#1021 藤本昭子~地歌ライヴ 2018

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6月24日 日曜日 求道会館 14:30

text by Masahiko Yuh 悠雅彦
写真提供:藤本昭子

 

1.楫枕(かじまくら)
藤本昭子(三弦)塚本 徳(箏)
2.海人小舟(あまのおぶね)
藤本昭子(三弦)尾葉石輝美(箏)
3.残月(ざんげつ)
藤本昭子(三弦)渡辺明子(箏)徳丸十盟(尺八)
4.根曳の松(ねびきのまつ)
藤本昭子(三弦)滝澤郁子(三弦)塚本 徳(三弦)尾葉石輝美(三弦)
渡辺明子(箏)・徳丸十盟(尺八)望月晴美(作調)藤舎理生(笛手附)

 

久方ぶりに暑気払いするかのような、ただならぬ迫力が聴くものに肉薄する地歌の熱演に酔った。この日は<求道会館ファイナル公演>と銘打って行われた藤本昭子の<地歌ライヴ>。実は、この24日こそ藤本昭子が2009年4月以来、地歌ライヴのホームグラウンドとしてきた求道会館(文京区本郷6丁目 東京大学界隈)での最後のライヴとなる。<求道会館ファイナル公演>をうたった理由がここにある。だいぶ以前に彼女の<地歌ライヴ>をとりあげたことがあるが、それはよみうり大手町ホールでの「難波獅子」や「八千代獅子」などのいわゆる獅子物を集めて披露した特別公演(2014年8月17日)だった。「御山獅子」では兄の藤井泰久との共演を実現させるなど、意欲的な屈指の地歌ライヴだったことを今も時に思い出しては懐しむ。それはともかくファイナル公演>と聞いて、地歌界を代表する演奏家たちによる地歌の数々を思い浮かべ、藤井昭子から再婚して藤本姓を名乗るようになった彼女から、私がいかに地歌の真髄に触れて多くを学んだかという9年と数ヶ月の思い出多き歳月を思って感無量だった。もうあのゆかしい建物の中で彼女の地歌が聴けないのかと思うと一抹の寂しさをおぼえる。それほど求道会館における藤本昭子の<地歌ライヴ>は、仏教の教会堂として東京都の有形文化財と認められた建物内部のゆかしさ漂う和洋折衷の歴史性と、実に奇妙なことだが地歌とがまったく違和感なく共存し合う、忘れがたい開放的なひとときをそこに集う人々にもたらした。あの高い天井やステンドグラスといい、建物や家具から溢れる木の雰囲気といい、ありきたりのコンサート・ホールでは絶対に味わえぬ奥ゆかしさを私は決して忘れないだろう。

会場の求道会館へ着いて驚いた。すでに大勢の人が列を作って、続々と会館のなかへ入っていく。こんな光景はこの求道会館で過去についぞ見たことがなかった。私は他に用がなければこの地歌ライヴには必ず出席していたが、こんなにごった返した地歌ライヴは初めてだった。入り口で会館専用のスリッパに履き替え、会場の中に入ってさらに驚いた。招待席を除くほとんどの席は来場者で溢れかえり、この会場では一度もお会いしたことがない知人や音楽関係者も駆けつけて昭子さんや当日の出演者たちと談笑している光景を見るにつけ、地歌ライヴに情熱の限りを注ぎ込んできた藤本昭子の求道会館での最後の姿を目にとどめておこうというファンや支援者たちの一途な思いが、この人、人、人で溢れかえるファイナル公演の異様な盛り上がりを生みだしたといって良いのではないだろうか。いつもなら4、50人ほどのファンがリラックスした気分で観賞する地歌ライヴを、この日は200人以上(聞くところでは260人を超える聴衆が参集したという)の人々が詰めかけたわけだから、まさに異例ともいうべき地歌ライヴだったということになる。求道会館はもとより地歌ライヴの語り草としてのちのちまで長く伝えられるだろう。

新宿の「たべるな」という極く小さなライヴハウスで初めて昭子さんの地歌を耳にしたとき、彼女の母堂・藤井久仁江(人間国宝)師は健在で(実際は癌を患っていたと後で知った)あり、師匠の弾き語りを夢中で聴いたことが懐かしい。今思えば、このときから私の地歌ライヴ通いが始まった。それだけ藤井(現在は藤本)昭子さんの大らかでありながら地歌に情熱を注ぎ込むヒューマンな一途さに心打たれたのだろうと思う。もちろん私の主戦場はジャズであり、いくら現在のジャズに心奪われる機会が滅多に訪れなくなったとはいっても、執筆の主戦場を邦楽に鞍替えしたわけではない。ただ、私自身は日本人として、この国で生まれ発展してきた邦楽にいつしか親しむようになったのは、むしろ極く自然なことだったろうとさえ思っている。琴を弾くこともあった母から感化されたことなどは恐らくほとんどない。話を地歌ライヴに戻そう。昭子さんの地歌ライヴのプログラム解説を書いていたのは谷垣内和子さんだが、私は彼女の書いたプログラム原稿から実に多くを勉強させてもらった。彼女が書いたこの日の解説文から引用すれば、「たべるな」からスタートした地歌ライブは、銀座(当時の日本ビクターの宣伝会場)を経て、2009年4月から求道会館に拠点を移し、今回が八十九回目。ここでのライブは三十九回に及ぶ、と。

