#995 吉久昌樹・照内央晴デュオ

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2017年12月20日 阿佐ヶ谷名曲喫茶ヴィオロン

Text by Hideaki Kondo
Photos by m.yoshihisa

プログラム:
1st set 吉久昌樹ギターソロ
2nd set 照内央晴ピアノソロ
3rd set 吉久昌樹・照内央晴デュオ

東京には、越境的音楽を志すプレイヤーが集まるライブ会場がいくつかある。高円寺グッドマン、入谷なってるハウス、そして阿佐ヶ谷のヴィオロンもそのひとつだ。会場の個性はオーナーやブッキング・マネージャーの意向や集まるミュージシャンによって若干の差が出るが、アコースティック楽器にこだわるヴィオロンは、この3つの会場の中ではクラシックや民族音楽系の色彩が若干強い。

この日ステージに上がった吉久昌樹と照内央晴は、こうしたヴィオロンの傾向をそのまま映し出したような音楽家だ。クラシックを含む様々な音楽の語彙を吸収し、それをトータルな音楽へと還元する。吉久は、渋さ知らズ創設時にトランペットを担当していたキャリアが示すように、ジャズを学んでいた事がある筈のプレイヤーだが、ギター演奏にその形骸はない。この日の演奏だけから判断すれば、クラシック・ギターの演奏システムをベースに、中東方面の地域音楽やジャズから切り離されたフリー・インプロヴィゼーションの要素を重ねる。ピアノの照内は現在インプロヴィゼーションを中心に活動しているが、その演奏のベースにあるものはジャズではなくクラシックである事は一聴して分かる。形式だけを言えばショパンやリストの即興曲の構成の仕方に似ているが、サウンドはまったく現代的で、また行為としての音楽への関わり方はステージ・ピアニストよりもパフォーミング・アーティストに近い。音に対する行為のあり方がインプロヴァイザーそのものなのだろう。創作というよりも、自分自身をぶつけてくるプレイヤーといえば分かりやすいだろうか。

この日の演奏は、それぞれの独奏とデュオであったが、いずれもインプロヴィゼーションであった。しかしこのインプロヴィゼーションが、ジャズ文脈のものでもサウンド依存のものでもなく、まして理念先行の即興である事自体だけを目的化したものでもなく、楽句から大形式へ向かう構造化過程を踏んだクラシック的なアンプロンプテュであった。この事は、現状の日本の即興音楽のシーンを見つめるに、重要な意味を持つように思われる。

 まず、吉久のギターが素晴らしかった。ギターで大形式を構成する事は並大抵ではない。まして即興であればなおさらだ。流れならどのような方法でも作ることが出来るが、有契的な関係構造を作るには複数の声部を生み出さざるを得ない。この必要から、ギター演奏はクラシック・ギターなりフラメンコなり、複数の声部を扱いうる演奏メカニズムを活用しない事には、こうした音楽を成立させる事は難しい。そして「フリー・インプロヴィゼーション」や「フリー・ジャズ」と言われてきたジャンルにおけるギター即興の場合、このスタイルを取ることのできる演奏家も、またそれを実践している演奏家も、世界的に見ても実に少ない。吉久の演奏に課題がないとは言わないが、ここを音楽の核心と見抜く音楽に対する膨大な経験と慧眼、そして困難きわまりないこの本筋に正面から取り組む姿勢は見事としか言いようがない。

 そして、大形式を見事に形成するインプロヴィゼーションでありながら、それを構造に還元させないだけの表現力が、この日のピアノの照内の演奏にはあった。大形式をとるインプロヴィゼーションの場合、演奏だけではなく楽式を含めた作曲能力も問われる。こうした高度なスタイルをとる場合、どうしても構造に意識を奪われがちになるものだが、音楽を形式だけに還元させない強さが、照内のピアノにはある。またそれを楽音のみに還元させてしまわない点は、クラシックや現代曲に閉じず、他の音楽にも目配りしてきた事で、現代的なサウンドが彼の中で鳴っている為ではないかと感じた。照内の即興は対比となる中間部を挟まないので直線的になりがちだが、そこを処理できるようになれば、より強固な構造を提示できるようになるだろう。大形式の構造とサウンドを表現の強さや直情性として出せる点で、彼は見事にミュージシャンである。

現在の日本の即興音楽の素晴らしさは、演奏の強度を保ちつつ、大形式の構造を構築することのできる技術と作曲レベルを持つプレイヤー数が増してきている点にあると感じる。最近私が聴いた優秀な日本の即興演奏でいえば、フレデリック・ブロンディとの共演における喜多直毅、照内との共演におけるヴァイオリンの加藤綾子、フルートの狩俣道夫など、いずれも作曲を含めた西洋音楽のアカデミックな教育を受けてきたミュージシャンである。三宅榛名をはじめ、かつてからこうした流れがなかったわけではない。しかしそれが今顕在化してきている背景には、日本やフランスの音楽大学に即興の科目が組み込まれて一定期間が経過した事、即興演奏というものがイデオロギーからもジャズからも切り離されて相対化して見つめられ始めた事など、いくつかの要因があるのではないかと感じる。また、世界を見ると、今の即興音楽はジャズや即興音楽のフィールドではなく、クラシックのフィールドで行われているものの方が圧倒的に面白い。こうした方向の即興音楽に批評家や音楽ファンが目を配る事が出来るようになれば、日本の即興音楽は次のステージに上がる事が出来るかもしれない。そう予感させる素晴らしいパフォーマンスだった。

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近藤秀秋

近藤秀秋

近藤秀秋 Hideaki Kondo 作曲、ギター/琵琶演奏。越境的なコンテンポラリー作品を中心に手掛ける。他にプロデューサー/ディレクター、録音エンジニア、執筆活動。アーティストとしては自己名義録音 『アジール』(PSF Records)のほか、リーダープロジェクトExperimental improvisers' association of Japan『avant- garde』などを発表。執筆活動としては、音楽誌などへの原稿提供ほか、書籍『音楽の原理』(アルテスパブリッシング)執筆など。

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