#888 「京都フィルハーモニー室内合奏団/第203回定期公演」三陸のうた 祈り

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2016年4月17日、京都コンサートホール小ホール<アンサンブルホール ムラタ>
Reported by 悠 雅彦 Masahiko Yuh

1)室内音楽第1番~12人の奏者のための 作品24ー1(パウル・ヒンデミット)
2)弦楽のためのタピ(尹伊桑 ユン・イ・サン)
3)アナクトリア ANAKTORIA~8人の奏者のための(ヤにス・クセナキス)
4)Estuary for chamber orchestra (江村哲二)
5)三陸のうた(久保摩耶子)

現在、日本国内にいわゆる室内アンサンブル(チャンバー・オーケストラ)が幾つあるのかは知らないが、個人的に注目している室内オーケストラが東西に1つづつある。東は東京の紀尾井シンフォニエッタで、西が京都の京都フィルハーモニー室内合奏団。バッハ・コレギウム・ジャパンやテレマン室内オーケストラのように演奏する曲を特定の作曲家に照準を当てている団体とは違って、東西のこの2つの室内オーケストラは、取り上げる楽曲を時代、作曲家、コンセプトなどに特定せず、オールラウンドにその時々のテーマやゲスト・プレイヤー次第でプログラムを構成する柔軟なアプローチをとっているように見える。ゲストやテーマ次第でコンサートに当たり外れが出るのは致し方ない。それはそれとして、京都フィルハーモニー室内合奏団(以下、京フィル合奏団)ほどプログラムの予告を見るのが楽しみな合奏団はない。一方、ゲスト(今回は指揮者トレヴァー・ピノック。秀演だったが、それにもまして前回の定期でヴァイオリンを弾きながら指揮をとったライナー・ホーネックの秀逸な演奏、とりわけリヒヤルト・シュトラウスの「死と変容」は圧巻だった)が楽しみな紀尾井シンフォニエッタと、ここでも両合奏団の合奏団としての在り方は対照的だが、こういう競合ははた目にも面白いし、ファンの注目度もいっそう高まろうというものだ。

京都フィル合奏団の演奏曲は上記の通り。1曲とて生易しい曲はない。聴く機会が滅多にない作品ばかりといっても言い過ぎではない。本番前にプレトークがあり、熊本地震への支援をお願いする事務局からの挨拶の後、当合奏団の音楽監督で指揮者の斎藤一郎がこの日のコンサートについて語った。堅苦しさをなるべく排除して現代音楽をより身近に聴いてもらおうとする斎藤と合奏団の心構えが、彼の柔らかな語り口から好ましく感じられた。周りを見ると、およそプログラムとは不釣り合いな(失礼!)高齢のご婦人方が、斎藤の話に笑顔で相づちを打ち、柔らかな拍手で応えているではないか。何やら違う世界に迷い込んだような気がしないでもなかったが、といってこれっぽっちも悪い気はせず、むしろ微笑ましくさえ感じられた。

曲はヒンデミットの、12人の奏者のための「室内音楽」から始まる。第1次大戦が終わった1918年(ドビュッシーの没年でもある)に兵役を終えたヒンデミットは言った。「音楽とは様式や技法、また単なる感情表現以上のものだと分かった。音楽はまた政治的国境、国家間の争いや戦争の恐怖を超越している」。そうしたヒンデミットの新しい語法に向けた探究と若々しい感覚、新しい世界に踏み出す爆発的エネルギー、ドビュッシー後の新しいハーモニーへの志向が、4つの楽章に込められている。それを斎藤一郎はなるべく優しい言葉で解説し、開放された先人のスピリットを表現するアンサンブルをタクトでリードしながら運んだ。

