#1343 『藤井郷子(Satoko Fujii)ジョー・フォンダ(Joe Fonda)/Duet』

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text by Masahiko Yuh 悠 雅彦

Long Song Records     LSRDC 140  ¥ 2,300 + 税

1.Paul Bley
2.JSN

藤井郷子  (piano)
ジョー・フォンダ (bass,fl)
Special Guest:田村夏樹 (trumpet)

2015年11月、アメリカ・メイン州でのライヴ録音

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まぎれもなく彼女は、ポール・ブレイと語り合っている。まるで笑顔を絶やさないポールがそこにいるのではないかと、こちらが錯覚するくらい、彼の音楽と人間性を愛してやまない彼女の言葉が音の深層に侵入し、師のブレイと語り合った日々の思い出が彼女の繰り出すサウンドの中でオーバーラップしながら、七色の虹を輝かせているように聴こえる。

9月に入って、藤井郷子=田村夏樹夫妻は新録のCDを3タイトル発表した。夫妻が複数の新作を発表するのは今や例外的なことではないので今日ではまったく驚かなないが、今回発売した① 藤井郷子オーケストラとKAZEのクリスチャン・プリュヴォ(トランペット)とピーター・オリンズ(ドラムス)の共演による『ピース(peace)』、② 藤井郷子のソロ・ピアノ2枚組『インビジブル・ハンド』、そしてベース奏者のジョー・フォンダとのデュエットを収録した本作③の3枚だが、どれも一聴に値する内容で、可能なら全部取り上げたいくらいだ。

藤井郷子とジョー・フォンダの演奏に戻ろう。もしこの1作に「Paul Bley」がなかったら、私がこの作品を選ぶことはもしかするとなかったかもしれない。この曲も(2)の「JSN」も作曲者のクレジットがないところを見ると、互いに出し合ったモティーフをもとに文字通りの即興対話を展開していったのだろう。演奏時間は37分余(正確には37分10秒)だが、そんな長さはまったく感じさせない。どのパートにも新鮮な物語と豊かな緊張感が横溢していて、藤井とフォンダが心を通い合わせながら展開していくその物語にポール・ブレイへの尽きぬ愛情を汲み取ることができる。とりわけ藤井郷子にとっては。それは、彼女がボストンのニュー・イングランド音楽院でポール・ブレイの教えを受け、彼女によれば言葉に尽くせぬ感謝の念を終始持ち続け、今日まで忘れることがなかった一事に象徴されている。1999年にポール・ブレイが来日した(結果的にはこれが彼の最後の来日となった)とき、最後の演奏会は埼玉県狭山市だった。それは藤井郷子とポール・ブレイが2台のピアノで演奏したもので、彼女にとって生涯忘れられないコンサートとなったことは疑いない。彼女がポールとのあの対話を思い出しながら演奏しているわけはないが、そう思いたくなるくらい藤井の瞼にはポールの笑顔が写っているかのような瞬間が何度もある。そのポール・ブレイが亡くなったのは今年の1月3日だった(このデュエットは昨年の11月15日のライヴ)。私でさえ彼の訃報に粛然としたくらいだから、藤井郷子の悲しみはいかばかりだったろう。

それにしても、ジョー・フォンダのベースが何と素晴らしいことか。彼の演奏は、もう20年ぐらい前になると思うが、アンソニー・ブラクストンの演奏でベーシストが彼だと知ったとき以来。もっと真剣に聴いておけばよかったと後悔したくなるほど、ベースのアコースティックな色艶といい、即興的な対応能力といい、ほれぼれするほどのテクニックと表現力。とりわけ詩的センスを色濃く感じさせる間の取り方、藤井のピアノに反応する対話能力に触れて、まさに非凡なベース・プレイヤーぶりを思い知った。彼が参加しているバリー・アル(ト)シュルの3dom Factor Creative Improvisers が一部で噂をよんでいると聞くし、ピアノ・トリオによる1作『Drop of Water』(konnex)も話題に上ってきているので聴いてみたい。そう思わせるほどここでのフォンダのプレイと表現性がすこぶる印象的だ。それ以上に驚いたのが、両者はこの共演で初めて顔を合わせたらしいこと。紹介文を書いているポール・リヒター(Paul Lichter)によれば、このデュエット演奏会を打診したのはジョー・フォンダということだが、驚いたことに彼はそれまで藤井郷子とは会ったことすらないという。よほど両者は世の常識を超えた感性の持主と見える。このライヴ演奏の音楽が明らかにする、両者の音楽的アイディアやアドヴェンチャーが決してみずからのエゴイズムの犠牲になることがないという、真摯であくまでも自由な音楽的バトルが闘わされているからこその透明度の高さ(精神的高潔さ)を、私はまず称えたい。後半の2部に入って田村夏樹が客演する。その演奏が(2)の「JSN」(Joe、Satoko、Natsukiの頭文字をとった曲だろう)。ここでも作曲者のクレジットがないのは先述した通り。それは、3者による即興演奏の一発勝負ゆえの結果と考えれば納得がいくのではないか。(1)の「Paul Bley」で心を奪われた衝撃を中心に評文を書いたため、(2)に触れる余裕もスペースもなかったが、優れた音楽的セッションであることは疑いない。

(1)のデュエットを聴きながら、私は何度も生前のポール・ブレイの演奏を思い浮かべた。総じて、アイディアが枯渇したらアーティストの生命は終わりだ。翻っていえば、瞬時にアイディアを音化する才が迸っているか、加えて相手の音に反応する率直な感性を失っていないか。ブレイの演奏から学んだ音楽のみずみずしさを藤井郷子とジョー・フォンダの率直に向き合って語り合う演奏の中に見出した。このみずみずしさこそブレイの音楽がたえず噴出させていたものだった。音で舞うことを心得ている藤井のピアノに、フォンダはまるで詩を歌うようにベースや時にフルートで対話する。37分という長さを感じさせない両者の演奏は、フリー・インプロヴィゼーションとは思えない自然な音の流れ、そして結果としての美的造形性に満ちあふれる。そのため空間が常に新鮮で、波乱にも富む。両者のこの演奏を聴いて、常に作曲者であるインプロヴァイザーと、現代音楽作曲家のスコア作品との明らかな違いがよく分かった。すこぶる興味深かった。繰り返すが、久々に聴き飽きることなどとは一切無縁の、スリリングこの上ないフリー・インプロヴィゼーションを聴いた。これが率直な感想。

会場はポートランド(メイン州屈指の港湾都市)の森に囲まれて建つプロテスタント教会。ジャズに飢えた人々が、50人も入ればいっぱいという堂内にひしめいたとノーツの中でリヒターは書いている。教会の音響がいいのに感心した。技師のピーター・ネノータスを称えたい。

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悠雅彦

悠雅彦

悠 雅彦:1937年、神奈川県生まれ。早大文学部卒。ジャズ・シンガーを経てジャズ評論家に。現在、洗足学園音大講師。朝日新聞などに寄稿する他、「トーキン・ナップ・ジャズ」(ミュージックバード)のDJを務める。共著「ジャズCDの名鑑」(文春新書)、「モダン・ジャズの群像」「ぼくのジャズ・アメリカ」(共に音楽の友社)他。

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