#896 東京都交響楽団 第807回定期演奏会

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2016年5月18日 19:00 サントリーホール
text:Masahiko Yuh 悠 雅彦

● 東京都交響楽団
● クリスチャン・ヤルヴィ(指揮)

1)フラトレス~弦楽オーケストラとパーカッションのための(アルヴォ・ペルト)1977/91
2)交響曲第3番(アルヴォ・ペルト)1971
3)デュエット~2つの独奏ヴァイオリンと弦楽オーケストラのための(スティーヴ・ライヒ)1993
4)フォー・セクションズ(スティーヴ・ライヒ/日本初演)1987


前評判が高い、というより若いクラシック音楽ファンの間で異常なほどの注目を集めつつある指揮者クリスチャン・ヤルヴィが東京都交響楽団を振る。これは何はともあれ見ておかなければなるまい。表記の5月18日と、22日(14:00 サントリーホール)の2度にわたって聴いた。

ちなみに、22日のプログラムは、①カレリア組曲(シベリウス)、ノルウェイの新鋭ヴァイオリン奏者ヴィルデ・フラングを独奏者に迎えての、②ヴァイオリン協奏曲ホ短調op.64(メンデルスゾーン)、休憩後の③交響的舞曲op.45(ラフマニノフ)。プロムナード・コンサートとはいえ、こちらもことクリスチャンに関しては申し分のない演奏だった。しかし彼の指揮者としての特徴や音楽性に焦点を当てて論じる限り、色々な意味で圧倒的に感銘深かったのがペルトとライヒを振った18日の都響の定期演奏会だった。

兄のパーヴォ・ヤルヴィは昨秋、NHK交響楽団の新しい首席指揮者に就任して大きな話題になった。父のネーヴェ、息子のパーヴォとクリスチャンの3人が今や世界的指揮者で、妹のマーリカもフルート奏者というエストニア出身の音楽一家。といっても、クリスチャンは7歳で一家とともに亡命に近い形で米国へ渡り、ニューヨークのマンハッタン音楽院(のちにミシガン大学)で学んだ後、ロス・フィルでユサ・ペッカ・サロネンの助手として活動した経歴を持つ。ドイツのライプツィヒ放送響(MDR響)の音楽監督として評判を高めているさなかの今回の来演にファンの目が集まったわけだが、彼は2005年に朝比奈隆が健在だった大阪フィルを指揮したことがあるというから日本との縁は決して浅いわけではない。当時彼が何を、どんな風に指揮したのかを今度、大阪の関係者にでもうかがってみようと思う。

当夜のプログラムはペルトとライヒの作品が2曲づつ。これではいくらクリスチャンへの注目が高まっているとはいっても入りは期待できまいと踏んだ当初の予想は、見事に外れた。当日、蓋を開けたら70パーセントの入り。さすがクリスチャン・ヤルヴィに注目する真摯なファンがそれだけ大勢いるということだろう。ファンの目は高いと改めて感心した。

前半のペルト作品2曲。むろんペルトとクリスチャンはともにエストニア生まれであり、精力的にCD吹込を展開しているクリスチャンが「フラトレス」はむろんのこと「スターバト・マーテル」をはじめペルト作品を数多くCD録音しているのはある意味で当然だと思うが、私は別の視点でクリスチャンがこのコンサートに取り上げたペルトとスティーヴ・ライヒの音楽を関係づけたらいっそう面白くなりそうな予感がした。というのは、グレゴリア聖歌やヨーロッパ中世の音楽にアプローチし、音楽を複雑化している要素を整理して単純化したペルトの作品、とりわけ鐘のように鳴り続く単純なハーモニーが生むティンティナプリ様式を象徴する「フラトレス」のような作品は、ペルトの単純化がライヒらのミニマル・ミュージックが提示した音楽的エッセンスと共通の磁場を持つ可能性を示しているのではないかと思っていたからである。実際に、「フラトレス」のような単純化の極に達した美を持つ作品と、2台のヴァイオリンが弦楽アンサンブルと単純な繰り返しの楽句を通して議論し合ったり談笑したりするライヒの「デュエット」とは和合し合う要素がある、と感覚的に納得できる。一方、ペルトが「フラトレス」の5年前に書いた「交響曲第3番」と、この日の演奏が日本初演というライヒの「フォー・セクションズ」は、単に両作品が大編成の曲であるという以上に、交響曲(ペルト)と協奏曲(フォー・セクションズ/ライヒ)というヨーロッパ音楽の伝統的形式の中で2人の作曲家(ペルトは1935年、ライヒは1936年の生まれ)がどのような試行錯誤や苦闘をへてスコア化し、ライヒのように新しい発想のもとでバルトークの「管弦楽のための協奏曲」とはまったく異質の管弦楽作品を完成させるにいたったかを思うと、実に感慨深いものがある。

ペルトの交響曲は恐らくは、彼が前衛的な作曲技法と苦闘する中でグレゴリア聖歌と出会い、1971年といえばその渦中にあった時期の作品ということになる。だが、全3楽章の多くの箇所でグレゴリア聖歌から得たヒントをペルトなりの手法で展開した跡が窺える点から、すでに「フラトレス」時代の萌芽が明らかであることをクリスチャン・ヤルヴィの指揮する演奏が力強く示した。

エストニアは一方がソ連と国境を接しており、そのため第二次大戦中は2度(1940年と44年)にわたってソ連に占領されて国家的自由を失い、91年に真の独立を果たすまでソ連の隷属下にある運命に甘んじなければならなかった。1980年、ペルト家とヤルヴィ家は示し合わせたように故国を去って西側に亡命。まもなくペルトはドイツで、ヤルヴィ家が米国で新天地での生活に入ったのも、いわば自由を求める芸術家一家としてのやむにやまれぬ欲求ゆえだったろう。

当時7歳に過ぎなかったクリスチャン・ヤルヴィにとって、人種の坩堝の中心であるニューヨークは人間の拍動が躍動的に渦巻いている都市としての生命力に満ち満ちたところだったに違いない。ライヒの「フォー・セクションズ」を聴きながら、リズムが多様に、いや無限に変化する中で、オーケストラ演奏の可能性に次々と火をつけていくようなこの曲のスリリングな展開を、クリスチャンが巧みに軌道に乗せていく妙味に引き込まれるかのような思いで、時に痛快だった。「フォー・セクションズ」とは4つのセクション、すなわち弦、木管、金管、打楽器が、4つの楽章に分かれて、例えば4小節をユニットとする繰り返しがえんえんと続いて、繰り返される映画のショットに目眩を覚えるような変化に富んだ刺激的作品。その、目もくらむような展開を的確にして構想豊かなタクトで全体を活きいきと躍動させていくクリスチャン・ヤルヴィのライヒへの共感が、聴く者の気持を心地よく躍動させた例外的な25分だった。

Live 5:18 yuh2

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悠雅彦

悠雅彦

悠 雅彦:1937年、神奈川県生まれ。早大文学部卒。ジャズ・シンガーを経てジャズ評論家に。現在、洗足学園音大講師。朝日新聞などに寄稿する他、「トーキン・ナップ・ジャズ」(ミュージックバード)のDJを務める。共著「ジャズCDの名鑑」(文春新書)、「モダン・ジャズの群像」「ぼくのジャズ・アメリカ」(共に音楽の友社)他。

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