幕開きは菊岡検校(1792~1847)の本調子手事物の「楫枕」(かじまくら)。この日は三役物の一つとして名高い「根曳の松」(ねびきのまつ)をはじめ、ほかの3曲も例外なく手事が聴きどころの一つとなっている。手事とは歌と歌のあいだに挿入される器楽演奏による長い間奏の名称だが、人に聴かせる目的を持っている点を重視するとクラシック音楽の<カデンツァ>と良く似ている。また、テーマの和声進行に基づいて単独演奏するジャズのアドリブ・インプロヴィゼーションの邦楽版と言えなくもないが、地歌や箏曲のように演奏者全員が器楽演奏する形はジャズでは極めて例外的である。また、手事もカデンツァもすべて基本的には楽譜に書かれた通りに演奏するが、ジャズのインプロヴィゼーションとはすなわち即興演奏のことであり、基本的には楽譜とは無縁の演奏形態である。閑話休題。

その手事で言えば、(2)「海人小舟」での昭子さんの三弦と尾葉石輝美の箏の、両者の息がピタリと合った丁々発止が素晴らしかった。美の風が吹いたと表現したいほど。演奏後に昭子さんが尾葉石さんを讃えた話の中で、決して人を下におかないヒューマンな演奏態度を亡くなった母がいつも褒め讃えていたというエピソードを披露したが、まさにその言葉通りの謙譲の美徳を彷彿させる尾葉石輝美のしなやかな箏演奏ではあった。また、2段からなる(1)の「楫枕」の手事も八重崎検校の手付が情緒豊かで、昭子さんの親しい仲間、塚本徳の好演が光った。

(3)の「残月」。《磯部の松に葉隠れて、沖の方へと入る月の、光や夢の世を早う。覚めて真如の明らけき、月の都に住むやらん》~手事~《今は伝手だに朧夜の、月日ばかりはめぐり来て》。作詞者は不詳ながら、ロマンティックな発想の中にまるで童謡の無邪気ささえ感じさせる詩(作詞者不詳)が私は好きだ。谷垣内和子氏の解説文には「峰﨑勾当の作品の中でもこの曲は手事・歌意の表現・フシの技巧――すべてにおいて完成された最高の難曲・大曲として尊重されてきました」とある。この日一番長い手事を通して、昭子さんの三弦を中心に、渡辺明子の箏、徳丸十盟の尺八がまさに三位一体となり、高度なテンションを保ったまま5つの段から成る圧倒的なクライマックスを終えて、迫真の合奏を閉じた。谷垣内さんによれば、この曲は「宗右衛門町の松屋某の娘が夭折したのを追善して作られたもので、昭子さんが母と祖母(阿部桂子)を追善供養した1曲だという。そして、最後の(4)「根曳きの松」へ。手事物の代表的な1曲(手事は3ヶ所)として知られ、テクニックの限りを尽くして演奏される人気曲として名高い。いわゆる御祝儀曲では圧倒的によく知られた曲ながら、難曲としても有名なこの曲を、昭子さんを中心に本日の助演者全員に、滝澤郁子師、および笛と小鼓の藤舎理生と望月晴美を加えたオールスター・ヴァージョンによる大アンサンブルが、会場を埋めた大勢のファンの温かな拍手と歓声の中で求道会館でのラストライヴを称え、次の新たな出発を祝って幕を下ろした。(2018年7月3日記)

♪ リハーサル風景(画像をクリックすると拡大表示されます)

♪ 打ち上げパーティ

*悠々自適 #75 地歌ライヴに賭ける藤本昭子の闘志と偉業
http://jazztokyo.org/monthly-editorial/monthly-editorial-yuh/post-18954/

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悠雅彦

悠雅彦

悠 雅彦:1937年、神奈川県生まれ。早大文学部卒。ジャズ・シンガーを経てジャズ評論家に。現在、洗足学園音大講師。朝日新聞などに寄稿する他、「トーキン・ナップ・ジャズ」(ミュージックバード)のDJを務める。共著「ジャズCDの名鑑」(文春新書)、「モダン・ジャズの群像」「ぼくのジャズ・アメリカ」(共に音楽の友社)他。

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