驚いたことがもう1つ。この日の全5曲を斎藤はすべて演奏前に平易な言葉で解説したこと。

1曲1曲を指揮者が解説するコンサートなんてほとんど聞いたことがない。斎藤自身の意図が奈辺にあったか知る由もないが、たとえばクセナキスの「アナクトリア」では自在に折り曲げられるビーズ輪に似た小道具を使ってクセナキスの音楽の形がいかに他の作曲家たちと違うかを説明したり、ユン・イ・サン(尹伊桑)の「弦楽のためのタピ」ではみずからピアノを弾いて、東アジアに特有の「ヨナ抜き音階」を解説しながら「ラ」の音にユン・イ・サンの思いがこもっていると説いたりする斎藤の近現代作曲家へのパッションには、たとえクセナキスや尹伊桑や江村哲二の音楽への理解が容易でなくても親近感を抱かせるだけの懐の深さがあり、それがこの種のコンサートには珍しいほどの馴染みやすさを生んでいたのではないかと想像する。彼は異ジャンルの音楽(ロックバンドとの共演を含む)や、邦楽や伝統芸能、落語などとも交流し合う試みを積極的に推進し、一昨年の定期では故・伊福部昭の「土俗的三連画」を復活させたり、故・小山清茂の「小交響楽のための交響詩 ”アイヌの幻想 ”」を取り上げて日本の音楽ファンの心情を喚起させたりすることで、明らかに日本の音楽の理解と発展に貢献しようとしている人だ。斎藤一郎が江村哲二の作品を取り上げるにいたった理由は判然としないが、この曲の初演(1991年)以来の演奏となるこの日のためにパート譜を用意して臨んだ斎藤の江村への強い共感を感じないではいられない。確か両者は年齢も同じぐらいだと思うが、江村の方は芥川作曲賞を始め海外での受賞などで国際的にも高く評価されて、作品に注目が集まりつつあったころ病に倒れ、2007年にわずか47歳で亡くなった。estuaryとは普通は河口とか入り江を指すが、作曲者自身は淡水と塩水が微妙に交差する巨大な河口と書いており、核となる音間の音程が減5度の2つのモードに淡水と塩水が出会うestuaryの巨大な面白さを当てはめようとしたのだろう。ここでも忘れ去られようとしているある作曲家の鋭利な才能に再度の光を当てようとしている斎藤の強い思いが聴く者の胸に痛いほど響いた。

最後が、歌人・松平盟子が東日本大震災直後の2011年3月23日に、「東北大震災を詠む」と題してうたった3首の短歌を、ベルリンで活動する久保摩耶子が作曲した「三陸のうた」。

屋上に裏返る車体 電柱に揺れいる机 うつつはコラージュ

ほうれんそうざぶざぶ洗い両手冷ゆ 原発事故ののちの惑いに

海は凪ぎ被災の心に凪ぎは無し 雨傘のなかに繰り返しおもう

作品はベルリンで初演されたため、この日の演奏はいわば日本初演。森川栄子のソプラノを包み込むようにして21人の京フィル合奏団が厳かに渾身の響きを生み、作曲者の言葉を借りる形でいえば「語りかける作曲という行為が、大惨事直後の衝動のなかで誕生した3種の短歌と触れ合った衝撃の中で、まさに語りかける自由の翼を得て、単なる音楽とも短歌ともくくれない1つの ”声” を生んだ」。私たちのあの悲劇への痛切な思いが、このときの演奏と合体した。少なくとも私はそう思って身を震わせた。汗を噴き出しながら指揮した斎藤の胸中に何が去来したのか。久保摩耶子は最後に書いている。<この「三陸のうた」を聴いて自然の大惨事の風景をそこに探そうとするならば、それは間違いです>、と。

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悠雅彦

悠雅彦

悠 雅彦:1937年、神奈川県生まれ。早大文学部卒。ジャズ・シンガーを経てジャズ評論家に。現在、洗足学園音大講師。朝日新聞などに寄稿する他、「トーキン・ナップ・ジャズ」(ミュージックバード)のDJを務める。共著「ジャズCDの名鑑」(文春新書)、「モダン・ジャズの群像」「ぼくのジャズ・アメリカ」(共に音楽の友社)他。

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