある。レディオヘッドの<Kid A>なんて相当オルタネート・ロックの曲で、一体どう現代音楽風に料理されているのかと興味をそそられる。そしてリゲティだ。実はリゲティが大好きだ。弦が特に好きだが、ピアノ曲も勿論好きだ。リゲティが醸し出す、あのなんとも言えないテクスチャーに魅せられる。幸運にも1週間リゲティ本人と過ごしたことがある。筆者がニューイングランド音楽学院の大学院に在籍していた時、リゲティが1週間召集されたことがあり、後ろをくっついて回った。蛇足だが、ジョン・ケージも同様の企画で滞在したことがあり、なんと共演までさせて頂いた。いい学校であった。考えてみると現代音楽とそれほど無縁であったわけではないらしい。シェーンベルグは生前ボストンに住んでいたし、彼が住んでいたと言われるアパートの1階のピザ屋をよく利用した。もちろん彼の理論書を片手に。何せそこではジャズで重要なドミナント♭9コードとディミニッシュコードの関係が解明されているのだから。

このアルバムを聴き始めて、まず矢沢朋子のピアノの音の美しさに感嘆した。筆者の母親はピアニストで、当然ピアノの音色には敏感である。ジャズピアノは打楽器なので(筆者にとって打楽器であるべきなので)それほど音色に敏感にはならないが、クラシック系の音楽だととても敏感になる。世の中には鍵盤で音が止まってしまうピアニストが多すぎると思う。鍵盤をタッチしたその音が床に向かってスコンと抜けない、叩いた音が鍵盤で止まってしまう、そういう聴きづらい音色の説明を言葉で説明するのは難しい。しかし矢沢朋子の音色は完璧に鍵盤の下の空間に抜けていて、うっとりする。3曲目、キャロリン・ヤーネルの<Love God>のように前衛的な連打が続く曲でも音色が美しいのでとても音楽的だ。個人的に馴染めなかったのは10曲目の<A Rainbow In A Mirror>だ。これは本物のピアノの音ではなく、電子ピアノ(電気ピアノではない)の音だ。ライナーノートでわかったが、これは作曲家平石博一本人のシンセだそうだ。どう聞いても1ビットのかなり古いサンプル技術で、エイリアシングを起こしているノイズが音色を紙のようにしているのがどうも馴染めない。ピアノ音の特徴的な減衰音にすべてエラーが聴こえる。散々矢沢朋子の美しい限りの音を聴いた後で、どうも耳がついていけなかった。ただ曲としてはとても面白い。矢沢朋子の生のピアノで聴きたいと言ったら多分作曲家に怒られるのであろう。

反対に2曲目のノーノの作品では本物のピアノと、ポリーニをサンプルしたピアノ音を録音したものとの2重奏で、この斬新なアイデアを楽しめる。こちらの方はサンプル音自体からエラー音がそれほど出ていない(もしかしたらサンプル音ではないのかもしれない)だけでなく、矢沢朋子の美しいピアノ音と多分スピーカーから再生されているだろうテープ音との対比が楽しめる。また、ミックスもかなりクリエィティヴかつ気持ちのいいディスパーション(音の空間位置)になっている。

このノーノの曲は実に面白い。この14分にわたる曲、ポリーニの録音されたテープのピッチが、3分半あたりを頂点にジリジリと下がり、約20セント下に到達すると徐々にまた上がって戻っている。ポリーニを再生している機械の故障か、と思って慌ててYouTubeを探すと、これは意図的だと理解した。実に斬新なアイデアだ。YouTubeで他の演奏を聴いてみてわかったのだが、矢沢朋子はこの20セント下がりきった頂点で意識的にハーモニーをぶつけるようにしているので効果抜群だ。その他にもポリーニが弦を手のひらで叩いているような音がパルスとして使われていて、なんとも言えないすごいことになっている。もしかしたらこれがライナーノートに書いてあったサンプル処理なのかもしれない。

このようにアルバムを通して数曲でエレクトリックを上手にミックスしている。1曲目のヨハンソンの<untitled>では、3分30秒あたりからシンセで作られた、ブリキ缶に紐をつけて振り回した時に出る音のようなドローンがB♭音で始まる。とても美しい。また3曲目、ヤーネルの<Love God>ではMIDI音源を生かし、本物の楽器では出ないゲートのかかったテクスチャーを創り、実に効果的なリズムを出す。9曲目の平石博一の<モザイク>はオーケストラ楽器のサンプルを駆使している。人間に演奏不可能なミニマル音楽を再現するためにオーケストラサンプルを使用したのだろうか。木管楽器のパターンはメシアンなどの近代オルガン曲を思い起こさせる。コンピュータでシーケンスされたものに矢沢朋子がピアノで共演するという趣向だそうだ。

