#1587 『Liudas Mockunas / Hydro 2』
『リューダス・モツクーナス/ハイドロ 2』

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text by Yoshiaki Kinno 金野Onnyk吉晃

NoBusiness Records NBCD 113(リトアニア)

Liudas Mockūnas  (soprano, water prepared soprano and water prepared keyless overtone saxophones)

1. Hydro 2      46:09

Music by Liudas Mockūnas (KODA)
Recorded at IMPRODIMENSIJA – concert series dedicated to improvised music, MAMA studios, Vilnius October 2017 by Arūnas Zujus
Mixed and mastered by Arūnas Zujus at MAMA studios
Cover photo by Rita Stankevičiūtė
Design by Neringa Žukauskaitė
Produced by Liudas Mockūnas

http://nobusinessrecords.com/cd-catalog.html


「水中、それは苦しい?」

現在、我々の思考の根底に影響を与えている思想は幾つか在る。例えば物理学では古いニュートン力学からアインシュタインを経て、ハイゼンベルクの不確定性原理、そして宇宙論と密接な関係を持つ素粒子論へ。あるいは無意識というひとつの仮説なのか物語なのか、なんとでもいえようが心的構造を提唱したフロイト、ユングらの心理学。
そして生命存在の根源的な理由としてのヘーゲルの世界精神。それが一つの普遍的実体として自由を獲得する過程、つまり世界精神の自己実現の弁証法的過程、それが世界史であるという。それはギリシャ・ローマ以来の、そしてキリスト教的神学に合致するような時間観念の思想〜我々は神に近づく!〜でもある。
それが直接的でなくてもマルクス的史観、そしてダーウィン的な進化論へも影響したことは否定できないだろう。マルクスもダーウィンも常に批判にさらされてきたが、その諸説がこの巨人達を試金石としている以上、其の業績を否定し去る事は出来まい。
芸術史観においても、この世界精神という思想の影響から脱しきれているとはいえまい。いや、その脱しようという意思こそが様式を変遷させてきたとも言える。「発達」という観念自体がもはや世界精神の言い換えなのだ。
私が、以前にこのサイト上で展開した「追悼。CT考」も、其の続編「JAZZ。豊穣の海」も、その西欧音楽の発達史が、<自由な即興演奏(という幻想)を獲得するまでのジャズの変容と闘争>に並行しているという戯論ではあるが、叩き台になれば善かれと書いたように思う。
またラマルクの獲得形質の遺伝を否定したダーウィニズムが、適者生存、自然淘汰、突然変異という単純な原理だけでは現実の生物多様性と環境との相互関係を説明できず、その困難さこそが新たな生命観を生み出しているのは確かだ。そこで思わず「オートポイエーシスと動的平衡(プリゴジーヌ)としての生命現象」などへと踏み出してしまえば、この小文が、CDのレビューであることを忘れてしまいそうなので、頑張って踏みとどまる。
しかし、何故そんな大上段(冗談?)に構えて書き出したのか。
このリューダス・モツクーナスのソロの冒頭、ジャケット同様いきなり水中に顔を突っ込まれたかのような息苦しさが迫ってくる。これを聴いてジョン・ゾーンの『クラシック・ガイド・トゥ・ストラテジー』というソロを思い出す方はどれだけ居るだろうか。手前味噌で申し訳ないが私がリリースした、盛岡でのライヴ・アルバム『アルス・ロンガ・デンス・ブレヴィス』でもゾーンはソロを披露している。
そこでも彼はリューダス同様、水中に管体を突っ込んで、誰しもが思い出すサウンド(「ストロー吹くんじゃないぞ!飛び散るから」という親の声とともに)を「演奏」の要素にしている。  「ハイドラ」は水中に棲む大蛇で、9本あるその首は、何度切られても再生する。しかも、一度切られた頭が二つになって生えてくる。さらにその体には毒が充満しているというヘラクレス最大の敵だった。ハイドラを倒すことはできたものの、英雄は最後は其の毒で死ぬ事になる。その危険きわまりない怪物が、我々の生に欠かせない「水」を示す事になったのは何の皮肉か。それでも東欧最強戦士リューダスは「ハイドラ」を友としているのである。
生命は、おそらく原始の海で発生し、次第に複雑化し、神経系と筋肉を発達させ、遂には脊椎をもって自在に泳ぎ回るに至る。リューダスの演奏は、水から這い上がった両棲類のように、さらには地上を駆け巡る恐竜のように、そして絶滅する事無く天空をゆく鳥類のように「進化」していく。リューダスは己自身の中で管楽器の演奏の「進化」と「根源」を同時に見せてくれる。これは音で聴く50分弱の生命史か?
そうだ、これは「個体発生は系統発生を繰り返す」というヘッケルの有名な反復発生説ではないか。この説もまたヘーゲル流世界精神の影響を拭いがたい。 生命に、脊椎が発生した時、その動物には「前後」という軸も生まれた。その「前」は「顔」になり、「口」という消化管の先端が開き、「鼻」という呼吸器の先端が開いた。
我々は当初、呼吸の応用で「声」を出していたが、口に延長した「管」を接続し、そこに「息」を吹き込む事で、「声」を進化させたのではないだろうか。 「息=ブレス、アテム、プネウマ、気」それは生命に他ならない。我々は世界からエネルギーをインスパイアされ、それをエクスプレスすることで生きる(やっぱり動的平衡に戻ってきた)。
足穂ではないが、我々は還元すれば一本の管としての存在だが、そこにもうひとつの管を接続する。その管は我々の生命=息を受け入れ、そして「エクスプレッションズ」が聞こえてくる。

金野 "onnyk" 吉晃

Yoshiaki "onnyk" Kinno 1957年、盛岡生まれ、現在も同地に居住。即興演奏家、自主レーベルAllelopathy 主宰。盛岡でのライブ録音をCD化して発表。 1976年頃から、演奏を開始。第五列の名称で国内外に散在するアマチュア演奏家たちと郵便を通じてネットワークを形成する。 1982年、エヴァン・パーカーとの共演を皮切りに国内外の多数の演奏家と、盛岡でライブ企画を続ける。Allelopathyの他、Bishop records(東京)、Public Eyesore (USA) 等、英国、欧州の自主レーベルからもアルバム(vinyl, CD, CDR, cassetteで)をリリース。 共演者に、エヴァン・パーカー、バリー・ガイ、竹田賢一、ジョン・ゾーン、フレッド・フリス、豊住芳三郎他。

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