#1317 『川口賢哉/雨露~無伴奏尺八即興独奏~』

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Text by KONDO Hideaki  近藤秀秋

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川口賢哉   KenYa Kawaguchi(長管地無し延尺八/雨)

1.雨露 (64:36)

Total time: 64:36

Recorded by KenYa Kawaguchi in Hiroshima City The Small Garden of Azaleas 2016/4/28
Produched by Takeo Suetomi
Mastered by Takeo Suetomi
Cover Design by Takeo Suetomi
Photo by Sunday Michiru, Heather Harlan, Takeo Suetomi, soulstory

 

1970年生まれの尺八奏者・川口賢哉(かわぐちけんや)によるデビュー録音。尺八の独奏による、1時間超の即興演奏。本曲などの尺八音楽の学習によって習得したであろう手や技巧が演奏の軸にあり、所謂フリー・インプロヴィゼイションではない。

メソッドが門外不出である事の多い邦楽器の使い手にしては珍しく、川口は尺八を独学から始め、後にとある奏者に師事した。演奏には長管地無し延尺八と呼ばれる管が用いられる。「地無し」とは、竹で作られる楽器である尺八内部の節を抜いた部分を、漆などを入れて均一にする「地塗り」という工程を入れない尺八の事で、両管の差は音色面への配慮によるところが大きいようだ。
技巧面では粗が目立ち、表現面では尺八を選択しておきながら呼吸が浅いなどの課題を残す。作曲的所作に深い研究があるとも思われない。しかし、1時間超の演奏を支える連続性の維持と集中力は見事で、1時間を通して飽きる事がなかった。つまり、音楽をトータルで眺めることの出来る能力を持ち、かつ即興演奏に向いたプレイヤー的資質を有した奏者といえるだろう。「(海童)道祖よりも、ムジカ・エレットロニカ・ヴィヴァや、タージマハル旅行団のような集団即興演奏グループに影響を受けた」「笛吹としては、エリック・ドルフィー以上を知らない」。この録音に聴かれる演奏は、彼のこれらの言葉にあらわれている価値観にほぼ合致する。実際のところ、演奏は、呼吸(=表現)よりも指(=技巧)への意識が強く、組み立ては、アンイディオマティックな即興演奏体験後の日米の即興演奏家のそれに近い。こうしたタイム感、音楽上での技術に対する見解、即興という演奏における局面の捉え方。川口の演奏は、尺八音楽の深化より、近年の即興音楽の文化と価値を共有した所に成立しているのだろう。尺八と近年の即興音楽の衝突や乗り越えではなく、即興音楽の視点から眺められた邦楽器の理解。ここにある演奏は、サックスやトランペットなどが切り捨ててきた領域をたしかに有しており、楽器のアドバンテージを活かした即興演奏には可能性を感じる。デビュー録音としては、充分な責務を果たしたドキュメントではないだろうか。

邦楽と西洋音楽の超克は、課題でありながら今も迂回され続けている現代の日本音楽シーンの重要局面のひとつである。川口のような存在が、小さく纏まることなく、自己の果たし得る最大の役割が何かを見つめて真摯に取り組んでいくならば、いずれ大きな仕事を果たすことになるかも知れない。今後の音楽的発展にエールを送りたい。

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近藤秀秋

近藤秀秋

近藤秀秋 Hideaki Kondo 作曲、ギター/琵琶演奏。越境的なコンテンポラリー作品を中心に手掛ける。他にプロデューサー/ディレクター、録音エンジニア、執筆活動。アーティストとしては自己名義録音 『アジール』(PSF Records)のほか、リーダープロジェクトExperimental improvisers' association of Japan『avant- garde』などを発表。執筆活動としては、音楽誌などへの原稿提供ほか、書籍『音楽の原理』(アルテスパブリッシング)執筆など。

5 thoughts on “#1317 『川口賢哉/雨露~無伴奏尺八即興独奏~』

  • 2016年7月14日 at 12:34 PM
    Permalink

    これは、いわゆるフリーインプロヴィゼーションです。
    ここでの呼吸法は、ヴィパッサナー式それに循環呼吸法も使っています。
    身体のどこで呼吸をしているのかわからない、そのような呼吸法であればよいと思います。

    Reply
  • 近藤
    2016年7月14日 at 3:32 PM
    Permalink

    川口様

    そうですね、フリーインプロヴィゼーションとも言えるかも知れません。使われている手が従来の尺八音楽を尊重したものであり、またレーベルオーナー様から、川口様が録音時に海童道の譜を出して「これを基礎にして演奏してます」と言っていたと仰られていましたので、デレク・ベイリーやロック方面におけるあの「フリーインプロヴィゼーション」に近いものなどを想起される事を避けるため、このような表現をしました。

    「呼吸が浅い」と表現したのは、呼吸法を言っているのではなく、音楽の呼吸を指したもので、ポルタメントやダイナミクスなど様々な表現のそれぞれにおいて「呼吸が浅い」と感じられたという意味です。無論、広い表現幅を獲得した演奏が常に良い音楽というわけではないでしょう。「ヴィパッサナー式それに循環呼吸法」に基づく尺八の演奏表現を絶賛なさる方もいらっしゃるかと思います。

    「身体のどこで呼吸をしているのかわからない、そのような呼吸法であればよい」は、申し訳ありませんが私では理解しかねる表現でした。字義通り、「どこで呼吸しているのか分からない呼吸法であれば良い」と主張なさったと受け取って宜しいのでしょうか。

    真摯に音楽に向かわれれば、いずれ良い仕事を果たす事になる方ではないかと考えております。今後一層のご活躍に期待しています。

    Reply
  • 2016年7月15日 at 2:06 PM
    Permalink

    近藤様

    録音時に海童道の譜を出して「これを基礎にして演奏してます」と言っていた、という事実はありません。近藤様かレーベルオーナー末富様の誤認です。
    音楽の呼吸、という表現は少なくとも私には馴染みのないものですが、それなりに了解しました。しかし、こと尺八類に属する音楽に関するレヴューにあっては、それは呼吸法について語られていると誤解されることも仕方ないことと思います。
    ご講評ありがとうございました。

    Reply
  • 近藤
    2016年7月15日 at 4:48 PM
    Permalink

    川口様

    呼吸に関しましては、実際の呼吸法として読んでいただいても、誤解というほどの事でもないので、構いませんよ。ただ、「表現面では」呼吸が浅いという記述に対し、「呼吸法は、ヴィパッサナー式それに循環呼吸法も使っています」等々の書き込みをいただいたので(これが「表現面では~呼吸が浅い」の回答とはなりえない事はお分かり頂けると思います)、「当然呼吸法も含むが呼吸法そのものを言っているのではなく、私は表現全般において呼吸が浅いと言っているのですよ」と返答したわけです。

    「近藤様かレーベルオーナー末富様の誤認」は、プライベートな文書の公開になってしまいますのでここに開示はできませんが、お望みであれば私信としてお送りいたします。相当に具体的な記述でしたので、レーベルオーナー様の記憶違いとは思えないのですが、そういう事もあるのかも知れませんね。

    それでは。

    Reply
  • 2016年7月15日 at 9:25 PM
    Permalink

    近藤様

    いいえ、もちろん最初からレヴューに回答するつもりはなく、コメントを残しただけです。
    失礼しました。

    Reply

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