矢沢朋子の音色や電子音楽の上手なミックスの他にもう一つ言及したいのは、彼女のタイム感だ。弧を描いて美しいのだ。この弧を描くタイム感を言葉で説明するのも容易ではない。音楽とは時間経過だ。いま出したその音は二度と戻って来ない。先に進むことしかないのが音楽だ。ちなみに録音はこの音楽の定義と同次元にはなれない。現代のテクノロジーでは、録音されたデータはスピーカーから再生されるしか方法はなく、スピーカーから電磁振動で再生された音は楽器からその部屋で響いた音を忠実に再現させるなど可能ではないからだ。録音された音楽を否定しているのではない。ここでの話の焦点は、つまり音楽は先に進む時間の経過である。だから前に進むジェスチャーが人間の演奏したデータと、メトロノームやコンピュータでクオンタイズされたシーケンスなどが演奏したデータとの違いを作る。前に進むからと言って突っ込むように、という意味の話をしているのではない。ラテン音楽はラテン語の発音と同じように突っ込むタイム感だが、反対にブラジル音楽や多くのヨーロッパ民謡は、踊りやすいように均等でない幅の広いビートだったりする。ウィンナー・ワルツがメトロノームと一緒に演奏できないという事実でお判り頂けると思う。

では、タイム感が弧を描くとはどういうことを言うのか。大きな車輪が単体で回りながら進んでいくのを想像して頂きたい。その回転する車輪の側面1点にあなたがへばりついてる、と想像してみよう。今自分がいる位置が下なら、重力と自分の重さの関係で回転に沿って弧を描きながらゆっくりめに上がる。頂点を通り過ぎると今度は重みで、上がった時より早く弧を描いて下降する。そんな風景が見えるタイム感が心地いいのである。ウィンナー・ワルツは、この車輪の頂点から始まると考えれば良い。ダウンビートは突っ込んで、ちゃっ、ちゃ、はレイドバックして、という特異なタイミングは皆の知るところである。黒人のファンク、ソウル系音楽で知られるアメリカ音楽のバックビートはまさにこのタイム感の弧が決めてだ。ドラマーがスネアをヒットするスティックを見ていると、弧を描いてゆっくり上がったスティックが重力とともに弧を描いて降りてきてヒットするように見えるかもしれない。勿論実際に弧を描いているわけではない。時間が進む直線の中で弧を描くイメージが見える、という概念的な意味だ。カリブやジャマイカのようなウエスト・アフリカ系の音楽ではこの弧が極端に小さいのでビートがものすごくシャープに聴こえる。耳が慣れてくると判別しやすいし、自分の演奏にも役立つ。

しかしこの弧が全くない演奏家に出会うことも多い。多くの場合はテクニック的に余裕がなく、間違えないように心配しながら演奏するから弧など全く描けない演奏になるのだと思う。矢沢朋子の演奏は確固たるテクニックの7割ぐらいの努力で余裕を持って演奏している(ように聴こえる)ことや、ヨーロッパで活躍してきたことから得た幅広い文化的理解から美しい弧を描くタイム感を持っているのだと勝手に想像してみた。

実は6曲目だけちょっと困惑している。この<Kid A>がオリジナルと遠いことを言っているのではない。矢沢朋子のタイム感がこの曲だけ光っていないのである。イントロは矢沢朋子の得意な美しい音色と弧を描くタイム感でとても心地がいい。しかしヘッドのメロディーが始まるところあたりから左手でビートを出すのだが、そのビートにもう少しグルーヴ感があった方が筆者の好みである。

このアルバムにはミニマルミュージックが数曲入っている。アダムス、ダックワース、それと平石の2曲。ミニマルミュージックとは鍵盤楽器やコンピュータシーケンスのためにあるのかと思ったら、そう言えば昔シュトックハウゼンが左右のチャンネルで少しずつテープのスピードをずらす30分の曲があったことを思い出した。当時はフィリップ・グラスを聴いても退屈だったのを覚えている。今回このアルバムを聴いて、矢沢朋子の素晴らしい音色と弧を描くタイム感でこんなにもミニマルミュージックを楽しめるものなのかと思ってしまった。

大好きなリゲティのピアノ曲2曲、ここで触れる必要はないだろう。有名な曲だし、学術的にも色々と分析される曲だが、純粋に矢沢朋子の素晴らしい演奏を一緒に楽しんで頂きたいと思う。

関連リンク

及川公生の聴きどころチェック:  #273 『矢沢朋子ピアノ・ソロ/Absolute-MIX』

編集部註

5月14日(土)17時より、タワーレコード渋谷店7Fでミニライブ(無料)が予定されている。
詳しくは:http://tower.jp/store/event/2016/05/003003

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ヒロ ホンシュク

本宿宏明 Hiroaki Honshuku 東京生まれ、鎌倉育ち。米ボストン在住。日大芸術学部フルート科を卒業。在学中、作曲法も修学。1987年1月ジャズを学ぶためバークリー音大入学、同年9月ニューイングランド音楽学院大学院ジャズ作曲科入学、1991年両校をsumma cum laude等3つの最優秀賞を獲得し同時に卒業。ニューイングランド音楽学院では作曲家ジョージ・ラッセルのアシスタントを務め、後に彼の「リヴィング・タイム・オーケストラ」の正式メンバーに招聘される。昨年9月、ブラジリアン・ジャズ・バンド「ハシャ・フォーラ」を率い、新作CD『ハシャ・ス・マイルス』(インパートメント)発売記念ツアーを敢行、東京JAZZ他に出演。 [ホームページ:RachaFora.com] [ ヒロ・ホンシュク Facebook] [ ヒロ・ホンシュク Twitter] [ ヒロ・ホンシュク Instagram] [ ハシャ・フォーラ Facebook]

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